第15話 子どもの勝負に、大人の影が差す
――杯の試練まで、残り九日。朝日が昇る頃。
二本の木剣が完成し、ソルは床に寝転んだ。
大きな欠伸をひとつ。
重たいまぶたを閉じる。
「ひと眠りしてから片付けるよ、マーニ......」
深い眠りについた。
*
――約十二時間が経過した。
ソルは目を覚ました。
首を動かして横を見ると、マーニが手帳に何かを書き記していた。
ソルと目が合い、マーニは手帳をしまって窓の外に目を向ける。
外は夕暮れだった。
ソルは掠れた声で言った。
「何で起こしてくれなかったんだよ」
「気持ち良さそうに眠っていたからね」
ソルは上半身を起こし、両目をこすった。
木屑が片付けられていた。
「マーニが片付けてくれたのか?」
マーニは、窓の外に視線を向けたまま返事をする。
「うん」
「ありがとな、マーニ」
「うん」
マーニはどこか上の空だった。
「宿の人に祭事の前日まで滞在することを伝えておいたよ。空室ができたら、私が部屋を変えるよ。それまで、ベッドは譲らないからね」
ソルは苦笑いを浮かべた。
「野宿で慣れたと思っていたが、柔らかい土のほうが寝心地がいいな」
立ち上がると、膝の関節が鳴る。
「全身が痛い......」
マーニの視線の先を辿った。黄昏色の空を眺めていた。
マーニはベッドから降り、窓辺に近寄った。
窓を開けると、風でマーニの髪が靡く。
髪を手で押さえながら階下を見下ろして、言った。
「宿の人に聞いたんだけど、外で寝てもいいらしいよ。祭事の時期になると満室で野宿する人もいるから」
ソルは言葉に詰まった。
「......もしかして、いびきが煩かったか?」
マーニは笑って答えた。
「少しね。寝言も言っていたかな」
窓を閉めた。
「そういえば、手帳に何を書いていたんだ?」
「所持金の記録だよ。遣った金額を書いておくことで、所持金が一目でわかるからね」
「几帳面だな」
「暇だったからね」
マーニの声がわずかに揺れた。
「レイ・ドランの手記を思い出して、お金を管理したほうがいいと思っただけだから」
ソルは無言のままマーニを見つめた。
「父さんには言わなかったけど、私たちが見つけ出そうとしているものは、一国を滅ぼした魔法かもしれない」
ソルは肩を竦めた。
「また、その話か。何も知らなかった俺が変なことを口走ってしまったせいで、マーニはそう考えてしまったんだよな」
頷いたマーニの表情が少し明るくなる。
「うん。四理の火と三象の炎に着目すると、自然エネルギーの炎、氷、雷が、先に定義されたほうがしっくりくるよ。残り一つは何かわからないけど、歴史が改竄されたのなら説明がつく。こんな話、父さんは信じやしない」
息を吐いた。
「杞憂で済めば、それでいい。だけど――」
ソルの目をまっすぐ見つめた。
「誰かの手で、それが悪用される未来だけは見たくない。何もせずに後悔だけはしたくない」
ソルはため息をついた。
「8年前から変わらないな」
マーニが笑って言い返す。
「ソルもだけどね」
ソルは釣られて笑った。
「兄妹だからな。顔、洗ってくるよ」
洗面所へ向かった。
トイレで用を済ませる。
顔を洗い、息を吐いた。
「俺が、マーニを守らないと......」
頬をパンパンッと叩き、決意を新たにする。
「一緒に、家に帰るんだ!」
笑顔を作り、洗面所を出た。
清潔そうな布切れで顔を拭う。
「お腹空いたな」
マーニは微笑んだ。
「ソルはずっと眠っていたからね。行こう」
「おう」
マーニがドアを施錠し、ふたりは酒場へ向かった。
ソルは肉詰めにしたパイを五枚平らげた。
マーニはもう食べ飽きたのか一枚しか食べなかった。
食事の代金を支払い、ふたりは宿へ戻った。
まだ疲労が残っていた、ふたりは早めに就寝した。
*
――杯の試練まで、残り八日。午前9時頃。
朝食を済ませた、ふたりは宿の裏に来ていた。
木剣を手に持ち、対峙する。
ソルは木剣を中段に構える。マーニは木剣を下段に構える。
ソルが笑った。
「8年ぶりだな」
マーニがクスッと笑った。
「そうだね」
ソルの目つきが変わった。
「マーニ、いくぜ!」
地を蹴った。
マーニはわずかに重心を下げ、ソルの動きを注視した。
ソルは直進して木剣を大きく振りかぶった。
マーニは木剣で頭上を守った。
一合。
ソルは口の端を釣り上げた。
「8年前の俺と同じだと思うなよ、マーニ」
「そう。同じように見えるけど」
ソルは後ろへ飛び退き、着地した瞬間、左手をつき、そのまま突進した。
前傾姿勢から一気に距離を詰め、縦横無尽に木剣を振り回す。
二合、三合、四合。
マーニの重心がわずかに傾いたのをソルは見逃さなかった。
「――はぁぁぁっ!」
渾身の力でマーニの木剣を払った。
マーニは木剣を手から落とした。
ソルは左の拳を握り締めた。
「よしっ、これで2勝32敗!」
マーニは額に汗を滲ませ、落とした木剣を拾いに行こうとした。
二日前、酒場にいた男性が木剣を拾い上げ、マーニの赤くなった手のひらを見た。
男性は息を吐いた。
「女が無茶をするな」
目を細め、マーニを見つめる。
「声がするので見てみれば、男女が勝負をしている」
ソルを一瞥した。
「お前たちは似ているな。双子か」
「俺が兄のソルだ」
「妹のマーニです」
男性は片手で木剣を構えた。
「オレの名はマルコス。ソル、少し相手をしてやろう」
ソルはにかっと笑った。
「いいぜ。勝負は簡単だ。相手の木剣を落とせば勝ち。相手に木剣を直接当てない」
マルコスが鼻で笑った。
「とてもじゃないが、勝負とは言えないな」
ソルはムッとした。
「これは、俺とマーニが8歳の頃に考えた勝負だぞ」
マルコスは冷笑を浮かべた。
「なるほどな。実に子どもらしい発想だ」
冷たい眼差しをソルに向ける。
「だが、オレたちは魔法が使える。武器を奪ったその瞬間、返り討ちに遭っていることもある」
ソルはムキになって言い返した。
「賢者ヴェルナートが魔法を禁じている」
「そんなことは知っている。だが、人は生死が関わった時、自身を優先する。秩序や法は、二の次になる」
ソルは言い返すことができなかった。
「お前たちは今何歳だ?」
「16だ」
マルコスはため息をついた。
「16の男女なら体格に差が生まれる。この時点で、お前たちの勝負は破綻していることに気づかなかったのか」
マーニを一瞥した。
「現に彼女は手を痛めている。兄貴なら気づいてやれ」
ソルはマーニに顔を向けた。
「マーニ、それは本当か?」
マーニは目を伏せた。
「ソルの攻撃を受け止めた時、重かった。私にそれだけの力がない以上、この勝負は勝てない。――そう思ったよ」
ソルは肩を落とした。
「何で言わないんだよ」
マーニは苦笑いを浮かべた。
「負けっぱなしで終わりたくない。私も、あの頃のソルと同じ気持ちになっていたんだよ」
マルコスは微笑を浮かべた。
その表情には余裕すら漂ってくる。
「ソル、一度だけ相手をしてやる。オレから木剣を奪ってみろ」
ソルは地を蹴った。
「言われなくても、そのつもりだっ!」
木剣を大きく振りかぶったその瞬間――マルコスはソルの顔に向けて砂を投げつけた。
視界を奪われ、ソルは口に入った砂を吐き出しながら悪態をついた。
「いつの間に、汚いぞ!」
ソルは闇雲に木剣を振り回した。
マルコスは音も立てずに忍び寄り、木剣を振り払う。
「ぁ」
ソルは木剣を手から落とした。
「オレは木剣を拾った時に、左手に砂を忍ばせた」
ソルは拳を握り締めた。
「あの時か......」
「もし、これが魔法だったら、お前は死んでいたかもしれない。終わった後に吠えても意味がない」
ソルは歯を噛み締めた。
「見えるものだけが武器だと思い込むな。相手を観察し、勝てるか判断しろ。逃げることは恥じゃない。生きてさえいれば何度でもやり直せる」
マルコスは一拍置いて、続けた。
「オレもお前も杯の試練に参加する以上、オレの剣筋を見せるわけにはいかない」
マルコスはマーニに木剣を返し、「兄妹仲良くな」と言い残して立ち去った。
マーニはソルの元へ駆け寄った。
「ソル、目は大丈夫?」
ソルは目を閉じたまま答えた。
「洗い流せば問題ない。水場まで連れて行ってくれるか」
「うん」
マーニはソルの手を引いて水場へ向かった。
ソルは目元に付着した砂を洗い流した。
布切れで顔を拭う。
「くそっ、言い返すことができなかった」
ソルの表情は、どこか楽しそうに見えた。
それからソルの行動は一転した。
旅人を見つけては観察し、時には話しかける。
模索し奔走するその姿は、研究者の好奇心を想起させた。