第17話 試練に、馳せる想い
――祭事当日。午前7時頃。
ソルは目を覚ました。
朝の支度を済ませた頃、ドアがノックされた。
「ソル、まだ寝てるの?」
ドアを開け、ソルは微笑んだ。
「おはよう、マーニ」
「おはよう。よく眠れた?」
ソルは笑顔で頷いた。
「ああ。今日はいつも以上に調子が良い」
拳を握り締め、頷く。
やる気が空回りしないといいけど、とマーニは一抹の不安を覚えた。
「マーニ、朝ご飯を食べにいこう」
「うん......」
「歯切れが悪いな。お腹の調子でも悪いのか?」
マーニは首を横に振った。
「ならいいが、無理するなよ」
ソルは部屋を出て、階段を下りる。
マーニは隣に並んで歩いた。
「午前10時から帝都劇場で、189人が戦うんだっけ」
ソルは右の肩を回した。
「おう。腕が鳴るな」
「作戦とか考えているの?」
ソルは口の端を釣り上げた。
「ない」
マーニは眉尻を下げた。
「ソル、参加を辞退しない?」
「何でだよ?」
「私の勘が囁いているの」
ソルは口元を緩めた。
「それはできないと俺の勘が言っている」
ふたりは受付に鍵を返却し、外に出た。
「警備兵の人には聞けないし、どこで食べようか?」
ソルは鼻をひくつかせた。
「こっちだな」
隣で並んで歩くソルを、マーニは横目で見た。
「何かわかったの?」
「俺の勘が、美味しい朝ご飯を出す店の場所を告げている」
マーニは周囲を見渡した。
馬車が蹄鉄を鳴らし、大通りを通り過ぎる。
色鮮やかな服を着用した男女らが往来した。
「昨日は暗くてよく見えなかったけど、綺麗な街だね」
ソルは地面に視線を落とした。
馬糞が転がっていた。
ソルは糞を避けながらマーニに言った。
「糞があるから踏まないようにしろよ」
――ぐちゃり。
「ぁ」
マーニは肩を落とした。
「もっと早く言ってよ......」
「言っただろう」
マーニは息を吐いた。
右足を踏みつける度に不快な音が聞こえてくる。
マーニは横目でソルを見た。
「で、どこへ向かっているの?」
「帝都劇場だ」
マーニは小首を傾げた。
「朝ご飯を食べにいくんじゃなかったの?」
「帝都劇場は、この街の観光地の一つだろう」
「そうだね」
「美味しい料理を出す、人気の店があるんじゃないか」
マーニは右の頬に手を当てた。
ソルは横目でマーニを見た。
「何か気になることでもあるのか?」
「今日のソルは冴えていると思ったんだよ」
「今日は頭がスッキリしているからな」
ふふっ、とマーニは笑った。
「今日のソルは一味違うね」
ソルはにかっと笑った。
「戦いたい奴が二人もいるからな」
「うん」
帝都劇場が見えてくる。
ふたりは遠巻きから眺めた。
ソルは足を止め、鼻をひくつかせた。
マーニは靴底に付着した馬糞を地面に何度も擦り付けた。
「こっちだ」
ふたりは路地裏に入った。
マーニはソルの服を掴んだ。
「本当にお店があるの?」
「ああ。清涼感のある、良い香りが漂ってきた」
ふたりは喫茶店の前で足を止めた。
ソルがドアを開けて中に入った。マーニは後に続いた。
清潔感のある古風な空間には、カウンター席のみ。
爽やかなハーブの香りが漂っている。
朝食時にも関わらず、客は一人もおらず、入店した旅人はふたりだけだった。
身綺麗な中年男性のマスターがカウンターからふたりを見て、柔らかく微笑んだ。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
ふたりは空いている席に腰を下ろした。
「ご注文はお決まりですか?」
「この店のオススメをください」
「白豚のフライサンドとハーブティーになりますが、よろしいですか?」
マーニが聞き返した。
「どういう料理ですか?」
マスターは穏やかな口調で説明を始めた。
「白豚の肉に衣をつけて油で揚げたものを、包丁で厚めに切った角パンで挟んだ料理です。揚げた肉には濃厚なソースを塗って濃い味付けにしております」
マーニは目を閉じて匂いを嗅いだ。
「いい香りですね。これは何ですか?」
「ハーブの香りです。当店ではお客様に合わせたハーブティをお出ししております」
マーニは笑顔で注文した。
「白豚のフライサンドとハーブティをお願いします」
「お連れ様も同じものでよろしいですか?」
「ああ」
マスターは準備に取り掛かった。
マーニは靴を気にしながら小声でソルに尋ねた。
「臭う?」
「......少しな。だから、この店にした」
マーニは眉を八の字にした。
「それって、ハーブの香りで消してるってこと?」
ソルはテーブルの上で手を組んだ。
「マーニ、あの事実は変わらないんだ」
マーニはソルの脇腹に肘鉄を入れた。
「うっ」
「変なこと言わないでよ」
マーニは息を吐いた。
「やっぱり今日のソルはおかしいよ」
ソルの額に手で触れる。
しかし、熱はなかった。
「昨日、変なものは......食べたか」
マーニは座り直した。
マスターがふたりの前に料理を載せた皿を並べ、微笑んだ。
「お待たせしました。白豚のフライサンドとハーブティです。お好みで蜂蜜をどうぞ」
ふたりは白豚のフライサンドの断面を見て、思わず笑みを零した。
ひと切れ手に取り、ソルは大口を開けてかぶりついた。
柔らかい角パン、サクサクした肉厚な揚げ物、濃厚なソースが咀嚼する度に口の中で絡み合う。
満足感のある一口に、ソルは恍惚な表情を浮かべた。
マーニはハーブティを飲んだ。
胸の辺りに刺さった小さな棘が抜け落ちるように、気持ちが和らいだ。
「私、このハーブティ気に入った」
ソルも一口飲んだ。
「独特な香りだが、悪くないな。目が冴えた気がする」
マーニはハーブティに蜂蜜を入れ、スプーンで混ぜながら言った。
「ソル、私は旅に出て良かったと思っているよ」
「ああ。俺もそう思う」
*
――ふたりは食事を済ませ、代金を支払った。
大時計の鐘が鳴り、午前9時を告げる。
表通りのほうから、勇ましい太鼓と管楽器の音が響いてくる。
ふたりが向かうと、警備兵が隊列を組み、楽器を演奏しながら行進していた。
一糸乱れぬ動きに、人々は喝采を送っていた。
「マーニ、行こうか」
「うん」
ふたりは帝都劇場へ向かった。
*
――帝都劇場に到着し、広大な建築物を見上げた。
当時、巨大な切り出し石を人力で積み上げて建造された帝都劇場には修復された痕跡があり、歴史の重みを感じさせた。
マーニは思わず息を呑んだ。
ソルは深呼吸をひとつする。
ふたりは帝都劇場へ足を踏み入れた。
玄関ホールで、女性の警備兵が声を出して案内をしていた。
「杯の試練に参加される方は、左へお進みください。見学される方は観客席をご利用ください」
ソルが口元を緩めた。
「一旦お別れだな」
拳を前に出した。
「うん。観客席で応援してるね」
マーニも拳を前に出し、軽く触れ合った。
「行ってくる!」
マーニはソルの背中を見送った。
ソルは受付の列に並び、昂る気持ちを鎮めながら今か今かと自分の順番が来るのを待つ。
前に進むにつれ、自然と笑みが零れた。
そして、ソルの順番になった。
浄光教の信徒が受付を担当していた。
長袖で丈の長いワンピース型の服に、頭部を覆うベール。白で統一されていた。
受付は微笑んだ。
「杯の試練へのご参加でお間違いありませんか?」
「ああ」
「出身地とお名前を教えてください」
「孤島村出身、ソル・アルヘイナだ」
受付は書類に書き記した。
「杯の試練へのご参加は初めてですか?」
「ああ」
「それでは、ご説明いたします」
受付は咳払いをひとつ。
「杯の試練は、参加者189名が指定された戦場に集まり、最後の一人になるまで闘っていただきます。記憶結界内で命を落としても死ぬことはありませんので、ご安心ください」
一拍置いて、続けた。
「注意していただきたい点として、記憶結界に触れてしまうと場外へ弾かれて失格になります。ご質問はありますか?」
ソルは剣の位置を調整した。
「魔法を唱えてもいいのか?」
受付は頷いた。
「はい。地相は四理ですが、魔素を変換して、三象の魔法を唱えても問題ありません。他にご質問はありますか?」
「記憶結界内で装備が壊れた場合は、どうなる?」
「はい。壊れたままです。他にご質問はありますか?」
「もう大丈夫だ。ありがとう」
「奥に控室を用意しておりますので、お好きな部屋をお使いください。杯の試練が始まりましたらお伝えします。その場にいなければ失格処分となります」
ソルは控室へ向かった。
控室は十部屋あり、ソルは一番奥の部屋に入った。
20人前後いるが、広々とした空間だった。
ソルは壁に背を預け、周囲を見渡した。
次に、天井を見つめる。
風袋の中は、きっとこんな感じなんだろうな、とソルは暢気なことを考えた。