第10話 胸に秘めた想い、言ノ葉に乗せて
診療所でふたりは医薬師に事情を説明した。
話を一通り聞いた医薬師は、ソルの右腕に付着した血を一瞥する。
「右手の袖を捲ってください」
ソルは言われた通りにした。
「少し触りますが、痛みがあれば言ってください」
医薬師は触診を始めた。
「右手が動かしにくいなどありますか?」
「ありません。剣もいつも通り握れました」
医薬師は頷き、触診をやめる。
「はい。服を戻していただいて結構です」
ソルは右の袖を直しながら尋ねた。
「先生、何かわかりましたか?」
医薬師は優しく微笑んだ。
「右腕は腫れていませんでした。炎症した様子もありません。彼女の処置が早くて助かりましたね。自家製の回復薬と聞いて心配しましたが、問題ありませんでした。回復薬と言っても、時間が経てば効果がありませんからね」
咳払いを一つ。
「魔獣を焼き払った際に瘴気を吸い込んだ可能性があります。魔物や魔獣の体液は猛毒です。口元に布を当てるなど対処しても、万全とは言えません。すぐに薬を調合するのでお待ちください」
準備を始める医薬師に、ソルは質問を投げかけた。
「先生、俺は8年ぶりに魔法を使いました。それは問題ないんですか?」
「軽い脱水症状です。次から遮蔽物を盾にするなど、ご自身の体を大切にしてください」
医薬師は手を動かしながら苦笑いを浮かべる。
「年に1人は運ばれてくるので、ワタシも困っているんですよ」
一拍置いて、続けた。
「中には、間に合わないこともありましたからね」
医薬師は急須に粉末状の薬とお湯を入れ、湯呑み二杯に注いでふたりの前に置いた。
「彼女も瘴気を吸い込んでいる可能性がありますので、飲んでください」
ふたりは息を吹いて熱を冷まし、苦味のある薬湯に顔を顰める。
「診療代は、銀貨6ルミナです」
マーニが代金を支払った。
「具合が悪くなったら、すぐに来てください」
「はい」
ソルはイスに座り直し、難しい顔のまま口を開いた。
「先生、魔獣の血を浴びても平気な人っているんですか?」
医薬師は表情を変えずに答えた。
「いませんが、何か気になることでもありますか」
「魔獣を倒したのは十二聖徒のツェーンなんです。その時、返り血を浴びていました」
医薬師は顎にそっと手を当てた。
「なるほど。浄光教の方々は、呪いに対して強い耐性を持っています。心配する必要はありません」
ソルの胸の閊えが取れる。
「先生、ありがとう」
医薬師は微笑んだ。
「念のため、今日は安静にしてください」
ふたりは頭を下げて、診療所を後にした。
マーニは上目遣いでソルを見た。
「ソル、行きたいところがあるけど、いいかな?」
「構わないが、どこに行くんだ?」
マーニがにこっと笑う。
「楽市露店」
ソルは首を傾げた。
「楽市露店?」
マーニは首を縦に振った。
「うん。メアリーから聞いた話だけど、街の人が不用品を売っているらしいんだ」
ソルは横目でマーニを見た。
「目当ては、賢者の落書きか」
「それもあるけど、収納に便利な風袋も欲しいかな」
風袋とは、見た目は皮のポーチだが、中は異空間に繋がっている。手を突っ込んだ瞬間、収納物が頭の中で本棚に収納された書物のように並び、念じるだけで取り出せる。収納中は時間が停止するため、新鮮な食材も持ち運べるが、生き物は入れられない。旅人の必需品となっており、道具屋では金貨3ルミナで売られている。
ソルは肩を竦めた。
「あれは確かに便利だが、高いだろう?」
マーニは首を縦に振った。
「だからだよ。引退した旅人のお古なら安く手に入るかもしれないよ」
「確かに、一理あるな。安静にしろと言われたばかりだし、夜ご飯にはまだ早い。場所はわかるのか?」
マーニは笑顔で頷いた。
「うん。朝、それらしい場所を見つけたよ。早くしないと売り切れちゃうかも」
マーニが走り出した。
「走ると危ないぞ!」
ソルは苦笑いを浮かべて、その後を追いかけた。
*
――楽市露店は、許可がなくても個人で商売が許されている場所だ。
青い制服を纏い、槍を持った警備兵が見廻りをしている。
出入口に立っていた警備兵が、ふたりを呼び止めた。
「初めて見る顔だが、旅人か?」
ふたりは首を縦に振った。
「そう警戒するな。これも仕事なんだ」
警備兵は咳払いをひとつ。
「楽市露店は買うのも売るのも自由だ。物々交換も許されている」
目を細め、語気を強めた。
「ただし、揉め事だけは起こすなよ」
マーニがソルの服を握り締めた。
「わかった」
マーニはこくんと頷き、ふたりは中に入った。
それぞれが持ち寄った品物を地面に敷いた布に並べ、思い思いに値をつけて売っている。
見物客に混ざり、ふたりは目当てのものを探した。
マーニは賢者の落書きを見つけると、売り手と交渉し、合わせ買いしていた。
マーニのカバンに入りきらない物を、ソルは自分のカバンに詰めながら尋ねた。
「これ、どうするんだよ」
「警備兵の人が言っていたじゃない。買うのも売るのも自由だって。だから、売るんだよ」
「それ、問題にならないか?」
マーニは笑顔で答えた。
「使わない物は、銅貨1ルミナで売るから、文句を言う前に買い戻すと思うよ」
ソルは笑った。
「ちゃっかりしてるな」
ふたりはカバンを背負った。
マーニは見物客のいない小さな店を見て、導かれるように足を運んだ。
ソルは慌てて後を追った。
売り手が警備兵だったので、ふたりは顔を見合わせた。
マーニは品物を眺めながら尋ねた。
「これは、売り物ですか?」
「そうだ」
「お仕事はいいんですか?」
「店番が今の仕事だ」
マーニは髪飾りを見つけて小首を傾げた。
「女性物もありますが......」
警備兵はため息をついた。
「お前たちは知らないんだな。ここでは、亡くなった旅人の持ち物を売っている」
ふたりは言葉を失う。
「物自体は悪くないんだがな」
ソルが口を開いた。
「俺たちは風袋を探している」
警備兵は風袋を二つ手に取り、説明を始めた。
「手入れはしているが、中に何が入っているのかわからない。我々も忙しい身でね」
「いくらで売っているんだ?」
「少し待て。今確認する」
警備兵は書類に目を通した。
「綺麗なほうが金貨1ルミナ。キズがついているほうが銀貨70ルミナ。先に言っておくが、値引き交渉はできない。売上金はすべて浄光教に寄付する決まりになっているからな」
風袋を見つめるマーニに、ソルは言った。
「怖いのなら、俺が中身を確認する」
マーニは首を横に振った。
「大丈夫だよ」
警備兵に尋ねた。
「賢者の落書きはありますか?」
警備兵は書類を確認した。
「ないな」
「風袋を二つください」
マーニが代金を支払い、ソルはキズありの風袋を手に取った。
「マーニは綺麗なほうにしておけ」
「いいの?」
「ああ。性能は変わらないんだろう」
「ソルがそれでいいのなら、私は構わないけど......」
警備兵は口元を緩めた。
「ありがとう。前の持ち主も、きっと喜んでいるよ」
ソルは行こうとした。
マーニに服を掴まれて、足を止めた。
マーニは真剣な表情で品物を見ていた。
「もう用は済んだだろう」
「うん。もしかしたら、この中に母さんの物があるかもしれない。だから、もう少し待って」
「わかった。俺も一緒に探すよ」
ふたりは10年前の朧げな記憶を頼りに、母の遺品を探した。
しかし、それらしいものは見つからなかった。
ソルは沈んだ表情のマーニに言った。
「ここにはないだけで、ルミナルディアの楽市露店に行けば、何か見つかるかもしれない」
「そうだよね。きっと......あるはずだよね」
声が、わずかに揺れた。
さざ波の宿に戻り、部屋を取って鍵を受け取ると、マーニはお金が入った布袋をソルに手渡した。
「ごめん。夜ご飯は一人で食べて」
ソルは布袋を返した。
マーニは受け取らず、そのままソルの手に押し返した。
「それなら俺も食べない」
マーニは瞳を潤ませながら尋ねた。
「何で?」
「俺は双子の兄貴だからな。マーニが考えていることくらいわかるんだよ」
マーニは感情的になって言い返した。
「じゃあ、当ててみてよ!」
「母さんのことを思い出して気分が落ち込んだ。だから、今は食事が喉を通らない」
マーニは目を丸くした。
目尻が潤み、大粒の涙となって頬を伝う。
「そうだよ。ソルのことも思い出したらつらくなった」
ソルは眉を寄せた。
「俺のこと?」
マーニは俯き、静かに目を閉じた。
「ツェーンに投げ飛ばされて動かなくなった時は、死んだかもしれないと思ったんだから」
「だから、あの時、剣を抜いたのか」
「そうだよ......」
マーニは目を拭った。
「私は、もう家族を失いたくない。それだけだよ!」
重い足取りで階段を上るマーニを、ソルは黙って見届けることしかできなかった。
一部始終を見ていた受付が声をかけた。
「明日、キミが元気な姿を見せてあげれば、彼女はいつも通りだと思うよ」
「どういう意味だ?」
「彼女はキミに自分の重荷を背負わせたくないんだよ。キミが背負うことで彼女を苦しめているからね。......ワタシにも、似たようなことがあったからね」
ソルは大きなため息をついた。
「兄妹だから無視できないんだけどな」
ソルは部屋へ向かった。
部屋に入ると、施錠した。
カバンを下ろし、装備と靴を脱ぎ捨て、ベッドに寝転ぶ。
マーニのことを考えているうちに、いつの間にか眠りについた。