ホーム終の巡礼胸に灯る
目次

胸に灯る

 この国には、死んだ者をよみがえらせる神の力の通り道、神道しんどう―― がある。

 神道しんどうが太い土地では、多くの死者がよみがえり、細い土地では、その奇跡はまばらにしか起こらない。

 一度死んだ魂は、神の国へと続く、魂の川にかえる。
 神はその川から魂をすくい上げ、気まぐれに人の身体へ返す。
 そうしてよみがえった者は、けして完全な『その人』ではない。

 それでも人は、それを救いと呼ぶ。

 たとえ、魂の形が変わっていても。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 森の中、一歩踏み出すごとに、枯れた葉や草が、乾いた音を立てた。

 深くかぶったフラップキャップの下で、男は首元のえりを少し引き寄せる。くたびれた長い外套がいとうすそを、冬の風がかすめていった。

「街まで......あと一息だな」

 胸のポケットから取り出したコンパスは、指先にひやりと冷たかった。
 男は地図とコンパスを見比べてから、空を見上げる。
 太陽はもう、昼過ぎの辺りにあった。

 白い息を吐き、男は再び歩き出した。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 森を抜けると、道の先に、小さな街が見えてきた。

 街の入り口までたどり着くと、門番に「身分証を」と言われた。

 男は、外套がいとうのポケットから、手のひらほどの金属板を出して渡す。

 門番は、それを脇の金属箱の上に置き、「手を」うながす。

 男が手袋を脱ぎ、箱の表面に刻まれた、手形の上へ手を置くと、身分証が青く光った。

「名は?」
「クロード」
「えらく遠くから来たんだな」

 クロードは、まぶかにかぶったフラップキャップのつばを、わずかに持ち上げた。
 白銀はくぎんの髪がのぞき、くすんだ灰色の瞳が影の奥から現れる。
長身痩躯ちょうしんそうくのその姿は、くたびれた長い外套がいとうも相まって、いかにも長く旅をしてきた者だった。

「故郷を出てから旅をしている」
「そうか。入ってよし」

 返された身分証を受け取り、クロードは思い出したようにたずねた。

術具じゅつぐを直せる店はあるか?」
「ここは術具師じゅつぐしの街だからな。色んな店がある。どんな物を直すんだ?」

 クロードは腰のポーチから、小さな金属製の道具を取り出して見せた。

 それを見た門番は、少し考えてから言った。

「火付けの術具じゅつぐか。こういうのなら、噴水広場の西側に入った先の術具屋かな。値は張るが、腕はいい」
「そうか。行ってみるよ」

 クロードは建物の並ぶ方へ歩き出した。

 太陽が傾く方角に、温水を湧かせる噴水の広場があった。
 冬の冷たい空気にさらされ、湯気が絶えず立ちのぼっている。

 クロードは広場を見回し、西側の商店が並ぶ方へ進んだ。

 パン屋、肉屋、野菜や果物を売る店。さらに進めば、衣料品店や靴屋もある。
クロードは看板を見上げながら歩き、やがて術具屋じゅつぐやの前で足を止めた。

 扉の脇の表札には、ギルドの紋章もんしょうと店名が刻まれている。

 ドアを開けると、カランカランとベルが鳴った。

 店内を見回すと、棚にはさまざまな術具じゅつぐが並べられていた。
 安いものでも銀貨五枚以上はする。

 クロードは棚の火付けの術具じゅつぐをひとつ手に取り、蓋を開けた。
 ぽっと小さな火が灯る。

「いらっしゃい。何かお探しかね?」

 店の奥から、店主らしい男がカウンターへ出てきた。
 クロードは蓋を閉じ、商品を棚へ戻す。

「あんたが、術具じゅつぐの修理ができると聞いて来た」
「修理か。物による。貸してみろ」

 クロードは腰のポーチから火付けの術具じゅつぐを取り出し、店主に渡した。

「えらく古いな。買い替えた方が早いぞ」

 店主はそう言いながら眼鏡をかけ、作業台の引き出しから小さな工具を取り出した。

 ねじをゆるめ、外側の金属ケースを外す。
中には、透明で、丸く平たい、赤い石が収まっていた。

 店主は置き型のルーペを引き寄せ、石の表面に刻まれた術式じゅつしきのぞき込む。
それを見た店主は、手を止めて首を振った。

「こいつは俺には無理だ」
「直せない?」

 クロードは顔を上げた店主に問うた。

「ああ。この術式じゅつしきは、俺の友人の術具師じゅつぐしのものだ。俺には扱えん」
「店の品とは違うのか」
「違う。精密な術式じゅつしきなら俺もやる。だが、こんな式を組むのはあいつだけだ。あいつは天才だ」
「そうか......」

 店主はカウンターの中から出てくると、棚の品を手で示した。

「俺の作も、なかなかのもんだぞ。どうだ?」

 勧められた棚の値札をちらりと見て、クロードは遠慮するように片手を上げた。

「いや、やめておこう。ここの品は、俺には高級品だ」

 店主は眉を上げ、それから「ははっ」と笑った。

「これを作った術具師じゅつぐしは、もういないのか?」

「......いや。引退したよ」
「そうか」

 返された火付けの術具じゅつぐをしばらく見つめ、クロードはきびすを返した。

「そいつ、大切な物なのか?」

 店主の言葉に、クロードは足を止めて振り返る。

「ああ。そうだ」

 店主は腕を組んだまま少しだまり、それから口を開いた。

「出て右へ行くと橋がある。その先にほったて小屋がある。そこへ行け」
「引退してるんだろ?」
「新しい術具を作ってないだけだ」
「そうなのか」

 店主は少し難しい顔をして、鼻を鳴らした。

「あいつに会ったら、俺が、たまには飲みに行こうと言っていたと、伝えてくれないか」
「......分かった」



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 店主に教えられた通り、クロードは石畳の道を進んだ。
 路地では子どもたちが遊び、石畳の上にチョークで絵を描いている。

 クロードは足を止め、その絵を見た。

術具じゅつぐの式か」
「お、兄ちゃん、分かる?」
「さすが術具師じゅつぐしの街だな」
「俺、大人になったら術具屋じゅつぐやをやるんだ」
「そうか。頑張れ」

 頭を撫でられた少年が、嬉しそうに笑う。

「この先の街外れに、すごい術具師じゅつぐしがいるんだよ」
「そうか」
「俺、その人に何回も弟子入りを頼んだけど、全然取り合ってくれなかった」

 クロードは少し興味を引かれ、少年に目線を合わせるように腰をかがめた。

「引退したと聞いた」
「うん......昔、術具じゅつぐの研究中に爆発が起きて、奥さんと子どもを亡くしたんだって」

 うつむいた少年を見つめ、クロードは「そうか......」と呟いた。

「でも、俺、諦めない。絶対弟子入りして、すごい術具じゅつぐを作るんだ」
「......頑張れ」
「うん」

 背中に少年の声を残したまま、クロードは街外れを目指して歩き出した。

 小さな橋を渡ると石畳は途切れ、砂利道の先に、林を背にした小さな小屋が見えてきた。

「......あれか」

 近づくと、小屋の向こうに、焼け焦げた家の跡があった。
 崩れた木材は黒くすすけたまま、長い間手を入れられた様子もない。

「......」

 クロードは視線を小屋へ戻し、ドアを叩いた。
 何度か叩いてみたが、返事はない。

「留守か」

 手を下ろして辺りを見回した、その時だった。

「誰だ」

 後ろから声がした。

 振り返ると、がっしりした体つきの背の高い男が、木の陰から姿を現した。

「ここの術具師じゅつぐしか? 修理を頼みに来た」
「街の術具屋じゅつぐやに言え」
「あんたでないと直せないと言われた」

 クロードが腰のポーチから、火付けの術具じゅつぐを取り出して見せると、男は無精髭ぶしょうひげの生えたあごに手をやり、目を細めた。

「......来な」

 開けられたドアの向こうへ、クロードは男の後について入った。

 小屋の中には、ベッドとすすけたチェスト、作業台があった。暖炉だんろの上には、ガラスの割れた写真立てが置かれている。

 クロードは何も言わず、チェストの表面に指をわせた。指先に煤がつき、黒く汚れる。

「懐かしい...な」

 男は火付けの術具じゅつぐを開き、中の透明な赤い石を取り出した。表面に刻まれた術式じゅつしきをランプの光に透かして見て、低く呟く。

「やっぱり、あんたが作ったのか」
「ああ。まだ若造だった頃にな」
「街の術具師じゅつぐしは、あんたのことを天才だと言っていた」

 男はそこでようやく手を止めた。
 クロードを見たあと、視線を外すように足元へ落とす。

「そんなんじゃねぇ」

 男はうなるように言った。
 赤い石を撫でる指先には、遠い昔の感触が、まだ残っているようだった。

「あの頃の俺は......天才だなんだと言われて、いい気になってたんだ」

 おぼろげに浮かぶのは、戻らない頃の光景だった。




━━━━━ * * * * * ━━━━━




 林の側の家から、小さな子どもの笑い声が聞こえてくる。
 裏庭で洗濯物を干し終えた女が、子どもの手を引いて家の裏手にある工房へ入ってきた。

「おとーちゃん、まだお仕事してるのー?」

 無邪気な声に、作業台へ向かっていた若い男が顔を上げる。
 子どもはそのまま駆け寄って、男の手元をのぞき込んだ。

「こら。危ないぞ」
「だって今日は、お昼から山いちごを採りに行こうって約束したじゃん。早く行こうよ」
「ははっ、そうだったな。どれ、ちょっと待ってろ」

 男はそう言って、透明な赤い石に術式じゅつしきを刻む手を止め、子どもに笑いかけた。

「あなた、あまり遅くならないようにしてね」
「ああ。分かってるよ」

 男は石を作業台のミニチェストにしまい、作業用のエプロンを外した。



 山道を、子どもと二人で登っていく。
 水音がする、岩場の茂みをかき分けると、赤い実がいくつもなっていた。

「すごーい!! いっぱい!!」
「山いちごは、こういう水のく場所の近くによく生えるんだ」
「いっぱいんで、おかーちゃんにジャム作ってもらうんだー」
「そうだな。たくさんんで帰ろう」
「うん!!」

 子どもの笑顔に、男もつられるように笑った。



 かごいっぱいの山いちごを持ち帰ると、子どもはほこらしげに母親のもとへ駆けていった。
 その背を見送り、男は工房へ戻る。

 作業台の脇に積み上がった紙の束には、細かな術式じゅつしきがびっしりと書き込まれていた。
 それを一枚ずつ見返していた男は、ふと何かを思いついたように、手元の紙へ新たな式を書き足していく。

 そうしているうちに日は落ち、工房の中は薄闇に沈んでいった。
 それでも男は、術式じゅつしきの研究に没頭し続けていた。



 翌日、街へ出た男は、噴水広場に店を出している友人のもとを訪ねた。

「よう。久しぶりだな」
「ああ。新しい術具を作った。鉱山の発破はっぱに使える」

 男が差し出した筒状つつじょう術具じゅつぐを、友人は「ほう」と受け取る。
 先端にはめ込まれた石に、刻まれた術式じゅつしきを、懐から取り出したルーペでのぞき込んだ。

「見たことのない式だな」
「新しく組んだからな」

 友人は、ルーペをしまい、術具じゅつぐを返した。

「本当にお前は天才だな。そのうち大聖堂都市だいせいどうとしのギルドから、お声がかかるんじゃないのか?」
「ははっ。お前の術具だって、十分すごいじゃないか」
「俺は、精密な物は作れても、お前みたいに新しいもんを生み出すのは、俺には無理だ」

 そう言って友人は肩をすくめて首を振る。

「店を構えるんだって?」
「ああ」

 友人は照れくさそうに鼻の下をこすった。

「嫁さんももらったことだしな。この術具師じゅつぐしの街に根を下ろそうと思ってる」
「そうか」
「ああ」

 持って来たいくつかの品を友人に渡し、男はこれまでの売上金を受け取った。

「いつも店に置いてもらって、悪いな」
「いいさ。似たような品ばかり並ぶより、バリエーションがあった方が客も喜ぶ」

 友人はそう言って、受け取った品を手慣れた様子で棚へ並べていく。

「じゃあ、また来るよ」
「もう帰るのか。たまには一緒に飲みに行こうぜ」
「ああ、また今度な」

 夕食のあと、術式じゅつしきを書きつけたメモをながめながら、男は「大聖堂都市だいせいどうとしのギルド......か」と小さく呟いた。

 あの大きなギルドの研究員になれば、潤沢じゅんたくな研究費も、大がかりな実験設備も手に入る。
 妻や子どもにも、今よりずっと良い暮らしをさせてやれるはずだ。

「あなた、また仕事のこと考えてるの?」
「ん? ああ」
「本当に研究が好きね」
「これしか取り柄がないからな」

 妻は苦笑して、「ま、私は、そんなあなただから、好きになったんだけどね」と言った。

 男が何か返そうとした、その時。
 作業台の端で、かちりと何かがみ合う音がした。

 振り向く。

 筒状つつじょう術具じゅつぐを抱えた子どもが、きょとんとこちらを見ていた。
 先端の石が、赤く、脈打つように明滅めいめつしている。

 男の喉が、ひゅっと鳴った。

「それを──」

 言い終える前に、妻が駆けた。
 子どもをかばうように抱き寄せる、その背が見えた。

 閃光せんこう

 何もかもが、そこで途切れた。

 次に男が見た時、家は全壊し、工房は半ば吹き飛んでいた。
 壁は崩れ、はりは折れ、火の粉が静かに落ちてくる。

 男の周囲だけを、青白い防御術式ぼうぎょじゅつしきが薄く包んでいた。

 妻も、子どもも、もう動かなかった。
 男だけが、無傷でその場に残されていた。




━━━━━ * * * * * ━━━━━




 クロードは男の話を聞きながら、暖炉の上の古い写真立てに目をやった。

蘇生そせいは......しなかったのか?」

 男は、苦しそうに眉を寄せた。

「もちろん、すぐに助祭じょさいを呼んださ。だが......この土地の神道しんどうはもう細い。神の御力みちからは、ほとんど届かん」

「......そうか」

 男は作業台の上のミニチェストから、透明な赤い石を取り出した。
 クロードの火付けの術具じゅつぐに使われていたものと、同じ術式じゅつしきが刻まれている。

「お前さん、なんでこんな古いのを使ってるんだ? 街にもっといい物が売ってただろう」
「それは......」

 クロードは作業台の上で解体された火付けの術具じゅつぐを見た。

「旅立つ時に、父親から貰った」
「健在なのか?」
「......一度、蘇生そせいしている」
「そうか」

 男はその石を、術具じゅつぐの金具に留め、ケースを元に戻した。
 蓋を閉じ、もう一度開く。
 ぽっと小さな火がともる。

「スペアの石だが」

 男は火付けの術具じゅつぐをクロードへ放ってよこした。
 クロードはそれを受け取り、蓋を開けて火がつくことを確かめる。

「いくらだ?」
「古い......古い石だ。金なぞいらん」

「......じゃ、ありがたく」

 クロードはそれを腰のポーチにしまった。

 その時、どんどんとドアを叩く音がした。

「ししょー!! 師匠ししょう!! いる? パン持ってきたよ!! 開けてよ師匠ししょう!!」

 街で、術式じゅつしきを石畳に描いていた、少年の声だった。

「今日こそは俺を弟子にしてよ!! 師匠ししょう!!」

 威勢いせいのいい声に、男がやれやれと頭を振る。
 クロードは口元をわずかにゆるめ、ドアを開けてやる。少年が前のめりで入って来た。

「観念して弟子でも取ったらどうだ?」
「さっきの兄ちゃん!!」
「全く、お前はやかましくて仕方ない」

 男はため息をついたが、その顔にはかすかに笑みが浮かんでいた。

「俺の子が育っていれば、ちょうど......こいつくらいだろうな......」

 男はチェストを開け、少し小さなエプロンを少年へ放った。

「......え?」
「どうした? 俺の弟子になるんだろう?」
「え......? えっ!?」

 目を丸くして立ち尽くす少年を見て、クロードは笑みを深くした。

「ああ、そうだ。街の術具師じゅつぐしが、たまには一緒に飲もうと言っていた」
「そうだな。たまにはいいかもな」
「噴水広場の飲み屋に金を預けておく。修理の礼だ。好きなだけ飲んでくれ」



 小屋のドアをくぐり、クロードは空を見上みあげた。
 遠くの空は、夕焼けに赤く染まっている。
 夕闇が冷たい風を運んできた。
 首筋を守るように外套がいとうえりを寄せた。

「今日は久しぶりに宿屋に泊まるか」

 背後では、騒がしくなった術具師じゅつぐしの家から、少年のはしゃぐ声が聞こえてくる。

 それを背に、クロードはゆっくりと歩き出した。

 夕暮れの空へ、白い息がひとつ溶けていった。


━ 終 ━



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胸に灯る

 この国には、死んだ者をよみがえらせる神の力の通り道、神道しんどう―― がある。

 神道しんどうが太い土地では、多くの死者がよみがえり、細い土地では、その奇跡はまばらにしか起こらない。

 一度死んだ魂は、神の国へと続く、魂の川にかえる。
 神はその川から魂をすくい上げ、気まぐれに人の身体へ返す。
 そうしてよみがえった者は、けして完全な『その人』ではない。

 それでも人は、それを救いと呼ぶ。

 たとえ、魂の形が変わっていても。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 森の中、一歩踏み出すごとに、枯れた葉や草が、乾いた音を立てた。

 深くかぶったフラップキャップの下で、男は首元のえりを少し引き寄せる。くたびれた長い外套がいとうすそを、冬の風がかすめていった。

「街まで......あと一息だな」

 胸のポケットから取り出したコンパスは、指先にひやりと冷たかった。
 男は地図とコンパスを見比べてから、空を見上げる。
 太陽はもう、昼過ぎの辺りにあった。

 白い息を吐き、男は再び歩き出した。



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 森を抜けると、道の先に、小さな街が見えてきた。

 街の入り口までたどり着くと、門番に「身分証を」と言われた。

 男は、外套がいとうのポケットから、手のひらほどの金属板を出して渡す。

 門番は、それを脇の金属箱の上に置き、「手を」うながす。

 男が手袋を脱ぎ、箱の表面に刻まれた、手形の上へ手を置くと、身分証が青く光った。

「名は?」
「クロード」
「えらく遠くから来たんだな」

 クロードは、まぶかにかぶったフラップキャップのつばを、わずかに持ち上げた。
 白銀はくぎんの髪がのぞき、くすんだ灰色の瞳が影の奥から現れる。
長身痩躯ちょうしんそうくのその姿は、くたびれた長い外套がいとうも相まって、いかにも長く旅をしてきた者だった。

「故郷を出てから旅をしている」
「そうか。入ってよし」

 返された身分証を受け取り、クロードは思い出したようにたずねた。

術具じゅつぐを直せる店はあるか?」
「ここは術具師じゅつぐしの街だからな。色んな店がある。どんな物を直すんだ?」

 クロードは腰のポーチから、小さな金属製の道具を取り出して見せた。

 それを見た門番は、少し考えてから言った。

「火付けの術具じゅつぐか。こういうのなら、噴水広場の西側に入った先の術具屋かな。値は張るが、腕はいい」
「そうか。行ってみるよ」

 クロードは建物の並ぶ方へ歩き出した。

 太陽が傾く方角に、温水を湧かせる噴水の広場があった。
 冬の冷たい空気にさらされ、湯気が絶えず立ちのぼっている。

 クロードは広場を見回し、西側の商店が並ぶ方へ進んだ。

 パン屋、肉屋、野菜や果物を売る店。さらに進めば、衣料品店や靴屋もある。
クロードは看板を見上げながら歩き、やがて術具屋じゅつぐやの前で足を止めた。

 扉の脇の表札には、ギルドの紋章もんしょうと店名が刻まれている。

 ドアを開けると、カランカランとベルが鳴った。

 店内を見回すと、棚にはさまざまな術具じゅつぐが並べられていた。
 安いものでも銀貨五枚以上はする。

 クロードは棚の火付けの術具じゅつぐをひとつ手に取り、蓋を開けた。
 ぽっと小さな火が灯る。

「いらっしゃい。何かお探しかね?」

 店の奥から、店主らしい男がカウンターへ出てきた。
 クロードは蓋を閉じ、商品を棚へ戻す。

「あんたが、術具じゅつぐの修理ができると聞いて来た」
「修理か。物による。貸してみろ」

 クロードは腰のポーチから火付けの術具じゅつぐを取り出し、店主に渡した。

「えらく古いな。買い替えた方が早いぞ」

 店主はそう言いながら眼鏡をかけ、作業台の引き出しから小さな工具を取り出した。

 ねじをゆるめ、外側の金属ケースを外す。
中には、透明で、丸く平たい、赤い石が収まっていた。

 店主は置き型のルーペを引き寄せ、石の表面に刻まれた術式じゅつしきのぞき込む。
それを見た店主は、手を止めて首を振った。

「こいつは俺には無理だ」
「直せない?」

 クロードは顔を上げた店主に問うた。

「ああ。この術式じゅつしきは、俺の友人の術具師じゅつぐしのものだ。俺には扱えん」
「店の品とは違うのか」
「違う。精密な術式じゅつしきなら俺もやる。だが、こんな式を組むのはあいつだけだ。あいつは天才だ」
「そうか......」

 店主はカウンターの中から出てくると、棚の品を手で示した。

「俺の作も、なかなかのもんだぞ。どうだ?」

 勧められた棚の値札をちらりと見て、クロードは遠慮するように片手を上げた。

「いや、やめておこう。ここの品は、俺には高級品だ」

 店主は眉を上げ、それから「ははっ」と笑った。

「これを作った術具師じゅつぐしは、もういないのか?」

「......いや。引退したよ」
「そうか」

 返された火付けの術具じゅつぐをしばらく見つめ、クロードはきびすを返した。

「そいつ、大切な物なのか?」

 店主の言葉に、クロードは足を止めて振り返る。

「ああ。そうだ」

 店主は腕を組んだまま少しだまり、それから口を開いた。

「出て右へ行くと橋がある。その先にほったて小屋がある。そこへ行け」
「引退してるんだろ?」
「新しい術具を作ってないだけだ」
「そうなのか」

 店主は少し難しい顔をして、鼻を鳴らした。

「あいつに会ったら、俺が、たまには飲みに行こうと言っていたと、伝えてくれないか」
「......分かった」



━━━━━ * * * * * ━━━━━



 店主に教えられた通り、クロードは石畳の道を進んだ。
 路地では子どもたちが遊び、石畳の上にチョークで絵を描いている。

 クロードは足を止め、その絵を見た。

術具じゅつぐの式か」
「お、兄ちゃん、分かる?」
「さすが術具師じゅつぐしの街だな」
「俺、大人になったら術具屋じゅつぐやをやるんだ」
「そうか。頑張れ」

 頭を撫でられた少年が、嬉しそうに笑う。

「この先の街外れに、すごい術具師じゅつぐしがいるんだよ」
「そうか」
「俺、その人に何回も弟子入りを頼んだけど、全然取り合ってくれなかった」

 クロードは少し興味を引かれ、少年に目線を合わせるように腰をかがめた。

「引退したと聞いた」
「うん......昔、術具じゅつぐの研究中に爆発が起きて、奥さんと子どもを亡くしたんだって」

 うつむいた少年を見つめ、クロードは「そうか......」と呟いた。

「でも、俺、諦めない。絶対弟子入りして、すごい術具じゅつぐを作るんだ」
「......頑張れ」
「うん」

 背中に少年の声を残したまま、クロードは街外れを目指して歩き出した。

 小さな橋を渡ると石畳は途切れ、砂利道の先に、林を背にした小さな小屋が見えてきた。

「......あれか」

 近づくと、小屋の向こうに、焼け焦げた家の跡があった。
 崩れた木材は黒くすすけたまま、長い間手を入れられた様子もない。

「......」

 クロードは視線を小屋へ戻し、ドアを叩いた。
 何度か叩いてみたが、返事はない。

「留守か」

 手を下ろして辺りを見回した、その時だった。

「誰だ」

 後ろから声がした。

 振り返ると、がっしりした体つきの背の高い男が、木の陰から姿を現した。

「ここの術具師じゅつぐしか? 修理を頼みに来た」
「街の術具屋じゅつぐやに言え」
「あんたでないと直せないと言われた」

 クロードが腰のポーチから、火付けの術具じゅつぐを取り出して見せると、男は無精髭ぶしょうひげの生えたあごに手をやり、目を細めた。

「......来な」

 開けられたドアの向こうへ、クロードは男の後について入った。

 小屋の中には、ベッドとすすけたチェスト、作業台があった。暖炉だんろの上には、ガラスの割れた写真立てが置かれている。

 クロードは何も言わず、チェストの表面に指をわせた。指先に煤がつき、黒く汚れる。

「懐かしい...な」

 男は火付けの術具じゅつぐを開き、中の透明な赤い石を取り出した。表面に刻まれた術式じゅつしきをランプの光に透かして見て、低く呟く。

「やっぱり、あんたが作ったのか」
「ああ。まだ若造だった頃にな」
「街の術具師じゅつぐしは、あんたのことを天才だと言っていた」

 男はそこでようやく手を止めた。
 クロードを見たあと、視線を外すように足元へ落とす。

「そんなんじゃねぇ」

 男はうなるように言った。
 赤い石を撫でる指先には、遠い昔の感触が、まだ残っているようだった。

「あの頃の俺は......天才だなんだと言われて、いい気になってたんだ」

 おぼろげに浮かぶのは、戻らない頃の光景だった。




━━━━━ * * * * * ━━━━━




 林の側の家から、小さな子どもの笑い声が聞こえてくる。
 裏庭で洗濯物を干し終えた女が、子どもの手を引いて家の裏手にある工房へ入ってきた。

「おとーちゃん、まだお仕事してるのー?」

 無邪気な声に、作業台へ向かっていた若い男が顔を上げる。
 子どもはそのまま駆け寄って、男の手元をのぞき込んだ。

「こら。危ないぞ」
「だって今日は、お昼から山いちごを採りに行こうって約束したじゃん。早く行こうよ」
「ははっ、そうだったな。どれ、ちょっと待ってろ」

 男はそう言って、透明な赤い石に術式じゅつしきを刻む手を止め、子どもに笑いかけた。

「あなた、あまり遅くならないようにしてね」
「ああ。分かってるよ」

 男は石を作業台のミニチェストにしまい、作業用のエプロンを外した。



 山道を、子どもと二人で登っていく。
 水音がする、岩場の茂みをかき分けると、赤い実がいくつもなっていた。

「すごーい!! いっぱい!!」
「山いちごは、こういう水のく場所の近くによく生えるんだ」
「いっぱいんで、おかーちゃんにジャム作ってもらうんだー」
「そうだな。たくさんんで帰ろう」
「うん!!」

 子どもの笑顔に、男もつられるように笑った。



 かごいっぱいの山いちごを持ち帰ると、子どもはほこらしげに母親のもとへ駆けていった。
 その背を見送り、男は工房へ戻る。

 作業台の脇に積み上がった紙の束には、細かな術式じゅつしきがびっしりと書き込まれていた。
 それを一枚ずつ見返していた男は、ふと何かを思いついたように、手元の紙へ新たな式を書き足していく。

 そうしているうちに日は落ち、工房の中は薄闇に沈んでいった。
 それでも男は、術式じゅつしきの研究に没頭し続けていた。



 翌日、街へ出た男は、噴水広場に店を出している友人のもとを訪ねた。

「よう。久しぶりだな」
「ああ。新しい術具を作った。鉱山の発破はっぱに使える」

 男が差し出した筒状つつじょう術具じゅつぐを、友人は「ほう」と受け取る。
 先端にはめ込まれた石に、刻まれた術式じゅつしきを、懐から取り出したルーペでのぞき込んだ。

「見たことのない式だな」
「新しく組んだからな」

 友人は、ルーペをしまい、術具じゅつぐを返した。

「本当にお前は天才だな。そのうち大聖堂都市だいせいどうとしのギルドから、お声がかかるんじゃないのか?」
「ははっ。お前の術具だって、十分すごいじゃないか」
「俺は、精密な物は作れても、お前みたいに新しいもんを生み出すのは、俺には無理だ」

 そう言って友人は肩をすくめて首を振る。

「店を構えるんだって?」
「ああ」

 友人は照れくさそうに鼻の下をこすった。

「嫁さんももらったことだしな。この術具師じゅつぐしの街に根を下ろそうと思ってる」
「そうか」
「ああ」

 持って来たいくつかの品を友人に渡し、男はこれまでの売上金を受け取った。

「いつも店に置いてもらって、悪いな」
「いいさ。似たような品ばかり並ぶより、バリエーションがあった方が客も喜ぶ」

 友人はそう言って、受け取った品を手慣れた様子で棚へ並べていく。

「じゃあ、また来るよ」
「もう帰るのか。たまには一緒に飲みに行こうぜ」
「ああ、また今度な」

 夕食のあと、術式じゅつしきを書きつけたメモをながめながら、男は「大聖堂都市だいせいどうとしのギルド......か」と小さく呟いた。

 あの大きなギルドの研究員になれば、潤沢じゅんたくな研究費も、大がかりな実験設備も手に入る。
 妻や子どもにも、今よりずっと良い暮らしをさせてやれるはずだ。

「あなた、また仕事のこと考えてるの?」
「ん? ああ」
「本当に研究が好きね」
「これしか取り柄がないからな」

 妻は苦笑して、「ま、私は、そんなあなただから、好きになったんだけどね」と言った。

 男が何か返そうとした、その時。
 作業台の端で、かちりと何かがみ合う音がした。

 振り向く。

 筒状つつじょう術具じゅつぐを抱えた子どもが、きょとんとこちらを見ていた。
 先端の石が、赤く、脈打つように明滅めいめつしている。

 男の喉が、ひゅっと鳴った。

「それを──」

 言い終える前に、妻が駆けた。
 子どもをかばうように抱き寄せる、その背が見えた。

 閃光せんこう

 何もかもが、そこで途切れた。

 次に男が見た時、家は全壊し、工房は半ば吹き飛んでいた。
 壁は崩れ、はりは折れ、火の粉が静かに落ちてくる。

 男の周囲だけを、青白い防御術式ぼうぎょじゅつしきが薄く包んでいた。

 妻も、子どもも、もう動かなかった。
 男だけが、無傷でその場に残されていた。




━━━━━ * * * * * ━━━━━




 クロードは男の話を聞きながら、暖炉の上の古い写真立てに目をやった。

蘇生そせいは......しなかったのか?」

 男は、苦しそうに眉を寄せた。

「もちろん、すぐに助祭じょさいを呼んださ。だが......この土地の神道しんどうはもう細い。神の御力みちからは、ほとんど届かん」

「......そうか」

 男は作業台の上のミニチェストから、透明な赤い石を取り出した。
 クロードの火付けの術具じゅつぐに使われていたものと、同じ術式じゅつしきが刻まれている。

「お前さん、なんでこんな古いのを使ってるんだ? 街にもっといい物が売ってただろう」
「それは......」

 クロードは作業台の上で解体された火付けの術具じゅつぐを見た。

「旅立つ時に、父親から貰った」
「健在なのか?」
「......一度、蘇生そせいしている」
「そうか」

 男はその石を、術具じゅつぐの金具に留め、ケースを元に戻した。
 蓋を閉じ、もう一度開く。
 ぽっと小さな火がともる。

「スペアの石だが」

 男は火付けの術具じゅつぐをクロードへ放ってよこした。
 クロードはそれを受け取り、蓋を開けて火がつくことを確かめる。

「いくらだ?」
「古い......古い石だ。金なぞいらん」

「......じゃ、ありがたく」

 クロードはそれを腰のポーチにしまった。

 その時、どんどんとドアを叩く音がした。

「ししょー!! 師匠ししょう!! いる? パン持ってきたよ!! 開けてよ師匠ししょう!!」

 街で、術式じゅつしきを石畳に描いていた、少年の声だった。

「今日こそは俺を弟子にしてよ!! 師匠ししょう!!」

 威勢いせいのいい声に、男がやれやれと頭を振る。
 クロードは口元をわずかにゆるめ、ドアを開けてやる。少年が前のめりで入って来た。

「観念して弟子でも取ったらどうだ?」
「さっきの兄ちゃん!!」
「全く、お前はやかましくて仕方ない」

 男はため息をついたが、その顔にはかすかに笑みが浮かんでいた。

「俺の子が育っていれば、ちょうど......こいつくらいだろうな......」

 男はチェストを開け、少し小さなエプロンを少年へ放った。

「......え?」
「どうした? 俺の弟子になるんだろう?」
「え......? えっ!?」

 目を丸くして立ち尽くす少年を見て、クロードは笑みを深くした。

「ああ、そうだ。街の術具師じゅつぐしが、たまには一緒に飲もうと言っていた」
「そうだな。たまにはいいかもな」
「噴水広場の飲み屋に金を預けておく。修理の礼だ。好きなだけ飲んでくれ」



 小屋のドアをくぐり、クロードは空を見上みあげた。
 遠くの空は、夕焼けに赤く染まっている。
 夕闇が冷たい風を運んできた。
 首筋を守るように外套がいとうえりを寄せた。

「今日は久しぶりに宿屋に泊まるか」

 背後では、騒がしくなった術具師じゅつぐしの家から、少年のはしゃぐ声が聞こえてくる。

 それを背に、クロードはゆっくりと歩き出した。

 夕暮れの空へ、白い息がひとつ溶けていった。


━ 終 ━



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終の巡礼作者:いか
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