第三十三話 気持ち、未だ整理がつかず
二人は朝食を済ませ、ハウンド管理局へ向かった。
ロゼンと肩を並べるカイレンは、旅装束の上に雨具を羽織ったままだった。
彼女は笑った。
「今日もどうせダメっす」
ある日を境に、何にでも「です」を付けて喋っていた頃の名残が、いつしか「っす」に訛って定着していた。
「家庭教師の時間まで退屈っすね」
ロゼンは息を吐いた。
「お前が全力でやってしまったせいで、ノアに剣を教えているのは俺なんだがな」
「ロゼンには悪いと思っているっす」
ロゼンは再び息を吐いた。
「菓子目当てについてきやがって」
「うちらは家族っす。抜け駆けは良くないっす」
ロゼンはカイレンをじっと見つめる。
カイレンは笑って誤魔化した。
ロゼンは咳払いを一つ。
「そろそろカイレンにも魔法のことを教えてやる」
カイレンは二度三度とまばたきをした。
「うちのこと許してくれたんっすか?」
しばしの沈黙。
ロゼンは胸に手を当てた。
「あの時、吐いた言葉は変わらない」
カイレンは肩を落とした。
ロゼンは彼女に言った。
「別の理由もあった。ヴェラの戦士は掟に従い、人を殺す。だから、あの時のカイレンに魔法を教えるのは危険だと判断した」
カイレンを横目で見る。
「だが、カイレンは変わった。だから、俺も変わろうと思った。今の感情と切り離して考えた結果だ」
「そうだったんっすね」
カイレンは腰に手を当てて笑った。
「あの頃のロゼンはピリピリしてて怖かったっす。拳骨で頭が割れるかと思ったっす」
ロゼンは口元を緩めた。
「一応確認しておくが、カイレンは魔法を覚えたらヴェラの森に帰るのか?」
カイレンは腕を組み、「んー」と唸った。
ロゼンは首を傾げた。
「帰りたくないのか?」
「いや、帰りたい気持ちはあるっすよ。ただ――」
カイレンは苦笑いを浮かべた。
「家は狭いし、寝心地は最悪っす。虫には刺されるし、あの毛皮も臭うっす」
瞳から生気が抜けた。
「一番の問題は、飯が不味いことっす......」
くすっ、とロゼンが笑った。
「素材本来の旨味を活かした飯だったな」
カイレンの瞳に力が宿り、首を縦に振った。
「だから、今はまだ帰るつもりは、少しもないっす」
ロゼンの横顔を見つめる。
「それに、ロゼンはヴェラの戦士っす。もう家族っす。家族を残して帰ることはできないっす」
ロゼンは微笑んだ。
「まだまだ先になりそうだから安心しろ」
「それじゃ、うちもお供するっす」
ロゼンはハウンド管理局のドアに手を伸ばす。
「今日もまた受付に睨まれるんだろうな」
二人は笑いながら中に入った。
すると、カウンターには列が出来ていた。
二人は顔を見合わせた。
受付が二人に声をかけた。
「ご用件の方は列にお並びください」
二人は指示に従った。
カイレンがロゼンの後ろから前を覗き込んだ。
「ロゼン、今日はいつもと様子が違うっす」
「ああ」
ロゼンは周囲を見渡した。
受付以外の全員が装備を身に着けている。
思わず口の端を釣り上げた。
ロゼンの順番になり、受付に用件を伝えた。
「試験を受けに来た」
「承りました」
受付は地図を広げた。
地図は、アルテリア大陸のものだった。
守護の鏡ルミナルディアから北上し、一節の距離に拠点が存在し、赤い丸で印されていた。
拠点名は、『第二鏡面璧ヴェルナート』。
「試験は、二日後の午前九時に行われます。宿泊施設がございますので、野宿する必要はございません。ただし、食事はありませんので、各自で用意してください」
ロゼンは踵を返し、カイレンに言った。
「外で待ってる」
「はいっす」
ロゼンは外に出て、息を吐いた。
「許せない、か。俺はまだあいつのことを引きずっている。そして、カイレンを苦しめている。どうすればいいと思う?」
答えの代わりに、一陣の風が吹いた。
*
――十分後。
ムスッとしたカイレンが出てきた。
ロゼンはカイレンに尋ねた。
「何かあったのか?」
「地図をくれなかったっす」
ロゼンは肩を竦めた。
「忘れるような距離じゃないし、必要か?」
カイレンはため息をついた。
「迷ったら困るっす」
「北門から道沿いを進むだけだ。そんなに地図が欲しいのなら、楽市露店で探せばいい」
カイレンは口をへの字に曲げた。
「それ、さっき言ってほしかったっす」
ロゼンは呆れたように言った。
「地図を手にしている奴がいない時点で気づくだろう」
カイレンは渋々頷いた。
ロゼンが歩き出し、カイレンは肩を並べた。
「カイレン、食料を買ってから向かう」
「ノアのことはいいんっすか?」
「ベルントには話してあるし、ノアは俺の目的を知っている。別れを言えないのは名残惜しいがな」
ロゼンは淡々とした口調で続けた。
「それに、『第二鏡面璧ヴェルナート』が、どういう場所なのか早めに知っておきたい」
カイレンが頷いた。
「わかったっす」
馬車で市場へ向かい、二人は買い物を済ませ、馬車で北門へ向かった。
ロゼンの言う通り、同じ道を進む旅装束の男女らがまばらに見えた。
二人は『第二鏡面璧ヴェルナート』へ向かって歩き出した。
カイレンが口を開いた。
「ロゼン、魔法のことを教えてほしいっす」
ロゼンは顎にそっと手を当てた。
「俺が知る範囲で説明するが、魔法は大昔から存在していた。数百年前、大賢者オルディアスは火・水・風・地を『四理』に定義した。この時、魔法という言葉はまだ存在しなかった」
淡々とした口調で続ける。
「四百年前、賢者ヴェルナートが『四理』を再定義した。それから、炎・氷・雷を『三象』に定義した。この時、魔法という言葉が生まれた」
カイレンは首を縦に振った。
「賢者ヴェルナートが魔法の危険性を訴え、人に対して使うことを固く禁じた。――以前、族長から聞いたっす」
ロゼンは剣の位置を調整した。
「それもあるが、魔法には欠点があった」
「欠点っすか?」
「ああ。魔法を唱えるためには、詠唱しなければならない。魔法は、魔素を消費し、具現化して魔法を生成している。生成中の魔法が分散してしまうため、どうしても動きを止めてしまう。さらに、この詠唱を読み解かれると通用しない」
カイレンは首を傾げた。
「つまり、どういうことっすか?」
ロゼンは人差し指を立てた。
「四理には相性がある。火は水に、水は風に、風は地に、地は火に弱いといった感じにな。これは、一例だが、火の魔法で攻撃されるとわかっていれば、水の魔法を唱えて質量で圧し潰せばいい」
カイレンは手をポンと叩いた。
「そういうことっすか!」
「魔素に関してだが、地相の影響を受けている」
ロゼンは横目でカイレンを見る。
「例えば、海は水の魔素が多く、火の魔素が限りなく少ないため、火の魔法が使えない。だが、魔力が高ければ、別の魔素を火の魔素に一時的に変換することができる」
淡々とした口調で続けた。
「魔力が高ければ高いほど、魔素の変換速度が上昇する。魔力が高い者は、地相を気にせず魔法を唱えることができる。この魔力は生まれた瞬間から決まっている。どれだけ修練を積んでも変化しない」
笑みを浮かべた。
「また、静電気を利用すれば、三象の雷の魔法を唱えることもできる。これは、静電気が雷の魔素の役割を果たしている」
カイレンは蝶を目で追っていた。
ロゼンはため息をついた。
「カイレン、聞いていたか?」
カイレンは頭の後ろに手を当てて笑った。
「ロゼン、うちにはまだ早かったっす」
ロゼンはカイレンをじっと見つめた。
「とにかく、これだけは覚えておけ。魔法は便利だが、万能ではない」