第4話 安全という名の、見えない値札
食堂はさまざまな客で賑わいを見せていた。
旅装束の男女らが卓を囲み、陽気に笑っている。
ふたりが突っ立っていると、黒髪の女性店員が気づいて声をかけた。
「すぐに席を用意するから待ってて」
空いているテーブルを片付け、布巾で拭いてから笑顔を浮かべる。
「こちらへどうぞ」
ふたりが席に座ると、店員はふたりに尋ねた。
「初めて見る顔だね。もしかして、孤島村出身かな?」
ふたりは首を傾げた。
ソルが聞き返す。
「孤島村って何?」
「離れ小島で生活する村人のことだよ。この街へは船に乗ってきたんでしょう?」
マーニが首を縦に振った。
「どうしてわかるんですか?」
「ウチも孤島村出身だからね。雰囲気でわかるんだよ」
店員は厨房で睨みを利かせる女将の視線を感じて苦笑いを浮かべる。
「説明すると長くなるから、注文はウチのオススメでもいいかな?」
ふたりは首を縦に振った。
「じゃあ、少し待っててね」
店員が離れると、マーニがぽつんと言った。
「だからかな」
「マーニ、何か言ったか?」
「右も左もわからない私たちがご飯を食べられるように、孤島村を知っている人が働いているお店を、船長は教えてくれたんだよ」
ソルは腕を組み、鼻息を荒くした。
「なるほどな。船は街と小島を往復している。あの人のことを覚えていたってわけか」
「ソル、まだ怒ってるの?」
「少しだけな」
店員が料理を並べ、明るい口調で言った。
「季節の魚介スパイシースープです」
店員は顔を近づけ、小声で続けた。
「大盛りだよ。ふたりのことを話したら女将がサービスしてくれたんだよ。バレると他の客が騒ぐから内緒にしてね」
姿勢を正して続ける。
「休憩もらったから、相席させてもらうね。ウチはメアリー。3年前からさざ波の宿で住み込みで働いているんだ」
「俺はソル」
マーニが会釈する。
「私は妹のマーニです」
メアリーはまかない料理を取りに行き、ふたりと同じ席に腰を下ろした。
そのまかない料理も、季節の魚介スパイシースープだった。
スプーンで口に運び、笑みを零す。
ふたりも料理を口に運んだ。
魚介フライのサクサクした食感と甘辛くてコクのあるスープが合わさり、咀嚼するたびにスパイスの効いた香りが鼻孔を抜けた。
その癖になる味つけに、ふたりは食べる手が止まらない。
「その様子だと、気に入ってもらえたようで安心したよ。ふたりは宿泊客だから、この料理が銅貨3ルミナで食べられるんだよ」
ソルが口の中のものを飲み込んだ。
「俺たち、金の価値がわからないんだ」
「宿泊客じゃなければ、この料理は銅貨6ルミナ。ふたりが飲んでいる水にも銅貨1ルミナ必要だよ」
マーニが目を丸くして聞き返す。
「水にもお金が必要なんですか?」
「うん。外の世界では常識だよ」
ソルが水を一口飲んで言った。
「味があるわけでもない。何の変哲もない、ただの水だけどな」
メアリーは首を横に振った。
「でも、安心して飲むことができる。ウチらは『安全』をお金で買っているんだ。――これがお金の価値だよ」
ふふっ、と笑う。
「この店の夫婦は、お客に喜んでもらいたい一心で、宿泊客には食堂の料理を安くしたり、飲み水を無料で提供している。これは、さざ波の宿だけのサービスだから忘れないでね」
マーニが口を開いた。
「メアリーは何か目的があって旅に出たんじゃないんですか?」
メアリーは笑って答えた。
「うん。旅を続けるためにはお金がかかる。本当はすぐに辞めるつもりだったんだけど、さざ波の宿は居心地が良くてね。あと少しだけ、と言い聞かせて3年が経過していたんだ」
目尻を下げた。
「この街にいれば、ふたりのように何も知らない人に、ウチでも何か教えてあげることができる。きっと、ウチは誰かに必要とされたかったんだと思うんだ。孤島村を出るまで、そんなことにも気づかなかったよ」
ソルの顔と服に付着した血を見て、眉間に皺を寄せる。
「ソル、血がついているけど、怪我をしたの?」
「血? あー、狼を斬った時に返り血を浴びたな」
メアリーは息を吐いた。
「店の裏に洗い場がある。絞ってから部屋に干すんだよ。いいね」
「ああ」
「マーニは女の子だから大丈夫だね」
「はい」
「そろそろウチは仕事に戻るよ」
メアリーは食べ終わった食器を片付け、席を立った。
「久しぶりに故郷の人と話せて楽しかったよ。食後に食べる甘い果実は最高だけど、どうする?」
「食べます」
ふたりは声を揃えて言った。
メアリーは鼻歌を歌いながら仕事に戻る。
その背中を見送りながらソルは言った。
「この店を選んで正解だったな」
「うん」
マーニはソルが皿の端に寄せた青ニンジンを見て言った。
「この青ニンジンは食べても平気だよ。それに、好き嫌いをしていると強くなれないよ」
「くそっ」
ソルは皿を持ち、青ニンジンを口に掻き込んだ。
咀嚼し、水で流し込む。
「はぁはぁはぁ......頭ではわかっているんだよ。これは辛くないって」
「私が目を離した隙に盗み食いしたソルが悪いんだけどね」
「あれは味見だ。俺が気づかなければ、マーニも悶絶していたぞ」
「はいはい」
マーニは視線を逸らした。
ちょうどその時、メアリーが黄色い果実を載せた皿を運んできた。
皿を並べ、塩が入った小瓶を置き、説明を始める。
「これは、ゴールデンチェリー。皮にも栄養があるから、そのまま食べても平気だよ。熟しているから甘くて美味しいけど、塩をほんの少しふりかけると甘味が増すから是非試してみて」
ふたりの青い瞳は、瑞々しいゴールデンチェリーに釘付けになっていた。
「何か困ったことがあれば遠慮なく呼んで」
メアリーは注文を取りに行ってしまった。
ふたりは軸を摘まみ、ゴールデンチェリーを口に運ぶ。
咀嚼するとわずかに酸味の効いた甘い汁が口の中に広がった。
「こんなに甘い果実、初めて食べた」
「うん。汁で手がベトベトしないのもいいよ」
ふたりは塩を足して、さらにもう一口。
「さっきより甘くなったな。俺はこの味が気に入った」
「少しかけすぎたかも。でも、甘くて美味しいね」
あっという間にゴールデンチェリーを完食したふたりは、代金を支払った。
ふたりは部屋へと向かった。
「マーニ、俺は服を洗ってくる」
「私は荷物を整理してから洗いに行くよ」
階段を上り、三階の通路で別れる。
ソルは洗い場で服を洗い、絞ってから部屋へ持ち上がって干した。
シャワーを浴びる。自前の砥石で剣を研ぎ、刃先を見て頷き、鞘に収めた。
就寝の準備を済ませ、ベッドに横になる。
だが、興奮してなかなか寝付くことができなかった。
目を閉じると、今日一日の出来事が次々と浮かんでくる。
父の応援。船長の笑い声。メアリーの言葉。初めて口にした季節の魚介スパイシースープの味。
――外の世界は、思っていたよりずっと広かった。
隣の部屋から、物音が聞こえた。
あいつも眠れないのだろうか、とソルは思った。