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内なる光

 この国には、死んだ者を蘇よみがえらせる神の力の通り道、神道しんどう―― がある。

 神道しんどうが太い土地では、多くの死者が蘇よみがえり、細い土地では、その奇跡はまばらにしか起こらない。

 一度死んだ魂は、神の国へと続く、魂の川に還かえる。
 神はその川から魂を掬すくい上げ、気まぐれに人の身体へ返す。
 そうして蘇よみがえった者は、けして完全な『その人』ではない。

 それでも人は、それを救いと呼ぶ。

 たとえ、魂の形が変わっていても。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 『駐屯都市ちゅうとんとし』――軍の駐屯地ちゅうとんちを抱えるこの街には、多くの市民と軍人たちが暮らし、絶えず人が行き交っている。

 まず目を引くのは、よく整った街並みだった。
 通りには石畳が隙間なく敷きつめられ、多くの人々が絶え間なく行き交っている。

 その流れの先、街の中央近くにある噴水広場は、いつになく賑わっていた。

 東の泡沫ほうまつの神が消えてから、この土地を避けていた人の流れが戻ってきたのだ。

 見慣れたこの土地の人々に混じって、肌や髪の色、身なりの異なる旅人や行商人の姿も、目についた。

 噴水広場には、色とりどりの布を張った露店が並んでいた。香ばしく焼けた菓子の甘い匂いと、香辛料の香りが風に混ざって漂っている。

 大道芸人が、観客の輪の中央で、火のついた棒を回し、集まった人々を驚かせ、楽しませていた。

 その向こうでは、講談師が、大仰な身振り手振りを交えながら昔話を語り、聞き手のあちこちから笑いが起こっていた。。

 木陰に座った吟遊詩人は、リュートをつまびきながら、美しい歌を高らかに歌っていた。その歌声に惹かれた観客たちが、次々にリュートのケースへ金を落としていた。

「兄さん、甘い瓜、ひと切れどうだい?」

 果物屋に呼び止められ、クロードは足を止めた。
「じゃあ、ひとつ」

 店主は、手のひらほどもある黄色く熟れた瓜を手際よく切り分けると、ひと切れの皮を落とし、串を刺してクロードに渡してきた。

 瓜はやわらかく、口の中でとろけた。噛むたびに、爽やかな甘みとみずみずしい香りが広がっていく。

「うまいな」

 クロードがそう言うと、店主は嬉しそうに笑った。

「そうだろう、そうだろう。南の地方の特産だからな」

 そのやり取りを見ていた道行く人々も、つられるように次々と瓜を買っていった。

 クロードは、食べ終えた串を店主に返し、再び歩き出した。

「そこの帽子の兄さーん」

 少し離れたところから声がした。
 クロードは足を止め、辺りを見回した。だが、帽子をかぶっているのは、自分しかいない。
 声のした方へ目を向けると、露店を出している若い店主が、こちらへ大きく手を振っていた。

「俺か?」
「そうそう。兄さんだよ」

 鮮やかな敷物を大きく広げた露店だった。
 この土地では、あまり見かけない布や、アクセサリー、雑貨がところ狭しと並んでいる。

 若い店主は、十七歳ほどだろうか。クロードより頭ひとつ以上は低い、小柄で細身の少年だった。

 肩より長い金髪にターバンを巻き、日に焼けた肌に白い歯をのぞかせて人懐こい笑みを浮かべている。身につけた服は鮮やかな色合いで、この土地の者より、ずっと華やかだ。敷物の上に並ぶ、布や飾りともよくなじみ、南の地方から来た商人だと、ひと目で知れた。

「なにか用か」
「用事も用事。兄さん、旅人だろ?」
「ああ」
「それなら、いいモンがある」

 若い商人は、一枚のハンカチを取り上げると、クロードの前でぱっと広げてみせた。

「ジャジャーン。これはちょっとした怪我なら、たちまち治しちまう、魔法のハンカチさ」

 クロードは、ただの客引きだったのかと苦笑し、見せられたハンカチを手に取った。
 ふちを彩る刺繍ししゅうを、目でゆっくり追う。

「このハンカチ、術具だな」
「おっ、帽子の兄さん詳しいね。そいつは、俺の故郷に伝わる、癒しの術式なんだ。俺の家族の手作りなんだぜ。どうだい、ひとつ」

 若い商人が、手をもみながら、ずいっと顔を寄せてくる。
 こういう人懐こさは、嫌いじゃない。

 クロードは少し考えてから、わざと周囲にも聞こえるように声を張った。

「すごいな。ケガが治せるのか。ひとつ持っていれば、安心だな」

 ややわざとらしかったが、その声に、周囲の人々が反応した。
 近くにいた人たちが、興味を引かれたように次々と店へ寄ってくる。

「へぇ、ケガが治るなんて、いいじゃないか。アタシにも、ひとつおくれ」
「可愛い刺繍ししゅうね。私もいちまい買っちゃおうかな」
「かみさんが喜びそうだ。俺にもいちまいくれ」

「まいどっ!!」

 若い商人は、次々に品を渡しながら、愛想よく声を張った。
 ひと息ついたところで、いたずらっぽくクロードへウインクする。

「帽子の兄さん、サービスでお安くしとくぜ?」

 クロードは少し笑って、小銭袋を取り出した。

「じゃあ、ひとつ」



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 クロードは噴水広場を後にし、街の西側にある図書館へ向かった。

 遺跡で見た、神世言かみよのことばと、あの花のような術式について、記された文献がないか調べるためだ。

 自分の胸に刻まれた神道痕しんどうこんは、今まで文献で見たどの文字とも、並びも形も違っていた。

 これは一体、何なのか。

 クロードは、図書館の棚から本を取り出した。
 静かな館内で、ページをめくりながら、記された文章を、ひとつずつ目で追っていった。



「そろそろ閉館です」

 司書に声をかけられ、クロードは窓の外を見た。いつの間にか空は夕暮れに染まっていた。

「すまん。ありがとう」

 クロードは、読んでいた本を棚へ戻し、出入り口のカウンターで銅貨を払い、図書館を後にした。



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 どこかで夕食を食べてから宿へ戻ろう、と思い階段を下りている時だった。
 階下から、聞き覚えのある声が飛んでくる。

「よう、帽子の兄さん」

 目を向けると、あの若い商人が、人懐こい笑顔でこちらへ歩み寄ってきた。

「昼間はありがとな。兄さんのおかげで、あれからも売れ行きがよくてさ」
「良かったな」
「晩飯はもう食べた?」
「いや、これからだ」

 そう答えると、若い商人は目を輝かせ、ぽんとクロードの背中を叩いた。

「兄さんには恩義おんぎがある。俺が奢おごるから、一緒に食べようぜ」
「いいのか? せっかくの売り上げが減るぞ」
「ああ。俺の故郷じゃ、商人は恩人をうまいものでもてなせって教わるんだ。そうすりゃ、ますます商売繁盛するってな」

 白い歯を見せて笑う若い商人に、クロードは手を差し出した。

「クロードだ。旅をしている」
「俺はザック。南西地方から来た、売り出し中の商人さ」



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 ザックに勧められた店へ入る。

 扉をくぐったとたん、外とは違う、香辛料の混じった暖かな空気が肌に触れた。
 店内は吹き抜けになっており、二階まで席がある。一階の隅には、南の地方で見られる、見慣れない形の葉をした木や草が飾られていた。

 席は四人がけの丸テーブルでそろえられ、灯りはやや落とされている。その薄暗さが、南方らしい植物や調度をいっそう引き立てている。
 駐屯都市ちゅうとんとしにいながら、別の土地へ迷い込んだような気配を漂わせていた。

 店員に案内され、ふたりは入口から少し奥まった席へ、腰を下ろした。

「なんでも好きなもんを頼んでくれ」

 ザックが差し出したメニューを見て、クロードはわずかに眉を上げた。

「南方の料理は、食べたことがなくてな。名前だけ見ても、よく分からん。お前さんのおすすめでいい」

 そう言ってメニューを返す。

「そっかぁ。クロードって、北方の人っぽいもんな」

 ザックは店員を呼び、いくつかの料理を、手慣れた様子で注文した。

 間もなく給仕が、クロードには果実酒を、ザックには冷えた果汁を運んできた。

 ふたりは、それぞれグラスを持ち上げ、軽く打ち合わせる。澄んだ音が小さく鳴った。

「よき出会いを、神に感謝だな」
「ああ」

 ザックの笑顔に、クロードもわずかに口元をゆるめた。

「俺はさ、南西にある、商人の街の出身なんだ。わが家は代々、行商人をやってんだ」
「南西......。もしかして......」
「知ってるの? 砂漠に飲まれた街」
「うわさで聞いたことがある」
「そう。大きな砂津波があったんだ。ひと晩で街全体が、砂に埋まっちまった」

 ザックは、グラスの中の果汁をゆっくり揺らし、懐かしむように目を細めた。

「......大変だったな」
 クロードの言葉に、ザックはすぐに、いつもの明るい笑顔になった。

「ま、三日前に予報が出てたから、街の人間はみんな、家財道具を持って逃げ出せたんだ。不幸中の幸いだな」
「砂津波の予報?」
「そう。砂漠の地域には、砂の動きを見張る役所があるんだ」
「すごいな」
「海辺の街にだって、波の動きを観察する役所があるだろ? あれと同じだよ」
「なるほど」
 クロードは、果実酒に口をつけた。

 ちょうどその時、給仕がワゴンに料理を乗せて運んできた。

 料理が並べられると、テーブルの上に、香辛料と香草の豊かな香りが広がった。

 焼きたての骨付き肉は、こんがりと焼き色をつけられ、香ばしい匂いを放っている。
 やわらかく煮込まれた野菜は、とろりとしたスープをたっぷりまとい、白い湯気を立てていた。
 揚げた野菜やいもも鮮やかに盛りつけられ、皿の上を明るく彩っている。

「遠慮なく食べてくれ」
「じゃ、ありがたく」

 クロードは、手元の取り皿に、肉や揚げ野菜を取り分けた。
 ザックも、すぐに自分の皿へ料理をよそい、骨付き肉を持ち上げると、大きな口でかぶりつく。

「うん、うまい」
「ああ。初めて食べる味だ」

 クロードは、肉をフォークで押さえ、ナイフで切り分けて、口に運んだ。

「クロードはさ、どうして旅をしてるんだ?」
「俺か。......神道しんどうについて調べている」
「えっ? 学者さん?」
「いや、個人的に調べているだけだ」
「ふうん」

 視線をわずかに外して話すクロードを見て、ザックは「なんのために?」という疑問を、肉と一緒に飲み込んだ。

「神道しんどうっていえば、東の泡沫ほうまつの神が消えたってな」
「ああ、そのようだな」
「あれは、どこにわくか分からないのがやっかいだよな。俺みたいな行商人にとっちゃ、厄災だよ」

 そこへ、香ばしい炒め物と、豆の煮物が追加で運ばれてきて、手際よく空いた皿と差し替えられた。

 クロードは、追加でワインを頼み、スープを口に運んだ。

「ま、消えてくれたおかげで、この街にも行商に来れたんだけど」
「お前さんは、商売がうまいな」
「そりゃな。俺は将来、大商人になるんだ。砂に埋まった故郷を取り戻して、あそこを緑のオアシスにするのが夢なんだ」

 目を輝かせて語るザックを見て、クロードは眩しいものを見るように笑みを深くした。

 それからふたりは、互いの旅の話を交わしながら料理を食べ進めた。



「クロード、今日は楽しかったよ。まだしばらくは、この街の広場で露店を出してるから、見かけたら寄ってくれ」
「ああ」

 店から出ると、夜の街も、そろそろ眠りにつく頃だった。

「あ、そうだ。俺の店に来たら、帽子を脱いでくれ。あんた男前だから、店先にいてくれたら、ますます売り上げが上がりそうだ」
「はは、そうしよう」

 クロードは、ザックに小さく手を挙げて、別れた。



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 それから、クロードが広場を通るたびに、ザックは軽く手を挙げて笑った。

 クロードも、ときおり店へ足を向けては、少し控えめに帽子を脱いでみせた。

「あんた、本当にいいやつだなぁ。おかげで今日もお姉さま方がたくさん買っていってくれたぜ」
「よせ」

 茶化すように言うザックに、クロードはうつむき、フラップキャップを被り直した。

 その時、手前に置かれていた二本のブレスレットが目に入った。

 二本とも、赤とオレンジの太い紐が編み込まれ、途中には、術具に使われる特別な石━━玉ぎょくが三つずつ組み込まれている。

 クロードは引っかかるものを覚え、それをそっと持ち上げた。

「おっ、お目が高い!! それは昨日仕入れた品だぜ」

 クロードは、腰のポーチからルーペを取り出し、玉をのぞき込んだ。
 きらめく砂を閉じ込めた美しい石の奥に、文字らしきものがかすかに見える。

「これは、術具か?」
「えっ? そんな話は聞いてないけど」
「誰から仕入れた?」
「あっちに店を出してる、青い髪の商人仲間からだけど......」

 クロードは振り返り、噴水広場の端にある、小さな露店の店主を見た。

 青い髪をした、まだ少年と呼べるほどの若い店主と、一瞬だけ目が合う。
 しかし、向こうはすぐに視線をそらした。

「これは売れたか?」
「いや、まだ売れてないけど......もしかして、まずいやつ?」
 ザックは笑みを消し、声をひそめて聞いてきた。
「いや、分からん。だが、お前さんは、これが術具だと知らずに仕入れたんだろ?」
「うん」
「説明できない品は売るな。術具なら、なおさらだ」

 クロードの警告に、ザックは素直にうなずいた。

「分かった。でも、なんの術具か気になるから、クロード、調べてくれないか?」
「協力しよう」
「単なるお守りの可能性もあるしな」

 そう言ってザックは、ためしにブレスレットをはめてみた。

「あっ」

 玉ぎょくが一瞬だけ鋭く光り、ブレスレットは、手首に吸いつくように締まった。

「あーあ......」

 ザックは、「しまった」という顔で、ブレスレットがはまった手を振った。
 しかし、ブレスレットは、手首にぴったりと吸いついたまま、びくとも動かない。

「ザック、大丈夫か?」
「うん。特に変わったことはないけど」

 その言葉に、クロードは小さく息を吐いた。
 手の中に残った、もうひとつのブレスレットへ、視線を落とす。

 その時、三つの玉ぎょくが、ぎょろりと目玉に見えた。

「......っ」

 クロードは、反射的にブレスレットを取り落とした。

「どうした? クロード」

 だが、もう一度見れば、そこにあるのは、ただの玉ぎょくに戻ったブレスレットだった。

「......いや。詳しそうな知り合いを当たってみよう」



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 街の南に広がる住宅街の一角に、小さな私設の医院がある。
 古びた白い二階建ての建物で、この街で、昔から診療を続けている医院だ。

 「医院長、いるか?」

 クロードは玄関ドアを開け、並べられたベッドの間を進んだ。
 奥の診察室へ入ると、消毒液の匂いが鼻をついた。

「なんじゃ。クロード」
「おや、クロードくん」

 衝立の向こうに、禿はげた頭と丸く立派な腹をした白衣の医院長と、痩せた身体にぶかぶかの衣をまとった金髪の薬師やくしがいた。
 机の上には酒瓶とグラスが置かれている。昼間から酒を飲んでいたらしい。

 薬師やくしの姿を見て、クロードは警戒するように口を引き結んだ。
 それを見た薬師やくしは、喉を鳴らして笑う。

「まーた、碌ろくでもないことに首を突っ込んどるんじゃろ」

 医院長は鼻を鳴らし、グラスの酒をひと口飲んだ。
 クロードは外套がいとうのポケットから、ザックから預かったブレスレットを取り出した。

「これが、何の術具か分からないか?」

 医院長はそれをちらりと見たが、興味もなさそうにグラスへ口をつけた。

「ワシは術具の専門家じゃないからな。分からんわい」

 クロードは反対のポケットから、小ぶりのウイスキー瓶を取り出し、医院長の鼻先にちらつかせた。
 医院長はひとつ咳払いをして、それを受け取る。

「どれ、貸してみろ」

 医院長はブレスレットを手に取ると、窓から差し込む光にかざし、目を細めた。
 薬師やくしは、医院長の後ろから両肩へ手を置き、覗のぞき込むように玉を見つめる。

「砂金の混じった玉か」
「面白いねぇ、実に面白い」

 薬師やくしは手を伸ばし、玉のひとつを指先でつまんだ。

「どうだ? 医院長」
「クロードくん、これは実に面白い物だよ。ヒヒヒ」

 薬師やくしが甲高い声で笑う。
 医院長もようやくブレスレットから目を離し、クロードを振り返った。

「こいつは呪術の道具じゃな。砂金や砂銀の混じった玉ぎょくは、だいたいそうじゃ」
「そうそう。銀じゃなく金が使われているから、結構値の張る呪術道具だね」
「......呪術」

 クロード脳裏に、ブレスレットがザックの手首に吸いついた光景がよみがえる。

「悪い物か?」
「呪術道具なんぞ、だいたい碌ろくでもないもんじゃろ」
「どれ、僕によく見せて」

 薬師やくしは医院長の手からブレスレットを取り上げ、目を近づけて見た。

「文字が書かれてるねぇ。これは神世言かみよのことばだね。ふむ、これは“魂”、これは“死”。あとひとつは......よく分からないなぁ」

 そう言いながら、薬師やくしは左手の指先で、見た文字をテーブルになぞるように何度も書いた。

「薬師やくし、神世言かみよのことばが読めるのか?」
「わずかにね。そう、よく見る文字のいくつかは読めるよ。ただ、神世言かみよのことばには規則性がない。だから、文字ひとつずつしか理解していないがね」

 そう言いながらも、薬師やくしの左手は、まるで何かに動かされているかのように、素早く同じ文字を何度もテーブルへ書き続けていた。

 クロードは、薬師やくしの左手の奇妙な動きから視線を外し、ブレスレットを見た。

「ねぇ君、魂、死と続けば、あとひとつの玉にどんな文字が刻まれていると思う?」
「魂......死......」
「僕はねぇ、これは蘇生を妨さまたげる呪術道具だと思うんだよ。ヒヒヒ......だって、考えてもみたまえよ。魂、死、と来て、その次が生だなんて、そんな都合のいい話があると思うかい? あると思う? 僕は思わないねぇ、まるで思わない」

「......しかし、そんな呪術道具なんて、聞いたことがない」

 クロードの反論に、薬師やくしはひときわ甲高い声で笑った。

「ヒヒヒ......聞いたことがない、だって? それは君が無知で純粋だからだねぇ。自分が知らない、見たことがない、触れたことがない――だから存在しない。そう考えるんだろう? おお、なんとまあ単純で、なんとまあ愛らしい思考だろうねぇ。浅い、浅いよ。あまりにも浅はかだ」

「言い過ぎじゃ」

 医院長は、クロードが持って来たウイスキーを、自分のグラスに注ぎながら、たしなめた。

 薬師やくしは、その言葉で、今さら気づいたように目を丸くした。
 そして、クロードの目の前にブレスレットをつまんで差し出し、唇の端を吊り上げて笑う。

「おお、これは失敬、失敬。君があまりに愛らしいものでねぇ」
「............」
「覚えておきたまえ。この世には、いや、あの世にも、君が想像もしない悪意が存在する。善は空の上だ。上るのは並大抵ではない。フヒヒ......しかし、悪は崖の下だ。落ちるだけでいい。そして人は、苦労して上ることより、楽に落ちることを選ぶ者が多い」

 クロードにブレスレットを手渡すと、薬師やくしはなにやら納得したように何度かうなずき、診察室を後にした。
 その背中をクロードは睨にらんでいたが、医院長に「まぁ、座れ」と促されて、木の椅子へ腰を下ろした。

「あいつはな、蘇生のたびに性格がややこしくなっとるんじゃ」
「蘇生のたびに......?」
「まぁ、なんだ。あいつは薬の人体実験を自分の体でしとるからな。ここにも、しょっちゅう運ばれとる」

 クロードは複雑な顔になり、薬師やくしの出ていった方へ目を向けた。

「それでの、お前さんが差し入れ付きで持ち込んだっちゅうことは、なにか困ったことが起きたんじゃろ?」
「......ああ。友人が、その呪術道具をはめたまま、取れなくなった」
「ほう。友人、か」
「......なにが言いたい」
「そんな怖い顔して照れるな。とりあえず、ワシのつてで外せんか探してみよう」
「頼む」

 クロードはフラップキャップのつばを引き下げ、目元を隠した。



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 夕刻に医院を出たクロードは、広場の露店を見に行った。
 もう時間も遅く、店の数はだいぶまばらになっている。
 ザックの店でも、ちょうど品物を片付けているところだった。

「よ、クロード」
「あれから、変わりないか?」

 ザックは、ブレスレットが吸いついたままの手首をクロードへ見せた。

「なんともないぜ」
「そうか」
「おっ? もしかしてクロード、心配してくれてるのか?」
「当たり前だ」

 まっすぐな返答に、ザックは照れたように頭を掻いた。

「でもさ、ちょっと風邪でも引いたのか、だるいんだよね。明日は店を休むかも」
「無理はするな」

 クロードは、困った時はここへ連絡しろと書いたメモを渡し、ザックと別れた。



 広場を抜ける石階段の方へ進むと、あの青い髪の少年店主の小さな露店が、まだ店を開いていた。

 夕食時だからか、雑貨屋に足を止める客はいない。少年店主は道行く人々を、ぼんやりと眺めている。

 クロードは階段を上がり、少し離れたところからその露店を観察した。
 アクセサリー、食器、靴、服――さまざまな品が雑多に並んでいる。
 同じ雑貨屋でも、ザックの店とは違う。誰に売りたいのか、客層の読めない品ぞろえだった。

 クロードは、そこに小さな引っかかりを覚えた。

 薬師やくしは、ブレスレットに使われている玉ぎょくは、砂金の混じった高価なものだと言っていた。

 だが、青い髪の少年店主が並べている雑貨に、高値がつきそうな品は見当たらない。
 ザックは、この少年店主から仕入れたと言っていた。ならば、あのブレスレットは、少年店主がどこから手に入れた物なのか。

 クロードが見ていると、ひとりの女が露店の前に立ち止まった。
 青い髪の少年店主に話しかけ、いくつかのアクセサリーを手に取って見ている。

「ブレスレットはないかしら。明日お茶会があるから、おしゃれしていきたいのよね」

 ブレスレットと聞いた少年店主は、ほんのわずかに顔をこわばらせた。
 だが、女はそんなことには気づかず、差し出された品を楽しそうに選んでいる。

「これ、いいわね。これをもらうわ」

 女は気に入ったビーズ細工のブレスレットを買い、足取りも軽く去っていった。

 クロードも、そろそろ晩飯を食べて宿へ戻るかと、広場を後にした。




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 その夜、クロードが風呂から戻ると、部屋のドアの下の隙間に、一枚の紙が差し込まれていた。

「......これは?」

 紙を開くと、そこには店の名と場所だけが書かれていた。

 クロードは廊下を見回したが、もう誰の姿もなかった。
 文字に見覚えはない。だが、医院長の知り合いがよこしたものかもしれない。

「行くか」

 外套がいとうとフラップキャップを身につける。
 用心のため、リュックからナイフを取り出し、革のナイフケースを腰に装着した。



 メモに記されていたのは、宿から北側にある軍の駐屯地ちゅうとんちのそばだった。
 大きな敷地を誇る駐屯地ちゅうとんちの近くには、いくつかの商店と住宅街がある。だが、夜も更けたこの時間には、ほとんど人の姿はなかった。

「ここか」

 家々に囲まれた公園のそばに、小さな店があった。
 色ガラスの向こうから、薄暗いオレンジ色の光が漏れている。
 クロードはそこへ歩み寄り、ドアノッカーを鳴らした。
 しばらくして、年寄りの女の声がした。

「お入り」
「じゃまをする」

 店内には、一人の老婆がいた。背中は曲がり、クロードの腰くらいしか背丈がない。白髪の長い髪は、頭から被った黒いレースのベールより長かった。
 そのベールの奥から、遠慮なく値踏みするような視線がクロードへ向けられる。

「客かい?」
「あんた、これを知らないか?」

 クロードはポケットからブレスレットを取り出して見せた。
 老婆は、左半分の顔が動かないのか、右目だけを大きく見開き、ブレスレットとクロードを交互に見た。

「これ、どうした?」

 低く唸うなるような老婆の声を聞き、クロードは確信した。

「知ってるんだな」
「逆に聞くがねぇ、兄さんは、これが何か分かってて持って来たのかい?」
「いや」
「そうだろうねぇ」
「友人が、これを手首につけたら、外れなくなった。外し方を知りたい」
「ほう」

 老婆は、動かない左の頬をさすりながら、右の唇をつり上げた。

「で、それを教えるアタシのメリットは、何だろうねえ?」
「このブレスレットは高価なものだと聞いた。これと、金でどうだ?」
「ふん。なら、金貨二枚で手を打ってやろう」
「......分かった」

 クロードは、腰のポーチから革のコインケースを取り出し、金貨二枚とブレスレットを老婆の前に差し出した。

「話してくれ」

 老婆は、金貨同士をぶつけて鳴らした。
 その澄んだ音に満足したのか、右の口元をつり上げて笑う。

「これはね、つけた人間の命を削る呪術道具さ。そして、それをつけているってことは――殺される目印だってことさ」
「なにっ」
「昔からある暗殺道具のひとつさね。裏の世界じゃ、それほど珍しいもんでもないよ」

 老婆は右手を差し出し、さらにクロードへ金を要求した。
 クロードは小銭袋から銀貨を一枚、二枚と置いていく。三枚目で、老婆はその銀貨を握りしめた。

「三日前、青い髪の男の子が来たよ。どこでここを知ったかは知らない。いなくなってほしい商売敵がいると言っていた。アイツのせいで自分の店がうまくいかない、アイツのせいだと、何度もね」

「まさか、そんなことで、こんな暗殺道具を?」

 老婆は、面白いものでも思い出したかのように小さく笑った。

「アタシは、金に見合った物を売るのが商売さ。あの子どもは、それだけの金を出したってことだよ」
「そんな......」

 クロードの頬を、汗が伝い落ちた。

「このブレスレットは、つけた者を弱らせる。そして、この街に潜む誰かが仕留める」

 老婆は、再び右手を差し出した。
 クロードはしばらく老婆を睨にらんでいたが、銀貨を五枚、その手のひらに乗せた。
 老婆は素早く銀貨を握り込む。

「こいつは、蘇生阻害の呪術道具でもある。一度吸いついたら、もう外れない」
「......っ」

 クロードの体がこわばった。

「可哀想だけど、アンタのお友達はもうすぐ死ぬ。そして、蘇生は起きない」

 立ち尽くすクロードに、老婆は背を向けた。

「話はここまでだ。帰りな」

 店の奥のカーテンを持ち上げ、老婆は一度だけ振り向く。

「もう、こんな所に来るんじゃないよ。アンタみたいな人間が関わる世界じゃない」

 そう言って、老婆はカーテンの向こうへ消えた。




━━━━━ * * * * * ━━━━━




 クロードは、宿に戻る前に医院へ寄った。

 古びた木の玄関ドアを、強く叩く。
 しばらくして、中から鍵を開ける音がし、ドアが開いた。

「こんな夜中になんじゃ」
「医院長......。あのブレスレット......」

 クロードのいつになく焦った声に、医院長は顎をしゃくって中へ入るように示した。

「さっき、影から話は聞いた」

 医院長の言葉に、クロードは両手を握りしめてうつむく。

「あの婆さん、まだ裏の世界におったんじゃな」
「知り合いか?」
「いや、あの婆さんは昔から、裏の世界の入り口をやっとる」
「......ザックが......」
「まぁ、そう焦るな。まだ手はあるかもしれん」
「......でも」

 医院長は診察室から、水の入ったグラスを持ってきた。
 クロードはそれを受け取り、一気に飲む。
 緊張で喉が渇いていたことに、今さら気づいた。

「お前さんに、影をつける」
「いや、俺よりザックに......」
「もう、つけとるわい」
「............」

 医院長は思案するように目を閉じた。

「厄介なことになったの」
「どうすれば......」

 空になったグラスを見つめながら、クロードが呟く。

 その時、窓の外を黒い人影がよぎった。
 医院長はそれをひと目見るなり、クロードの手からグラスを取り上げた。

「クロード、急げ。広場の近くへザックが向かったらしい」
「なにっ」

 クロードは、外套がいとうをはためかせて駆け出した。




━━━━━ * * * * * ━━━━━



 夜更けの、ひとけのない広場に、ザックと青い髪の少年がいた。
 ザックは、少ない明かりの中でも分かるほど顔色が悪い。肩で息をし、立っているだけでもつらそうだった。

「なぁ、お前さ、なんでこんな物を俺に売ってきたんだ?」
「............」

 ザックが手首のブレスレットを見せると、青髪の少年は、目線を外し、自分の足元を見た。

「これ、術具なんだろ? 知らなかったのか?」

 なおも押し黙る青い髪の少年に、ザックがふらつきながら一歩近づく。

「これをつけてから、おかしいんだ。まるで病気になっちまったみたいに、体が重い。こんな物を人様に売ってたら、大変なことになってた」

「......いい......気味だ」
「なに......?」

 青い髪の少年は、きつくつり上がった目でザックを睨にらんだ。

「いい気味だ!! なんだよ!! お前の店には、いつもいつも客があふれてて。俺の店には全然......。少しは困ればいいんだ!!」
「お前、なにを言って......」

 青い髪の少年は、歪んだ笑みを浮かべた。

「それを客に売って、お前が困ればいいと思ってた。まさか、お前が着けることになるなんて、思ってなかったけど」
「そんな......」

 身体に力が入らず、ザックは片膝をついた。

「情けねぇ......。商売仲間だと思ってた......のに」
「はっ。商売仲間!? そんな甘ちゃんだから、食い物にされるんだよ」
「ザック!!」

 石階段を下り、クロードが駆けてくる。
 青い髪の少年は、その場から逃げようと身を翻ひるがえした。

「クロード......」

 ザックがクロードの声に顔を上げた、その時だった。

 木立の陰で、なにかが動く。
 ひゅっ、と空気を裂く音。

 ザックの体が仰け反った。
 背中に、矢が深々と突き刺さっている。

「くそ!!」

 クロードは腰のナイフを抜き、何者かが潜んでいた木の陰へ走り寄る。
 しかし、そこにはもう人影はなかった。

「クロー......ド」

 弱々しい声で呼びかけ、ザックはその場に倒れた。

「ザック!!」

 クロードは慌ててザックに駆け寄り、抱き起こす。
 ザックは、ひゅう、ひゅう、と浅い呼吸を繰り返していた。

「クロード......いやだ......俺......死にたく......ない......」
「ザック、しっかりしろ!!」
「......故郷......に」

 最後の息と共にこぼれた言葉は、もう形を成さなかった。

「ザック、ザーック!!」

 クロードは、動かなくなった身体を強く抱き寄せた。
 その背後で、乾いた笑いがした。

「は......はは......」

 青い髪の少年だった。
 ザックを抱きしめたまま、クロードは少年を睨みつける。

「気が済んだか」
「......え?」
「これで満足か!! ええ!?」

 クロードのあまりの気迫に、青髪の少年は「ひっ」と悲鳴を上げて走り去った。
 その足音が遠ざかるのを聞きながら、クロードは腕の中のザックの頬を叩く。

 しかし、もうザックは動かなかった。

「ザック、お前、故郷をオアシスにするんだろう? なあ?」

 その時、ザックの手首のブレスレットの玉ぎょくが脈打つように明滅を始めた。
 クロードはその手を取り、ブレスレットごと強く握りしめた。

「......っ!?」

 ザックの手首に吸い付いたままのブレスレットが、光る。

 その明かりに呼応するように、クロードの胸の奥で、どくん、と嫌な鼓動が跳ねた。

 次の瞬間、クロードの服の下に隠れていた神道痕しんどうこんが、内側から青く脈打つように、光を放った。

「――っ!?」

 クロードは息を呑み、反射的にザックの身体を地面へ横たえる。
 胸元から漏れた光は、夜の広場でもはっきりと見て取れるほど強く、布越しに五重の円を浮かび上がらせていた。

 神道痕しんどうこんを形作る神世言かみよのことばの円環えんかんは、それぞれが違う速さで回転している。
 ひとつはゆるやかに、ひとつは激しく、ひとつは逆巻くように。
 まるで、胸の内に閉じ込められていた何かが、ばらばらの意志を持って目覚めたかのようだった。

「う、あ......!!」

 その瞬間、焼けた鉄を押し込まれたような熱が、クロードの身の内を一気に駆け巡った。

 胸の中心が灼ける。
 肺が焼ける。
 骨の髄まで焼き尽くされるような熱に、クロードは歯を食いしばった。

 神道痕しんどうこんの中央から、細い光の筋が流れ出す。
 それはまるで生き物のようにうねりながら、ザックの手を握るクロードの腕へ走り、血管をなぞるように皮膚の下へ広がっていった。

「が、ああ......!!」

 耐えきれぬ苦痛に、クロードは目を見開く。
 その瞳の奥で、赤い光が燃え上がった。
 くすんだ灰色の瞳は真紅に染まり、暗がりの中で異様なほど鮮やかに輝いている。

 光はクロードの手からザックの手首へ流れ込み、食い込んだブレスレットを包み込んだ。
 玉ぎょくの奥に閉じ込められていた文字が、怯えたように明滅する。

 次いで、乾いた破裂音が夜気を裂いた。

 ぱきり、と。

 ひとつ目の玉ぎょくが割れる。
 続けざまに、ふたつ、みっつ。
 砂金の混じった玉ぎょくは、内側から砕けるように亀裂を走らせ、紐も耐えきれずにぶつりとちぎれた。

 切れたブレスレットが、ザックの手首から石畳へ落ちる。

 ザックの指先が、ぴくりと震えた。

 クロードの荒い呼吸だけが響く中、ザックの閉じていた瞼まぶたが、ゆっくりと持ち上がる。

「......クロー、ド......?」

 かすれた声だった。

 焦点の定まらない目が、覆いかぶさるクロードを映す。
 皮膚の下を走る血管をなぞるように、クロードの身体はなおも青白く発光していた。
 胸元の神道痕しんどうこんは眩しく燃え、赤く光る瞳だけが、まるで人ならざるもののように、闇の中に浮かんでいる。

 ザックが見たのは、いつもの無愛想な旅人ではなかった。
 何か得体の知れない、神に近いものへ触れてしまったような、異様なクロードの姿だった。

「......クロード......」

 その呼び声も、クロードにはひどく遠く、濁って聞こえた。

 熱い。
 痛い。
 意識が、胸の光に引きずられていく。

 ぐらりと視界が揺れる。
 ザックの顔も、夜の広場も、石畳も、すべてが遠ざかっていった。

 次の瞬間、クロードの身体から力が抜け、その場に崩れ落ちた。




━━━━━ * * * * * ━━━━━



 目を開けると、そこには見慣れない白い天井があった。
 クロードは、しばらくそれをぼんやりと眺めていた。

「クロード」

 隣から声がした。
 視線を動かすのも億劫なほど、身体がだるい。
 声の主が、もう一度クロードを呼ぶ。

「なあ、クロード。大丈夫かよ」

 その声で、ぼやけていた意識が一気に浮かび上がった。
 クロードは、声のした方へ目を向ける。

「ザック......」
「よかった。おーい!! 飲んだくれの先生ー!! クロードが目ぇ覚ましたよ!!」

 ザックは、クロードの右隣のベッドで身を起こし、奥の診察室へ呼びかけた。

「そんな大声出さんでも聞こえとるわい」

 奥から出てきた医院長は、ザックの頭をぽんと叩き、クロードの方へ歩いてくる。

「医院長......。俺は......?」
「ふむ。ワシのことが分かるなら、頭はまだ大丈夫なようじゃ」

 なにを言われているのか、すぐには呑み込めず、クロードは困惑して眉を寄せた。

「ザック、大丈夫なのか?」
「おう。気がついたらクロードが倒れてて、あのブレスレットも取れてた」
「ブレスレット......!!」

 クロードは勢いよく身を起こしたが、ひどい頭痛と胸の奥の痛みに襲われ、そのままうずくまった。

「ばかもん。無理するな」
「そうだよ。あんた、丸一日目ぇ覚まさなかったんだぜ?」

 ザックの言葉に、クロードは再びベッドへ身を横たえた。

 聞きたいことがある。

 自分の身に何が起きたのか。
 どうやってブレスレットが外れたのか。
 なぜザックは蘇生したのか。
 そして、ザックはなにを見たのか。

 自分の胸の神道痕しんどうこんが起動したのか。

 しかしそれを知ることは、なにか恐ろしいものを知ってしまうような気がして、クロードは口をつぐんだ。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 翌朝、ザックはこの街を発つことになった。



 命を狙われた以上、いつまでもこの街に留まっているのは危ない。医院長の言葉は重かった。

 道中でまた狙われるのではないかとクロードが口にすると、医院長はあっさりと言った。

「ワシの知り合いの商人が、次の町まで同行する。心配するな」




 クロードは医院長とともに、街の門までザックを見送りに来ていた。

 ザックは旅装束に身を包み、大きなしょいこを背負って立っている。
 顔色はだいぶ戻っていたが、まだどこか本調子ではないようだった。
 それでも、いつものように白い歯を見せ、人懐こい笑みを浮かべている。

「せっかく友達になったのに、寂しいな」

 ザックは名残惜しそうに笑った。

「また旅先で会えるさ」

 クロードが静かに返すと、ザックは「そっか」と小さく頷いた。

 門の外では、医院長の知り合いの商人が、ザックと同じように大きなしょいこを担いで待っていた。
 人のよさそうな笑顔でクロードたちに会釈する。最後に医院長と目を合わせると、医院長は無言で軽く顎あごをしゃくった。商人は笑顔のまま、静かにうなずく。

 ただの同行者ではないことは、クロードにも分かった。

 少しの沈黙が落ちる。

 クロードは口を開きかけ、すぐに閉じた。
 それでも、胸の奥に引っかかったままの疑問を、どうしても飲み込めなかった。

「......ザック」

 ザックが顔を上げる。

「お前さん、目が覚めた時......何か見たか?」

 言いづらそうに、クロードはそう尋ねた。

 ザックは、わずかのあいだ目を伏せた。
 だが、すぐに顔を上げ、まっすぐクロードを見る。

「俺は、なにも見てないよ」

 その返事に、クロードはしばらく黙ってザックを見つめていた。

 ザックの顔には、いつもの明るい笑みがあった。けれど、その笑みの奥に、なにかを飲み込んだ気配があることも、クロードには分かった。

「......そうか」

 結局、それ以上は聞かなかった。

 ザックもなにも言わず、しょいこを背負い直した。

「んじゃ、行くよ」

 ザックはそう言って歩き出す。
 同行する商人も、無言のままその隣へつき、門の外へ足を向けた。

 数歩進んだところで、ザックが振り返る。

「クロード、またな!!」
「ああ。ザック、また」

 ザックは大きく手を振り、今度こそ前を向いた。

 朝の光を浴びながら、その背中は少しずつ遠ざかっていく。
 やがてその姿が見えなくなると、隣で見送っていた医院長が、ふんと鼻を鳴らした。

「クロード。お前さんにしては、ずいぶん情が移っとるじゃないか」

 からかうような声だった。

 クロードはしばらく無言のまま、医院長を睨にらみつけていた。
 だが、やがてフラップキャップのつばを引き下げ、目元を隠す。

「......友人、だからな」

 医院長は、それを聞いて小さく笑う。

 クロードは、つばの影に目元を隠したまま、ザックが去っていった方をいつまでも見ていた。

 朝の光はやわらかく、街道の先まで明るく照らしていた。
 空は、どこまでも青く晴れ渡っていた。

 その眩しさに、クロードはわずかに目を細める。

 胸の奥には、まだ鈍い痛みが残っていた。
 それでも、あの背中が無事に遠ざかっていったことだけは、確かな救いだった。

 クロードはそっと息を吐くと、帽子のつばを押さえたまま、静かに踵きびすを返した。


━ 終 ━
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内なる光

 この国には、死んだ者を蘇よみがえらせる神の力の通り道、神道しんどう―― がある。

 神道しんどうが太い土地では、多くの死者が蘇よみがえり、細い土地では、その奇跡はまばらにしか起こらない。

 一度死んだ魂は、神の国へと続く、魂の川に還かえる。
 神はその川から魂を掬すくい上げ、気まぐれに人の身体へ返す。
 そうして蘇よみがえった者は、けして完全な『その人』ではない。

 それでも人は、それを救いと呼ぶ。

 たとえ、魂の形が変わっていても。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 『駐屯都市ちゅうとんとし』――軍の駐屯地ちゅうとんちを抱えるこの街には、多くの市民と軍人たちが暮らし、絶えず人が行き交っている。

 まず目を引くのは、よく整った街並みだった。
 通りには石畳が隙間なく敷きつめられ、多くの人々が絶え間なく行き交っている。

 その流れの先、街の中央近くにある噴水広場は、いつになく賑わっていた。

 東の泡沫ほうまつの神が消えてから、この土地を避けていた人の流れが戻ってきたのだ。

 見慣れたこの土地の人々に混じって、肌や髪の色、身なりの異なる旅人や行商人の姿も、目についた。

 噴水広場には、色とりどりの布を張った露店が並んでいた。香ばしく焼けた菓子の甘い匂いと、香辛料の香りが風に混ざって漂っている。

 大道芸人が、観客の輪の中央で、火のついた棒を回し、集まった人々を驚かせ、楽しませていた。

 その向こうでは、講談師が、大仰な身振り手振りを交えながら昔話を語り、聞き手のあちこちから笑いが起こっていた。。

 木陰に座った吟遊詩人は、リュートをつまびきながら、美しい歌を高らかに歌っていた。その歌声に惹かれた観客たちが、次々にリュートのケースへ金を落としていた。

「兄さん、甘い瓜、ひと切れどうだい?」

 果物屋に呼び止められ、クロードは足を止めた。
「じゃあ、ひとつ」

 店主は、手のひらほどもある黄色く熟れた瓜を手際よく切り分けると、ひと切れの皮を落とし、串を刺してクロードに渡してきた。

 瓜はやわらかく、口の中でとろけた。噛むたびに、爽やかな甘みとみずみずしい香りが広がっていく。

「うまいな」

 クロードがそう言うと、店主は嬉しそうに笑った。

「そうだろう、そうだろう。南の地方の特産だからな」

 そのやり取りを見ていた道行く人々も、つられるように次々と瓜を買っていった。

 クロードは、食べ終えた串を店主に返し、再び歩き出した。

「そこの帽子の兄さーん」

 少し離れたところから声がした。
 クロードは足を止め、辺りを見回した。だが、帽子をかぶっているのは、自分しかいない。
 声のした方へ目を向けると、露店を出している若い店主が、こちらへ大きく手を振っていた。

「俺か?」
「そうそう。兄さんだよ」

 鮮やかな敷物を大きく広げた露店だった。
 この土地では、あまり見かけない布や、アクセサリー、雑貨がところ狭しと並んでいる。

 若い店主は、十七歳ほどだろうか。クロードより頭ひとつ以上は低い、小柄で細身の少年だった。

 肩より長い金髪にターバンを巻き、日に焼けた肌に白い歯をのぞかせて人懐こい笑みを浮かべている。身につけた服は鮮やかな色合いで、この土地の者より、ずっと華やかだ。敷物の上に並ぶ、布や飾りともよくなじみ、南の地方から来た商人だと、ひと目で知れた。

「なにか用か」
「用事も用事。兄さん、旅人だろ?」
「ああ」
「それなら、いいモンがある」

 若い商人は、一枚のハンカチを取り上げると、クロードの前でぱっと広げてみせた。

「ジャジャーン。これはちょっとした怪我なら、たちまち治しちまう、魔法のハンカチさ」

 クロードは、ただの客引きだったのかと苦笑し、見せられたハンカチを手に取った。
 ふちを彩る刺繍ししゅうを、目でゆっくり追う。

「このハンカチ、術具だな」
「おっ、帽子の兄さん詳しいね。そいつは、俺の故郷に伝わる、癒しの術式なんだ。俺の家族の手作りなんだぜ。どうだい、ひとつ」

 若い商人が、手をもみながら、ずいっと顔を寄せてくる。
 こういう人懐こさは、嫌いじゃない。

 クロードは少し考えてから、わざと周囲にも聞こえるように声を張った。

「すごいな。ケガが治せるのか。ひとつ持っていれば、安心だな」

 ややわざとらしかったが、その声に、周囲の人々が反応した。
 近くにいた人たちが、興味を引かれたように次々と店へ寄ってくる。

「へぇ、ケガが治るなんて、いいじゃないか。アタシにも、ひとつおくれ」
「可愛い刺繍ししゅうね。私もいちまい買っちゃおうかな」
「かみさんが喜びそうだ。俺にもいちまいくれ」

「まいどっ!!」

 若い商人は、次々に品を渡しながら、愛想よく声を張った。
 ひと息ついたところで、いたずらっぽくクロードへウインクする。

「帽子の兄さん、サービスでお安くしとくぜ?」

 クロードは少し笑って、小銭袋を取り出した。

「じゃあ、ひとつ」



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 クロードは噴水広場を後にし、街の西側にある図書館へ向かった。

 遺跡で見た、神世言かみよのことばと、あの花のような術式について、記された文献がないか調べるためだ。

 自分の胸に刻まれた神道痕しんどうこんは、今まで文献で見たどの文字とも、並びも形も違っていた。

 これは一体、何なのか。

 クロードは、図書館の棚から本を取り出した。
 静かな館内で、ページをめくりながら、記された文章を、ひとつずつ目で追っていった。



「そろそろ閉館です」

 司書に声をかけられ、クロードは窓の外を見た。いつの間にか空は夕暮れに染まっていた。

「すまん。ありがとう」

 クロードは、読んでいた本を棚へ戻し、出入り口のカウンターで銅貨を払い、図書館を後にした。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 どこかで夕食を食べてから宿へ戻ろう、と思い階段を下りている時だった。
 階下から、聞き覚えのある声が飛んでくる。

「よう、帽子の兄さん」

 目を向けると、あの若い商人が、人懐こい笑顔でこちらへ歩み寄ってきた。

「昼間はありがとな。兄さんのおかげで、あれからも売れ行きがよくてさ」
「良かったな」
「晩飯はもう食べた?」
「いや、これからだ」

 そう答えると、若い商人は目を輝かせ、ぽんとクロードの背中を叩いた。

「兄さんには恩義おんぎがある。俺が奢おごるから、一緒に食べようぜ」
「いいのか? せっかくの売り上げが減るぞ」
「ああ。俺の故郷じゃ、商人は恩人をうまいものでもてなせって教わるんだ。そうすりゃ、ますます商売繁盛するってな」

 白い歯を見せて笑う若い商人に、クロードは手を差し出した。

「クロードだ。旅をしている」
「俺はザック。南西地方から来た、売り出し中の商人さ」



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 ザックに勧められた店へ入る。

 扉をくぐったとたん、外とは違う、香辛料の混じった暖かな空気が肌に触れた。
 店内は吹き抜けになっており、二階まで席がある。一階の隅には、南の地方で見られる、見慣れない形の葉をした木や草が飾られていた。

 席は四人がけの丸テーブルでそろえられ、灯りはやや落とされている。その薄暗さが、南方らしい植物や調度をいっそう引き立てている。
 駐屯都市ちゅうとんとしにいながら、別の土地へ迷い込んだような気配を漂わせていた。

 店員に案内され、ふたりは入口から少し奥まった席へ、腰を下ろした。

「なんでも好きなもんを頼んでくれ」

 ザックが差し出したメニューを見て、クロードはわずかに眉を上げた。

「南方の料理は、食べたことがなくてな。名前だけ見ても、よく分からん。お前さんのおすすめでいい」

 そう言ってメニューを返す。

「そっかぁ。クロードって、北方の人っぽいもんな」

 ザックは店員を呼び、いくつかの料理を、手慣れた様子で注文した。

 間もなく給仕が、クロードには果実酒を、ザックには冷えた果汁を運んできた。

 ふたりは、それぞれグラスを持ち上げ、軽く打ち合わせる。澄んだ音が小さく鳴った。

「よき出会いを、神に感謝だな」
「ああ」

 ザックの笑顔に、クロードもわずかに口元をゆるめた。

「俺はさ、南西にある、商人の街の出身なんだ。わが家は代々、行商人をやってんだ」
「南西......。もしかして......」
「知ってるの? 砂漠に飲まれた街」
「うわさで聞いたことがある」
「そう。大きな砂津波があったんだ。ひと晩で街全体が、砂に埋まっちまった」

 ザックは、グラスの中の果汁をゆっくり揺らし、懐かしむように目を細めた。

「......大変だったな」
 クロードの言葉に、ザックはすぐに、いつもの明るい笑顔になった。

「ま、三日前に予報が出てたから、街の人間はみんな、家財道具を持って逃げ出せたんだ。不幸中の幸いだな」
「砂津波の予報?」
「そう。砂漠の地域には、砂の動きを見張る役所があるんだ」
「すごいな」
「海辺の街にだって、波の動きを観察する役所があるだろ? あれと同じだよ」
「なるほど」
 クロードは、果実酒に口をつけた。

 ちょうどその時、給仕がワゴンに料理を乗せて運んできた。

 料理が並べられると、テーブルの上に、香辛料と香草の豊かな香りが広がった。

 焼きたての骨付き肉は、こんがりと焼き色をつけられ、香ばしい匂いを放っている。
 やわらかく煮込まれた野菜は、とろりとしたスープをたっぷりまとい、白い湯気を立てていた。
 揚げた野菜やいもも鮮やかに盛りつけられ、皿の上を明るく彩っている。

「遠慮なく食べてくれ」
「じゃ、ありがたく」

 クロードは、手元の取り皿に、肉や揚げ野菜を取り分けた。
 ザックも、すぐに自分の皿へ料理をよそい、骨付き肉を持ち上げると、大きな口でかぶりつく。

「うん、うまい」
「ああ。初めて食べる味だ」

 クロードは、肉をフォークで押さえ、ナイフで切り分けて、口に運んだ。

「クロードはさ、どうして旅をしてるんだ?」
「俺か。......神道しんどうについて調べている」
「えっ? 学者さん?」
「いや、個人的に調べているだけだ」
「ふうん」

 視線をわずかに外して話すクロードを見て、ザックは「なんのために?」という疑問を、肉と一緒に飲み込んだ。

「神道しんどうっていえば、東の泡沫ほうまつの神が消えたってな」
「ああ、そのようだな」
「あれは、どこにわくか分からないのがやっかいだよな。俺みたいな行商人にとっちゃ、厄災だよ」

 そこへ、香ばしい炒め物と、豆の煮物が追加で運ばれてきて、手際よく空いた皿と差し替えられた。

 クロードは、追加でワインを頼み、スープを口に運んだ。

「ま、消えてくれたおかげで、この街にも行商に来れたんだけど」
「お前さんは、商売がうまいな」
「そりゃな。俺は将来、大商人になるんだ。砂に埋まった故郷を取り戻して、あそこを緑のオアシスにするのが夢なんだ」

 目を輝かせて語るザックを見て、クロードは眩しいものを見るように笑みを深くした。

 それからふたりは、互いの旅の話を交わしながら料理を食べ進めた。



「クロード、今日は楽しかったよ。まだしばらくは、この街の広場で露店を出してるから、見かけたら寄ってくれ」
「ああ」

 店から出ると、夜の街も、そろそろ眠りにつく頃だった。

「あ、そうだ。俺の店に来たら、帽子を脱いでくれ。あんた男前だから、店先にいてくれたら、ますます売り上げが上がりそうだ」
「はは、そうしよう」

 クロードは、ザックに小さく手を挙げて、別れた。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 それから、クロードが広場を通るたびに、ザックは軽く手を挙げて笑った。

 クロードも、ときおり店へ足を向けては、少し控えめに帽子を脱いでみせた。

「あんた、本当にいいやつだなぁ。おかげで今日もお姉さま方がたくさん買っていってくれたぜ」
「よせ」

 茶化すように言うザックに、クロードはうつむき、フラップキャップを被り直した。

 その時、手前に置かれていた二本のブレスレットが目に入った。

 二本とも、赤とオレンジの太い紐が編み込まれ、途中には、術具に使われる特別な石━━玉ぎょくが三つずつ組み込まれている。

 クロードは引っかかるものを覚え、それをそっと持ち上げた。

「おっ、お目が高い!! それは昨日仕入れた品だぜ」

 クロードは、腰のポーチからルーペを取り出し、玉をのぞき込んだ。
 きらめく砂を閉じ込めた美しい石の奥に、文字らしきものがかすかに見える。

「これは、術具か?」
「えっ? そんな話は聞いてないけど」
「誰から仕入れた?」
「あっちに店を出してる、青い髪の商人仲間からだけど......」

 クロードは振り返り、噴水広場の端にある、小さな露店の店主を見た。

 青い髪をした、まだ少年と呼べるほどの若い店主と、一瞬だけ目が合う。
 しかし、向こうはすぐに視線をそらした。

「これは売れたか?」
「いや、まだ売れてないけど......もしかして、まずいやつ?」
 ザックは笑みを消し、声をひそめて聞いてきた。
「いや、分からん。だが、お前さんは、これが術具だと知らずに仕入れたんだろ?」
「うん」
「説明できない品は売るな。術具なら、なおさらだ」

 クロードの警告に、ザックは素直にうなずいた。

「分かった。でも、なんの術具か気になるから、クロード、調べてくれないか?」
「協力しよう」
「単なるお守りの可能性もあるしな」

 そう言ってザックは、ためしにブレスレットをはめてみた。

「あっ」

 玉ぎょくが一瞬だけ鋭く光り、ブレスレットは、手首に吸いつくように締まった。

「あーあ......」

 ザックは、「しまった」という顔で、ブレスレットがはまった手を振った。
 しかし、ブレスレットは、手首にぴったりと吸いついたまま、びくとも動かない。

「ザック、大丈夫か?」
「うん。特に変わったことはないけど」

 その言葉に、クロードは小さく息を吐いた。
 手の中に残った、もうひとつのブレスレットへ、視線を落とす。

 その時、三つの玉ぎょくが、ぎょろりと目玉に見えた。

「......っ」

 クロードは、反射的にブレスレットを取り落とした。

「どうした? クロード」

 だが、もう一度見れば、そこにあるのは、ただの玉ぎょくに戻ったブレスレットだった。

「......いや。詳しそうな知り合いを当たってみよう」



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 街の南に広がる住宅街の一角に、小さな私設の医院がある。
 古びた白い二階建ての建物で、この街で、昔から診療を続けている医院だ。

 「医院長、いるか?」

 クロードは玄関ドアを開け、並べられたベッドの間を進んだ。
 奥の診察室へ入ると、消毒液の匂いが鼻をついた。

「なんじゃ。クロード」
「おや、クロードくん」

 衝立の向こうに、禿はげた頭と丸く立派な腹をした白衣の医院長と、痩せた身体にぶかぶかの衣をまとった金髪の薬師やくしがいた。
 机の上には酒瓶とグラスが置かれている。昼間から酒を飲んでいたらしい。

 薬師やくしの姿を見て、クロードは警戒するように口を引き結んだ。
 それを見た薬師やくしは、喉を鳴らして笑う。

「まーた、碌ろくでもないことに首を突っ込んどるんじゃろ」

 医院長は鼻を鳴らし、グラスの酒をひと口飲んだ。
 クロードは外套がいとうのポケットから、ザックから預かったブレスレットを取り出した。

「これが、何の術具か分からないか?」

 医院長はそれをちらりと見たが、興味もなさそうにグラスへ口をつけた。

「ワシは術具の専門家じゃないからな。分からんわい」

 クロードは反対のポケットから、小ぶりのウイスキー瓶を取り出し、医院長の鼻先にちらつかせた。
 医院長はひとつ咳払いをして、それを受け取る。

「どれ、貸してみろ」

 医院長はブレスレットを手に取ると、窓から差し込む光にかざし、目を細めた。
 薬師やくしは、医院長の後ろから両肩へ手を置き、覗のぞき込むように玉を見つめる。

「砂金の混じった玉か」
「面白いねぇ、実に面白い」

 薬師やくしは手を伸ばし、玉のひとつを指先でつまんだ。

「どうだ? 医院長」
「クロードくん、これは実に面白い物だよ。ヒヒヒ」

 薬師やくしが甲高い声で笑う。
 医院長もようやくブレスレットから目を離し、クロードを振り返った。

「こいつは呪術の道具じゃな。砂金や砂銀の混じった玉ぎょくは、だいたいそうじゃ」
「そうそう。銀じゃなく金が使われているから、結構値の張る呪術道具だね」
「......呪術」

 クロード脳裏に、ブレスレットがザックの手首に吸いついた光景がよみがえる。

「悪い物か?」
「呪術道具なんぞ、だいたい碌ろくでもないもんじゃろ」
「どれ、僕によく見せて」

 薬師やくしは医院長の手からブレスレットを取り上げ、目を近づけて見た。

「文字が書かれてるねぇ。これは神世言かみよのことばだね。ふむ、これは“魂”、これは“死”。あとひとつは......よく分からないなぁ」

 そう言いながら、薬師やくしは左手の指先で、見た文字をテーブルになぞるように何度も書いた。

「薬師やくし、神世言かみよのことばが読めるのか?」
「わずかにね。そう、よく見る文字のいくつかは読めるよ。ただ、神世言かみよのことばには規則性がない。だから、文字ひとつずつしか理解していないがね」

 そう言いながらも、薬師やくしの左手は、まるで何かに動かされているかのように、素早く同じ文字を何度もテーブルへ書き続けていた。

 クロードは、薬師やくしの左手の奇妙な動きから視線を外し、ブレスレットを見た。

「ねぇ君、魂、死と続けば、あとひとつの玉にどんな文字が刻まれていると思う?」
「魂......死......」
「僕はねぇ、これは蘇生を妨さまたげる呪術道具だと思うんだよ。ヒヒヒ......だって、考えてもみたまえよ。魂、死、と来て、その次が生だなんて、そんな都合のいい話があると思うかい? あると思う? 僕は思わないねぇ、まるで思わない」

「......しかし、そんな呪術道具なんて、聞いたことがない」

 クロードの反論に、薬師やくしはひときわ甲高い声で笑った。

「ヒヒヒ......聞いたことがない、だって? それは君が無知で純粋だからだねぇ。自分が知らない、見たことがない、触れたことがない――だから存在しない。そう考えるんだろう? おお、なんとまあ単純で、なんとまあ愛らしい思考だろうねぇ。浅い、浅いよ。あまりにも浅はかだ」

「言い過ぎじゃ」

 医院長は、クロードが持って来たウイスキーを、自分のグラスに注ぎながら、たしなめた。

 薬師やくしは、その言葉で、今さら気づいたように目を丸くした。
 そして、クロードの目の前にブレスレットをつまんで差し出し、唇の端を吊り上げて笑う。

「おお、これは失敬、失敬。君があまりに愛らしいものでねぇ」
「............」
「覚えておきたまえ。この世には、いや、あの世にも、君が想像もしない悪意が存在する。善は空の上だ。上るのは並大抵ではない。フヒヒ......しかし、悪は崖の下だ。落ちるだけでいい。そして人は、苦労して上ることより、楽に落ちることを選ぶ者が多い」

 クロードにブレスレットを手渡すと、薬師やくしはなにやら納得したように何度かうなずき、診察室を後にした。
 その背中をクロードは睨にらんでいたが、医院長に「まぁ、座れ」と促されて、木の椅子へ腰を下ろした。

「あいつはな、蘇生のたびに性格がややこしくなっとるんじゃ」
「蘇生のたびに......?」
「まぁ、なんだ。あいつは薬の人体実験を自分の体でしとるからな。ここにも、しょっちゅう運ばれとる」

 クロードは複雑な顔になり、薬師やくしの出ていった方へ目を向けた。

「それでの、お前さんが差し入れ付きで持ち込んだっちゅうことは、なにか困ったことが起きたんじゃろ?」
「......ああ。友人が、その呪術道具をはめたまま、取れなくなった」
「ほう。友人、か」
「......なにが言いたい」
「そんな怖い顔して照れるな。とりあえず、ワシのつてで外せんか探してみよう」
「頼む」

 クロードはフラップキャップのつばを引き下げ、目元を隠した。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 夕刻に医院を出たクロードは、広場の露店を見に行った。
 もう時間も遅く、店の数はだいぶまばらになっている。
 ザックの店でも、ちょうど品物を片付けているところだった。

「よ、クロード」
「あれから、変わりないか?」

 ザックは、ブレスレットが吸いついたままの手首をクロードへ見せた。

「なんともないぜ」
「そうか」
「おっ? もしかしてクロード、心配してくれてるのか?」
「当たり前だ」

 まっすぐな返答に、ザックは照れたように頭を掻いた。

「でもさ、ちょっと風邪でも引いたのか、だるいんだよね。明日は店を休むかも」
「無理はするな」

 クロードは、困った時はここへ連絡しろと書いたメモを渡し、ザックと別れた。



 広場を抜ける石階段の方へ進むと、あの青い髪の少年店主の小さな露店が、まだ店を開いていた。

 夕食時だからか、雑貨屋に足を止める客はいない。少年店主は道行く人々を、ぼんやりと眺めている。

 クロードは階段を上がり、少し離れたところからその露店を観察した。
 アクセサリー、食器、靴、服――さまざまな品が雑多に並んでいる。
 同じ雑貨屋でも、ザックの店とは違う。誰に売りたいのか、客層の読めない品ぞろえだった。

 クロードは、そこに小さな引っかかりを覚えた。

 薬師やくしは、ブレスレットに使われている玉ぎょくは、砂金の混じった高価なものだと言っていた。

 だが、青い髪の少年店主が並べている雑貨に、高値がつきそうな品は見当たらない。
 ザックは、この少年店主から仕入れたと言っていた。ならば、あのブレスレットは、少年店主がどこから手に入れた物なのか。

 クロードが見ていると、ひとりの女が露店の前に立ち止まった。
 青い髪の少年店主に話しかけ、いくつかのアクセサリーを手に取って見ている。

「ブレスレットはないかしら。明日お茶会があるから、おしゃれしていきたいのよね」

 ブレスレットと聞いた少年店主は、ほんのわずかに顔をこわばらせた。
 だが、女はそんなことには気づかず、差し出された品を楽しそうに選んでいる。

「これ、いいわね。これをもらうわ」

 女は気に入ったビーズ細工のブレスレットを買い、足取りも軽く去っていった。

 クロードも、そろそろ晩飯を食べて宿へ戻るかと、広場を後にした。




━━━━━ * * * * * ━━━━━



 その夜、クロードが風呂から戻ると、部屋のドアの下の隙間に、一枚の紙が差し込まれていた。

「......これは?」

 紙を開くと、そこには店の名と場所だけが書かれていた。

 クロードは廊下を見回したが、もう誰の姿もなかった。
 文字に見覚えはない。だが、医院長の知り合いがよこしたものかもしれない。

「行くか」

 外套がいとうとフラップキャップを身につける。
 用心のため、リュックからナイフを取り出し、革のナイフケースを腰に装着した。



 メモに記されていたのは、宿から北側にある軍の駐屯地ちゅうとんちのそばだった。
 大きな敷地を誇る駐屯地ちゅうとんちの近くには、いくつかの商店と住宅街がある。だが、夜も更けたこの時間には、ほとんど人の姿はなかった。

「ここか」

 家々に囲まれた公園のそばに、小さな店があった。
 色ガラスの向こうから、薄暗いオレンジ色の光が漏れている。
 クロードはそこへ歩み寄り、ドアノッカーを鳴らした。
 しばらくして、年寄りの女の声がした。

「お入り」
「じゃまをする」

 店内には、一人の老婆がいた。背中は曲がり、クロードの腰くらいしか背丈がない。白髪の長い髪は、頭から被った黒いレースのベールより長かった。
 そのベールの奥から、遠慮なく値踏みするような視線がクロードへ向けられる。

「客かい?」
「あんた、これを知らないか?」

 クロードはポケットからブレスレットを取り出して見せた。
 老婆は、左半分の顔が動かないのか、右目だけを大きく見開き、ブレスレットとクロードを交互に見た。

「これ、どうした?」

 低く唸うなるような老婆の声を聞き、クロードは確信した。

「知ってるんだな」
「逆に聞くがねぇ、兄さんは、これが何か分かってて持って来たのかい?」
「いや」
「そうだろうねぇ」
「友人が、これを手首につけたら、外れなくなった。外し方を知りたい」
「ほう」

 老婆は、動かない左の頬をさすりながら、右の唇をつり上げた。

「で、それを教えるアタシのメリットは、何だろうねえ?」
「このブレスレットは高価なものだと聞いた。これと、金でどうだ?」
「ふん。なら、金貨二枚で手を打ってやろう」
「......分かった」

 クロードは、腰のポーチから革のコインケースを取り出し、金貨二枚とブレスレットを老婆の前に差し出した。

「話してくれ」

 老婆は、金貨同士をぶつけて鳴らした。
 その澄んだ音に満足したのか、右の口元をつり上げて笑う。

「これはね、つけた人間の命を削る呪術道具さ。そして、それをつけているってことは――殺される目印だってことさ」
「なにっ」
「昔からある暗殺道具のひとつさね。裏の世界じゃ、それほど珍しいもんでもないよ」

 老婆は右手を差し出し、さらにクロードへ金を要求した。
 クロードは小銭袋から銀貨を一枚、二枚と置いていく。三枚目で、老婆はその銀貨を握りしめた。

「三日前、青い髪の男の子が来たよ。どこでここを知ったかは知らない。いなくなってほしい商売敵がいると言っていた。アイツのせいで自分の店がうまくいかない、アイツのせいだと、何度もね」

「まさか、そんなことで、こんな暗殺道具を?」

 老婆は、面白いものでも思い出したかのように小さく笑った。

「アタシは、金に見合った物を売るのが商売さ。あの子どもは、それだけの金を出したってことだよ」
「そんな......」

 クロードの頬を、汗が伝い落ちた。

「このブレスレットは、つけた者を弱らせる。そして、この街に潜む誰かが仕留める」

 老婆は、再び右手を差し出した。
 クロードはしばらく老婆を睨にらんでいたが、銀貨を五枚、その手のひらに乗せた。
 老婆は素早く銀貨を握り込む。

「こいつは、蘇生阻害の呪術道具でもある。一度吸いついたら、もう外れない」
「......っ」

 クロードの体がこわばった。

「可哀想だけど、アンタのお友達はもうすぐ死ぬ。そして、蘇生は起きない」

 立ち尽くすクロードに、老婆は背を向けた。

「話はここまでだ。帰りな」

 店の奥のカーテンを持ち上げ、老婆は一度だけ振り向く。

「もう、こんな所に来るんじゃないよ。アンタみたいな人間が関わる世界じゃない」

 そう言って、老婆はカーテンの向こうへ消えた。




━━━━━ * * * * * ━━━━━




 クロードは、宿に戻る前に医院へ寄った。

 古びた木の玄関ドアを、強く叩く。
 しばらくして、中から鍵を開ける音がし、ドアが開いた。

「こんな夜中になんじゃ」
「医院長......。あのブレスレット......」

 クロードのいつになく焦った声に、医院長は顎をしゃくって中へ入るように示した。

「さっき、影から話は聞いた」

 医院長の言葉に、クロードは両手を握りしめてうつむく。

「あの婆さん、まだ裏の世界におったんじゃな」
「知り合いか?」
「いや、あの婆さんは昔から、裏の世界の入り口をやっとる」
「......ザックが......」
「まぁ、そう焦るな。まだ手はあるかもしれん」
「......でも」

 医院長は診察室から、水の入ったグラスを持ってきた。
 クロードはそれを受け取り、一気に飲む。
 緊張で喉が渇いていたことに、今さら気づいた。

「お前さんに、影をつける」
「いや、俺よりザックに......」
「もう、つけとるわい」
「............」

 医院長は思案するように目を閉じた。

「厄介なことになったの」
「どうすれば......」

 空になったグラスを見つめながら、クロードが呟く。

 その時、窓の外を黒い人影がよぎった。
 医院長はそれをひと目見るなり、クロードの手からグラスを取り上げた。

「クロード、急げ。広場の近くへザックが向かったらしい」
「なにっ」

 クロードは、外套がいとうをはためかせて駆け出した。




━━━━━ * * * * * ━━━━━



 夜更けの、ひとけのない広場に、ザックと青い髪の少年がいた。
 ザックは、少ない明かりの中でも分かるほど顔色が悪い。肩で息をし、立っているだけでもつらそうだった。

「なぁ、お前さ、なんでこんな物を俺に売ってきたんだ?」
「............」

 ザックが手首のブレスレットを見せると、青髪の少年は、目線を外し、自分の足元を見た。

「これ、術具なんだろ? 知らなかったのか?」

 なおも押し黙る青い髪の少年に、ザックがふらつきながら一歩近づく。

「これをつけてから、おかしいんだ。まるで病気になっちまったみたいに、体が重い。こんな物を人様に売ってたら、大変なことになってた」

「......いい......気味だ」
「なに......?」

 青い髪の少年は、きつくつり上がった目でザックを睨にらんだ。

「いい気味だ!! なんだよ!! お前の店には、いつもいつも客があふれてて。俺の店には全然......。少しは困ればいいんだ!!」
「お前、なにを言って......」

 青い髪の少年は、歪んだ笑みを浮かべた。

「それを客に売って、お前が困ればいいと思ってた。まさか、お前が着けることになるなんて、思ってなかったけど」
「そんな......」

 身体に力が入らず、ザックは片膝をついた。

「情けねぇ......。商売仲間だと思ってた......のに」
「はっ。商売仲間!? そんな甘ちゃんだから、食い物にされるんだよ」
「ザック!!」

 石階段を下り、クロードが駆けてくる。
 青い髪の少年は、その場から逃げようと身を翻ひるがえした。

「クロード......」

 ザックがクロードの声に顔を上げた、その時だった。

 木立の陰で、なにかが動く。
 ひゅっ、と空気を裂く音。

 ザックの体が仰け反った。
 背中に、矢が深々と突き刺さっている。

「くそ!!」

 クロードは腰のナイフを抜き、何者かが潜んでいた木の陰へ走り寄る。
 しかし、そこにはもう人影はなかった。

「クロー......ド」

 弱々しい声で呼びかけ、ザックはその場に倒れた。

「ザック!!」

 クロードは慌ててザックに駆け寄り、抱き起こす。
 ザックは、ひゅう、ひゅう、と浅い呼吸を繰り返していた。

「クロード......いやだ......俺......死にたく......ない......」
「ザック、しっかりしろ!!」
「......故郷......に」

 最後の息と共にこぼれた言葉は、もう形を成さなかった。

「ザック、ザーック!!」

 クロードは、動かなくなった身体を強く抱き寄せた。
 その背後で、乾いた笑いがした。

「は......はは......」

 青い髪の少年だった。
 ザックを抱きしめたまま、クロードは少年を睨みつける。

「気が済んだか」
「......え?」
「これで満足か!! ええ!?」

 クロードのあまりの気迫に、青髪の少年は「ひっ」と悲鳴を上げて走り去った。
 その足音が遠ざかるのを聞きながら、クロードは腕の中のザックの頬を叩く。

 しかし、もうザックは動かなかった。

「ザック、お前、故郷をオアシスにするんだろう? なあ?」

 その時、ザックの手首のブレスレットの玉ぎょくが脈打つように明滅を始めた。
 クロードはその手を取り、ブレスレットごと強く握りしめた。

「......っ!?」

 ザックの手首に吸い付いたままのブレスレットが、光る。

 その明かりに呼応するように、クロードの胸の奥で、どくん、と嫌な鼓動が跳ねた。

 次の瞬間、クロードの服の下に隠れていた神道痕しんどうこんが、内側から青く脈打つように、光を放った。

「――っ!?」

 クロードは息を呑み、反射的にザックの身体を地面へ横たえる。
 胸元から漏れた光は、夜の広場でもはっきりと見て取れるほど強く、布越しに五重の円を浮かび上がらせていた。

 神道痕しんどうこんを形作る神世言かみよのことばの円環えんかんは、それぞれが違う速さで回転している。
 ひとつはゆるやかに、ひとつは激しく、ひとつは逆巻くように。
 まるで、胸の内に閉じ込められていた何かが、ばらばらの意志を持って目覚めたかのようだった。

「う、あ......!!」

 その瞬間、焼けた鉄を押し込まれたような熱が、クロードの身の内を一気に駆け巡った。

 胸の中心が灼ける。
 肺が焼ける。
 骨の髄まで焼き尽くされるような熱に、クロードは歯を食いしばった。

 神道痕しんどうこんの中央から、細い光の筋が流れ出す。
 それはまるで生き物のようにうねりながら、ザックの手を握るクロードの腕へ走り、血管をなぞるように皮膚の下へ広がっていった。

「が、ああ......!!」

 耐えきれぬ苦痛に、クロードは目を見開く。
 その瞳の奥で、赤い光が燃え上がった。
 くすんだ灰色の瞳は真紅に染まり、暗がりの中で異様なほど鮮やかに輝いている。

 光はクロードの手からザックの手首へ流れ込み、食い込んだブレスレットを包み込んだ。
 玉ぎょくの奥に閉じ込められていた文字が、怯えたように明滅する。

 次いで、乾いた破裂音が夜気を裂いた。

 ぱきり、と。

 ひとつ目の玉ぎょくが割れる。
 続けざまに、ふたつ、みっつ。
 砂金の混じった玉ぎょくは、内側から砕けるように亀裂を走らせ、紐も耐えきれずにぶつりとちぎれた。

 切れたブレスレットが、ザックの手首から石畳へ落ちる。

 ザックの指先が、ぴくりと震えた。

 クロードの荒い呼吸だけが響く中、ザックの閉じていた瞼まぶたが、ゆっくりと持ち上がる。

「......クロー、ド......?」

 かすれた声だった。

 焦点の定まらない目が、覆いかぶさるクロードを映す。
 皮膚の下を走る血管をなぞるように、クロードの身体はなおも青白く発光していた。
 胸元の神道痕しんどうこんは眩しく燃え、赤く光る瞳だけが、まるで人ならざるもののように、闇の中に浮かんでいる。

 ザックが見たのは、いつもの無愛想な旅人ではなかった。
 何か得体の知れない、神に近いものへ触れてしまったような、異様なクロードの姿だった。

「......クロード......」

 その呼び声も、クロードにはひどく遠く、濁って聞こえた。

 熱い。
 痛い。
 意識が、胸の光に引きずられていく。

 ぐらりと視界が揺れる。
 ザックの顔も、夜の広場も、石畳も、すべてが遠ざかっていった。

 次の瞬間、クロードの身体から力が抜け、その場に崩れ落ちた。




━━━━━ * * * * * ━━━━━



 目を開けると、そこには見慣れない白い天井があった。
 クロードは、しばらくそれをぼんやりと眺めていた。

「クロード」

 隣から声がした。
 視線を動かすのも億劫なほど、身体がだるい。
 声の主が、もう一度クロードを呼ぶ。

「なあ、クロード。大丈夫かよ」

 その声で、ぼやけていた意識が一気に浮かび上がった。
 クロードは、声のした方へ目を向ける。

「ザック......」
「よかった。おーい!! 飲んだくれの先生ー!! クロードが目ぇ覚ましたよ!!」

 ザックは、クロードの右隣のベッドで身を起こし、奥の診察室へ呼びかけた。

「そんな大声出さんでも聞こえとるわい」

 奥から出てきた医院長は、ザックの頭をぽんと叩き、クロードの方へ歩いてくる。

「医院長......。俺は......?」
「ふむ。ワシのことが分かるなら、頭はまだ大丈夫なようじゃ」

 なにを言われているのか、すぐには呑み込めず、クロードは困惑して眉を寄せた。

「ザック、大丈夫なのか?」
「おう。気がついたらクロードが倒れてて、あのブレスレットも取れてた」
「ブレスレット......!!」

 クロードは勢いよく身を起こしたが、ひどい頭痛と胸の奥の痛みに襲われ、そのままうずくまった。

「ばかもん。無理するな」
「そうだよ。あんた、丸一日目ぇ覚まさなかったんだぜ?」

 ザックの言葉に、クロードは再びベッドへ身を横たえた。

 聞きたいことがある。

 自分の身に何が起きたのか。
 どうやってブレスレットが外れたのか。
 なぜザックは蘇生したのか。
 そして、ザックはなにを見たのか。

 自分の胸の神道痕しんどうこんが起動したのか。

 しかしそれを知ることは、なにか恐ろしいものを知ってしまうような気がして、クロードは口をつぐんだ。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 翌朝、ザックはこの街を発つことになった。



 命を狙われた以上、いつまでもこの街に留まっているのは危ない。医院長の言葉は重かった。

 道中でまた狙われるのではないかとクロードが口にすると、医院長はあっさりと言った。

「ワシの知り合いの商人が、次の町まで同行する。心配するな」




 クロードは医院長とともに、街の門までザックを見送りに来ていた。

 ザックは旅装束に身を包み、大きなしょいこを背負って立っている。
 顔色はだいぶ戻っていたが、まだどこか本調子ではないようだった。
 それでも、いつものように白い歯を見せ、人懐こい笑みを浮かべている。

「せっかく友達になったのに、寂しいな」

 ザックは名残惜しそうに笑った。

「また旅先で会えるさ」

 クロードが静かに返すと、ザックは「そっか」と小さく頷いた。

 門の外では、医院長の知り合いの商人が、ザックと同じように大きなしょいこを担いで待っていた。
 人のよさそうな笑顔でクロードたちに会釈する。最後に医院長と目を合わせると、医院長は無言で軽く顎あごをしゃくった。商人は笑顔のまま、静かにうなずく。

 ただの同行者ではないことは、クロードにも分かった。

 少しの沈黙が落ちる。

 クロードは口を開きかけ、すぐに閉じた。
 それでも、胸の奥に引っかかったままの疑問を、どうしても飲み込めなかった。

「......ザック」

 ザックが顔を上げる。

「お前さん、目が覚めた時......何か見たか?」

 言いづらそうに、クロードはそう尋ねた。

 ザックは、わずかのあいだ目を伏せた。
 だが、すぐに顔を上げ、まっすぐクロードを見る。

「俺は、なにも見てないよ」

 その返事に、クロードはしばらく黙ってザックを見つめていた。

 ザックの顔には、いつもの明るい笑みがあった。けれど、その笑みの奥に、なにかを飲み込んだ気配があることも、クロードには分かった。

「......そうか」

 結局、それ以上は聞かなかった。

 ザックもなにも言わず、しょいこを背負い直した。

「んじゃ、行くよ」

 ザックはそう言って歩き出す。
 同行する商人も、無言のままその隣へつき、門の外へ足を向けた。

 数歩進んだところで、ザックが振り返る。

「クロード、またな!!」
「ああ。ザック、また」

 ザックは大きく手を振り、今度こそ前を向いた。

 朝の光を浴びながら、その背中は少しずつ遠ざかっていく。
 やがてその姿が見えなくなると、隣で見送っていた医院長が、ふんと鼻を鳴らした。

「クロード。お前さんにしては、ずいぶん情が移っとるじゃないか」

 からかうような声だった。

 クロードはしばらく無言のまま、医院長を睨にらみつけていた。
 だが、やがてフラップキャップのつばを引き下げ、目元を隠す。

「......友人、だからな」

 医院長は、それを聞いて小さく笑う。

 クロードは、つばの影に目元を隠したまま、ザックが去っていった方をいつまでも見ていた。

 朝の光はやわらかく、街道の先まで明るく照らしていた。
 空は、どこまでも青く晴れ渡っていた。

 その眩しさに、クロードはわずかに目を細める。

 胸の奥には、まだ鈍い痛みが残っていた。
 それでも、あの背中が無事に遠ざかっていったことだけは、確かな救いだった。

 クロードはそっと息を吐くと、帽子のつばを押さえたまま、静かに踵きびすを返した。


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