第11話 家は帰る場所であり、鳥かごではない
――翌朝。
ソルはベッドから転げ落ちて目を覚ました。
窓の外から小鳥の囀りが聞こえてくる。
ソルは清潔な服に着替え、洗い物を持ち、部屋を施錠して洗い場へ向かう。
洗い場では、マーニが服を洗っていた。
その目は充血し、赤く腫れていた。
ソルは気まずくなり部屋に戻ろうとしたが、昨夜の受付の言葉を思い出し、胸を張って近寄った。
「マーニ、おはよう」
「おはよう」
ソルは隣に並んで洗濯を始める。
しばしの沈黙。
先に口を開いたのはマーニだった。
「昨日はごめん。母さんのことを思い出したら、急に家が恋しくなったの」
「それなら、一度帰るか」
マーニは首を横に振った。
「父さんが頭を撫でた時、手が震えていたんだよ。本当は私たちともっと長い時間過ごしていたかったんだと思う。だから、もう一度旅に出たいなんて言っても、今度は許してくれない。ソルだって父さんの性格は知っているでしょう。私たちはかごの中で飼われている小鳥じゃないんだよ」
マーニのお腹の虫が鳴いた。
笑って続けた。
「一晩泣いてスッキリしたから、もう平気だよ。早く洗い物を済ませて食堂で朝ご飯食べよう」
「ああ。そうしよう」
ふたりは洗い物を絞って部屋に戻った。
ソルは衣類を干した後、お金が入った布袋を持って部屋を出て、施錠する。
一階でマーニと合流した。
マーニは受付に声をかけた。
「洗い物を干しているので、同じ部屋を使いたいのですが」
「料金さえ支払ってくれれば構わないよ」
ソルが代金を支払い、ふたりは食堂へ向かった。
食堂に入ると、恰幅のいい中年の女性が立っていた。さざ波の宿を経営する女将だった。
女将がマーニを一瞥した。
「座りな。あり合わせで作ってあげるよ」
ふたりはイスに腰を下ろした。
「私の顔だけど、そんなに酷いのかな」
「一睡もしてないんだろう。食べたら寝ろよ」
「うん」
女将が料理を載せた皿を並べる。
パンの切れ目に解した干し肉を挟んだものに、茶系のソースが塗られていた。
「それを食べたら寝な」
マーニに優しい口調で言う。
「あんたは女の子なんだから、もっと自分の体を大切にしなよ」
マーニは頬を赤らめて、こくんと頷いた。
女将はソルの背中をパンッと叩いた。
「あんたはもう少しシャキッとしな。男だろう」
ソルは姿勢を正した。
「ありがとう、おば――」
女将の目が鋭くなり、ソルは慌てて言い直す。
「お姉さん」
「ふん、食べ終わったら出ていきな。うちはまだ準備中だからね」
厨房へ向かう女将の背中にマーニが声を投げかけた。
「この料理の値段は、おいくらですか?」
「金はいらないよ」
マーニはソルに尋ねた。
「本当にいいのかな?」
ソルは大口を開けて、総菜パンにかぶりついた。
口元を汚しながら笑みを零す。
「いらないのなら俺が食べるぞ」
「食べるよ」
マーニは総菜パンを口に運び、咀嚼しながら味わった。
「美味しいね」
「だな」
ふたりは食事を済ませた。
「金を渡そうとすると断られると思う」
「そうだね」
「だから、こうしよう」
ソルは銅貨2枚をテーブルに置いた。
「あの料理の値段はわからないが、これなら受け取ってくれるだろう」
「ソルにしては名案だね」
ソルはマーニにお金が入った布袋を手渡した。
「俺が持っていると、衝動買いしてしまうかもしれないからな」
マーニは苦笑いを浮かべる。
「高価な剣を買われても困るし、私が管理するよ」
ふたりは食堂を後にした。
階段を上りながら、マーニが提案した。
「ソル、今から風袋の中身を確認しない?」
「もしかしたら、お宝があるかもな」
ソルの部屋で、ふたりは風袋の中身を確認した。
だが、風袋から見つかったのは一冊の手記だった。
ソルは手記のページをめくった。
レイ・ドランという男性の生涯が綴られていた。
旅は順調だったものの、金を盗まれ、食料が尽きてしまった。
助けてくれる者はおらず、ページの最後には――
『ヴェントクレアの家族に、自分の死を伝えてほしい』
――と書き記されていた。
ソルの隣では、マーニがカバンを枕にして眠っていた。
ソルはマーニの肩を揺らして起こした。
「マーニ、起きろ」
マーニは目を覚まし、欠伸をひとつ。
「ごめん。途中で眠くなっちゃった。それで、手記には何が書いてあったの?」
「ヴェントクレアの家族に、自分の死を伝えてほしい――それが、この手記の持ち主の最期の願いだった」
「楽市露店の警備兵の人なら何か知っているかもしれないね」
「ついでに不用品を片付けるんだな」
マーニは頷いた。
「うん」
「わかった。俺が聞いてくる。マーニは自分の部屋で寝てろよ」
マーニは微笑んだ。
「そうするよ」
立ち上がり、ふらふらした足取りで部屋を出ていく。
ソルは手記を手に持ち、部屋を出て施錠した。
マーニの部屋を一瞥し、楽市露店へ向かう。
*
――楽市露店。
店番をしている警備兵を見つけ、手記を見せて事情を説明した。
「なるほど。ヴェントクレアまでの道のりがわからないのか。少し待て。古い地図をやる。もし誰か来たら待っているように伝えろ」
警備兵は足早に奥へ向かった。
*
――待つこと数分後。
警備兵は四つ折りにした地図を広げ、説明を始めた。
「これは、セルメア大陸の地図だ。アクアレインは南に位置している。北北西に向かった場所にヴェントクレアがある。農作物を収穫している村だが、周辺には多くの獣や虫が生息している。大きな風車が並んでいる。それが目印だ」
警備兵はソルに地図を手渡した。
「本当にもらっていいのか?」
警備兵は腕を組んで頷いた。
「構わない。遠征の度に配られるからな」
ソルは地図を見て笑った。
「結構近いんだな」
警備兵は息を吐いた。
「地図で見ればそうだが、三節の距離がある」
「三節......?」
「人差し指の関節を目安にしている。三節は休息を取りながら歩いて三日かかる距離だ。一つ確認するが、一人で行くつもりか?」
「妹がいる」
警備兵は顎にそっと手を当てた。
「二人か。俺個人の意見だが、護衛を雇え。それだけで生存確率が上がる。その分、金はかかるがな」
ソルは首を横に振った。
「いらない。俺たちは観光しているんじゃない」
「それなら、絶消石を買っておけ」
「絶消石......?」
「消耗品だが、地面に叩きつけて壊すことで、数時間、煙が発生する。その中では、気配を消すことができる」
ソルは首を傾げた。
「獣は火を恐れる。火を絶やさなければいいんじゃないのか?」
警備兵は首を横に振った。
「灯かりは目印になる。盗賊に命を狙われる危険性があるんだ」
ソルは剣の位置を直した。
「盗賊がいるのか......」
警備兵は少し俯いた。
「ああ。子ども相手でも平気で命を奪う賊だ。盗賊に出会ったら躊躇うな」
警備兵は語気を強めて、ソルに警告した。
「情けをかければ、足元を掬われる。決して躊躇うな」
一拍置いて、続けた。
「旅を甘く見ていると、いつか痛い目に遭う。坊主、初心を忘れるな」
ソルは拳を握り締め、歯を食いしばった。
孤島村でマーニを守ると誓った。
だが、森でツェーンから守ってくれたのはマーニだった。
己の未熟さが、悔しかった。
ソルは警備兵に頭を下げた。
「ありがとう、警備兵のおっちゃん。俺、もっと頑張るよ」
さざ波の宿へ戻る途中、ソルは道端で人とぶつかった。
「きゃっ!」
それは、黒い頭巾と外套を纏った若い女性の声だった。
尻もちをついた際に、黒い頭巾が脱げ落ち、桃色の髪が光に反射して輝く。
20代にも満たない彼女は地面に手をついていた。
――十二聖徒。
ツェーンの理不尽な強さ。ノインに言われた一言。
ソルは思わず目を細めた。
彼女は困り顔で立ち上がり、お尻を摩った。
「ごめんなさい。よそ見をしていました」
「すまない。考え事をしていた。怪我はないか?」
「はい」
彼女は眉尻を下げ、右の頬に手を当てた。
「わたくしと同じ格好の人を見かけませんでしたか?」
「ツェーンとノインのことか?」
その名を聞いた途端、彼女の表情が明るくなった。
「まあ、お二人とお知り合いなのですね。どこにいるかご存じですか?」
ソルは首を横に振った。
「知らない」
彼女は肩を落とした。
「わたくし、影が薄いので、いつも忘れられるんです」
ソルは言い淀んだ。
「あんたも十二聖徒じゃないのか」
「はい。わたくしは十二聖徒のツヴォルフと申します」
十二聖徒にしては、空気が緩いな、とソルは思った。