第5話 銅貨にも満たない、賢者の遺産
――翌朝。
いびきをかいて眠っていたソルは、ドアをノックする音で目を覚ました。
「起きて、ソル。朝だよ」
ソルはベッドから降り、目を擦りながらドアを開ける。
カバンを背負い、手に剣を持ったマーニが立っていた。
「マーニ、今起きた」
大きな欠伸をひとつ。
「ここで待ってるから、二度寝しないでよ」
ソルのまぶたが半開きになった。
マーニは腰に手を当て、頬を膨らませた。
「ねえ、ソル。聞いてるの?」
「わかってるって。昨日は寝付けなかったんだ」
「それはわかるけど、しっかりしてよね」
「ああ。顔、洗ってくる」
ドアを閉めた。
洗面所で顔を洗い、布切れで拭いた後、無造作に置かれたハーブスティックを一本手に取る。
殺菌作用があり、いい香りがした。
枝の端を噛み潰し、ブラシ状にしてから歯を磨く。
使い終わった物はゴミ箱に捨て、口を濯ぎ、布切れで口元を拭いた。
トイレで用を済ませた。
部屋干しした旅装束に着替え、衣類をカバンに詰め込む。
壁に立て掛けた剣を手に持ち、鍵をポケットに入れ、部屋を出た。
マーニは古びた紙を広げて、目を通していた。
「お待たせ。何を見ているんだ?」
ソルはマーニの後ろへ回り、古びた紙を覗き込む。
それは、魔法の設計図だった。
「寝癖を直す魔法......?」
「うん。メアリーから借りたの」
ソルは首を傾げた。
「これは、本当に魔法なのか......?」
「一応ね。今は『まじない』だよ」
「まじない?」
「今と違って、400年前は魔法という言葉が存在したかも不明瞭なんだよ」
一拍置いて、続けた。
「賢者ヴェルナートが魔法を再定義した。この設計図は、『賢者の落書き』と呼ばれているの。当時は魔法だったけど、時代の流れとともにまじないと呼ばれるようになった」
「それで、まじないか」
「うん。寝癖は櫛があれば十分だからね。賢者の落書きは他にもあるけど、今じゃ銅貨1ルミナの価値すらないんだって」
マーニは賢者の落書きを四つ折りにしてポケットに突っ込んだ。
振り向き、ソルの寝癖を見て、笑みを浮かべる。
「何笑ってんだよ」
マーニがソルの髪を指さす。
「寝癖ついてるよ」
「ほっとけば直るだろう」
「ダメだよ。私たちはもう子どもじゃないんだから」
ソルは手櫛で強引に髪を整えようとした。
「ちょうどいいや。ソル、じっとしてて」
「ん? ああ、まじないか」
マーニは両手をパンッと叩き、まじないをかけた。
すると、ソルの髪型が元通りになる。
「これでよしっと。寝癖を直したよ」
ソルは無造作に髪を摘まんだ。
「確かに、寝癖が直っているな」
自身の髪をいじりながらマーニを見つめる。
「どこで手に入れたんだよ」
「歩きながら話すよ」
ふたりは食堂へと向かった。
「昨日、洗い場で服を洗っていると、メアリーに話しかけられて旅の目的を聞かれたの」
マーニは階段の段差を一段抜かして飛び降りた。
「よっと。メアリーは私の話を笑わずに聞いてくれたよ」
「それで、メアリーが賢者の落書きを貸してくれたのか?」
「うん。魔法のことをほんの少し話したら、賢者の落書きを見せてくれて、私にくれる代わりに交換条件を出されたけどね」
ほんの少し、と聞き、ソルは思わず乾いた笑いを漏らした。
マーニは魔法に強い関心を持っている。
ほんの少しが、常人にとっては苦痛となってしまう。
ソルは疲れ切ったメアリーの表情を想像し、同情した。
ふたりは階段を下り、受付で鍵を返却して食堂へ向かった。
メアリーがどこか疲れ果てた笑顔で出迎える。
「ソルも苦労したんだね」
「二人して何の話?」
マーニはソルとメアリーの顔を交互に見た。
二人は笑って誤魔化す。
マーニは小首を傾げ、メアリーに尋ねた。
「メアリー、朝ご飯を食べに来たので、賢者の落書きは、約束通り私がもらってもいいんですよね?」
「構わないよ。ウチには必要ないからね」
「やった!」
くすっ、とメアリーは笑ったが、死んだ魚のような目をしていた。
「こちらの席へどうぞ」
ふたりは足元に荷物を置き、イスに腰を下ろした。
「魚介スープと丸パンでいいかい?」
ふたりは頷いた。
「少し待っててね」
メアリーは厨房へ向かう。
マーニはソルに顔を向けた。
その瞳が輝いていた。
ソルは姿勢を正した。
「さっきの続きだけど、賢者の落書きは、所有者じゃないと使えない。でも、変だと思わない?」
「マーニはメアリーから借りているのに使えたことがか?」
「そう。本来なら私はまじないが使えないはずなんだけど、この所有者は持っている人が該当するようだね」
昔は貴重な品だったんだろう。盗まれないように誰かが言った嘘が広まったんだろうな、とソルは内心で思った。
「よかったんじゃないか。話は変わるが、食べた後はどうする?」
マーニは座り直した。
「物価に関しては、私たちが旅に慣れてくればわかることだから、アクアレインを見て回らない?」
「ああ。いい考えだな」
マーニは手を合わせてお願いした。
「その前に口入屋へ行きたいの」
「今から金の心配か?」
マーニは首を横に振った。
「口入屋は仕事を斡旋しているんだけど、依頼人と交渉して報酬を変えてもらうこともできるんだよ。だからね――」
上目遣いでソルを見る。
ソルは大きな息を吐いた。
「賢者の落書きを集めたい、か」
マーニはこくんと頷いた。
「ソルもまじないには興味があるよね?」
「歴史のことになると、俺以上に熱くなるよな。別に構わないが、旅の目的を忘れるなよ」
マーニは満面の笑みを浮かべた。
「わかってるよ。ありがとう、ソル」
メアリーが料理を並べ、苦笑いを浮かべる。
「最近、小麦粉の質が落ちてね。丸パンは魚介スープに浸してから食べるといいよ」
ソルはメアリーに話しかけた。
「メアリー、食事と宿の相場はわかるか?」
「食事は一食、銅貨5ルミナ前後が目安だよ。他の宿だと一泊、銀貨3ルミナかな。昨日、マーニにも伝えたけど、この街のことしか知らなくてごめんね」
「いや、十分だ。引き留めて悪かった」
「気にしなくていいよ。他の客が呼んでいるからまたね」
すぐに注文を取りに行ってしまった。
「さっさと食べて、口入屋に行くとするか」
「うん!」
ソルは丸パンを一口食べて顔を顰めた。
マーニも同じだった。
「何かパサパサしてるな」
「スープと合うようにしているんだよ。でも、匂いが良くない」
「そうだな。小麦の香りがしなかった」
マーニは丸パンを一口サイズにちぎって、魚介スープに浸してから口に運ぶ。
「魚介スープを濃厚にして、丸パンの香りを誤魔化しているね」
隣を通りがかったメアリーが頭に手を当てて、笑みをわずかに崩した。
「やっぱりわかっちゃうか。雨が続いたから小麦がダメになる前に収穫したって話だよ。食べられるだけ、まだマシだけどね」
厨房から女将の視線を感じ、メアリーは慌てて仕事に戻った。
ソルはスープに浸した丸パンを口に運びながら、マーニに尋ねた。
「口入屋に寄る前に、鍛冶屋へ行かないか。剣を持ったまま歩くのも腕が疲れるしな」
「それもそうだね。装備の相場も知る必要があるね」
「よしっ、決まりだな」
*
――ふたりは食事を済ませ、代金を支払った。
宿の店主に鍛冶屋と口入屋の場所を聞き、鍛冶屋へ足を運ぶ。
鍛冶屋へ向かいながら、ソルは手に握った剣を何気なく眺めた。