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予兆

 この国には、死んだ者を蘇よみがえらせる神の力の通り道、神道しんどう―― がある。

 神道しんどうが太い土地では、多くの死者が蘇よみがえり、細い土地では、その奇跡はまばらにしか起こらない。

 一度死んだ魂は、神の国へと続く、魂の川に還かえる。
 神はその川から魂を掬すくい上げ、気まぐれに人の身体へ返す。
 そうして蘇よみがえった者は、けして完全な『その人』ではない。

 それでも人は、それを救いと呼ぶ。

 たとえ、魂の形が変わっていても。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 軍の広大な駐屯地ちゅうとんちを抱える『駐屯都市ちゅうとんとし』――ここは、近隣の街や村よりも人が多く、旅人の往来も絶えない。

 街の南側にある住宅街の一角に、白い大きな建物がある。昔からこの街にある、私設の医院だ。
 道沿いには小さな庭があり、背の高い木の下にベンチが置かれていた。

 クロードは、簡素なシャツとズボン姿で、そのベンチに寝そべっている。整えていない短い銀髪が額にかかり、くすんだ灰色の瞳は気だるげに伏せられていた。
 その傍からわらでは、禿げ上がった頭に白衣を引っかけた腹の出た老人――この医院の医院長が、椅子に座って昼間から酒を飲んでいる。

 先日、友人のザックの蘇生に関わって以来、クロードの胸には、神道痕しんどうこんの奥に鈍い熱を帯びた痛みが残ったままだ。
 しばらくは様子を見るべきだと医院長に言われ、今はこの医院で療養している。

「どうじゃ、クロード。お前さんも付き合わんか?」

 医院長が酒瓶さかびんをクロードへ傾ける。クロードは首を振った。

「療養しろと言ったのは、アンタだろう」
「まじめなだけではモテんぞ」

 医院長は肩をすくめ、自分のグラスに酒を注いだ。

「クロードくん、クロードくん」

 静かな時間を消し飛ばす声に、クロードは眉を寄せ、薄く目を開けた。
 上から覗き込んでいたのは、痩せた男だった。関節が浮いて見えるほど細い身体に、まるで合っていないぶかぶかの衣をまとい、肩を過ぎるぱさついた金髪をだらしなく垂らしている。前髪は右側だけ長く、目を隠していた。

「......なんだ。薬師やくし」
「ふふっ、その後体調はどうかね」

 『その後』が何を指しているのかは明らかだった。
 ザックの蘇生のことだ。
 クロードはあからさまな嫌悪をこめて、薬師やくしを睨にらみつける。

「暇ひまなんだろう? 療養なんてつまらない。そうだろう? そうじゃないかね?」
「それはアンタの考えだろう」
「いいや、僕には見える。君の顔にはねぇ、退屈とちゃあんと書いてある。はっきりと。フヒヒ」
「薬師やくし。ワシの患者に、そう絡むな」

 医院長が半ば呆れたようにたしなめた。
 薬師やくしはその言葉に、ぷいとクロードから離れると、医院長の椅子の横の地面にあぐらをかく。

「医院長ー。ひまー」
「医者と薬師やくしが暇ひまなのは、いいことじゃ」

 クロードも、持て余した時間を埋めるように、通りを行き交う人々を眺ながめていた。

 その中に、足を重たげに引きずって歩く老人の姿が見えた。年のせいか身体は痩せている。だが、ハーフパンツから出た足が妙に太く、杖を握る腕も不自然に膨ふくれて見えた。

「......?」

 クロードは身を起こし、その老人を目で追う。妙に、老人が薄暗く見えた気がして、胸の奥がざわつく。老人はやがて角を曲がり、見えなくなった。

「どうした? クロード」

 医院長の呼びかけに、クロードは「......いや」とだけ答える。
 気のせいかと視線を戻しかけた時、また胸がざわついた。
 辺りを見回すと、壁にもたれて煙草を吸っている痩せた女が目についた。時折、苦しそうに咳き込んでいる。
 陽の当たる場所にいるはずなのに、その女だけが妙にうす暗く見えた。

「目の調子がおかしい」

 クロードが医院長にそう言うと、薬師やくしが興味深そうに目を細め、すぐに側へ寄ってきた。

「どうおかしいんじゃ?」
「あそこにいる女だけ、暗く見える」

 口にしてから、自分でも妙なことを言っていると思った。
 視界の一部が暗いなら、まだ目の不調として分かる。だが、特定の人間だけが暗く見えるなど、どう考えてもおかしい。

 医院長はクロードが指した女を見たが、特に周囲より暗いようには見えなかった。

「あと、さっきそこの角を曲がって行った爺じいさんも、暗く見えた」
「ほうほう。暗く見える範囲があるんじゃなく、暗く見える人物がいるのかい。いいねぇ。興味深い。実に実に興味深いよ、クロードくん」

 薬師やくしは顔がぶつかりそうなほどクロードへ顔を寄せ、その目をじかに覗のぞき込んだ。
 あまりの近さに、クロードは薬師やくしの顔を手のひらで押しのける。

「眼球はなんともないねぇ。ならば、なにかを感じているのではないかな?」
「なにかとは、なんだ?」
「そうだねぇ......たとえば、死とか病とかはどうだろう?」
「くだらん」
「おやおや。その身に超常を宿す君の言葉とは思えないねぇ」

 薬師やくしの挑発に、クロードははっとして胸元の服をわしづかんだ。
 胸の奥がずきりと痛む。

「お前、なにを知っている?」
「ヒヒヒ......そんなに警戒しなくともいい。僕は口が固い。安心したまえ」

 なおも警戒して薬師やくしを睨にらみつけるクロードの頭を、医院長がぽんと叩いた。

「薬師こいつのことは気にするな」
「そうさ、僕のことよりも、君のここ、なにかあったんじゃないのかい?」

 薬師やくしがクロードの胸元を指す。クロードはその手から逃れるように身を引いた。

「診察室で診てみよう」




━━━━━ * * * * * ━━━━━



 医院長はクロードを医院の奥にある診察台へ座らせ、胸元を開くよう言った。

「なぜお前もいる?」

 ごく当たり前のように診察室へ入ってきた薬師やくしを、クロードは鋭く睨にらむ。

「こいつは神世言かみよのことばが少し読める。こういう時だけは、ワシより役に立つ」

 医院長の言葉に、クロードは眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。

 薬師やくしはクロードから預かっていたメモ帳を開き、甲高い声で笑った。

「これが君の神道痕しんどうこんの写しだね? 面白い、面白いじゃないか。ああ......この並びは、この前君が持っていたブレスレットの文字だねぇ。死と魂......ヒヒヒ、それから、これは生だ。さあ、クロードくん。君の神道痕しんどうこんを見せてくれたまえ」

 嬉々として催促する薬師やくしに、クロードは嫌々ながら胸元のボタンを外していく。
 服の下に下げていた、教会のペンダントも外した。

 胸の中央に浮かんでいたのは、男の手ほどの大きさの真円だった。
 肌よりわずかに白いその痕あとには、古い文字が輪をなして刻まれている。五重の円環。その中心だけが、穴のように何も持たず空いていた。

 薬師やくしは無遠慮にクロードの胸に顔を寄せる。その左手は診察台の上で、目の前の文字をなぞるように、勝手に何かを素早い動きで書きつけていた。

「これは素晴らしい。ヒヒヒ、なんて素晴らしい。聖女の神道痕しんどうこんでさえ、こんな形は見たことがない」

「聖女の......?」
「知らないかね? 大聖堂都市におわす、神道痕しんどうこんを持つ聖女さまを」

「なぜ、お前が聖女の神道痕しんどうこんを?」

 教会の頂点に祀られる聖女、あるいは聖士せいじが、その身に神道痕しんどうこんを持つことは有名な話だ。
 だが、それを実際に見た者は、そういない。
 クロードの問いに答えたのは医院長だった。

「こいつは多少イカれとるが、薬師やくしとしては一番上の資格を持っとる。知識だけなら確かじゃ。......ま、ワシから見ればただのイカれじゃがな」
「最高位......まさか、大典薬師だいてんやくしか?」

 驚くクロードを、薬師やくしは胸元に顔を寄せたまま見上げた。唇の端をつり上げ、愉快そうに笑う。

「驚いたかい? そうとも。その資格を持つ者は、この国に三人しかいないからねぇ。フヒヒ......大典薬師だいてんやくしは、聖女さまや聖士せいじさまに献上する薬の調製も許されているのさ」

 薬師やくしの左手は止まらない。まるで指先で書くことで、見たものをそのまま脳に刻みつけているようだった。

 クロードは落ち着かない気分で、その奇妙な動きを見ていた。

「......で、なにか分かったか?」

 医院長の問いかけに、薬師やくしの左手がぴたりと止まる。

「......違う」
「違う? なにがじゃ?」
「そのメモには、この文字がなかった」

 薬師やくしの指が、クロードの胸の神道痕しんどうこんの一部を示した。

「ひと文字だけ、増えている」
「ほう?」

 ぎょろりと、長いまつ毛の下の青い目がクロードを見上げる。

「君。蘇生、させたね?」
「......!!」

 クロードのこわばった顔を見て、薬師やくしは楽しそうに目を細めた。

「これはおそらく数だよ。君がこの神道痕しんどうこんを使って蘇生させた魂の数......ヒヒヒ。面白いねぇ。実に、実に興味深い」

 クロードは薬師やくしから隠すように、急いで服のボタンを閉じた。

「ただし、神世言かみよのことばは形が変わりやすい。同じ数を示す文字でも、いつの間にか別の形に入れ替わっていたり、上下左右が反転していたりする。川を流れる水のように......そう、水のようにねぇ、定まった形を持たないのだよ」

 薬師やくしは大仰な身振りで神世言かみよのことばを表現した。
 クロードには、それをどう解釈していいのか分からない。

「よくそれで、特定の文字が分かったな」

 形も配列も変わるのなら、普通は読めるはずがない。図書館で読んだ文献も、断定できることはほとんど書いていなかった。

「それがねぇ、僕にもはっきりとは分からないのだよ。残念だ......ああ、とてもとても残念だ。......だが、可能性ならある」

 薬師やくしは、ひどく温和な笑みを浮かべた。

「僕が過去何度か蘇生した時に、神の一部が僕の魂に混ざった可能性が考えられる」
「お前にも神道痕しんどうこんが......?」
「いや、幸運なことに、僕には神道痕しんどうこんはない。そう――とても幸運なことにね」

 薬師やくしは、自分の胸元を軽く押さえた。クロードの神道痕しんどうこんをなぞるような、含みのある仕草だった。

「でも、神世言かみよのことばを見ているとね、たまに頭へ閃ひらめくのだよ。天啓てんけいのように。ほんの一瞬だけ、神が文字を読ませてくれるんだ」
「それは......」

 クロードの言葉は、玄関の扉を激しく叩く音に遮られた。

「先生、先生!! 爺じいちゃんが倒れちゃった!! 先生!! 先生!!」

 転がり込むように入ってきた少年が、医院長に取りすがった。

「角向こうの家の坊主か。どれ、ちょっと行ってくる」

 医院長はそう言い残し、クロードと薬師やくしを診察室に残して出ていった。

「君がさっき暗く見えると言ったご老人かな?」
「......冗談を」

 クロードは答えきれず、視線を落とした。

 しばらくして、医院の玄関から担架たんかが運び込まれてきた。
 担架たんかに乗せられた老人の顔を見て、クロードは固まった。
 さっきの老人だ。
 もう、息をしていなかった。

「なぁ、なぁ、先生、爺じいちゃんは蘇生できるの?」
「残念じゃが、おそらく無理じゃろう。爺さんは内臓を悪くしとった。神は、限界のきた器には魂を戻さん」
「そんな......爺じいちゃん、爺じいちゃーん!!」

 少年は泣きじゃくりながら、ベッドに寝かされた老人に取りすがった。

「薬師やくし、ちょっと教会に報告してきてくれ。蘇生限界まではここで預かる」
「えー? 僕ぅ?」
「さっき暇ひまじゃ、ちゅうとったじゃろが。ほれ、行け」

 医院長にしっしっと手で追い払われ、薬師やくしは拗すねたように頬を膨らませた。

「クロードくんと一緒なら、行ってあげてもいいよ」
「クロードも教会まで散歩してこい。いつまでも寝とっても気が滅入るじゃろ」

 医院長は診察室から書類を持ってくると、診察証明を書きつけ、クロードに押しつけた。



━━━━━ * * * * * ━━━━━




 住宅街を抜けて、大通りに出る。少し行くと専門店の並ぶ商店街があり、さらにそれを抜けると街の中心の広場へ出た。広場には多くの露店が立ち並び、人の声が絶えない。

 その広場に面して、白い石造りの教会が建っていた。
 高い鐘楼しょうろうをひとつ備えた端正な建物で、正面には大きな両開きの扉、その上には淡い色ガラスをはめた円窓がある。古びてはいるが、よく手入れされており、この街で長く人々を見守ってきたことがひと目で分かった。

 クロードと薬師やくしは、人の行き交う石畳を横切り、その教会へ向かった。

 教会の扉をくぐると、ひんやりとした空気が肌に触れた。
 高い天井を支える白い柱が並び、長椅子の向こうには簡素な祭壇が見える。色ガラスを通した光が床に淡く落ち、祈りの場らしい静けさを作っていた。

 だが、入口脇には帳簿を置いた机があり、壁際には記録棚も並んでいる。ここがただ祈るだけの場所ではなく、死と蘇生を扱うこの国の教会なのだと、あらためて感じさせた。

 クロードは帳簿に名前を書き、受付に医院長から渡された診療証明を提出した。
 事務員は書類に目を通し、慣れた手つきで脇の書類箱へ差し入れる。それだけで、この街では死も蘇生も珍しくないのだと知れた。

 用が済むと、薬師やくしが祭壇の方へ顎あごをしゃくった。

「祈っていくかい?」
「いや」

 フラップキャップのつばの下で、クロードは静かに祭壇を睨にらんだ。
 白く整えられた祭壇は、何も知らぬ顔でそこにある。

 クロードはそのまま踵きびすを返し、教会の外へ出た。

 人々で賑わう露店広場へ戻る。
 客引きの声が飛び交い、果物や野菜、焼いた肉や煮込みの匂いが漂う。荷車の軋きしむ音も絶えない。
 教会の外は、人の死など素知らぬ顔だ。
 クロードも、その喧騒けんそうの中へ身を置いた。

 広場の一角に、人だかりができていた。

「さあ、さあ、皆さんご覧ください。こちらは、やすらぎの薬。疲れをとり、安らかな眠りが得られます」

 慣れない口上の薬売りだった。
 クロードと薬師やくしは、人垣の後ろからその様子を覗き込む。

「......ほう。あの坊やは」
「坊や?」

 薬師やくしの言葉に、クロードは改めて薬売りを見た。
 背はクロードより頭ひとつ分ほど低く、痩せている。年も少し下に見える青年だった。

「どれ、僕にもひとつくれないか」

 薬師やくしは人混みの中をするりと抜け、薬売りの前に立った。
 薬売りの青年は、はっとしたように目を見開いた。さっきまで客に向かって張っていた声が、急にしぼむ。

「だ、大典薬師だいてんやくしさま......」

 その顔には、憧れと緊張と、見透かされたような怯えがいっぺんに浮かんでいた。

「僕の弟子になりたかった君の、自信作なんだろう? ひとつもらおう」

 青年は返事をする前に、わずかに喉を鳴らした。売り物の小瓶を差し出す手が、ほんの少し震えている。

「疲れと不眠に効くのかね?」
「は、はい......」

 薬師やくしは粉の入った小瓶を受け取ると、軽く振って目の高さまで持ち上げた。ぎょろりと目を見開き、光に透かすように中身を覗き込む。そしてコルク栓を抜き、匂いを嗅いだ。

「ふむ。ありがとう」

 薬師やくしは銀貨を二枚、薬売りに渡して踵きびすを返した。

「大典薬師だいてんやくしってすごく偉い薬師やくしなんだろ?」
「そんな人が買っていくなんて......アタシにもひとつおくれ!!」
「俺にも!!」

 クロードは熱狂する人々を見つめ、それから薬師やくしの後を追った。

「クロードくん、ルーペは持ってるかね?」
「ああ」

 クロードは腰のポーチからルーペを取り出し、差し出された薬師やくしの手に渡した。
 薬師やくしは丸い金属板に挟まれたレンズを起こし、さっき買った薬瓶を覗き込む。

「黄鉱石と白木、サクツの根と......」
「見ただけで分かるのか?」
「さっき嗅いだ匂いで、だいたいはね。細かな粉末は拡大して見ないと分からない」

 薬師やくしはルーペをさらに目に近づけた。

「茶褐色の粉......これは何だろうな」

 その言葉に、クロードは足を止めて薬売りの露店を振り返った。
 銀貨二枚という高値にもかかわらず、飛ぶように売れている。

「どうしたね? クロードくん」
「その薬は大丈夫なのか?」
「普通、薬が売られるまでには何度も試験をする。でないと、何が起こるか分からないからねぇ。売っている以上、試験をクリアした......ということなのだろうさ」



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 クロードと薬師やくしが医院へ戻ると、ベッドがふたつ、カーテンで仕切られていた。
 ひとつは角向こうの老人だろう。もうひとつは――。

「医院長、どうしたんだい? 今日はよく死ぬ日だねぇ」
「クロード、ちょっと来い」

 医院長が不機嫌にクロードを呼んだ。

「なんだ」
「この女じゃろ? お前さんが暗く見えると言っとったんは」

 少し開いたカーテンの隙間から、ベッドに寝かされた女が見えた。
 それを見て、クロードは固まった。

「......なぜ」
「お前さんたちが教会に行って間もなく運び込まれた。もう死んどる」

 クロードは呆然と女を見つめた。
 女はもう、暗くは見えなかった。

 クロードはそれ以上、女の亡骸なきがらを見ていられなかった。

 老人に続いて、女まで。
 あの妙な見え方が偶然ではないのだとしたら、自分の身に何が起きているのか分からない。

 薬師やくしの顔を見ているのも嫌だった。
 クロードは「少し外の空気を吸ってくる」とだけ言い残し、ひとり医院を出た。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 日はすでに傾き、空は赤く染まっていた。少し肌寒くなった風に、クロードは外套がいとうの襟元えりもとを寄せる。

「............」

 あの暗さは、死の予兆なのか。
 考えれば考えるほど落ち着かず、クロードはあてもなく街を歩いていた。

 その時、後ろから駆けてきた女の肩が、どんとぶつかる。

「......っ」

 クロードが振り向くと、女の背に負われた赤子が目に入った。
 その小さな身体だけが、ぞっとするほど暗い。
 クロードは思わず足を止めた。

 女は露店広場へ向かって駆けていく。
 クロードは嫌な予感に駆られ、その背を追った。

 広場の露店は、すでに店じまいを始めているところが多かった。人通りも、昼間よりずっとまばらになっている。

 女は、片づけをしていた薬売りのもとへ駆け込んだ。

「あのっ、あなたの薬を飲ませたら、この子が起きなくなったの......!!」

 突然声をかけられた薬売りは、女の背負った赤子を見るなり、さっと顔色を失った。

「赤子に......飲ませた?」
「ええ。この薬、よく眠れるって、あなた言ってたわよね? だから、飲ませたの」

 薬売りは手に持っていた荷物を取り落とした。

「なぜ、赤子に」
「だって、この子、泣いてばかりで全然寝てくれなくて......。私、疲れてたから、あなたの売ってた薬を飲んだの。よく眠れたわ。だから、この子にも......」
「なんて......ことだ」

 赤子はぐったりしたまま、まったく動かない。

「おい、あんた。早く医院へ連れて行け。薬師やくしがいる」

 クロードが泣き崩れそうな母親に言うと、立ち尽くしていた薬売りがはっと我に返った。

「大典薬師だいてんやくしさまがいらっしゃるのか!?」
「ああ。だから早く」

 クロードは薬売りと母親を促し、医院へ向かって駆け出した。


━━━━━ * * * * * ━━━━━



「医院長、薬師やくし!!」

 クロードは玄関を開け放ち、そのまま奥の診察室へ駆け込んだ。診察台の横では、医院長と薬師やくしが酒を飲んでいる。

「なんじゃ、慌てて」
「どうしたんだい? クロードくん」
「赤子を助けてくれ......!!」

 その言葉に、医院長は聴診器をひっつかみ、診察室を飛び出した。

「赤子を、早くベッドに」

 女は泣きながら指示に従う。ベッドに寝かされた赤子は、ぴくりとも動かない。

「どうしたんじゃ」
「あの......私の薬を、その子に飲ませたそうなんです......」

 薬売りが青ざめたまま答えた。

 そこへ、例の小瓶を持った薬師やくしが現れた。いつもの不遜ふそんな笑みは、顔にない。

「これかね?」
「大典薬師だいてんやくしさま......」
「君は、薬を売る時に、飲んでいい相手と量を説明したのかね?」
「......まさか、赤子に使うなどと思っていませんでした......」
「ふむ」

 薬師やくしは傍からわらのベッドに小瓶を置いた。

「医院長、僕は薬を調合してくるよ」
「ああ、そうしてくれ」
「坊や、一緒に来たまえ」

 薬師やくしの背を追うように、薬売りも部屋を出ていった。
 クロードは小瓶の置かれた空きベッドに腰を下ろし、頭をくしゃくしゃとかき回した。

「先生、この子を助けて下さい」
「手は尽くそう」

 医院長は診察室から持ってきた注射針を赤子の腕に刺した。
 それでも赤子は、指一本動かさなかった。
 手際よく、針と点滴の管をつないだ。透明な液体が流し込まれていく。

「クロード、お前さんも顔色が最悪じゃ。そこに横になっとれ」

 医院長の言葉で、クロードは自分の身体が小刻みに震えていることに気づいた。指先はひどく冷たく、うまく力が入らない。それでも、クロードは首を横に振る。

「俺は大丈夫だ」

 そう言って立ち上がると、泣きじゃくる女をベッドへ座らせてやった。
 振り返って赤子を見る。その小さな身体は、まだひどく暗いままだった。
 


━━━━━ * * * * * ━━━━━



 医院から三ブロックほど離れた住宅街の小さな家の前で、薬師やくしは鍵を開けた。

「入りたまえ。坊や」

 狭い室内の壁という壁に、小引き出しの棚が並んでいた。棚は天井近くまで積み上がり、上の物を取るためのはしごが立てかけられている。奥には木のカウンターがあり、その上にも薬瓶が所狭しと並んでいた。

 薬師やくしはカウンターの奥へ入った。そこには大量の本や書類、実験器具が雑然と置かれている。

「大典薬師だいてんやくしさま......」

 薬師やくしは入口で固まっている薬売りを手招きした。

「さぁ、坊やはこれから責任を取らなければならない。分かるかね?」
「......はい」
「よろしい。逃げずにここまで来た君は立派な研究者だ。では、あの薬を中和する薬を作ろうじゃないか」
「大典薬師だいてんやくしさま......私は......私は......取り返しのつかないことをしてしまいました。こんな私に、薬を作ることをお許し下さるのですか?」
「君は何を言っとるのかね? あれは君が作った薬なのだろう? ならば、その毒も、効きも、いちばんよく知っているのは君だ。あの赤子を助ける薬を作れるのも、君しかおらん。さあ、来たまえ」

 薬売りは目を見開き、それからゆっくりと顔を上げた。

「......はい」
「フヒヒ、その意気だ。では、頑張りたまえよ」



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 赤子が運び込まれてから、時間がたつにつれ、クロードの焦りは強くなっていった。
 赤子は、さっきよりもさらに暗く見える。
 クロードは診察室から持ってきた椅子に座り、なるべく顔色を悟られないよう俯うつむいていた。

 医院長は定期的に脈をとり、点滴の量を確かめている。
 母親は泣き疲れたのか、赤子の横たわるベッドに腰かけ、小さな手を指先で撫でていた。その顔は憔悴しょうすいしきっている。

「いやー、待たせたね。諸君」

 玄関ドアが開き、薬師やくしと薬売りが入ってきた。

「どうじゃ?」
「できたよ。ただ、相手は赤子だ。即興そっきょうで作ったこの薬がどの程度で効くかは、実際のところ分からん。......どうだね、母君。使うかね?」

 薬師やくしは液体の入った小瓶を目の高さまで持ち上げ、軽く振って見せた。
 女は赤子を見つめたまま、小さな声で答えた。

「お願い......します」

 薬師やくしは唇の両端を吊り上げて笑った。

「赤子の尿はどれくらい出たかね?」
「点滴分は出とる」
「そうかね。じゃあ医院長、三分の一をその点滴瓶一杯の水に溶かしたまえ。まずはそれで様子を見る」
「クロード、奥から点滴瓶を持ってこい」
「ああ」

 クロードは診察室のガラス戸の棚から、封の開いていない点滴瓶を取り出した。
 それを医院長に渡すと、医院長は瓶の上部の注入口の封を切り、注射器に詰めた薬液を薬師やくしの言う通りの量だけ注ぎ入れる。
 つないでいた点滴を新しい瓶へ替え、滴下量を絞しぼった。

 薬液が少しずつ赤子に流れ込む。

「ふむ、クロードくん。赤子はまだ暗いかい?」

 クロードは赤子から目を離せなかった。
 明らかに、小さな身体を覆っていた暗さが薄れていく。

「まだ、暗い」
「フヒヒ......そうかい。『まだ』暗いのかい」
「......ああ。まだ、だ」
「医院長、そのまま続けたまえ」
「こんな治療の仕方は、初めてじゃい」

 医院長がクロードの背中をぽんと叩いた。

「変化があったら、すぐ言え」



 それから二時間ほど経った頃、赤子の指先がぴくりと動いた。

「あっ」

 母親の声の直後、小さな鳴き声が医院に響く。

「もう、暗くない」

 クロードの言葉に、医院長は点滴を止めた。
 その瞬間、クロードは全身の力が抜け、傍からわらのベッドへ座り込んだ。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 窓から朝日が差し込み、クロードは目を覚ました。
 どうやら、意識を失っていたらしい。

 辺りを見回すと、赤子は母親の傍かたわらで静かに眠っていた。
 それを見て、クロードは小さく息を吐く。

「気がついたかね?」

 薬師やくしは、クロードの横たわるベッドの脇に置かれた椅子に座っていた。

「ああ」
「君のおかげで、貴重なデータが取れた。感謝する」
「助かって、良かった」
「赤子はね」

 そう言って薬師やくしは、カーテンが引かれたままのベッドへ目を向けた。
 その顔に、いつもの笑みはない。

「神の御力みちからでも、戻らぬ魂はある」

 薬師やくしの言葉に、クロードは黙って目を閉じ、黙祷もくとうを捧げた。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



「さて、今回の薬代についてだがねぇ。坊や、君に支払ってもらおう」
「はい。大典薬師だいてんやくしさま」
「良い返事だ。では、このメモにある表通りの薬屋の主人に師事したまえ」

 薬師やくしは店の名と紹介を書きつけたメモを、薬売りに渡した。

「あの薬は高価だ。それを支払えるだけの立派な薬師やくしになりたまえ。......その時こそ、僕の弟子にしてあげよう」

 薬売りは目を見開いた。

「はい......はい!! 必ず、あなたの弟子になります!!」

 薬売りは声を震わせながら、深々と頭を下げた。
 薬師やくしは立ち上がる。

「僕も帰って、ひと眠りしてくるよ」

 そう言い残し、医院を出ていった。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 昼過ぎ、蘇生限界の過ぎた二人の遺体を、葬送屋そうそうやと家族が引き取りに来た。

 クロードはそれを見送りながら、ぽつりと呟いた。

「神の御力みちからでも、戻らぬ魂......」

 服の下にある、教会の小さなペンダントを握る。

「クロード、ワシは寝る。お前さんは飯でも食ってこい」

 医院長はあくびをしながら二階へ上がっていった。
 クロードはそれを見送り、黙って外套がいとうに袖そでを通した。


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 この国には、死んだ者を蘇よみがえらせる神の力の通り道、神道しんどう―― がある。

 神道しんどうが太い土地では、多くの死者が蘇よみがえり、細い土地では、その奇跡はまばらにしか起こらない。

 一度死んだ魂は、神の国へと続く、魂の川に還かえる。
 神はその川から魂を掬すくい上げ、気まぐれに人の身体へ返す。
 そうして蘇よみがえった者は、けして完全な『その人』ではない。

 それでも人は、それを救いと呼ぶ。

 たとえ、魂の形が変わっていても。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 軍の広大な駐屯地ちゅうとんちを抱える『駐屯都市ちゅうとんとし』――ここは、近隣の街や村よりも人が多く、旅人の往来も絶えない。

 街の南側にある住宅街の一角に、白い大きな建物がある。昔からこの街にある、私設の医院だ。
 道沿いには小さな庭があり、背の高い木の下にベンチが置かれていた。

 クロードは、簡素なシャツとズボン姿で、そのベンチに寝そべっている。整えていない短い銀髪が額にかかり、くすんだ灰色の瞳は気だるげに伏せられていた。
 その傍からわらでは、禿げ上がった頭に白衣を引っかけた腹の出た老人――この医院の医院長が、椅子に座って昼間から酒を飲んでいる。

 先日、友人のザックの蘇生に関わって以来、クロードの胸には、神道痕しんどうこんの奥に鈍い熱を帯びた痛みが残ったままだ。
 しばらくは様子を見るべきだと医院長に言われ、今はこの医院で療養している。

「どうじゃ、クロード。お前さんも付き合わんか?」

 医院長が酒瓶さかびんをクロードへ傾ける。クロードは首を振った。

「療養しろと言ったのは、アンタだろう」
「まじめなだけではモテんぞ」

 医院長は肩をすくめ、自分のグラスに酒を注いだ。

「クロードくん、クロードくん」

 静かな時間を消し飛ばす声に、クロードは眉を寄せ、薄く目を開けた。
 上から覗き込んでいたのは、痩せた男だった。関節が浮いて見えるほど細い身体に、まるで合っていないぶかぶかの衣をまとい、肩を過ぎるぱさついた金髪をだらしなく垂らしている。前髪は右側だけ長く、目を隠していた。

「......なんだ。薬師やくし」
「ふふっ、その後体調はどうかね」

 『その後』が何を指しているのかは明らかだった。
 ザックの蘇生のことだ。
 クロードはあからさまな嫌悪をこめて、薬師やくしを睨にらみつける。

「暇ひまなんだろう? 療養なんてつまらない。そうだろう? そうじゃないかね?」
「それはアンタの考えだろう」
「いいや、僕には見える。君の顔にはねぇ、退屈とちゃあんと書いてある。はっきりと。フヒヒ」
「薬師やくし。ワシの患者に、そう絡むな」

 医院長が半ば呆れたようにたしなめた。
 薬師やくしはその言葉に、ぷいとクロードから離れると、医院長の椅子の横の地面にあぐらをかく。

「医院長ー。ひまー」
「医者と薬師やくしが暇ひまなのは、いいことじゃ」

 クロードも、持て余した時間を埋めるように、通りを行き交う人々を眺ながめていた。

 その中に、足を重たげに引きずって歩く老人の姿が見えた。年のせいか身体は痩せている。だが、ハーフパンツから出た足が妙に太く、杖を握る腕も不自然に膨ふくれて見えた。

「......?」

 クロードは身を起こし、その老人を目で追う。妙に、老人が薄暗く見えた気がして、胸の奥がざわつく。老人はやがて角を曲がり、見えなくなった。

「どうした? クロード」

 医院長の呼びかけに、クロードは「......いや」とだけ答える。
 気のせいかと視線を戻しかけた時、また胸がざわついた。
 辺りを見回すと、壁にもたれて煙草を吸っている痩せた女が目についた。時折、苦しそうに咳き込んでいる。
 陽の当たる場所にいるはずなのに、その女だけが妙にうす暗く見えた。

「目の調子がおかしい」

 クロードが医院長にそう言うと、薬師やくしが興味深そうに目を細め、すぐに側へ寄ってきた。

「どうおかしいんじゃ?」
「あそこにいる女だけ、暗く見える」

 口にしてから、自分でも妙なことを言っていると思った。
 視界の一部が暗いなら、まだ目の不調として分かる。だが、特定の人間だけが暗く見えるなど、どう考えてもおかしい。

 医院長はクロードが指した女を見たが、特に周囲より暗いようには見えなかった。

「あと、さっきそこの角を曲がって行った爺じいさんも、暗く見えた」
「ほうほう。暗く見える範囲があるんじゃなく、暗く見える人物がいるのかい。いいねぇ。興味深い。実に実に興味深いよ、クロードくん」

 薬師やくしは顔がぶつかりそうなほどクロードへ顔を寄せ、その目をじかに覗のぞき込んだ。
 あまりの近さに、クロードは薬師やくしの顔を手のひらで押しのける。

「眼球はなんともないねぇ。ならば、なにかを感じているのではないかな?」
「なにかとは、なんだ?」
「そうだねぇ......たとえば、死とか病とかはどうだろう?」
「くだらん」
「おやおや。その身に超常を宿す君の言葉とは思えないねぇ」

 薬師やくしの挑発に、クロードははっとして胸元の服をわしづかんだ。
 胸の奥がずきりと痛む。

「お前、なにを知っている?」
「ヒヒヒ......そんなに警戒しなくともいい。僕は口が固い。安心したまえ」

 なおも警戒して薬師やくしを睨にらみつけるクロードの頭を、医院長がぽんと叩いた。

「薬師こいつのことは気にするな」
「そうさ、僕のことよりも、君のここ、なにかあったんじゃないのかい?」

 薬師やくしがクロードの胸元を指す。クロードはその手から逃れるように身を引いた。

「診察室で診てみよう」




━━━━━ * * * * * ━━━━━



 医院長はクロードを医院の奥にある診察台へ座らせ、胸元を開くよう言った。

「なぜお前もいる?」

 ごく当たり前のように診察室へ入ってきた薬師やくしを、クロードは鋭く睨にらむ。

「こいつは神世言かみよのことばが少し読める。こういう時だけは、ワシより役に立つ」

 医院長の言葉に、クロードは眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。

 薬師やくしはクロードから預かっていたメモ帳を開き、甲高い声で笑った。

「これが君の神道痕しんどうこんの写しだね? 面白い、面白いじゃないか。ああ......この並びは、この前君が持っていたブレスレットの文字だねぇ。死と魂......ヒヒヒ、それから、これは生だ。さあ、クロードくん。君の神道痕しんどうこんを見せてくれたまえ」

 嬉々として催促する薬師やくしに、クロードは嫌々ながら胸元のボタンを外していく。
 服の下に下げていた、教会のペンダントも外した。

 胸の中央に浮かんでいたのは、男の手ほどの大きさの真円だった。
 肌よりわずかに白いその痕あとには、古い文字が輪をなして刻まれている。五重の円環。その中心だけが、穴のように何も持たず空いていた。

 薬師やくしは無遠慮にクロードの胸に顔を寄せる。その左手は診察台の上で、目の前の文字をなぞるように、勝手に何かを素早い動きで書きつけていた。

「これは素晴らしい。ヒヒヒ、なんて素晴らしい。聖女の神道痕しんどうこんでさえ、こんな形は見たことがない」

「聖女の......?」
「知らないかね? 大聖堂都市におわす、神道痕しんどうこんを持つ聖女さまを」

「なぜ、お前が聖女の神道痕しんどうこんを?」

 教会の頂点に祀られる聖女、あるいは聖士せいじが、その身に神道痕しんどうこんを持つことは有名な話だ。
 だが、それを実際に見た者は、そういない。
 クロードの問いに答えたのは医院長だった。

「こいつは多少イカれとるが、薬師やくしとしては一番上の資格を持っとる。知識だけなら確かじゃ。......ま、ワシから見ればただのイカれじゃがな」
「最高位......まさか、大典薬師だいてんやくしか?」

 驚くクロードを、薬師やくしは胸元に顔を寄せたまま見上げた。唇の端をつり上げ、愉快そうに笑う。

「驚いたかい? そうとも。その資格を持つ者は、この国に三人しかいないからねぇ。フヒヒ......大典薬師だいてんやくしは、聖女さまや聖士せいじさまに献上する薬の調製も許されているのさ」

 薬師やくしの左手は止まらない。まるで指先で書くことで、見たものをそのまま脳に刻みつけているようだった。

 クロードは落ち着かない気分で、その奇妙な動きを見ていた。

「......で、なにか分かったか?」

 医院長の問いかけに、薬師やくしの左手がぴたりと止まる。

「......違う」
「違う? なにがじゃ?」
「そのメモには、この文字がなかった」

 薬師やくしの指が、クロードの胸の神道痕しんどうこんの一部を示した。

「ひと文字だけ、増えている」
「ほう?」

 ぎょろりと、長いまつ毛の下の青い目がクロードを見上げる。

「君。蘇生、させたね?」
「......!!」

 クロードのこわばった顔を見て、薬師やくしは楽しそうに目を細めた。

「これはおそらく数だよ。君がこの神道痕しんどうこんを使って蘇生させた魂の数......ヒヒヒ。面白いねぇ。実に、実に興味深い」

 クロードは薬師やくしから隠すように、急いで服のボタンを閉じた。

「ただし、神世言かみよのことばは形が変わりやすい。同じ数を示す文字でも、いつの間にか別の形に入れ替わっていたり、上下左右が反転していたりする。川を流れる水のように......そう、水のようにねぇ、定まった形を持たないのだよ」

 薬師やくしは大仰な身振りで神世言かみよのことばを表現した。
 クロードには、それをどう解釈していいのか分からない。

「よくそれで、特定の文字が分かったな」

 形も配列も変わるのなら、普通は読めるはずがない。図書館で読んだ文献も、断定できることはほとんど書いていなかった。

「それがねぇ、僕にもはっきりとは分からないのだよ。残念だ......ああ、とてもとても残念だ。......だが、可能性ならある」

 薬師やくしは、ひどく温和な笑みを浮かべた。

「僕が過去何度か蘇生した時に、神の一部が僕の魂に混ざった可能性が考えられる」
「お前にも神道痕しんどうこんが......?」
「いや、幸運なことに、僕には神道痕しんどうこんはない。そう――とても幸運なことにね」

 薬師やくしは、自分の胸元を軽く押さえた。クロードの神道痕しんどうこんをなぞるような、含みのある仕草だった。

「でも、神世言かみよのことばを見ているとね、たまに頭へ閃ひらめくのだよ。天啓てんけいのように。ほんの一瞬だけ、神が文字を読ませてくれるんだ」
「それは......」

 クロードの言葉は、玄関の扉を激しく叩く音に遮られた。

「先生、先生!! 爺じいちゃんが倒れちゃった!! 先生!! 先生!!」

 転がり込むように入ってきた少年が、医院長に取りすがった。

「角向こうの家の坊主か。どれ、ちょっと行ってくる」

 医院長はそう言い残し、クロードと薬師やくしを診察室に残して出ていった。

「君がさっき暗く見えると言ったご老人かな?」
「......冗談を」

 クロードは答えきれず、視線を落とした。

 しばらくして、医院の玄関から担架たんかが運び込まれてきた。
 担架たんかに乗せられた老人の顔を見て、クロードは固まった。
 さっきの老人だ。
 もう、息をしていなかった。

「なぁ、なぁ、先生、爺じいちゃんは蘇生できるの?」
「残念じゃが、おそらく無理じゃろう。爺さんは内臓を悪くしとった。神は、限界のきた器には魂を戻さん」
「そんな......爺じいちゃん、爺じいちゃーん!!」

 少年は泣きじゃくりながら、ベッドに寝かされた老人に取りすがった。

「薬師やくし、ちょっと教会に報告してきてくれ。蘇生限界まではここで預かる」
「えー? 僕ぅ?」
「さっき暇ひまじゃ、ちゅうとったじゃろが。ほれ、行け」

 医院長にしっしっと手で追い払われ、薬師やくしは拗すねたように頬を膨らませた。

「クロードくんと一緒なら、行ってあげてもいいよ」
「クロードも教会まで散歩してこい。いつまでも寝とっても気が滅入るじゃろ」

 医院長は診察室から書類を持ってくると、診察証明を書きつけ、クロードに押しつけた。



━━━━━ * * * * * ━━━━━




 住宅街を抜けて、大通りに出る。少し行くと専門店の並ぶ商店街があり、さらにそれを抜けると街の中心の広場へ出た。広場には多くの露店が立ち並び、人の声が絶えない。

 その広場に面して、白い石造りの教会が建っていた。
 高い鐘楼しょうろうをひとつ備えた端正な建物で、正面には大きな両開きの扉、その上には淡い色ガラスをはめた円窓がある。古びてはいるが、よく手入れされており、この街で長く人々を見守ってきたことがひと目で分かった。

 クロードと薬師やくしは、人の行き交う石畳を横切り、その教会へ向かった。

 教会の扉をくぐると、ひんやりとした空気が肌に触れた。
 高い天井を支える白い柱が並び、長椅子の向こうには簡素な祭壇が見える。色ガラスを通した光が床に淡く落ち、祈りの場らしい静けさを作っていた。

 だが、入口脇には帳簿を置いた机があり、壁際には記録棚も並んでいる。ここがただ祈るだけの場所ではなく、死と蘇生を扱うこの国の教会なのだと、あらためて感じさせた。

 クロードは帳簿に名前を書き、受付に医院長から渡された診療証明を提出した。
 事務員は書類に目を通し、慣れた手つきで脇の書類箱へ差し入れる。それだけで、この街では死も蘇生も珍しくないのだと知れた。

 用が済むと、薬師やくしが祭壇の方へ顎あごをしゃくった。

「祈っていくかい?」
「いや」

 フラップキャップのつばの下で、クロードは静かに祭壇を睨にらんだ。
 白く整えられた祭壇は、何も知らぬ顔でそこにある。

 クロードはそのまま踵きびすを返し、教会の外へ出た。

 人々で賑わう露店広場へ戻る。
 客引きの声が飛び交い、果物や野菜、焼いた肉や煮込みの匂いが漂う。荷車の軋きしむ音も絶えない。
 教会の外は、人の死など素知らぬ顔だ。
 クロードも、その喧騒けんそうの中へ身を置いた。

 広場の一角に、人だかりができていた。

「さあ、さあ、皆さんご覧ください。こちらは、やすらぎの薬。疲れをとり、安らかな眠りが得られます」

 慣れない口上の薬売りだった。
 クロードと薬師やくしは、人垣の後ろからその様子を覗き込む。

「......ほう。あの坊やは」
「坊や?」

 薬師やくしの言葉に、クロードは改めて薬売りを見た。
 背はクロードより頭ひとつ分ほど低く、痩せている。年も少し下に見える青年だった。

「どれ、僕にもひとつくれないか」

 薬師やくしは人混みの中をするりと抜け、薬売りの前に立った。
 薬売りの青年は、はっとしたように目を見開いた。さっきまで客に向かって張っていた声が、急にしぼむ。

「だ、大典薬師だいてんやくしさま......」

 その顔には、憧れと緊張と、見透かされたような怯えがいっぺんに浮かんでいた。

「僕の弟子になりたかった君の、自信作なんだろう? ひとつもらおう」

 青年は返事をする前に、わずかに喉を鳴らした。売り物の小瓶を差し出す手が、ほんの少し震えている。

「疲れと不眠に効くのかね?」
「は、はい......」

 薬師やくしは粉の入った小瓶を受け取ると、軽く振って目の高さまで持ち上げた。ぎょろりと目を見開き、光に透かすように中身を覗き込む。そしてコルク栓を抜き、匂いを嗅いだ。

「ふむ。ありがとう」

 薬師やくしは銀貨を二枚、薬売りに渡して踵きびすを返した。

「大典薬師だいてんやくしってすごく偉い薬師やくしなんだろ?」
「そんな人が買っていくなんて......アタシにもひとつおくれ!!」
「俺にも!!」

 クロードは熱狂する人々を見つめ、それから薬師やくしの後を追った。

「クロードくん、ルーペは持ってるかね?」
「ああ」

 クロードは腰のポーチからルーペを取り出し、差し出された薬師やくしの手に渡した。
 薬師やくしは丸い金属板に挟まれたレンズを起こし、さっき買った薬瓶を覗き込む。

「黄鉱石と白木、サクツの根と......」
「見ただけで分かるのか?」
「さっき嗅いだ匂いで、だいたいはね。細かな粉末は拡大して見ないと分からない」

 薬師やくしはルーペをさらに目に近づけた。

「茶褐色の粉......これは何だろうな」

 その言葉に、クロードは足を止めて薬売りの露店を振り返った。
 銀貨二枚という高値にもかかわらず、飛ぶように売れている。

「どうしたね? クロードくん」
「その薬は大丈夫なのか?」
「普通、薬が売られるまでには何度も試験をする。でないと、何が起こるか分からないからねぇ。売っている以上、試験をクリアした......ということなのだろうさ」



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 クロードと薬師やくしが医院へ戻ると、ベッドがふたつ、カーテンで仕切られていた。
 ひとつは角向こうの老人だろう。もうひとつは――。

「医院長、どうしたんだい? 今日はよく死ぬ日だねぇ」
「クロード、ちょっと来い」

 医院長が不機嫌にクロードを呼んだ。

「なんだ」
「この女じゃろ? お前さんが暗く見えると言っとったんは」

 少し開いたカーテンの隙間から、ベッドに寝かされた女が見えた。
 それを見て、クロードは固まった。

「......なぜ」
「お前さんたちが教会に行って間もなく運び込まれた。もう死んどる」

 クロードは呆然と女を見つめた。
 女はもう、暗くは見えなかった。

 クロードはそれ以上、女の亡骸なきがらを見ていられなかった。

 老人に続いて、女まで。
 あの妙な見え方が偶然ではないのだとしたら、自分の身に何が起きているのか分からない。

 薬師やくしの顔を見ているのも嫌だった。
 クロードは「少し外の空気を吸ってくる」とだけ言い残し、ひとり医院を出た。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 日はすでに傾き、空は赤く染まっていた。少し肌寒くなった風に、クロードは外套がいとうの襟元えりもとを寄せる。

「............」

 あの暗さは、死の予兆なのか。
 考えれば考えるほど落ち着かず、クロードはあてもなく街を歩いていた。

 その時、後ろから駆けてきた女の肩が、どんとぶつかる。

「......っ」

 クロードが振り向くと、女の背に負われた赤子が目に入った。
 その小さな身体だけが、ぞっとするほど暗い。
 クロードは思わず足を止めた。

 女は露店広場へ向かって駆けていく。
 クロードは嫌な予感に駆られ、その背を追った。

 広場の露店は、すでに店じまいを始めているところが多かった。人通りも、昼間よりずっとまばらになっている。

 女は、片づけをしていた薬売りのもとへ駆け込んだ。

「あのっ、あなたの薬を飲ませたら、この子が起きなくなったの......!!」

 突然声をかけられた薬売りは、女の背負った赤子を見るなり、さっと顔色を失った。

「赤子に......飲ませた?」
「ええ。この薬、よく眠れるって、あなた言ってたわよね? だから、飲ませたの」

 薬売りは手に持っていた荷物を取り落とした。

「なぜ、赤子に」
「だって、この子、泣いてばかりで全然寝てくれなくて......。私、疲れてたから、あなたの売ってた薬を飲んだの。よく眠れたわ。だから、この子にも......」
「なんて......ことだ」

 赤子はぐったりしたまま、まったく動かない。

「おい、あんた。早く医院へ連れて行け。薬師やくしがいる」

 クロードが泣き崩れそうな母親に言うと、立ち尽くしていた薬売りがはっと我に返った。

「大典薬師だいてんやくしさまがいらっしゃるのか!?」
「ああ。だから早く」

 クロードは薬売りと母親を促し、医院へ向かって駆け出した。


━━━━━ * * * * * ━━━━━



「医院長、薬師やくし!!」

 クロードは玄関を開け放ち、そのまま奥の診察室へ駆け込んだ。診察台の横では、医院長と薬師やくしが酒を飲んでいる。

「なんじゃ、慌てて」
「どうしたんだい? クロードくん」
「赤子を助けてくれ......!!」

 その言葉に、医院長は聴診器をひっつかみ、診察室を飛び出した。

「赤子を、早くベッドに」

 女は泣きながら指示に従う。ベッドに寝かされた赤子は、ぴくりとも動かない。

「どうしたんじゃ」
「あの......私の薬を、その子に飲ませたそうなんです......」

 薬売りが青ざめたまま答えた。

 そこへ、例の小瓶を持った薬師やくしが現れた。いつもの不遜ふそんな笑みは、顔にない。

「これかね?」
「大典薬師だいてんやくしさま......」
「君は、薬を売る時に、飲んでいい相手と量を説明したのかね?」
「......まさか、赤子に使うなどと思っていませんでした......」
「ふむ」

 薬師やくしは傍からわらのベッドに小瓶を置いた。

「医院長、僕は薬を調合してくるよ」
「ああ、そうしてくれ」
「坊や、一緒に来たまえ」

 薬師やくしの背を追うように、薬売りも部屋を出ていった。
 クロードは小瓶の置かれた空きベッドに腰を下ろし、頭をくしゃくしゃとかき回した。

「先生、この子を助けて下さい」
「手は尽くそう」

 医院長は診察室から持ってきた注射針を赤子の腕に刺した。
 それでも赤子は、指一本動かさなかった。
 手際よく、針と点滴の管をつないだ。透明な液体が流し込まれていく。

「クロード、お前さんも顔色が最悪じゃ。そこに横になっとれ」

 医院長の言葉で、クロードは自分の身体が小刻みに震えていることに気づいた。指先はひどく冷たく、うまく力が入らない。それでも、クロードは首を横に振る。

「俺は大丈夫だ」

 そう言って立ち上がると、泣きじゃくる女をベッドへ座らせてやった。
 振り返って赤子を見る。その小さな身体は、まだひどく暗いままだった。
 


━━━━━ * * * * * ━━━━━



 医院から三ブロックほど離れた住宅街の小さな家の前で、薬師やくしは鍵を開けた。

「入りたまえ。坊や」

 狭い室内の壁という壁に、小引き出しの棚が並んでいた。棚は天井近くまで積み上がり、上の物を取るためのはしごが立てかけられている。奥には木のカウンターがあり、その上にも薬瓶が所狭しと並んでいた。

 薬師やくしはカウンターの奥へ入った。そこには大量の本や書類、実験器具が雑然と置かれている。

「大典薬師だいてんやくしさま......」

 薬師やくしは入口で固まっている薬売りを手招きした。

「さぁ、坊やはこれから責任を取らなければならない。分かるかね?」
「......はい」
「よろしい。逃げずにここまで来た君は立派な研究者だ。では、あの薬を中和する薬を作ろうじゃないか」
「大典薬師だいてんやくしさま......私は......私は......取り返しのつかないことをしてしまいました。こんな私に、薬を作ることをお許し下さるのですか?」
「君は何を言っとるのかね? あれは君が作った薬なのだろう? ならば、その毒も、効きも、いちばんよく知っているのは君だ。あの赤子を助ける薬を作れるのも、君しかおらん。さあ、来たまえ」

 薬売りは目を見開き、それからゆっくりと顔を上げた。

「......はい」
「フヒヒ、その意気だ。では、頑張りたまえよ」



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 赤子が運び込まれてから、時間がたつにつれ、クロードの焦りは強くなっていった。
 赤子は、さっきよりもさらに暗く見える。
 クロードは診察室から持ってきた椅子に座り、なるべく顔色を悟られないよう俯うつむいていた。

 医院長は定期的に脈をとり、点滴の量を確かめている。
 母親は泣き疲れたのか、赤子の横たわるベッドに腰かけ、小さな手を指先で撫でていた。その顔は憔悴しょうすいしきっている。

「いやー、待たせたね。諸君」

 玄関ドアが開き、薬師やくしと薬売りが入ってきた。

「どうじゃ?」
「できたよ。ただ、相手は赤子だ。即興そっきょうで作ったこの薬がどの程度で効くかは、実際のところ分からん。......どうだね、母君。使うかね?」

 薬師やくしは液体の入った小瓶を目の高さまで持ち上げ、軽く振って見せた。
 女は赤子を見つめたまま、小さな声で答えた。

「お願い......します」

 薬師やくしは唇の両端を吊り上げて笑った。

「赤子の尿はどれくらい出たかね?」
「点滴分は出とる」
「そうかね。じゃあ医院長、三分の一をその点滴瓶一杯の水に溶かしたまえ。まずはそれで様子を見る」
「クロード、奥から点滴瓶を持ってこい」
「ああ」

 クロードは診察室のガラス戸の棚から、封の開いていない点滴瓶を取り出した。
 それを医院長に渡すと、医院長は瓶の上部の注入口の封を切り、注射器に詰めた薬液を薬師やくしの言う通りの量だけ注ぎ入れる。
 つないでいた点滴を新しい瓶へ替え、滴下量を絞しぼった。

 薬液が少しずつ赤子に流れ込む。

「ふむ、クロードくん。赤子はまだ暗いかい?」

 クロードは赤子から目を離せなかった。
 明らかに、小さな身体を覆っていた暗さが薄れていく。

「まだ、暗い」
「フヒヒ......そうかい。『まだ』暗いのかい」
「......ああ。まだ、だ」
「医院長、そのまま続けたまえ」
「こんな治療の仕方は、初めてじゃい」

 医院長がクロードの背中をぽんと叩いた。

「変化があったら、すぐ言え」



 それから二時間ほど経った頃、赤子の指先がぴくりと動いた。

「あっ」

 母親の声の直後、小さな鳴き声が医院に響く。

「もう、暗くない」

 クロードの言葉に、医院長は点滴を止めた。
 その瞬間、クロードは全身の力が抜け、傍からわらのベッドへ座り込んだ。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 窓から朝日が差し込み、クロードは目を覚ました。
 どうやら、意識を失っていたらしい。

 辺りを見回すと、赤子は母親の傍かたわらで静かに眠っていた。
 それを見て、クロードは小さく息を吐く。

「気がついたかね?」

 薬師やくしは、クロードの横たわるベッドの脇に置かれた椅子に座っていた。

「ああ」
「君のおかげで、貴重なデータが取れた。感謝する」
「助かって、良かった」
「赤子はね」

 そう言って薬師やくしは、カーテンが引かれたままのベッドへ目を向けた。
 その顔に、いつもの笑みはない。

「神の御力みちからでも、戻らぬ魂はある」

 薬師やくしの言葉に、クロードは黙って目を閉じ、黙祷もくとうを捧げた。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



「さて、今回の薬代についてだがねぇ。坊や、君に支払ってもらおう」
「はい。大典薬師だいてんやくしさま」
「良い返事だ。では、このメモにある表通りの薬屋の主人に師事したまえ」

 薬師やくしは店の名と紹介を書きつけたメモを、薬売りに渡した。

「あの薬は高価だ。それを支払えるだけの立派な薬師やくしになりたまえ。......その時こそ、僕の弟子にしてあげよう」

 薬売りは目を見開いた。

「はい......はい!! 必ず、あなたの弟子になります!!」

 薬売りは声を震わせながら、深々と頭を下げた。
 薬師やくしは立ち上がる。

「僕も帰って、ひと眠りしてくるよ」

 そう言い残し、医院を出ていった。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 昼過ぎ、蘇生限界の過ぎた二人の遺体を、葬送屋そうそうやと家族が引き取りに来た。

 クロードはそれを見送りながら、ぽつりと呟いた。

「神の御力みちからでも、戻らぬ魂......」

 服の下にある、教会の小さなペンダントを握る。

「クロード、ワシは寝る。お前さんは飯でも食ってこい」

 医院長はあくびをしながら二階へ上がっていった。
 クロードはそれを見送り、黙って外套がいとうに袖そでを通した。


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