四
ミカエルシュナの目の前で、トリストラムは地面に剣を突き立てた。とたん、不気味な光が地面を伝って積み上がった死体に到着する。
光は死体を覆い、一瞬その姿を隠した。だがすぐに消え去り、残滓がまとわりつく。
その残滓に引っ張られるように、死体が動き出した。
「⋯⋯!」
ミカエルシュナは驚愕で目を見開いた。
ミカエルシュナが魔銀製の人形を操っているは、支配魔法という魔法によるものである。支配魔法は無機物を自身の意のままに操る魔法で、人形を操作するのが主な使用方法だ。
だが、生物──たとえ死体であろうと、生きていたものを操ることはできない。それは黒魔法──禁術の領分だ。
そうでなくとも、ミカエルシュナにとって民や父を操る行為は、許せることではなかった。
「どこまでわたくしを怒らせれば気が済むの⋯⋯!」
ミカエルシュナは剣を構えた。が、それを振り下ろすことはできない。
操られた死体が、襲いかかってきたからだ。
ミカエルシュナは奥歯を噛み締め、剣を収めた。そして、祈るように手を組む。
「フローディア様、我が祈りを聞き届けたまえ!」
ミカエルシュナがそう唱えたとたん、間近に迫った死体が数体、痙攣して倒れ込んだ。それを見たトリストラムは、感嘆の声を上げる。
「剣の効果を打ち消したのか⋯⋯⁉ よほどの高位神官でなければ不可能なことですよ。⋯⋯ですが、それは魔力を大量に消費するでしょう。全てを打ち消すことができますか?」
「っ⋯⋯!」
ミカエルシュナはトリストラムの嘲笑に耳を貸すことなく、祈り続ける。祈りが聞き届けられるたび、死体は支配から解放されていく。だが同時に、ミカエルシュナの魔力は確かに消費されていった。
しかしミカエルシュナは祈るのをやめない。そんな彼女に触れようとした死体は、その端から動かなくなった。
やがて──全ての死体が解放された。だがその時点で、ミカエルシュナは肩で息をしている有様である。一方のトリストラムは、余裕の表情で立っていた。
当然である。彼はあくまで剣の能力を使用しただけで、魔力の消費は全く無かったのだ。その剣も、禍々しい気配をまとったまま健在だった。
それでもミカエルシュナは、力強い眼差しでトリストラムを睨み付けた。
「いい加減諦めたらいかがですか?」
トリストラムは呆れの表情を浮かべた。
「辺境伯だったゴロワント卿は亡くなり、民はほどなく死に絶えるでしょう。貴女がこの地に縛られる理由は無くなりました。貴女はただ、我が王にその身ひとつで輿入れすればいい。なぜ抵抗するのです?」
「⋯⋯貴方のような者には、解らないでしょうね」
ミカエルシュナは改めて剣を抜いた。
「貴方や⋯⋯アルトゥール王が民を想い、臣下を想う方であれば、わたくしは悩みながらも、妃になることに応えたかもしれません。少なくとも、考えることはしたはず。ですが、わたくしひとりを手に入れるために辺境を滅ぼす選択をするような方に、嫁ぐ気は無い! 刺し違えても、貴方を斃す」
「それは、困りますね」
本気で困ったように、トリストラムは眉根を寄せた。
「貴女を無傷で連れ帰ることは、もはや諦めましたが⋯⋯命を落とすことだけは、困るのですよ」
「この期に及んで、まだそんなことを」
ミカエルシュナは冷たく睨み付けると、地面を蹴った。疲弊しているとは思えぬ、目を見張るほどの速度である。
トリストラムは油断していたのか、それを受け止めきれず、胸元を浅く斬り裂かれた。
「なっ⋯⋯⁉」
「覚悟!」
ミカエルシュナは疲れなど見せない速度で斬り込んでいく。トリストラムは、それを受けるのが精いっぱいだ。
「どこから、そんな力が⋯⋯!」
「⋯⋯!」
ミカエルシュナは答えない。実のところ、答えるだけの気力はもう残っていなかった。魔力も身体強化と支配魔法を維持するのが精いっぱいで、もはや問答する余裕など無かったのである。
それでも、何とか死力を尽くして剣を振るっていた。
同時に、思考を巡らせることも忘れない。
──彼らが辺境への攻撃を交渉材料にしていたら、まだしも話し合いの余地はあったのに。
だが、そんなことは全て無視して、彼らは攻撃を選んだ。まるでミカエルシュナ以外は価値など無いかのように。
──わたくしに、それだけの価値があるというの。
──愛する民も土地も守れない、このわたくしが?
ミカエルシュナは怒りでどうにかなりそうになりながら、それでも冷静に剣を振るう。的確に急所を狙う攻撃は、確実にトリストラムを追い詰めていた。
「こっ、の、私が⋯⋯陛下の、一の⋯⋯」
「ふっ」
ミカエルシュナは短い呼気を吐き出すと同時に、剣を横薙ぎに振るった。白銀の刃は、あやまたずトリストラムの首を捉える。
何かを言いかけていたトリストラムは、驚愕の表情のまま首を飛ばされた。辺境を壊滅に追いやった男の、あまりに呆気無い最期だった。
「か、閣下⁉」
ミカエルシュナの騎士人形に押しやられていた騎士達が、悲鳴のような声を上げた。次いで、兜越しでも解る敵意を、ミカエルシュナに向ける。
トリストラムは、部下には慕われていたらしい。そして、彼の命令はきちんと行き渡っていなかったようだ。皆ミカエルシュナに剣を向け、騎士人形を何とか退けようとしていた。
そんなことをしなくても、ミカエルシュナに騎士人形を操るだけの魔力はほとんど残っていなかった。二、三人は倒せるだろうが、全てを撃退することはできない。
それでも、ひとりでも多くの騎士を道連れにしてやると、ミカエルシュナは剣を構え直した。
──それが、せめてもの手向けになるといいのだけれど。
そんな覚悟を決めて、踏み出そうとした時だった。
”駄目よ”
そんな声が、脳内に響いた。え、と振り仰ぐと同時に、激しい眠気が身体を支配する。思わず膝を着き、どうにか剣を杖にして体勢を保った。
「今の、声は⋯⋯」
ミカエルシュナにとって、その声は馴染みのあるものだった。それはミカエルシュナが奉じる自然の女神フローディアのものだったのだ。
その声に気を取られている間に、包囲していた騎士達に変化があった。
「な、何だこれは⁉」
「うわ、うわあぁ!」
情けない悲鳴を上げる騎士達の剣に、茨が巻き付いていた。地面から這い上がり、身体を伝って縛り上げるように絡み付いたのだ。
動けなくなった騎士達は、そのまま茨に悲鳴ごと覆い尽くされた。瞬く間に生み出された茨人形に、ミカエルシュナは呆然とする。同時に、眠気も抗いがたいほどになっていた。
「っ、どうして、フローディア様⋯⋯」
茨も、この眠気も、フローディア女神によるものだろう。だが、なぜそんなことをしたのかが解らない。
神々は人を助け、導く。だが、神官による祈りがない限り、必要以上の干渉はしないし、その干渉だって限定的だ。ミカエルシュナは死んだ人々の解放をするために祈りを捧げたが、騎士達の攻撃も、自身への眠りも願っていない。そもそも、そんな魔力は残っていなかった。
なのに、どうして──そんな疑問がかすめたのを最後に、ミカエルシュナの意識は黒に塗り潰された。