第三十二話 力を貸した、それだけ
――時計が午後三時を告げる。
ドアがノックされ、ベルントが「失礼します」と言い、部屋に入る。
ノアが魔法の練習をしているのを見て、ベルントは微笑んだ。
「ノア様、少し休憩されてはいかがでしょうか」
ノアはコップの水を窓から捨て、定位置に戻った。
「ベルント、もう少しだけ魔法の練習をさせてください」
ロゼンは肩を竦める。
「ノア、水の量が安定していない。集中力が乱れている証拠だ。遅れを取り戻したい気持ちはわかるが、焦っても意味がない」
ノアは肩を落とした。
ロゼンはノアの肩に手を置き、にかっと笑う。
「今日一日で魔法が使えた。それだけでも大きな一歩だ」
ノアは顔を上げ、笑った。
「ロゼン先生、ありがとうございます」
ベルントが二人に声をかける。
「ノア様、ロゼン様。食堂に茶菓子を用意しています」
一礼して、その場を後にした。
ノアがロゼンを見る。
「ロゼン先生、行きましょう」
「ああ」
二人が歩き出し、カイレンが静かに目を開ける。
「ロゼン、オワッタカ」
「いや、休憩だ。カイレンもついてこい」
カイレンは頷き、二人の後に続いた。
*
――食堂。
テーブルに切り分けられた焼き菓子が、三人分並べられていた。
三人はイスに腰を下ろす。
ベルントが三人の前に紅茶を置いた。
「お召し上がりください」
姿勢を正し、傍らで控える。
ノアは小さなフォークで焼き菓子を食べる。
二人はそれに倣った。
ロゼンは紅茶を一口飲む。
「蜂蜜にしては甘いな」
ベルントは説明を始めた。
「菓子には、異国の砂糖を使用しています」
「異国には、俺が知らないものがあるのか」
ノアがロゼンに尋ねる。
「ロゼン先生は、十二聖徒の試験を受けるんですか?」
「いや、俺はハウンド管理局の試験を受けに来た」
ロゼンは焼き菓子を口に運び、肩を竦める。
「受付に追い返されたけどな」
ノアはロゼンに聞いた。
「ハウンドになるんですか?」
「ああ。俺の夢はエレメンティアを探すことだからな」
ノアは眉尻を下げる。
「ロゼン先生がハウンドになっても、エレメンティアの調査はできません」
ベルントがわずかに目を見開いた。
「ノア様」
ノアは笑って誤魔化そうとした。
だが、ロゼンは聞いてしまった。
彼はフォークを皿の上に置く。
「ノア、エレメンティアがどこにあるのか、知っているのか?」
ノアはベルントに言った。
「ベルント、僕の失言です。ですが、ロゼン先生がいなければ、僕は魔法が使えないままでした。僕は、ロゼン先生の夢を応援したいんです」
ベルントは首を縦に振る。
「ここでの会話は、ワタシの胸の内に秘めておきます」
ノアはロゼンに視線を向けた。
「詳しいことは知りませんが、浄光教はハウンド管理局から被害を受けました。だから、エレメンティアは浄光教が調査する方針に変わりました。今、浄光教では戦力になる人材を集めています」
淡々とした口調で続ける。
「エレメンティアを調査するために死者を増やすのはどうかしている、と父上はつらそうな表情で仰っていました」
紅茶を一口飲んだ。
「ロゼン先生さえ良ければ、僕が父上に口添えしますが」
ロゼンは額の右側を人差し指で掻く。
ノアは内部情報に精通していない。
ロゼン自身、浄光教から不老不死であることを隠しておきたい。
ハウンド管理局は試験を再開する意思があった。
それに、ヴェラの森の件もある。
ロゼンは咳払いを一つ。
「ノア、気持ちだけ受け取っておくよ」
口元を緩める。
「これは、俺の夢だ。誰かの力を借りたら面白くないだろう」
ノアは苦笑した。
「無粋な真似をして申し訳ありませんでした」
ロゼンは焼き菓子の残りを食べようとしたが、消えていた。
隣に座るカイレンは視線を逸らし、口をもぐもぐ動かしている。
ロゼンは息を吐いた。
「ノア、そろそろ魔法の練習を再開する」
「はい!」
休憩を済ませ、三人は訓練室へ戻った。
*
――午後五時半。
ドアをノックし、ベルントが部屋に入る。
「ノア様、お時間です」
ノアは姿勢を正し、ロゼンに頭を下げた。
「ロゼン先生、本日はありがとうございました」
ベルントは部屋を見渡す。
「部屋は片付けておきますので、ノア様は着替えてお待ちください」
ロゼンはノアに尋ねた。
「出かけるのか?」
「はい。夕方は聖堂で祈りを捧げてから、家で両親と夕食を取っているんです」
ノアは笑う。
「ロゼン先生、明日もお願いします」
「ああ」
ノアがその場を後にした。
ベルントは口元を緩める。
「ロゼン様、カイレン様。外で馬車を待たせています」
「ああ。助かるよ」
ロゼンが歩き出し、ベルントと肩を並べる。
カイレンは目を開け、その後に続いた。
ベルントは笑みを零す。
「ノア様が変われたのは、お二人のお陰です」
「それは違う。ノアが変わったのは、ノア自身の力だ。俺は手を貸したに過ぎない」
玄関ホールで、ベルントは足を止め、ロゼンに報酬を手渡す。
「明日は午後一時頃からお願いします。ノア様は聖堂で祈りを捧げているため、午前中はおられないのです」
ロゼンは金貨をポケットに突っ込んだ。
「その件だが、ハウンド管理局が試験を再開するまでの間にしてくれ」
「はい。ノア様にもそのようにお伝えします」
ベルントが両扉の片方を開け、二人は外に出る。
ベルントは二人に深々と頭を下げた。
警備兵が門を開け、笑みを浮かべる。
「ありがとうございました」
二人は馬車に乗り、宿へ向かった。
*
――それから二人は毎日のようにハウンド管理局を訪れては、門前払いを食らった。
ノアの家庭教師をする日々が続く。
時間ができるとロゼンはカイレンに言葉とその意味を教えた。
彼女は覚えた単語を、街で耳にした言い回しと結びつけて自分のものにしていく。
そうして、九十三日の月日が流れた――