第14話 杯の試練が、新たな指針となる
木造建築で飾りっ気のない宿だった。
床は石膏のタイルが敷き詰められ、足音が反響した。
受付では男性の店主がふたりに笑顔を向けた。
「いらっしゃい。個室一部屋しか空いていませんが、どうしますか?」
マーニは小首を傾げた。
「私たちは兄妹なので相部屋で構いませんが、何かあったんですか?」
店主は頷いてから説明を始めた。
「ヴァルトクローネで、新たな聖女様の就任を祝う祭事が執り行われるんです。それでお客様が多く、部屋が埋まっています」
「それは、いつ行われるんですか?」
「十日後です」
店主はため息をついた。
「ワタシも行きたいのですが、家族を養わないといけないので、お客様が羨ましいです」
マーニは苦笑いを浮かべ、代金を支払い、鍵を受け取った。
ふたりは部屋へ向かった。
階段を上りながらソルが口を開いた。
「ヴァルトクローネに行けば、ツヴォルフに会えるのかな」
「ソル、ツヴォルフは偽名だよ。ちゃんと聖女様って言わないと」
これまでの聖女様の言動を振り返り、ソルは薄っすらと笑った。
「うーん。聖女様って感じがしなかったんだよな」
ふふっ、とマーニは笑った。
「それもそうだね」
マーニは鍵を開け、中に入った。ソルは後に続き、後ろ手でドアを閉めた。
丸テーブルとベッド一台しかない殺風景な部屋だった。
ふたりは腰から剣を外し、部屋の中央に腰を下ろしてひと息ついた。
「野宿した後だと、何もない宿でも快適に思えるな」
ソルが頭を掻くと、フケが落ちる。
「頭が痒い。先に、シャワーを浴びたいんだが」
マーニは悩むふりをして、ベッドに目をやった。
「いいよ。その代わり、ベッドは私がもらうから」
ソルは頷いた。
「それで構わない。野宿で硬い地面にも慣れた」
ソルは地図を広げた。
「次の目的地だが、俺は帝都ヴァルトクローネがいい。北にある橋を渡れば国境があるし、エレメンティアへ一歩近づくからな。それじゃ、シャワーを浴びてくる」
ソルは装備を脱ぎ捨て、風袋から衣類を詰めたカバンを取り出す。
においを嗅ぎ、清潔なものを持って、シャワー室へ向かった。
マーニはカーテンが閉まるのを見届けてから、膝を抱えた。
目を閉じ、小さな声で呟く。
「私は、どうすればいいんだろう......」
答えは出なかった。シャワーの音が消えるまで、それは続いた。
ソルの気配を感じ、慌てて足を崩し、地図に視線を落とした。
スッキリしたソルは大きな欠伸をひとつ。
「マーニ、次の目的地は決まったか?」
マーニは頷いた。
「うん。帝都ヴァルトクローネでいいよ。聖女様にも会いたいからね」
「よし、決まりだな」
ソルは砥石と脂を用意しながら言った。
「マーニの剣も手入れしてやろうか」
「うん。その間に、私もシャワーを浴びてくるよ」
マーニはソルに剣を預け、着替えを持ってシャワー室へ向かう。
ソルは剣を二本研ぎ、刃先を見て頷いた。
使い古した布で刀身に脂を塗り、鞘に収める。
カバンを枕替わりにして床に寝転び、シャワー室に目をやった。
「あいつ、何か隠しているよな。......問い詰めて、もし魔女の日だったら気まずくなるよな」
仮眠を取ることにした。
マーニがシャワー室から出ると、ソルが眠っていた。
ドアに視線を向け、ソルの足を蹴って起こす。
「......ん?」
マーニは軽い苛立ちを覚えた。
「疲れてるのはわかるけど、ちゃんと施錠してよ!」
ソルは上半身を起こし、無表情なマーニを見上げた。
「悪い。次から気をつける」
ソルは立ち上がり、ドアを施錠した。
マーニはベッドに寝転び、気怠そうに言った。
「夜ご飯の時間になったら起こして」
ソルは古傷を人差し指で掻いた。
「自信はないが、任せろ」
苛立っている。やはり魔女の日か、とソルは納得し、カバンを枕にして目を閉じた。
*
――約三時間が経過した。
ソルはマーニに肩を揺らされて目を覚ました。
「起きた? 夜ご飯食べにいくよ」
ソルは両目を擦り、欠伸をひとつ。
「起こしてくれて、ありがとな」
起き上がり、左右の手を広げて体を伸ばすと、関節が鳴る。
「早く行こう」
「ああ」
ふたりは部屋を出て、マーニが施錠した。
宿の店主に飲食ができる店を尋ね、向かい側の酒場へ向かう。
店内にいる旅装束の男女らは食事をしながら、帝都ヴァルトクローネの祭事の話を口々にしていた。
女性店員がふたりに気づき、声をかける。
「いらっしゃい。カウンター席へどうぞ」
ふたりはカウンター席に腰を下ろした。
「この時期は忙しいから、肉詰めにしたパイしか出せないけど、構わないかい」
マーニが聞き返した。
「何の肉ですか?」
「一角牛と白豚の合い挽き肉だよ」
ソルが笑みを浮かべた。
「また肉が食べられるのか」
マーニは人差し指を立てて注文した。
「肉詰めにしたパイと水をお願いします」
「あいよ。焼き上がるまで時間がかかるから少し待っててね」
店員は笑顔を浮かべ、注文を取りに向かった。
ソルは周囲を見渡した。
「ここにいる人たちは、ヴァルトクローネの祭事が目当てなのかな」
頭布の隙間から黒髪を覗かせた、褐色肌の男性が鼻で笑う。
ソルは隣に座る二十歳過ぎの男性を睨みつけた。
「何がおかしいんだよ」
男性は琥珀色の瞳をソルへ向けた。
「どこの田舎から出てきたのか知らないが、祭事について何も知らない者がいたとは思わなくてな」
ソルはムキになって言い返した。
「孤島村だが、田舎で悪かったな」
男性はソルの旅装束に目を向けた。
「孤島村出身か。そうであれば知らないのも無理がないか」
酒を一口飲んでから続けた。
「浄光教の十二聖徒は知っているか」
「知っている。今は八人しかいないんだろう」
男性は関心を示すように頷いた。
「無知だと思ったが、何も知らないわけではないのだな。聖女様が代替わりしたことで、四名が聖痕を失った」
「聖痕......?」
「十二聖徒は聖女様に誓いを立てている。聖女様が力を失うと、十二聖徒は聖痕を失う。新たな聖女様に誓いを立てた際、聖痕を失ったままの者が現れる。その者は十二聖徒の任を解かれるという訳だ」
ソルはその言葉を否定した。
「違う。四人は命を落としたんだ」
男性は怪訝な表情でソルを見た。
「命を落とした?」
マーニがソルの背中の肉をつねった。
「痛っ! マーニ、何をするんだよ!」
ソルに耳打ちをした。
「聖女様と約束したことを忘れたの?」
ソルはハッとした。
マーニは両手を叩いて、自身にまじないをかけた。
「魔物や魔獣を討伐する際に、命を落としたんじゃないかと考えているんですよ」
ソルは二度三度と首を縦に振った。
「なるほど。だが、それはあり得ない。十二聖徒は精鋭揃いだからな」
マーニは微笑んだ。
「話の続きを聞かせてください」
男性は頷いた。
「祭事は四大陸で行われている。ここにいる連中の目当ては、杯の試練だな」
一拍置いて、続けた。
「杯の試練は、大陸を守護している三名の十二聖徒が百八十九の殺生を行う。この189の数字は人間が持つすべての欲と罪の数だと云われている」
淡々とした口調で続けた。
「事前に申請した189人が記憶結界内で乱戦を行う。記憶結界内で命を落とすと、記憶結界内に入る前と同じ状態で外へ弾かれる――これは女神ルミナ様の力によるものだ。最後まで立っていた者が十二聖徒を一人指名し、一騎打ちで勝負する権利が与えられる」
テーブルを人差し指で軽く小突いた。
「ヴァルトクローネでは、このセルメア大陸を守護しているフィア様、アハトゥ様、ツヴォルフ様が、百八十九の殺生を担当される予定だった」
思い出したかのように、説明を付け加えた。
「しかし、フィア様とツヴォルフ様は聖痕を失い、すでに任を解かれている。現在アハトゥ様しかおらず、代理としてツェーン様とノイン様が担当される」
ソルは間髪入れずに聞き返した。
「申請すれば戦えるのか?」
男性は息を吐いた。
「忠告しておくが、記憶結界内で命を落とすと、冗談抜きで死ぬほどの恐怖を味わうことになる。後遺症で戦えなくなった者の話も聞いたことがある。止めはしないが、覚悟しておいたほうがいい」
ツェーンの理不尽なまでの強さを思い出し、ソルは震える拳を握り締めた。
ソルは男性に質問を投げかけた。
「そういうあんたは怖くないのか?」
男性は即答した。
「杯の試練で認められれば、浄光教から声がかかる。十二聖徒に選ばれる機会に繋がっているからな」
口元を緩めた。
「十二聖徒に就任すれば、さまざまな特権が与えられる。だから、腕に覚えのある者は命懸けで挑戦する」
ソルは男性に少し興味が湧いた。
「あんたは何のために十二聖徒になりたいんだ?」
「オレには愛する女性がいる。彼女の病を治してもらうためだ」
男性は目を伏せた。
「彼女のためなら、この命すら惜しくない。お前にもいつかわかる日が来るよ」
息を吐いた。
「飲み過ぎて口が軽くなってしまった」
代金を置いて、店を出ていった。
マーニは胸元に手を当てて、男性の背中を目で追った。
店員は、料理を載せた皿、水の入ったコップ、ナイフとフォークをふたりの前に並べた。
「お待たせ。熱いから気をつけてね」
「美味しそうだな!」
「うん!」
ふたりはナイフとフォークで、肉詰めにしたパイを切り分けた。
しっとりしたパイ生地の隙間から湯気が立ち上り、肉汁が溢れ出る。
ふたりは息を吹きかけて熱を冷まし、口に運んだ。
合い挽き肉はジューシーで旨味を両立し、塩で濃い目の味付けだった。
それを中和するかのようにパイ生地が肉汁を吸い、しっとりとした食感に変わる。
ハーブの香りが口いっぱいに広がり、ふたりは微笑んでいた。
「ソル、美味しいね」
「ああ。これなら何枚でも食べられそうだ」
店員が微笑んだ。
「そんなに喜んでくれるとは思わなかったよ。もう一枚焼いておこうか?」
ふたりは咀嚼しながら頷いた。
店員は厨房に入り、調理しながらふたりに質問を投げかけた。
「ふたりもヴァルトクローネの祭事が目当てなの?」
マーニが返事をした。
「はい」
「それなら、しばらくこの村に滞在することをオススメするよ」
マーニが小首を傾げた。
「どうしてですか?」
「祭事になると、ヴァルトクローネでは物価が上がるんだよ。宿に一泊するだけでも銀貨5ルミナ。食事するだけでも銅貨10ルミナ前後。だから、前日にクイック号で移動する。村としても長く滞在してもらったほうが儲かるって寸法だよ」
ふたりは顔を見合わせ、マーニが尋ねた。
「クイック号とは何ですか?」
「荷車を星鼠に引かせた乗り物のことだよ。ヴァルトクローネまで五節の距離があるけど、星鼠の脚なら半日だね」
店員は苦笑いを浮かべた。
「ただし、乗り心地は最悪だけどね」
「クイック号には、いくらで乗れますか?」
「目的地にもよるけど、ヴァルトクローネまでなら一人銅貨25ルミナだね」
ソルは口の中のものを飲み込んでから言った。
「変わった名前の乗り物だよな。クイック号って」
店員が笑って説明を始めた。
「元々は流星号だったけど、村長の孫が星鼠の鳴き声を聞いて『クイック号』と呼んだことで変わったんだよ」
ソルは顎にそっと手を当てた。
「今日を含めて、残り十日あるのか」
マーニを見つめた。
「マーニ、木剣を用意する。特訓に付き合ってくれ」
マーニはソルの額の古傷を見て、視線を落とした。
ソルは笑顔を作った。
「この傷は事故のようなものだ。俺が足を滑らせて石に額をぶつけた」
マーニは首を横に振った。
「あの時、私の足に引っかかったんだよ」
ソルは腕を組んで言い返した。
「いや、俺が足を滑らせて転んだんだ!」
「違う。私のせいだよ!」
店員はおかわりを並べながら言った。
「ソルと言ったね。ここには大勢の旅人が集まっている。彼らに相談すれば特訓に付き合ってくれるかもしれないよ」
マーニに視線を移す。
「ただし、彼らは加減を知らない。木剣を用意しても使ってくれないだろうね」
マーニは息を吐いた。
「ソル、私が相手をするよ。ただし、勝つまで続けようとしないでよね」
ソルは笑顔で頷いた。
「ありがとな、マーニ」
そして、急いで食事を済ませた。
口の中にものを詰め込んだまま言った。
「木剣用の木を探してくる」
マーニは息を吐いた。
「今から?」
ソルの頬を人差し指で軽く押し当てた。
ソルはマーニの手を払い退けた。
「時間がないからな」
そう言い残して、足早に酒場を出た。
*
――近くの森で手ごろな木材を拾い、宿に戻った。
マーニはベッドで横になっていた。
「おかえり。私はもう寝るよ」
「おう」
ソルはランプの火を吹き消した。
ナイフを取り出し、月明りを頼りに木材を削り始めた。
「ソルは寝ないの?」
「木剣が完成したら寝るよ。だから、マーニは先に休んでろよ」
マーニはソルに背を向けた。
私の気持ちも知らないで、とマーニは軽い苛立ちを覚えた。
だが、ソルの性格を理解しているので、すぐに諦めて眠りについた。