第2話 例外という名の綻び
村の出入口で、ふたりは並んで立っていた。
ソルは腰に手を当て、胸を張った。
「今日から俺たちの伝説が始まる。俺は英雄」
マーニは照れながら口にした。
「ふふっ、私は歴史に名を残す考古学者......だったね」
胸元に手を当てた。
「私、ドキドキしてる」
「俺もだ」
互いに顔を見合わせ、頷いた。
同時に足を前に出す。
「せーの!」
一歩踏み出した。
ソルが走り出し、マーニが慌てて後を追った。
「急がなくても船は逃げないよ!」
「落ち着かないんだよ!」
「変わらないな」
マーニが笑った。
ソルの隣に並び、空を見上げると、二羽の白い鳥が翼を羽ばたかせて飛んでいた。
「あの鳥も私たちと同じなのかな」
ソルは視線を上げ、鳥を見て、息を吐く。
「そうかもな」
ふいに足を止め、踵を返した。
マーニも足を止め、ソルの横顔を見つめる。
ソルは目を細め、遠目に村を見据えた。
「何をしているの?」
「目に焼き付けているんだ。もしかしたら――」
二度と帰ってこられないかもしれない、と言いかけて、ソルは首を横に振った。
「いや、何でもない」
一陣の風が吹き、マーニは髪を手で押さえながら故郷をその目に焼き付ける。
そして、頭を深々と下げた。
「エレナおばあちゃん、いつも美味しい野菜を分けてくれて、ありがとうございました」
「礼なら朝に伝えたんだろう?」
「うん。それでも、お世話になったから、改めてお礼を言いたくなったんだよ」
ソルもマーニに倣って頭を下げる。
顔を上げ、大きく息を吸い、声を吐き出した。
「ありがとうございました!」
マーニは苦笑いを浮かべた。
「声が大きいよ」
ソルは歯を見せて、にかっと笑う。
「俺は言いそびれたから、村の皆に聞こえるように言ったんだ」
「きっと聞こえているよ」
ふたりは頷き、船着き場へと足を進めた。
「船着き場まで、まだまだ時間がかかるよね」
「ん? そうだな」
マーニは咳払いをひとつ。
「これから、私が魔法に関する問題を出すから、ソルが答える。どう?」
ソルは口元を緩めた。
「そのやり取り、懐かしいな。あまり難しい問題は出さないでくれよ」
「第1問。詠唱が必要な理由は?」
「それは簡単だな。想像の具体性を求めるために、詠唱は必要とされている」
ソルは横目で、マーニの表情を確認する。笑顔だった。
「第2問。魔法が発動する原理は?」
「......確か、大気中に漂う魔素を消費しているが、空気のように循環しているので枯渇することはない。ただし、魔素の濃度が不足していると、たとえ詠唱しても小さな規模の魔法が発動してしまう、だったか」
再び、ソルは横目で、マーニの表情を確認した。笑っていた。
「第3問。魔力とは何でしょうか?」
ソルは視線を彷徨わせた。
「俺が覚えている範囲だが、魔力は産まれた瞬間から決まっている。どれだけ修練を積んでも魔力は成長しない」
一拍置いて、続けた。
「魔力は、魔素の濃度を一時的に短時間変換する力だ。魔力は高ければ高いほど、魔素を変換する速度が上がる」
マーニがえくぼを作った。
ソルは胸を撫でおろす。
「第4問。四理と三象の違いは?」
ソルは剣を持ち直した。
「魔素の有無だ。三象の魔素は大気中に漂っていない。これは、地相の影響を受けている」
「続けて」
ソルは鼻の頭を掻いた。
ふふっ、とマーニは笑った。
「及第点かな」
マーニは人差し指を立て、補足する。
「四理の魔素は、地相で構成されている。でも、例外が存在する。雨が降れば、水の魔素の濃度が濃くなり、火の魔素の濃度が薄くなる。そのため、火の魔法を使うために、魔力で魔素の濃度を調整する必要があるんだよ」
「そうだったな」
ソルが足を止め、剣を抜いた。
マーニは周囲を見渡し、ソルと背中がぶつかる。
ソルが周囲に目を配りながら、小声で言った。
「囲まれているな」
その瞬間――草むらの茂みが揺れた。
三頭の狼が姿を現した。
「ソル、ここは私に任せて」
ソルは狼の出方を伺いながら、静かに頷いた。
狼たちが警戒しながらふたりを取り囲む。
間合いを測るように、じりじりと距離を詰めてくる。
すぐさまマーニが詠唱した。
「――疾風よ、刃となりて敵を切り裂け」
不可視の刃が狼たちを切りつける。
ソルが怯んだ一頭に追い打ちをかけた。
鮮血が飛び散った。
残る二頭が牙を剥き出しにし、マーニに襲いかかる。
だが、マーニはそれよりも早く、次の魔法を唱えていた。
「――迅雷よ、我が身を護りて散らせ」
バチバチバチッ! と、彼女の周囲の空気が激しく鳴動した。
青白い火花がマーニの身を包む。
頭から突っ込んだ狼は、その身に触れた瞬間、強烈な電撃に全身を硬直させ、自らの勢いで弾き飛ばされるように横たわった。
剣に付着した血を振り払い、鞘に収めながらソルが尋ねた。
「マーニ、怪我はないか?」
「私は大丈夫。早く行こう」
ソルは狼を一瞥した。
「肉はいいのか?」
「血の臭いに釣られて獣の群れが現れたら、船に乗り遅れちゃうからね」
ふたりは足早にその場を離れた。
「ソル、気づいた?」
「気づいたって何が?」
「私、雷の魔法を使ったんだよ」
ソルは狼たちを尻目に、聞き返した。
「三象の魔素はないんじゃなかったのか?」
「ふふっ、答えは静電気だよ」
「そういうことか。だから、例外の話をしたんだな」
「正解!」
マーニは満足げに笑った。
*
――風に乗って潮の香りが漂ってくる。
波音を聴きながら、船着き場へ入った。
倉庫に積み荷を運んでいる船員に、ソルが話しかける。
「おっちゃん、船に乗りたいんだけど」
「それなら船長に言いな」
「ありがとう、おっちゃん」
ふたりは船員に指示を出している男に近寄った。
マーニはいつの間にかソルの背後に回っていた。
「あんたが船長?」
「おう、坊主と嬢ちゃんは船に乗りたいのか?」
「うん」
「出航するのは積み荷を降ろしてからだな」
船長が手を差し向けた。
「一人、銀貨1ルミナだ」
ソルが目を丸くした。
「えっ、金がいるのか?」
「人数が増えれば船足が落ちる。余計な燃料がかかる分、相応の金をもらわないと割に合わんからな」
ソルがぽかんとしている隣で、マーニが静かに船長へ代金を支払う。
船長は満足げに笑い、口の隙間から抜けた前歯が覗いた。
「乗りな」
船長が目を細めて警告する。
「船の備品を壊したら弁償してもらうからな」
「わかった」
ソルが笑顔で振り向いた。
「行こう、マーニ」
マーニはこくんと頷く。
木製の足場板を渡り、乗船し、適当な場所に荷物を置いて腰を下ろした。
マーニが声を落として言った。
「怖かった......」
「そうか?」
「だって、父さんよりも背も声も大きいんだよ」
ソルは特に気にした様子もなく答える。
「ああ、強そうだよな」
マーニはため息をつき、硬貨を床に並べて数え始めた。
「金貨1枚、銀貨5枚、銅貨13枚だね」
「これだけで足りるのか......?」
「わからないよ。お金を使ったのも今のが初めてだったし」
マーニは気を取り直して提案した。
「水都アクアレインに着いたら、お金の価値を調べましょう」
「ああ」
ふっ、とソルが笑う。
「急に笑ってどうしたのよ」
「せっかくの機会だし、楽しまないと損だろう?」
「父さんはそういう意味で言ったんじゃないと思うけど――」
マーニは硬貨をしまいながら、小さく笑った。
「そうかもしれないね」
船長が乗り込み、ふたりを一瞥して通り過ぎた。
船員が次々と持ち場につき、やがて蒸気船が煙を上げ、ゆっくりと動き出す。
波が船体を叩く音。
潮風がふたりの髪を揺らした。
遠ざかっていく船着き場を眺めながら、マーニはぽつりと口を開いた。
「ねえ、ソル。なぜエレメンティアは滅んだのかな」
「さあな。魔法が暴発でもしたんじゃないか」
蒸気船に揺られながら、ふたりはしばらく黙って波音を聴いていた。