祝福の子
この国には、死んだ者を蘇らせる神の力の通り道、神道―― がある。
神道が太い土地では、多くの死者が蘇り、細い土地では、その奇跡はまばらにしか起こらない。
一度死んだ魂は、神の国へと続く、魂の川に還る。
神はその川から魂を掬い上げ、気まぐれに人の身体へ返す。
そうして蘇った者は、けして完全な『その人』ではない。
それでも人は、それを救いと呼ぶ。
たとえ、魂の形が変わっていても。
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緑が広がる丘の道を、クロードはひとり歩いていた。
陽はすでに傾き、辺りは夕刻の気配に染まりはじめている。
目指すのは、丘の上に見える小さな村だった。
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左足が痛む。
どうやらさっき、木の根に足を取られた時、ひねったらしい。
「......今日は、山越えは無理だな」
クロードは、近くの木に背を預け、その場に腰を下ろした。
ふぅ、と息をついて水を飲む。
足首がじくじくと痛む。クロードはそこをさすりながら「参ったな......」と呟いた。
「もし、もし、そこの方。どうしました?」
呼びかけに、顔を上げると、クロードが来た道を、ロバに引かせた一台の荷車が、登ってくるところだった。
御者台に座った少年が、心配そうにこちらを見ている。
クロードは、フラップキャップのつばを、くいと持ち上げた。
「丘の上の村に、薬屋はあるか?」
「どうしたんです?」
少年はロバを止めると、すぐに荷車の御者台から降りてきた。
「少し足を痛めた」
「それはお困りでしょう。薬屋はありませんが、教会にいくらか薬があります」
「......教会」
クロードは、小さく呟いた。
少年は、人の好い笑顔を浮かべて、ためらいなく手を差し出した。
「荷車に乗ってください。村まで、まだまだ遠いですから」
クロードを荷車に乗せ、御者台に座った少年は、ロバに荷車を引かせた。
荷車は、がたがたと揺れながら、丘道をゆっくり登っていく。
クロードは、御者台に座る少年をちらりと見た。
年の頃は十三ほどだろうか。
素朴な衣服の胸元には、教会の小さなペンダントが下がっていた。
「教会の者か」
「僕は、牧師見習いです」
「牧師......」
クロードは少年をもう一度見た。
「僕は蘇生者だから、神官にはなれないんですよ」
少年はそう言って、にこりと笑った。
聖教会の定めでは、神官になれるのは未蘇生の者だけで、蘇生者は牧師までとされている。
この年で蘇生者ということは、病か、あるいは事故か。
クロードは視線を落とし、フラップキャップを目深にした。
それきり会話は途切れた。
荷車の軋む音と、ロバの蹄の音だけが、暮れかけた丘道に、のんびりと響いていた。
やがて、村にある小さな教会の前に着くと、少年は荷車を止めた。
「僕に掴まってください」
「いや、歩ける」
「ええ、歩けるでしょうけど、痛いでしょう?」
クロードはしばらく黙っていたが、少年の笑顔に、ため息をつき、「すまない」と肩を借りた。
小さな教会に入ると、甘い花の香りがした。
「ここに座っててください。薬を持ってきます」
少年はそう言うと、奥の部屋へ向かい、「牧師さま」と声を上げた。
しばらくして、少年が、年配の牧師を連れて戻ってきた。
「ようこそいらっしゃいました、旅のお方」
「クロード、という」
「怪我をなさって、お困りだと聞きました」
「足をくじいたようだ」
「それはいけません。足は旅人の宝です。すぐに手当てをいたしましょう」
牧師の低くやさしい声に、クロードは「頼む」と頭を下げた。
少年がクロードの足元にしゃがみ込み、ブーツと靴下を脱がせると、足首は赤く腫れていた。
「これは痛そうですね」
少年は薬箱から瓶を取り出し、木べらで軟膏をすくって布に塗った。
薬草の青臭い匂いと、鉱物の匂いが立ちのぼり、クロードは眉間にしわを寄せる。
「ふふっ、臭いでしょ? でもこれ、すごくよく効くんですよ」
「......そうか」
クロードが目を閉じると、少年はその布を足首に当て、手際よく包帯を巻いていった。
「クロードさん、今夜はこの村に、泊まるのですか?」
少年は包帯を結びながら、顔を上げた。
「ああ。この足で、山越えはできんからな。どこか泊まれる所はあるか?」
少年の顔が、ぱっと明るくなる。
「なら、教会に泊まるといいですよ。この村には宿屋はないので。ね、いいですよね? 牧師さま」
「そこまで迷惑は......」
「この子は旅人の話を聞くのが、何より楽しみなんですよ」
牧師は古びた大きな手で、少年の頭をやさしく撫でた。
「もう外も暗い。どうかこの子に、付き合ってもらえませんかな?」
牧師の許しが出たことで、少年はさらに目を輝かせてクロードを見上げた。
そのまっすぐな期待に、クロードはわずかにたじろぐ。
「......では、お言葉に甘えて」
そう言って、ようやくうなずいた。
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少年は、物置部屋から松葉杖を持ってきて、クロードの背丈に合わせた。
「背が高いのですね。僕も大きくなれるかなぁ」
「ああ」
「クロードさん、旅は長いのですか?」
「十五の時に、故郷を出た」
「何のために?」
ためらいなく向けられた問いに、クロードの脳裏には「過去を捨てるため」という言葉がよぎった。
だが、「さぁ......な」とだけ言って答えをにごす。
「......お前さんは、なんで教会に?」
きょとんとした顔で、少年はクロードを見返した。
「訛りがこの地のものじゃない。南の出身だな」
少年の目が、たちまち輝く。
「さすが旅人ですね。そうです。僕は南の出身です。教会に入ってから、この村に派遣されたんです」
その瞳が、故郷を懐かしむように細められた。
「僕は、生まれた時に、息をしていなかったそうです。父が、教会に頼んで、蘇生をしてもらったと聞きました」
「......なるほど」
クロードは少年を見つめた。
見える部位に、死痕がないのは、傷を負って死んだわけではないからか、と納得し、小さく頷く。
「でも、故郷の神道は、もうほとんど閉じていて、本来なら蘇生は叶わないはずだったそうです」
少年は、そこで言葉を切り、胸のペンダントにそっと触れた。
「それでも、神は奇跡を起こされたのです」
少年は胸に手を当て、静かに微笑んだ。
「代わりに、その地の神道は、それを最後に、閉じてしまったそうです」
「......」
「だから、僕は牧師となって、神の恵みを人々へ渡したいと思ったんです。そしていつか、故郷に再び神道を開き、蘇生が行えるようにしたい」
少年の瞳には、迷いがなかった。
クロードは、自分の胸元に、視線を落とした。
「......叶うと、いいな」
「はい」
少年は目を細めて笑い、それから待ちきれない、というように身を乗り出した。
「じゃあ、今度はクロードさんの番ですよ。旅で面白かったことや、珍しいもののお話を聞かせてください」
そのきらきらとした眼差しに、クロードは仕方ないな、というように苦笑した。
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ふと目を覚ますと、窓の外はほの明るくなっていた。
クロードが部屋を見回すと、本棚には、いくつもの薬学書が並んでいる。
ソファーで、牧師見習いの少年が、丸まって眠っていた。
遅くまで旅の話を聞いて、はしゃいでいたことを思い出す。
眠りにつく前、少年は「もっと話聞かせて......寝たくない......」と我儘を言っていた。
それを思い出し、クロードは小さく笑った。
その時、静かな空気を叩き割るように、鐘の音が鳴り響いた。
「大変だ!! 火事だ!!」
窓の外から、男の叫び声が飛び込んでくる。
クロードが、急いで立ち上がるのと同時に、勢いよくドアが開く音がした。
見ると、さっきまでソファーで眠っていた少年が、もう廊下へ駆け出していた。
松葉杖をつきながら、教会の外へ出ると、牧師が駆け寄ってきた。
「どうした?」
クロードが問うと、牧師は、煙の上がる方を振り返った。
「通りの家が火事になっていて......まだ中に人がいるようで......あの子が......」
「なにっ」
慣れない松葉杖をつきながら、クロードは煙の上がる方へ急いだ。
通りには、家人らしい男女が、数人へたり込んでいた。
その中の女が、牧師見習いの少年に、すがりついて泣いている。
「まだ......まだ中に娘がいるの......」
「娘さんはどの辺りに?」
「廊下の奥の、右の部屋に......」
少年は、泣き崩れる母親をまっすぐ見つめ、それから小さく頷いた。
「分かりました」
少年は立ち上がると、消火のために汲まれていた桶の水を、頭からかぶった。
「待て!!」
「クロードさん、起こしちゃいましたか」
「火の手はかなり強い。お前さんまで――」
「僕は、この人生を与えて下さった神に、感謝しています。今こそ、そのご恩をお返しする時なのです」
少年は、胸元のペンダントを握り、クロードを見た。
「旅の話、ありがとうございました」
両手でペンダントを包み、短く祈る。
「神よ、どうか、中の子どもをお守り下さい」
次の瞬間、少年は燃え盛る家へ駆け出していた。
「......おい、止めろ!!」
その背が、火の中へ消えてほどなく、玄関の屋根が、崩れ落ちた。
クロードは、片手で顔を押さえ、「バカ野郎......」と苦しげに呟いた。
黒い煙は、高く、高く、空へ昇っていった。
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夜が明けた。
星が太陽の光に追われて姿を消し、明るい朝が村を照らしていた。
村の広場では、焼け出された家族のもとへ、村人たちが、毛布や食べ物を持ち寄っている。
その中で、幼い娘を抱きしめながら、母親が、牧師見習いの少年に、何度も礼を言っていた。
「ありがとう......本当にありがとうございます」
「神の祝福のおかげです」
少年が子どもの頭を撫でると、ぐずっていた少女が笑顔になった。
クロードはその光景を、少し離れた木の下から見つめていた。
少年がクロードを見つけ、笑顔で駆け寄って来る。
その頬は煙で煤け、服の裾も焦げていた。
「クロードさん、大丈夫ですか?」
座り込んでいるクロードの顔を、少年は気づかわしげに覗き込む。
焼け死にそうだった本人の、開口一番の言葉がそれかと、クロードは眉を寄せた。
「ご心配おかけしてすみません」
「......全くだ」
クロードは、自分の頭をくしゃくしゃとかき回し、息を吐きだした。
「でも、無事戻りました」
少年が微笑むと、クロードは疲れたように顔を伏せる。
「もう......あんなことは...、するな」
「僕は、神の信徒となった時から、人々の笑顔のために、この命を使うと決めています」
あまりにも真っすぐなその言葉に、クロードは唇を噛んだ。
「大丈夫。僕には神の祝福がありますから」
少年は、クロードを安心させるように、自分の胸を、拳でとんと叩いた。
「......強いな......」
クロードはそれを見て、ようやく表情を和らげた。
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教会で朝の礼拝を終えた少年が、黒パンとスープを持って来た。
「どうぞ。食べたら足の状態を見ましょう」
正直、火事の騒ぎがあったばかりで、食欲はなかったが、クロードは、その好意に礼を言って食べた。
食後、少年が足に巻いた包帯と布を外す。
腫れはすっかり引いていて、足をついても、ほとんど痛みがない。
「良かったですね」
「......治りが早すぎないか......?」
足首をさすりながら、クロードは少年を見つめた。
「もしかして、お前さんは......」
「しぃーっ」
少年はいたずらっぽく笑い、口元に指を当てた。
「だから、よく効く薬だって言ったでしょう?」
その楽しげな表情に、クロードはそれ以上の言葉を飲み込んだ。
「神に......感謝、だな」
そう言ったクロードの口元は、わずかにほころんでいた。
昼前、クロードは荷物をまとめ、旅支度を整えた。
教会の募金箱に銀貨を一枚入れる。
「お布施をありがとうございます」
「元気でな」
「あ、クロードさん、これ持って行って下さい」
少年は薬の包みをいくつか差し出した。
「次に会う時には、もっとよく効く薬を作れるように、勉強しますので、近くに来たら寄って下さい」
「ああ」
「それまでたくさん旅をして、また僕に旅の話を聞かせて下さいね」
眩しい笑顔の少年と、静かに見守る牧師に、小さく手を上げ、クロードは再び旅の道へと戻っていった。
━ 終 ━