ホーム›魔法は嘘をつく ―賢者が残した遺産―›第14話 杯の試練が、新たな指針となる
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第14話 杯の試練が、新たな指針となる

 木造建築で飾りっ気のない宿だった。
 床は石膏のタイルが敷き詰められ、足音が反響した。

 受付では男性の店主がふたりに笑顔を向けた。

「いらっしゃい。個室一部屋しか空いていませんが、どうしますか?」

 マーニは小首を傾げた。

「私たちは兄妹なので相部屋で構いませんが、何かあったんですか?」

 店主は頷いてから説明を始めた。

「ヴァルトクローネで、新たな聖女様の就任を祝う祭事が執り行われるんです。それでお客様が多く、部屋が埋まっています」

「それは、いつ行われるんですか?」

「十日後です」

 店主はため息をついた。

「ワタシも行きたいのですが、家族を養わないといけないので、お客様が羨ましいです」

 マーニは苦笑いを浮かべ、代金を支払い、鍵を受け取った。

 ふたりは部屋へ向かった。

 階段を上りながらソルが口を開いた。

「ヴァルトクローネに行けば、ツヴォルフに会えるのかな」

「ソル、ツヴォルフは偽名だよ。ちゃんと聖女様って言わないと」

 これまでの聖女様の言動を振り返り、ソルは薄っすらと笑った。

「うーん。聖女様って感じがしなかったんだよな」

 ふふっ、とマーニは笑った。

「それもそうだね」

 マーニは鍵を開け、中に入った。ソルは後に続き、後ろ手でドアを閉めた。
 丸テーブルとベッド一台しかない殺風景な部屋だった。

 ふたりは腰から剣を外し、部屋の中央に腰を下ろしてひと息ついた。

「野宿した後だと、何もない宿でも快適に思えるな」

 ソルが頭を掻くと、フケが落ちる。

「頭が痒い。先に、シャワーを浴びたいんだが」

 マーニは悩むふりをして、ベッドに目をやった。

「いいよ。その代わり、ベッドは私がもらうから」

 ソルは頷いた。

「それで構わない。野宿で硬い地面にも慣れた」

 ソルは地図を広げた。

「次の目的地だが、俺は帝都ヴァルトクローネがいい。北にある橋を渡れば国境があるし、エレメンティアへ一歩近づくからな。それじゃ、シャワーを浴びてくる」

 ソルは装備を脱ぎ捨て、風袋から衣類を詰めたカバンを取り出す。
 においを嗅ぎ、清潔なものを持って、シャワー室へ向かった。

 マーニはカーテンが閉まるのを見届けてから、膝を抱えた。
 目を閉じ、小さな声で呟く。

「私は、どうすればいいんだろう......」

 答えは出なかった。シャワーの音が消えるまで、それは続いた。

 ソルの気配を感じ、慌てて足を崩し、地図に視線を落とした。

 スッキリしたソルは大きな欠伸をひとつ。

「マーニ、次の目的地は決まったか?」

 マーニは頷いた。

「うん。帝都ヴァルトクローネでいいよ。聖女様にも会いたいからね」

「よし、決まりだな」

 ソルは砥石と脂を用意しながら言った。

「マーニの剣も手入れしてやろうか」

「うん。その間に、私もシャワーを浴びてくるよ」

 マーニはソルに剣を預け、着替えを持ってシャワー室へ向かう。

 ソルは剣を二本研ぎ、刃先を見て頷いた。
 使い古した布で刀身に脂を塗り、鞘に収める。
 カバンを枕替わりにして床に寝転び、シャワー室に目をやった。

「あいつ、何か隠しているよな。......問い詰めて、もし魔女の日だったら気まずくなるよな」

 仮眠を取ることにした。

 マーニがシャワー室から出ると、ソルが眠っていた。
 ドアに視線を向け、ソルの足を蹴って起こす。

「......ん?」

 マーニは軽い苛立ちを覚えた。

「疲れてるのはわかるけど、ちゃんと施錠してよ!」

 ソルは上半身を起こし、無表情なマーニを見上げた。

「悪い。次から気をつける」

 ソルは立ち上がり、ドアを施錠した。

 マーニはベッドに寝転び、気怠そうに言った。

「夜ご飯の時間になったら起こして」

 ソルは古傷を人差し指で掻いた。

「自信はないが、任せろ」

 苛立っている。やはり魔女の日か、とソルは納得し、カバンを枕にして目を閉じた。

 *

 ――約三時間が経過した。

 ソルはマーニに肩を揺らされて目を覚ました。

「起きた? 夜ご飯食べにいくよ」

 ソルは両目を擦り、欠伸をひとつ。

「起こしてくれて、ありがとな」

 起き上がり、左右の手を広げて体を伸ばすと、関節が鳴る。

「早く行こう」

「ああ」

 ふたりは部屋を出て、マーニが施錠した。

 宿の店主に飲食ができる店を尋ね、向かい側の酒場へ向かう。

 店内にいる旅装束の男女らは食事をしながら、帝都ヴァルトクローネの祭事の話を口々にしていた。

 女性店員がふたりに気づき、声をかける。

「いらっしゃい。カウンター席へどうぞ」

 ふたりはカウンター席に腰を下ろした。

「この時期は忙しいから、肉詰めにしたパイしか出せないけど、構わないかい」

 マーニが聞き返した。

「何の肉ですか?」

「一角牛と白豚の合い挽き肉だよ」

 ソルが笑みを浮かべた。

「また肉が食べられるのか」

 マーニは人差し指を立てて注文した。

「肉詰めにしたパイと水をお願いします」

「あいよ。焼き上がるまで時間がかかるから少し待っててね」

 店員は笑顔を浮かべ、注文を取りに向かった。

 ソルは周囲を見渡した。

「ここにいる人たちは、ヴァルトクローネの祭事が目当てなのかな」

 頭布の隙間から黒髪を覗かせた、褐色肌の男性が鼻で笑う。

 ソルは隣に座る二十歳過ぎの男性を睨みつけた。

「何がおかしいんだよ」

 男性は琥珀色の瞳をソルへ向けた。

「どこの田舎から出てきたのか知らないが、祭事について何も知らない者がいたとは思わなくてな」

 ソルはムキになって言い返した。

「孤島村だが、田舎で悪かったな」

 男性はソルの旅装束に目を向けた。

「孤島村出身か。そうであれば知らないのも無理がないか」

 酒を一口飲んでから続けた。

「浄光教の十二聖徒は知っているか」

「知っている。今は八人しかいないんだろう」

 男性は関心を示すように頷いた。

「無知だと思ったが、何も知らないわけではないのだな。聖女様が代替わりしたことで、四名が聖痕を失った」

「聖痕......?」

「十二聖徒は聖女様に誓いを立てている。聖女様が力を失うと、十二聖徒は聖痕を失う。新たな聖女様に誓いを立てた際、聖痕を失ったままの者が現れる。その者は十二聖徒の任を解かれるという訳だ」

 ソルはその言葉を否定した。

「違う。四人は命を落としたんだ」

 男性は怪訝な表情でソルを見た。

「命を落とした?」

 マーニがソルの背中の肉をつねった。

「痛っ! マーニ、何をするんだよ!」

 ソルに耳打ちをした。

「聖女様と約束したことを忘れたの?」

 ソルはハッとした。

 マーニは両手を叩いて、自身にまじないをかけた。

「魔物や魔獣を討伐する際に、命を落としたんじゃないかと考えているんですよ」

 ソルは二度三度と首を縦に振った。

「なるほど。だが、それはあり得ない。十二聖徒は精鋭揃いだからな」

 マーニは微笑んだ。

「話の続きを聞かせてください」

 男性は頷いた。

「祭事は四大陸で行われている。ここにいる連中の目当ては、杯の試練だな」

 一拍置いて、続けた。

「杯の試練は、大陸を守護している三名の十二聖徒が百八十九の殺生を行う。この189の数字は人間が持つすべての欲と罪の数だと云われている」

 淡々とした口調で続けた。

「事前に申請した189人が記憶結界内で乱戦を行う。記憶結界内で命を落とすと、記憶結界内に入る前と同じ状態で外へ弾かれる――これは女神ルミナ様の力によるものだ。最後まで立っていた者が十二聖徒を一人指名し、一騎打ちで勝負する権利が与えられる」

 テーブルを人差し指で軽く小突いた。

「ヴァルトクローネでは、このセルメア大陸を守護しているフィア様、アハトゥ様、ツヴォルフ様が、百八十九の殺生を担当される予定だった」

 思い出したかのように、説明を付け加えた。

「しかし、フィア様とツヴォルフ様は聖痕を失い、すでに任を解かれている。現在アハトゥ様しかおらず、代理としてツェーン様とノイン様が担当される」

 ソルは間髪入れずに聞き返した。

「申請すれば戦えるのか?」

 男性は息を吐いた。

「忠告しておくが、記憶結界内で命を落とすと、冗談抜きで死ぬほどの恐怖を味わうことになる。後遺症で戦えなくなった者の話も聞いたことがある。止めはしないが、覚悟しておいたほうがいい」

 ツェーンの理不尽なまでの強さを思い出し、ソルは震える拳を握り締めた。

 ソルは男性に質問を投げかけた。

「そういうあんたは怖くないのか?」

 男性は即答した。

「杯の試練で認められれば、浄光教から声がかかる。十二聖徒に選ばれる機会に繋がっているからな」

 口元を緩めた。

「十二聖徒に就任すれば、さまざまな特権が与えられる。だから、腕に覚えのある者は命懸けで挑戦する」

 ソルは男性に少し興味が湧いた。

「あんたは何のために十二聖徒になりたいんだ?」

「オレには愛する女性がいる。彼女の病を治してもらうためだ」

 男性は目を伏せた。

「彼女のためなら、この命すら惜しくない。お前にもいつかわかる日が来るよ」

 息を吐いた。

「飲み過ぎて口が軽くなってしまった」

 代金を置いて、店を出ていった。

 マーニは胸元に手を当てて、男性の背中を目で追った。

 店員は、料理を載せた皿、水の入ったコップ、ナイフとフォークをふたりの前に並べた。

「お待たせ。熱いから気をつけてね」

「美味しそうだな!」

「うん!」

 ふたりはナイフとフォークで、肉詰めにしたパイを切り分けた。
 しっとりしたパイ生地の隙間から湯気が立ち上り、肉汁が溢れ出る。

 ふたりは息を吹きかけて熱を冷まし、口に運んだ。

 合い挽き肉はジューシーで旨味を両立し、塩で濃い目の味付けだった。
 それを中和するかのようにパイ生地が肉汁を吸い、しっとりとした食感に変わる。

 ハーブの香りが口いっぱいに広がり、ふたりは微笑んでいた。

「ソル、美味しいね」

「ああ。これなら何枚でも食べられそうだ」

 店員が微笑んだ。

「そんなに喜んでくれるとは思わなかったよ。もう一枚焼いておこうか?」

 ふたりは咀嚼しながら頷いた。

 店員は厨房に入り、調理しながらふたりに質問を投げかけた。

「ふたりもヴァルトクローネの祭事が目当てなの?」

 マーニが返事をした。

「はい」

「それなら、しばらくこの村に滞在することをオススメするよ」

 マーニが小首を傾げた。

「どうしてですか?」

「祭事になると、ヴァルトクローネでは物価が上がるんだよ。宿に一泊するだけでも銀貨5ルミナ。食事するだけでも銅貨10ルミナ前後。だから、前日にクイック号で移動する。村としても長く滞在してもらったほうが儲かるって寸法だよ」

 ふたりは顔を見合わせ、マーニが尋ねた。

「クイック号とは何ですか?」

「荷車を星鼠に引かせた乗り物のことだよ。ヴァルトクローネまで五節の距離があるけど、星鼠の脚なら半日だね」

 店員は苦笑いを浮かべた。

「ただし、乗り心地は最悪だけどね」

「クイック号には、いくらで乗れますか?」

「目的地にもよるけど、ヴァルトクローネまでなら一人銅貨25ルミナだね」

 ソルは口の中のものを飲み込んでから言った。

「変わった名前の乗り物だよな。クイック号って」

 店員が笑って説明を始めた。

「元々は流星号だったけど、村長の孫が星鼠の鳴き声を聞いて『クイック号』と呼んだことで変わったんだよ」

 ソルは顎にそっと手を当てた。

「今日を含めて、残り十日あるのか」

 マーニを見つめた。

「マーニ、木剣を用意する。特訓に付き合ってくれ」

 マーニはソルの額の古傷を見て、視線を落とした。

 ソルは笑顔を作った。

「この傷は事故のようなものだ。俺が足を滑らせて石に額をぶつけた」

 マーニは首を横に振った。

「あの時、私の足に引っかかったんだよ」

 ソルは腕を組んで言い返した。

「いや、俺が足を滑らせて転んだんだ!」

「違う。私のせいだよ!」

 店員はおかわりを並べながら言った。

「ソルと言ったね。ここには大勢の旅人が集まっている。彼らに相談すれば特訓に付き合ってくれるかもしれないよ」

 マーニに視線を移す。

「ただし、彼らは加減を知らない。木剣を用意しても使ってくれないだろうね」

 マーニは息を吐いた。

「ソル、私が相手をするよ。ただし、勝つまで続けようとしないでよね」

 ソルは笑顔で頷いた。

「ありがとな、マーニ」

 そして、急いで食事を済ませた。

 口の中にものを詰め込んだまま言った。

「木剣用の木を探してくる」

 マーニは息を吐いた。

「今から?」

 ソルの頬を人差し指で軽く押し当てた。
 ソルはマーニの手を払い退けた。

「時間がないからな」

 そう言い残して、足早に酒場を出た。

 *

 ――近くの森で手ごろな木材を拾い、宿に戻った。

 マーニはベッドで横になっていた。

「おかえり。私はもう寝るよ」

「おう」

 ソルはランプの火を吹き消した。

 ナイフを取り出し、月明りを頼りに木材を削り始めた。

「ソルは寝ないの?」

「木剣が完成したら寝るよ。だから、マーニは先に休んでろよ」

 マーニはソルに背を向けた。

 私の気持ちも知らないで、とマーニは軽い苛立ちを覚えた。
 だが、ソルの性格を理解しているので、すぐに諦めて眠りについた。
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 木造建築で飾りっ気のない宿だった。
 床は石膏のタイルが敷き詰められ、足音が反響した。

 受付では男性の店主がふたりに笑顔を向けた。

「いらっしゃい。個室一部屋しか空いていませんが、どうしますか?」

 マーニは小首を傾げた。

「私たちは兄妹なので相部屋で構いませんが、何かあったんですか?」

 店主は頷いてから説明を始めた。

「ヴァルトクローネで、新たな聖女様の就任を祝う祭事が執り行われるんです。それでお客様が多く、部屋が埋まっています」

「それは、いつ行われるんですか?」

「十日後です」

 店主はため息をついた。

「ワタシも行きたいのですが、家族を養わないといけないので、お客様が羨ましいです」

 マーニは苦笑いを浮かべ、代金を支払い、鍵を受け取った。

 ふたりは部屋へ向かった。

 階段を上りながらソルが口を開いた。

「ヴァルトクローネに行けば、ツヴォルフに会えるのかな」

「ソル、ツヴォルフは偽名だよ。ちゃんと聖女様って言わないと」

 これまでの聖女様の言動を振り返り、ソルは薄っすらと笑った。

「うーん。聖女様って感じがしなかったんだよな」

 ふふっ、とマーニは笑った。

「それもそうだね」

 マーニは鍵を開け、中に入った。ソルは後に続き、後ろ手でドアを閉めた。
 丸テーブルとベッド一台しかない殺風景な部屋だった。

 ふたりは腰から剣を外し、部屋の中央に腰を下ろしてひと息ついた。

「野宿した後だと、何もない宿でも快適に思えるな」

 ソルが頭を掻くと、フケが落ちる。

「頭が痒い。先に、シャワーを浴びたいんだが」

 マーニは悩むふりをして、ベッドに目をやった。

「いいよ。その代わり、ベッドは私がもらうから」

 ソルは頷いた。

「それで構わない。野宿で硬い地面にも慣れた」

 ソルは地図を広げた。

「次の目的地だが、俺は帝都ヴァルトクローネがいい。北にある橋を渡れば国境があるし、エレメンティアへ一歩近づくからな。それじゃ、シャワーを浴びてくる」

 ソルは装備を脱ぎ捨て、風袋から衣類を詰めたカバンを取り出す。
 においを嗅ぎ、清潔なものを持って、シャワー室へ向かった。

 マーニはカーテンが閉まるのを見届けてから、膝を抱えた。
 目を閉じ、小さな声で呟く。

「私は、どうすればいいんだろう......」

 答えは出なかった。シャワーの音が消えるまで、それは続いた。

 ソルの気配を感じ、慌てて足を崩し、地図に視線を落とした。

 スッキリしたソルは大きな欠伸をひとつ。

「マーニ、次の目的地は決まったか?」

 マーニは頷いた。

「うん。帝都ヴァルトクローネでいいよ。聖女様にも会いたいからね」

「よし、決まりだな」

 ソルは砥石と脂を用意しながら言った。

「マーニの剣も手入れしてやろうか」

「うん。その間に、私もシャワーを浴びてくるよ」

 マーニはソルに剣を預け、着替えを持ってシャワー室へ向かう。

 ソルは剣を二本研ぎ、刃先を見て頷いた。
 使い古した布で刀身に脂を塗り、鞘に収める。
 カバンを枕替わりにして床に寝転び、シャワー室に目をやった。

「あいつ、何か隠しているよな。......問い詰めて、もし魔女の日だったら気まずくなるよな」

 仮眠を取ることにした。

 マーニがシャワー室から出ると、ソルが眠っていた。
 ドアに視線を向け、ソルの足を蹴って起こす。

「......ん?」

 マーニは軽い苛立ちを覚えた。

「疲れてるのはわかるけど、ちゃんと施錠してよ!」

 ソルは上半身を起こし、無表情なマーニを見上げた。

「悪い。次から気をつける」

 ソルは立ち上がり、ドアを施錠した。

 マーニはベッドに寝転び、気怠そうに言った。

「夜ご飯の時間になったら起こして」

 ソルは古傷を人差し指で掻いた。

「自信はないが、任せろ」

 苛立っている。やはり魔女の日か、とソルは納得し、カバンを枕にして目を閉じた。

 *

 ――約三時間が経過した。

 ソルはマーニに肩を揺らされて目を覚ました。

「起きた? 夜ご飯食べにいくよ」

 ソルは両目を擦り、欠伸をひとつ。

「起こしてくれて、ありがとな」

 起き上がり、左右の手を広げて体を伸ばすと、関節が鳴る。

「早く行こう」

「ああ」

 ふたりは部屋を出て、マーニが施錠した。

 宿の店主に飲食ができる店を尋ね、向かい側の酒場へ向かう。

 店内にいる旅装束の男女らは食事をしながら、帝都ヴァルトクローネの祭事の話を口々にしていた。

 女性店員がふたりに気づき、声をかける。

「いらっしゃい。カウンター席へどうぞ」

 ふたりはカウンター席に腰を下ろした。

「この時期は忙しいから、肉詰めにしたパイしか出せないけど、構わないかい」

 マーニが聞き返した。

「何の肉ですか?」

「一角牛と白豚の合い挽き肉だよ」

 ソルが笑みを浮かべた。

「また肉が食べられるのか」

 マーニは人差し指を立てて注文した。

「肉詰めにしたパイと水をお願いします」

「あいよ。焼き上がるまで時間がかかるから少し待っててね」

 店員は笑顔を浮かべ、注文を取りに向かった。

 ソルは周囲を見渡した。

「ここにいる人たちは、ヴァルトクローネの祭事が目当てなのかな」

 頭布の隙間から黒髪を覗かせた、褐色肌の男性が鼻で笑う。

 ソルは隣に座る二十歳過ぎの男性を睨みつけた。

「何がおかしいんだよ」

 男性は琥珀色の瞳をソルへ向けた。

「どこの田舎から出てきたのか知らないが、祭事について何も知らない者がいたとは思わなくてな」

 ソルはムキになって言い返した。

「孤島村だが、田舎で悪かったな」

 男性はソルの旅装束に目を向けた。

「孤島村出身か。そうであれば知らないのも無理がないか」

 酒を一口飲んでから続けた。

「浄光教の十二聖徒は知っているか」

「知っている。今は八人しかいないんだろう」

 男性は関心を示すように頷いた。

「無知だと思ったが、何も知らないわけではないのだな。聖女様が代替わりしたことで、四名が聖痕を失った」

「聖痕......?」

「十二聖徒は聖女様に誓いを立てている。聖女様が力を失うと、十二聖徒は聖痕を失う。新たな聖女様に誓いを立てた際、聖痕を失ったままの者が現れる。その者は十二聖徒の任を解かれるという訳だ」

 ソルはその言葉を否定した。

「違う。四人は命を落としたんだ」

 男性は怪訝な表情でソルを見た。

「命を落とした?」

 マーニがソルの背中の肉をつねった。

「痛っ! マーニ、何をするんだよ!」

 ソルに耳打ちをした。

「聖女様と約束したことを忘れたの?」

 ソルはハッとした。

 マーニは両手を叩いて、自身にまじないをかけた。

「魔物や魔獣を討伐する際に、命を落としたんじゃないかと考えているんですよ」

 ソルは二度三度と首を縦に振った。

「なるほど。だが、それはあり得ない。十二聖徒は精鋭揃いだからな」

 マーニは微笑んだ。

「話の続きを聞かせてください」

 男性は頷いた。

「祭事は四大陸で行われている。ここにいる連中の目当ては、杯の試練だな」

 一拍置いて、続けた。

「杯の試練は、大陸を守護している三名の十二聖徒が百八十九の殺生を行う。この189の数字は人間が持つすべての欲と罪の数だと云われている」

 淡々とした口調で続けた。

「事前に申請した189人が記憶結界内で乱戦を行う。記憶結界内で命を落とすと、記憶結界内に入る前と同じ状態で外へ弾かれる――これは女神ルミナ様の力によるものだ。最後まで立っていた者が十二聖徒を一人指名し、一騎打ちで勝負する権利が与えられる」

 テーブルを人差し指で軽く小突いた。

「ヴァルトクローネでは、このセルメア大陸を守護しているフィア様、アハトゥ様、ツヴォルフ様が、百八十九の殺生を担当される予定だった」

 思い出したかのように、説明を付け加えた。

「しかし、フィア様とツヴォルフ様は聖痕を失い、すでに任を解かれている。現在アハトゥ様しかおらず、代理としてツェーン様とノイン様が担当される」

 ソルは間髪入れずに聞き返した。

「申請すれば戦えるのか?」

 男性は息を吐いた。

「忠告しておくが、記憶結界内で命を落とすと、冗談抜きで死ぬほどの恐怖を味わうことになる。後遺症で戦えなくなった者の話も聞いたことがある。止めはしないが、覚悟しておいたほうがいい」

 ツェーンの理不尽なまでの強さを思い出し、ソルは震える拳を握り締めた。

 ソルは男性に質問を投げかけた。

「そういうあんたは怖くないのか?」

 男性は即答した。

「杯の試練で認められれば、浄光教から声がかかる。十二聖徒に選ばれる機会に繋がっているからな」

 口元を緩めた。

「十二聖徒に就任すれば、さまざまな特権が与えられる。だから、腕に覚えのある者は命懸けで挑戦する」

 ソルは男性に少し興味が湧いた。

「あんたは何のために十二聖徒になりたいんだ?」

「オレには愛する女性がいる。彼女の病を治してもらうためだ」

 男性は目を伏せた。

「彼女のためなら、この命すら惜しくない。お前にもいつかわかる日が来るよ」

 息を吐いた。

「飲み過ぎて口が軽くなってしまった」

 代金を置いて、店を出ていった。

 マーニは胸元に手を当てて、男性の背中を目で追った。

 店員は、料理を載せた皿、水の入ったコップ、ナイフとフォークをふたりの前に並べた。

「お待たせ。熱いから気をつけてね」

「美味しそうだな!」

「うん!」

 ふたりはナイフとフォークで、肉詰めにしたパイを切り分けた。
 しっとりしたパイ生地の隙間から湯気が立ち上り、肉汁が溢れ出る。

 ふたりは息を吹きかけて熱を冷まし、口に運んだ。

 合い挽き肉はジューシーで旨味を両立し、塩で濃い目の味付けだった。
 それを中和するかのようにパイ生地が肉汁を吸い、しっとりとした食感に変わる。

 ハーブの香りが口いっぱいに広がり、ふたりは微笑んでいた。

「ソル、美味しいね」

「ああ。これなら何枚でも食べられそうだ」

 店員が微笑んだ。

「そんなに喜んでくれるとは思わなかったよ。もう一枚焼いておこうか?」

 ふたりは咀嚼しながら頷いた。

 店員は厨房に入り、調理しながらふたりに質問を投げかけた。

「ふたりもヴァルトクローネの祭事が目当てなの?」

 マーニが返事をした。

「はい」

「それなら、しばらくこの村に滞在することをオススメするよ」

 マーニが小首を傾げた。

「どうしてですか?」

「祭事になると、ヴァルトクローネでは物価が上がるんだよ。宿に一泊するだけでも銀貨5ルミナ。食事するだけでも銅貨10ルミナ前後。だから、前日にクイック号で移動する。村としても長く滞在してもらったほうが儲かるって寸法だよ」

 ふたりは顔を見合わせ、マーニが尋ねた。

「クイック号とは何ですか?」

「荷車を星鼠に引かせた乗り物のことだよ。ヴァルトクローネまで五節の距離があるけど、星鼠の脚なら半日だね」

 店員は苦笑いを浮かべた。

「ただし、乗り心地は最悪だけどね」

「クイック号には、いくらで乗れますか?」

「目的地にもよるけど、ヴァルトクローネまでなら一人銅貨25ルミナだね」

 ソルは口の中のものを飲み込んでから言った。

「変わった名前の乗り物だよな。クイック号って」

 店員が笑って説明を始めた。

「元々は流星号だったけど、村長の孫が星鼠の鳴き声を聞いて『クイック号』と呼んだことで変わったんだよ」

 ソルは顎にそっと手を当てた。

「今日を含めて、残り十日あるのか」

 マーニを見つめた。

「マーニ、木剣を用意する。特訓に付き合ってくれ」

 マーニはソルの額の古傷を見て、視線を落とした。

 ソルは笑顔を作った。

「この傷は事故のようなものだ。俺が足を滑らせて石に額をぶつけた」

 マーニは首を横に振った。

「あの時、私の足に引っかかったんだよ」

 ソルは腕を組んで言い返した。

「いや、俺が足を滑らせて転んだんだ!」

「違う。私のせいだよ!」

 店員はおかわりを並べながら言った。

「ソルと言ったね。ここには大勢の旅人が集まっている。彼らに相談すれば特訓に付き合ってくれるかもしれないよ」

 マーニに視線を移す。

「ただし、彼らは加減を知らない。木剣を用意しても使ってくれないだろうね」

 マーニは息を吐いた。

「ソル、私が相手をするよ。ただし、勝つまで続けようとしないでよね」

 ソルは笑顔で頷いた。

「ありがとな、マーニ」

 そして、急いで食事を済ませた。

 口の中にものを詰め込んだまま言った。

「木剣用の木を探してくる」

 マーニは息を吐いた。

「今から?」

 ソルの頬を人差し指で軽く押し当てた。
 ソルはマーニの手を払い退けた。

「時間がないからな」

 そう言い残して、足早に酒場を出た。

 *

 ――近くの森で手ごろな木材を拾い、宿に戻った。

 マーニはベッドで横になっていた。

「おかえり。私はもう寝るよ」

「おう」

 ソルはランプの火を吹き消した。

 ナイフを取り出し、月明りを頼りに木材を削り始めた。

「ソルは寝ないの?」

「木剣が完成したら寝るよ。だから、マーニは先に休んでろよ」

 マーニはソルに背を向けた。

 私の気持ちも知らないで、とマーニは軽い苛立ちを覚えた。
 だが、ソルの性格を理解しているので、すぐに諦めて眠りについた。
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