三
森を飛び出したミカエルシュナを迎えたのは、見慣れた辺境の美しい風景ではなく、炎と鉄錆の臭いだった。
野原や畑には火がかけられ、赤々と燃えている。畑で作業していた農夫や彼らを守ろうとしたであろう辺境兵達は、そのことごとくが斬り捨てられていた。
その傍で剣を持ち、フルフェイスの兜越しに周囲を睥睨する見知らぬ騎士達。
剣は、血で濡れていた。
「⋯⋯おまえ達!」
ミカエルシュナの張り上げた声に、騎士達が一斉に振り返った。そんな彼らを前にミカエルシュナは炎と風の妖精を呼び出す。
「何を、していた!」
風によって勢いを増した炎が、騎士達を巻き上げた。鎧を赤く熱し、中の人間が炭化するほどの火力を出した当人は、騎士だったものに頓着することなく周囲を見回す。
「っく⋯⋯!」
ミカエルシュナは唇を嚙みながら、今度は水の妖精を呼び出した。
「火を鎮めて!」
水の妖精は巨大な水球を生み出すと、それを宙に放り投げた。上空に打ち上げられた水球は、一定の高度に至ると、音を立てて弾ける。
弾けた水は雨のように降り注ぎ、炎を消していく。だがその後に残ったのは、なおも悲惨な光景だった。
炎によって灰になった畑に、血と炭で汚れた死体。ミカエルシュナの魔法ではどうにもならないものが、そこにはあった。
「なぜ、こんなことに⋯⋯トリストラム公は、何を考えて⋯⋯」
ミカエルシュナは呆然と立ち尽くしていたが、精霊の声で我に返った。
“ミカエルシュナ あっちでたくさんのニンゲンがアバれてるよ!“
“あのミズイロのカミのヤツもいるよ!“
「っ⋯⋯⁉」
ミカエルシュナは顔を上げた。
「⋯⋯行こう」
ミカエルシュナは短く黙祷を捧げると、走り出した。
───
トリストラムがいたのは、ルフェ家の屋敷の前だった。
質実剛健で飾り気の無い屋敷は、しかし魔物からの攻撃を防ぐため、見た目以上に堅牢な造りでできている。
その屋敷の前が、今や魔物との戦闘もかくやという血溜まりと化していた。
「あ⋯⋯」
まるでごみを捨てるかのような気軽さで、屋敷の前に積み重なっているもの。
紅で彩られたそれらに言葉を失っていると、騎士の陣頭指揮を執っていたトリストラムが振り返った。
昨日とは違い鎧を身にまとった彼は、ぱっと表情を明るくする。
「おお、ルフェ嬢! ここにいたのですね」
芝居がかった動作で両腕を広げるトリストラムに、ミカエルシュナは声を震わせた。
「お父、様⋯⋯⁉」
「ああ、これですか」
トリストラムは手の中にあるものを見遣る。
それは、ゴロワントの頭部だった。
「今日、改めて結婚を願い出たのですけれどねぇ、どうしてもお応えいただけないので──排除することにしたのです」
何でもないことのように言うトリストラムに、ミカエルシュナは絶句した。
喉が干上がる。頭の中でがんがんと音が鳴っている。舌がうまく動かない。地面が揺れているように感じる。思考がまとまらない。
精霊から父が殺されたことは聞いていた。覚悟もしていた。
それでも、こんな当たり前のことのように、ただ通行の邪魔だったから移動させた、みたいな気安さで、殺されているとは思わなかった。
「さて」
トリストラムはしばらく片手で弄んでいた生首を、ぽいっと捨てた。
「お父上は死んで、ルフェ領も今日この日、地図から消えます。これで何の未練も無く、陛下へ嫁げるでしょう」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯は⋯⋯?」
「ああ、嫁入り道具や持参金は必要ありませんよ。その身ひとつでいいのです。陛下の望みは、貴女様ただおひとりなのですから」
その言葉を、ミカエルシュナは咀嚼できなかった。
何とか飲み込もうとして、何度も失敗して、結局理解が追い付かない。
ただひとつ、言えることは。
「お父様を殺して、民達を殺して、火を放って──そうした理由が、わたくしひとりだと?」
「ええ。それほどの価値があると、陛下は仰せなのです」
「ふざ──けてるの?」
「いいえ。大真面目ですよ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯は」
ミカエルシュナの口から、乾いた笑いが漏れた。
──これだけのことをしておいて、わたくしひとりのためだと。
──ただ、結婚を断った、それだけなのに?
──わたくしを手に入れるためだけに、この虐殺を行っただと?
あふれ出たのは、後悔だった。
自分が結婚を断らなければ。
矜持を、故郷への愛を優先させなければ。
後継者であることにこだわらなければ。
──これが、わたくしの罪なのか。
「公爵閣下。こたびの件、貴方の一存ではなく国王陛下のご意思と、そう受け取ってよろしいですのね?」
「ええ。貴女を想うあまりの結果だと、そうお考えください」
「⋯⋯そうですか」
ミカエルシュナは顔を上げ、勢いよく地面を蹴った。
「⋯⋯⁉」
「ふっ」
目を見開くトリストラムの首目がけて、ミカエルシュナは剣を振るった。
がいん!
激しい金属音を立てて、ミカエルシュナの細剣とトリストラムの片刃剣がぶつかり合う。
「っ⋯⋯何、を⋯⋯⁉」
たら、とトリストラムの頬に冷や汗が伝った。一歩遅ければ、自分の首と胴体は離れていただろうと確信できるほどの、鋭く躊躇の無い一撃だった。
「何、ですって? けじめですわ」
一方反動で距離を取ったミカエルシュナは、剣を構え直した。
「わたくしが軽率な断り方をしたために、お父様を⋯⋯民達を死なせてしまった。ならば、その償いをせねばなりません」
「なら、なおさら私を攻撃する理由が解りません。貴女が陛下に嫁げば、それが償いに──」
「ふざけるな‼」
ミカエルシュナの一喝が、トリストラムと、その部下達の身体を震わせた。
「わたくしの父と民を虐殺し、愛する領地に火を放つことをよしとする王に嫁げだと? それが償いになるだと? 貴方がたは、わたくしをどれだけ侮辱すれば気か済むのかしら。わたくしがすべき償いは、貴方達を排除してこの地を守ることだわ!」
ミカエルシュナは魔法で取り出した五つの人形を放り投げた。
「”我が騎士達よ”!」
ミカエルシュナが呪文を口にすると、人形は白銀の鎧兜をまとった騎士に変化した。騎士達は盾と槍を手に、トリストラムの騎士達に向かっていく。
「ゴーレム⋯⋯それも、魔銀製の」
「一般の騎士ならそれで充分ですわ。貴方の相手は、わたくしよ」
剣を突き付けるミカエルシュナに、トリストラムは肩をすくめた。
「やれやれ、とんだじゃじゃ馬ですな⋯⋯しかたがありません。力ずくで来ていただきましょう」
とたん、トリストラムの剣が禍々しい光を帯びる。目を見開くミカエルシュナに向かって、トリストラムは不敵に微笑んだ。
「我が王よりいただいた剣の力、貴女にお見せしましょう」