第16話 親切の仮面、裏の顔
――ヴェントクレアに滞在してから九日が経過した。祭事前日の午前6時頃。
ふたりはクイック号に乗り、帝都ヴァルトクローネへと向かった。
土煙を上げながらクイック号は疾走した。
星鼠は、つぶらな瞳が特徴的で温厚な性格をしている。
荷車を引く際、尻尾が邪魔になるため断尾されている。これは、尻尾が車輪に巻き込まれて、転倒事故を未然に防ぐための処置だった。
丸みを帯びた形状からは想像もつかないほどの脚力があり、その速度は早馬よりも速い。
乗り物としての短所は、崖道のような細い通路が走れないことだった。
クイック号の乗客はソルとマーニ、偶然乗り合わせたマルコスの三名。
ガタガタと揺れる荷車の中にまで土煙が舞い込む。
三人は目を閉じ、口元に布切れを当て、ゴホゴホと咳込んだ。
*
――道中、星鼠を休ませるために休憩を挟んだ。青ざめた表情の三人は、草むらの茂みで吐瀉物を吐く。
マーニは布切れを口元に当て、弱々しい口調でソルに言った。
「ね。食べなくて正解だったでしょう?」
ソルは吐き気を我慢しながら答えた。
「ああ。これは想像以上にきついな......」
土埃で曇ったゴーグルをかけ、口元に布を巻き付けた御者が快活に笑う。
「クイック号に、初めて乗った人は全員吐くので安心してください」
三人は力なく笑った。
ふたりはマルコスと視線を交わしても会話することはなかった。
それでも、マーニには聞きたいことがあった。
*
――四度目の休憩。
吐瀉物を吐いて水分補給したマーニは、水を口にしているマルコスに声をかけた。
「マルコス、少しよろしいでしょうか」
「オレに何か用か?」
「以前、マルコスは『彼女のためなら、この命すら惜しくない』と言っていました。どのような女性ですか?」
マルコスは眉間に皺を寄せた。
「それを聞いてどうする」
マーニはソルを一瞥した。
ソルは御者の許可を得て、星鼠に餌を与えていた。
マーニはマルコスに耳打ちをする。
伝え終わったマーニは姿勢を正し、マルコスの目を見つめた。
彼は息を吐いた。
「養母だよ。オレは物心つく頃、実の両親に捨てられた。そんなオレを彼女は見つけて育ててくれた」
目を伏せて、続けた。
「彼女の全身には火傷のような痕がある。今も苦しんでいることだろう。医薬師に診てもらっても原因不明の病だった」
淡々とした口調で続けた。
「オレの出身は、サヴァンナ大陸のダルハンという街だ。セルメア大陸に来たのは、どんな病でも癒やす聖水の噂を聞いたからだ」
深いため息をついた。
「だが、そんなものは存在しなかった。このまま無駄足で終わるかと思ったが、祭事の話を耳にした。祭事はサヴァンナ大陸でも行われるが、身分の高さや裕福な者が優先される」
口元を緩めた。
「だから、オレは藁にも縋る想いで杯の試練にすべてを賭けることにした」
一拍置いて、続けた。
「マーニは、オレよりも強い志で旅を続けている」
手を差し出した。
「キミに出会えたことを、オレは生涯忘れない」
マーニは微笑んだ。
「はい。ありがとうございます」
二人は握手を交わした。
「そろそろ出発します。お二人も荷車に乗ってください」
マーニとマルコスは荷車に乗り込んだ。
*
――帝都ヴァルトクローネに到着したのは、午後6時頃だった。
三人は荷車から降り、マルコスはソルを一瞥し、その場を後にした。
ソルはマーニに尋ねた。
「あいつと何かあったのか?」
マーニは視線を落とした。
「世間話をしただけだよ」
ソルは無理やり笑顔を作った。
「......そっか。ご飯はどうする?」
マーニは首を横に振った。
「何か口にしたいけど、今は横になりたいかな」
「じゃあ、先に宿を探すか」
「うん」
しばらく無言のまま歩き続け、ソルは足を止めて振り向いた。
「マーニ、俺に隠し事しているよな?」
マーニは静かに目を伏せた。
「いつから気づいていたの?」
「休憩を挟んだ時だ」
「あの距離で聞こえていたんだね」
ソルはマーニの肩を掴んだ。
「マルコスのどこに惚れたんだ」
しばしの沈黙。
マーニはため息をついた。
「マルコスから杯の試練に参加する理由を聞いただけだよ」
「本当にそれだけか!」
マーニはソルの手を払い退けて頷いた。
「うん。それだけだよ」
ソルは安堵のため息をついた。
「悪い。二人が仲良さげに話しているのを見て、勘違いしてしまった。マーニが結婚するなんて言い出したら、この旅も終わりだからな」
マーニはソルにデコピンした。
「飛躍し過ぎだよ」
笑顔になったソルは、赤くなった額を手で摩った。
「本当に悪かったって。マーニがあいつと一緒に旅をするから、俺はもう必要ないなんて言われたら、どうしようかと不安だったんだよ」
マーニは笑顔を作った。
「ソルは、私のことを心配してくれたんだね」
ソルは鼻の頭を掻いた。
「当たり前だろう」
「ありがとう、ソル」
ソルは思わず首を傾げた。
「お礼を言われるほどのことか?」
マーニは人差し指を立て、手首を回して宙に円を描いた。
「気分だよ、気分。ソルだって、そういう時あるでしょう」
ソルは頷いた。
「おう。スッキリしたら、何だかお腹が空いてきたな」
「うん。今なら食事も胃袋が受け入れてくれそうだよ」
ふたりは宿と食事ができる場所を探し歩いた。
ソルの足取りは軽かったが、マーニの足取りは重かった。
帝都ヴァルトクローネは、見張り台のある外壁に囲まれた要塞のような街だった。
戦乱の時代の名残が今も残っていた。
街には灯かりが灯り、夜道を照らしていた。
警備兵が監視の目を光らせているが、人々は特に気にする様子もなく往来していた。
この街では、それが何気ない日常の一部になっていた。
酔っ払いをなだめる警備兵を見て、ふたりは帝都ヴァルトクローネに違和感を覚えた。
巡回中の警備兵が穏やかな口調で、ふたりに声をかけた。
「キミたちも祭事目当てに来たのかい」
ふたりは首を縦に振った。
「宿と酒場は、この通りを歩いた先にある」
酔っ払いが警備兵に管を撒いた。
彼は声を落として言った。
「面倒ごとに巻き込まれたくなければ、暗くなったら外を出歩かないこと。いいね」
マーニが口を開いた。
「どうして、親切にしてくれるんですか?」
「帝都ヴァルトクローネには、セルメア大陸を統治する帝王がいる。我々は帝王の方針に従っているに過ぎない」
警備兵は行こうとして足を止めた。
「祭事だが、街の中央に建てられた巨大な建造物――『帝都劇場』の中で、午前10時から行われる。大時計の鐘が合図になっている。道に迷った際は、我々に声をかけるといい」
「ありがとうございます」
警備兵は笑顔で巡回に戻った。
「いい街ね」
ソルは腰に手を当てた。
「俺にはそうは思えないけどな」
マーニが小首を傾げた。
ソルは人差し指を立てて、続けた。
「帝王はこの大陸で一番偉い人って意味だろう。方針が変われば対応も変わるんじゃないか?」
マーニはソルの額に手を当てた。
「熱は......ないね」
額から手を離し、微笑んだ。
「ソルって、たまに鋭いことに気づくよね」
ソルは首を縦に振った。
「これまでいろいろと学んだからな」
マーニは手をポンと叩いた。
「とても良いことだと思うよ」
ソルは肩を竦めた。
「俺のほうが兄貴なんだけどな」
マーニは腰の後ろで手を組んだ。
「双子だから関係ないよ。早くお店に行こう。お腹空いちゃった」
ソルは笑みを浮かべた。
「俺もだ」
ふたりは酒場へ向かった。
酒場では旅装束の男女らが、杯の試練の話を口々にしていた。
店員たちがテキパキ動き、そのうちの一人がふたりに気づいて声をかけた。
「相席になるけど、構わない?」
ふたりは首を縦に振った。
「こちらの席へどうぞ」
案内された席では、マルコスが食事をしていた。
ふたりはイスに腰を下ろした。
「すぐに持ってくるから待っててね」
「あれ? 注文してないけど」
マルコスは食べながら言った。
「祭事の時期は店側も忙しい。メシが食えるだけまだマシだけどな」
ふたりはマルコスが食べているものを見た。
「それは、焼いた肉か?」
「一角牛のステーキだな。筋肉で硬い。これ一枚で銅貨12ルミナ。丸パン一個が銅貨3ルミナ。水一杯も銅貨3ルミナ。この店が一番安いと教えられたが、騙されたな」
ふたりは怪訝な顔をした。
「騙された?」
マルコスは悪態をついた。
「警備兵だよ。裏で金を受け取って、この店を紹介してるんだろうよ。料理を持ってきた後で、料金を伝えてくるから悪質極まりない」
マルコスは水を一口飲んで続けた。
「見た目だけじゃ、そいつの腹のうちはわからない」
ふたりを一瞥した。
「ここで会ったのも何かの縁だ。杯の試練で手を組んでいる奴らは大勢いる。オレと手を組まないか」
ソルは一拍置いた。
「断る」
マルコスの眉がぴくりと動いた。
「意外だな。ワケを教えろよ」
ソルは腕を組んだ。
「手を組まないと勝ち残れないのなら、それは俺が未熟ってことになる。それに――」
ソルは目を細め、マルコスを見た。
「俺には戦いたい奴がいる。そこには、あんたも含まれている」
ふっ、とマルコスは笑った。
「交渉決裂か。マーニも同じか?」
マーニはこくんと頷いた。
「私は参加しません。興味がないんです」
マルコスは首を縦に振った。
「それなら仕方ないな」
店員が料理を載せた皿を並べ、料金を説明して立ち去った。
マルコスは食事を済ませ、代金を置いて店を出ていった。
ふたりはナイフとフォークで肉を切り分け、口に運んだ。
肉は質が悪い上、一角牛特有の臭みがあり、塩で味付けして焼かれただけのものだった。
ソルがぼそっと呟いた。
「琥珀蜂の肉団子のほうが美味しいな」
マーニは無表情で頷いた。
「うん。私もそう思うよ」
――ふたりは食事を済ませ、代金を置いて店を出た。
向かい側の宿で個室部屋を取った。一人一泊、銀貨10ルミナ。
ソルは洗濯などを済ませ、ベッドに寝転んだ。
しかし、なかなか寝付けなかった。
眠くなるまで、剣の手入れをして過ごした――