第12話 知ってはならない、200年前の真実
髪飾りで団子にまとめた桃色の髪が風に揺れ、花のような柔らかい香りが漂ってくる。
眉は細く、大きく開かれた目は目尻が下がり、その緑色の瞳は輝石のように美しい。
小さな鼻と口。バランスの取れた顔立ち。
ソルは顔を少し赤くし、思わず視線を逸らした。
彼にとって年齢が近い女性との初めての出会いだった。
ツヴォルフは柔らかく微笑む。
「わたくしは自己紹介しました。これは公平ではありません」
ソルは咳払いをひとつ。
「ソルだ」
ツヴォルフは笑顔のまま伝えた。
「ソル、十二聖徒になる気はありませんか」
しばしの沈黙。
「......は?」
「わたくし、運命を感じました。きっと赤い糸で結ばれているのでしょう」
ツヴォルフは顔を近づけ、耳元で囁く。
「なりたくありませんか。十二聖徒の一人に......」
いい香りに釣られ、思わず返事をしてしまいそうになり、ソルは慌てて後ろへ下がった。
「まず、俺は十二聖徒が何なのかよくわかっていない。得体のしれないものに首を振ることはできない」
ツヴォルフは手をポンと叩いた。
「なるほど。言われてみればそうですね。それでは、十二聖徒の使命をお伝えします」
「いや、しなくていいよ」
ソルは足早に立ち去ろうとしたが、ツヴォルフはその隣を歩き、話を続けた。
「十二聖徒は魔物や魔獣討伐が主な仕事です。現在、欠員が出ていますが、体勢が整い次第、魔王ネクロヴァルを討ちます」
ソルは足を止め、振り向いた。
「魔王ネクロヴァルは御伽噺じゃないのか」
ツヴォルフは首を横に振った。
「今も生きています」
「なぜ、そう言い切れるんだ?」
ツヴォルフは周囲を確認し、声を落として言う。
「悪魔化現象をご存じですか」
ソルは首を横に振った。
ツヴォルフは小声で続けた。
「人が死を拒絶される現象のことです。今から200年前、小さな村でそれは発見されました。老人の肉は腐っていました。それでも生命活動を維持していたのです」
ソルは息を呑んだ。
「その人は、どうなったんだ?」
ツヴォルフはわざとらしくため息を吐いた。
「申し訳ありませんが、部外者にこれ以上の情報は与えられません。ですが、浄光教では悪魔化現象と名付け、その元凶が魔王ネクロヴァルにあると考えたのです」
ソルは腕を組み、目を細めた。
「にわかには信じられない」
ツヴォルフは冷静に告げた。
「ですが、事実です。魔王ネクロヴァルの古城には、悪魔化現象に墜ちた者が多数発見されたのです」
俯き、静かに目を閉じる。
「フィア、ゼクス、エルフ。そして、わたくしの前任者のツヴォルフも命を落としました」
顔を上げ、ソルを見つめた。
「ソル、お願いします」
ソルはため息をついた。
「俺には双子の妹がいる。歴史のことが大好きで、賢者の落書きを集めている変わり者だ。もし、俺があんたの話に頷いたら、妹をひとりにしてしまう。俺たちは北部平原のどこかにあるエレメンティアを目指している。簡単に夢を諦めるなんてことはできない」
ツヴォルフは静かに息を吐いた。
「そうですか。羨ましく思います。そういう事情があるのなら仕方ありません」
満面の笑みを浮かべる。
「ソルの妹を勧誘すれば解決ですね!」
「今の話の流れで、何でそうなるんだよ!」
ツヴォルフは前を向いたまま頷いた。
「宿泊先は、さざ波の宿ですか」
「おい!」
「わたくしも宿泊するとしましょう」
「人の話を聞けよ!」
ツヴォルフは人差し指をソルの唇に押し当てた。
「ソル、少し静かにしてください。わたくしたち注目されていますよ」
周囲の視線が集まり、ソルは居心地の悪さを覚えた。
気づけばツヴォルフとともに、さざ波の宿へ戻っていた。
一階でマーニと出会い、ソルは思わず顔に手を当てた。
「ソル、おかえり......って、どうしたの?」
ツヴォルフが足早に近づき、マーニの両手を握り締めた。
「わたくし、十二聖徒のツヴォルフと申します」
マーニは困惑した表情でソルを見た。
「ソル、この人は何なの?」
ツヴォルフがマーニに顔を近づけた。
「先ほども申し上げましたが、十二聖徒のツヴォルフです」
「......マーニです」
ツヴォルフは姿勢を正し、微笑を浮かべる。
「マーニも十二聖徒になりませんか?」
「えっ? ソルは十二聖徒になったの?」
マーニはソルとツヴォルフを交互に見た。
ソルは息を吐いた。
「俺はなった覚えがないぞ」
ふふっ、とツヴォルフは笑う。
「ささっ、細かい話は部屋でするとしましょう」
ソルを一瞥した。
「胸の内に秘めていただけるのであれば、先ほどの続きをお聞かせいたします」
ソルは自分とは無関係に思えないので、無下にできなかった。
そして、静かに頷いた。
「話をするのなら俺の部屋にしよう」
三人は部屋へ向かった。
歴史に興味を示すマーニのことが、ソルにとって唯一の気がかりだった。
三人は床に腰を下ろし、ツヴォルフはソルに話した内容をマーニにも聞かせた。
マーニは魔王ネクロヴァルの話を聞いても驚かず、冷静に吟味している。
その様子は、ソルとは真逆の反応だった。
「――悪魔化現象についてですが、それが発見されたのは、今から200年前の小さな村です。ここから先は、浄光教の者でも、限られた権限をもつ者にしか知らされておりません」
ツヴォルフは声を落とした。
「発見された当初、彼とは意思疎通ができました。浄光教で名のある者でも、彼の症状を止める術を持ち合わせておりませんでした」
顔を少し伏せる。
「周囲には腐臭が漂っていました。腐り果てる肉体を見て、発狂した彼を拘束し、人里離れた場所で厳重に管理しました」
静かに息を吐いた。
「肉や内臓、血の一滴に至るまで。すべて削ぎ落ちた頃、彼は動かなくなりました」
顔を上げ、ふたりを一瞥する。
「何も解明できないまま終わるかと思われたその瞬間――骨となった彼は動き出し、何かに取り憑かれたかのように暴れ始めたのです」
淡々とした口調で告げた。
「我々は、この状態の者を『悪魔』と呼んでいます」
ふたりは息を呑んだ。
「切断や粉砕など試みたのですが、悪魔はすぐに再生するのです」
ツヴォルフの声が僅かに弾む。
「そこへ現れたのが不思議な力をもつ少女です」
両手を胸元に当てた。
「当時、彼女は熱心な信徒でした。女神ルミナ様の声を聞いた彼女は、清らかな光で悪魔を浄化しました」
口元を緩める。
「その後、彼女は聖女と呼ばれ、多くの悪魔を鎮めました。聖女が死去した後も同じ力をもつ者が現れました」
ソルの目をまっすぐ見つめた。
「聖女を守護する十二の杯――それが、十二聖徒です」
ソルは視線を逸らした。
「それで、魔王ネクロヴァルの古城に侵攻したのか」
ツヴォルフは少し俯いた。
「はい。ですが、返り討ちに遭いました」
淡々とした口調で続けた。
「敗因を挙げればキリがありませんが、情報不足が大きな原因です。悪魔を対処できるのは聖女だけなのです」
僅かに声が揺れる。
「予想よりも数が多く、撤退を余儀なくされました。その結果、四名の十二聖徒と聖女が命を落としました。我々は魔物や魔獣を討伐しながら才能がある者を探しているのです」
ソルに微笑みかけ、マーニを見つめた。
「マーニ、十二聖徒になりませんか?」
「ツヴォルフの話は理解しました。とても崇高な理念だと思います。ですが、十二聖徒がほしいのはソルですよね」
マーニは俯いた。
「ツェーンもノインもツヴォルフも、ソルのことしか見ていない」
指先を握り込む。
「私は剣でもソルに劣っている。ツェーンの動きを見ていなければ、ソルを守ることすらできなかった。魔力だって、そう。私は地相の魔素を使って、魔法を唱えているだけに過ぎない」
静かに息を吐いた。
「ソルのように地相にない魔素を変換する魔力もない。私は――」
ソルが立ち上がり、拳を握り締めた。
「マーニ、それ以上言ったらぶん殴るからな!」
マーニの目を見つめた。8年前と同じ目をしていた。
「俺たちが小さかった頃、父さんの書斎に潜り込んで本を読んで、父さんのような考古学者になる夢をもった」
胸元を叩き、右足を前に出す。
「マーニが歴史に違和感を覚えた時、それを聞いて、俺の中で夢が変わった」
8歳の頃に交わした約束を口にした。
「偉大なる歴史を発見した考古学者マーニ・アルヘイナとともに旅をした英雄ソル・アルヘイナ!」
マーニの瞳が潤む。
「マーニは俺より頭がいい! 物覚えの悪い俺に魔法のことを教えてくれたのは、マーニじゃないか!」
ソルは膝から崩れ落ちた。
「頼むから、夢を諦めるなんて言わないでくれよ......」
ツヴォルフは空気を読んで静かに退室した。
「ごめんね、ソル。私、自分のことしか見えていなかった」
「それは俺も同じだよ。誰だってそうだろう。人は身勝手だから面白い」
マーニが微笑んだ。
「それ、父さんの口癖だよ」
ソルがにかっと笑った。
「マーニ、旅を再開するぞ」
「もう少しゆっくりしてもいいんじゃない?」
ソルはツヴォルフの姿を探した。
「また十二聖徒と出会う前に、この街から出ろと俺の勘が言っている」
マーニは首を縦に振った。
「うん。ソル、装備の手入れを忘れずにね」
ソルは壁に立て掛けた剣に目をやった。
「そういや、疲れていて忘れていたな。ありがとな、マーニ」
「うん。それで、次の目的地はどうするの?」
ソルは地図を床に広げた。
「これは警備兵の人にもらった。ヴェントクレアまで三節の距離がある」
マーニが小首を傾げた。
「三節......?」
「人差し指の関節で三つ分あるだろう。休息を取りながら歩いて三日かかる」
マーニは情けない表情で、ソルを見つめる。
「えっ、野宿? シャワーとトイレは......?」
「あるわけないだろう」
マーニは肩を落とした。
ソルは息を吐いた。
「水は魔法で何とかなるかもしれないが、風邪をひくかもしれないぞ」
マーニは深いため息をついた。
「水を多めに買って、湿らせた布で体を拭いて我慢するよ」
ソルはマーニの肩をポンポンと叩き、無言でドアを指さした。
マーニの耳元で囁いた。
「誰かいる気配を感じる。俺が見てくる」
マーニは頷いた。
ソルは忍び足でドアに近寄り、ドアノブに手を伸ばす。
ドアを勢いよく開けると、受付の男性が驚いて後ろへ下がった。
「声が煩いと苦情を受けたのですが、何かありましたか?」
ソルは目を泳がせた。
「疲れて眠っていたので、寝言で叫んだかもしれません」
受付が目を細めた。
「なるほど。そういうことにしておきますね」
「はい。次から気をつけます」
ソルは受付に頭を下げ、彼は足早に立ち去った。
マーニは手で口元を押さえて笑っていた。
「勝手に口が動いて喋ったが、マーニの仕業か?」
「うん。マシな嘘をつく、まじないだよ。嘘をつくのが下手な人のために考えられたんだよ、きっと」
ソルはため息をついた。
「追い出されずに済んで助かった」
「良かったね」
ふたりのお腹の虫が鳴いた。
「昼ご飯にするか」
「うん。お金を取ってくるから一階で待ってて」
マーニは部屋を出た。
ソルは廊下に出て施錠した。
階段を下りていると視線を感じて上を見たが、誰もいなかった。
「......考え過ぎか」
一階でソルはマーニが来るのを待った。
*
――十数分後。
なぜかマーニはツヴォルフと一緒に下りてきた。
「ソル、一緒に食事してもいいよね?」
「急にどうした?」
ツヴォルフが微笑んだ。
「一人で食べると味気ないので、マーニに相席をお願いしたんです。お代はわたくしがもちますので、好きなだけ食べてください」
ソルはため息をついた。
三人は食堂に入った。
マーニが何を考えているのか、ソルには理解できなかった。