声のデカい男
三治、ケンカになる
「失敬、前を通る」
入学式が始まるまでの間、手元のノートに魔法陣の描画練習をしていた三治の座席の右隣に、顔立ちのハッキリした筋肉質な男がドッカリと座った。
男は1列ごとに共有されている机の上に無造作に配布資料を置く。半分崩れた資料が三治の机の使用範囲まで侵食してきた。体格もそれなりに大きいので圧迫感が大きい。
黙ったまま広がった資料を押し戻すと、隣の男は「うん?」と大きな声をあげた。
「これは驚いた。これほどまでに完璧な魔法陣を描くとは」
声の大きな男が勝手にノートを覗き込む。三治は顔を顰めつつも無視する。
「しかし、なぜこのような練習を?魔法を詠唱すれば魔法陣など自動的に発動するではないか」
魔法使いにとって、魔法の仕組みを人為的に再現するための魔法陣など、練習する意味が分からないのだろう。
悪意がないことは分かるが、そうハッキリ言われるとカチンとくる。三治は男の問いかけに舌打ちをした。
「な、なんだ、同胞に対してその態度は」
「黙れ。声がでかい」
「貴様!!!」
今にも掴みかかってきそうな男を睨みつける。ここで舐められるわけにはいかない。
すぐに魔法を発動できるようにペンを構えてから、ふと吉継の予言が頭をよぎった。
──2週間のあいだに4回モメる。
その妙に具体的な数字が何を根拠に割り出されたものなのかは知らないが、いま諍いを起こしてしまえば、さっそく4回のうちの1回をここで消費することになる。
吉継の困ったような薄笑いが目に浮かんで、三治は奥歯を噛み締めながらフイと右隣の席の男から視線を逸らした。
「1年生諸君!魔法士官学校への入学を歓迎する!魔法軍大将、筑前藤吉郎閣下のお言葉である!全員起立!!」
学校長の号令に、一触即発だった三治と右隣の男も立ち上がる。士官学校入学という門出の光景を、まさか同期に邪魔されることになるとは思わなかった。
式典は滞りなく進む。1年から4年の士官候補生が一堂に会する入学式はなかなかに壮観である。
「新入生宣誓。朱雀隊1年、澤山三治軍曹。陸軍中央幼年学校卒業」
名前を呼ばれた三治が立ち上がるよりも先に、大講堂にどよめきが起こった。
新入生宣誓は、毎年その年の入学試験の首席が務める事になっている。今年度の入学試験の総合順位1位は三治だ。
「おい、嘘だろ。非魔法使いが首席だと?」
「しかもあの野蛮な陸軍幼年学校の卒業生とは」
背筋を伸ばして前方まで歩く途中、静まらないどよめきには冷ややかな嘲笑が確かに混ざっていた。
どう思われても構わない。非魔法使いが魔法使いよりも好成績をおさめた。ただそれだけのことだ。
壇上に上がる直前、2年の席の吉継が手を振って茶化してくるのが視界に入ったので無視した。
「新入生宣誓。我々士官候補生は──」
正面で三治の宣誓を聞くのは魔法軍元帥の側近、筑前藤吉郎中将である。
新聞でしか見たことのない雲の上の人物が目の前にいる高揚感に、三治の声がわずかに震えた。
「──そして、国家、国民のため、日々精進していく事をここに誓います」
代表挨拶を読み終わると、張り詰めた空気に沈黙が訪れる。
滞りなく宣誓を終え、無事に入学式を終える。
「朱雀隊1年生諸君、整列せよ!これより寮へ案内する」
朱雀隊の上級生の号令によって、三治は隊列に加わって歩き始める。魔法によって戦闘を行う魔法軍の士官候補生は男女比が概ね半々である。
「君、凄いではないか。一般市民の出身で新入生代表とは」
三治の後ろに、先ほどの声の大きな男が並んでいた。「一般市民」というのは魔法使い達が非魔法使いを指して呼ぶ蔑称であるが、魔法使いの居住区である「魔法界」で生まれ育った人間にとって、その言葉は広く浸透し、もはや一般の言葉になりつつある。
そんな経緯も知らぬ男の無遠慮さを不快に感じた三治は視線を逸らして無視しようとしたが、男はズイと顔を寄せてくる。
「君が何故、魔法陣の描画練習なんぞをしているかと疑問に思っていたが、一般市民ならば納得だ。正確な描画は正確な魔法発動に不可欠だからな」
「さっきから馬鹿にしているのか。一般市民の候補生に成績で負けた腹いせか、魔法使い」
侮蔑を含んだ言葉を投げかけると、男は太い眉を吊り上げる。
「そのような低俗な真似をするはずがあるか。俺は純粋な評価を」
「純粋な評価というわりに、貴様は魔法陣の描画の価値すら理解していなかったではないか。さしたる努力もなく魔法を使う連中は、そうやっていつも一般市民を軽んじるのだ」
「なんだと、碌に話も聞かずに卑屈なことを。士官候補生として情けないとは思わんのか!!」
声を荒げて顔を近づけてきた男の目の前に魔法陣のノートと万年筆を突きつける。魔法陣の中央に記した魔法式は、魔法の発動先を書き足せば男の顔を黒焦げにできる炎を発動できる。
「貴様、やる気か」
間合いをとった男は軍服の内ポケットから杖を取り出す。杖の先が明るく光った。
一瞬だけ、2年生の集団の中にいる吉継の苦笑いが視界の端に見えたのだが、何故そんな顔をしているのかまでを考えるには至らなかった。
「くらえっ!」
男は手始めに詠唱時間の短い小さな閃光を放ってみせる。目が眩んで文字が書けなくなるのを狙ったのだろうが、消灯後の陸軍幼年学校の寝台の上でさえ勉強を続けてきた三治は、手元を見ずとも魔法式を書くことは容易だ。
三治は男を注視したまま魔法出力先までの距離を計算し、予め描いてあった炎の魔法陣に計算結果を書き足す。男が回避することも想定して、計算した通りの距離まで間合いを詰めた。
魔法陣の中心にペンで書いた魔法式が、空間の魔力を吸い上げて発光しながら消える。
男の足元にマッチの火程度の小さな炎が点火した。男の革の軍靴から焼き肉のような匂いが漂った。
「貴様ッ!!」
周囲の候補生たちが異常に気がついて騒ぎ立てる。
「君たち、一体何をしている⁉︎」
上級生たちの声を背後に、男が足元の火を踏み潰す。三治はその隙をついて男に接近し、低い位置から顔面に向かって肘鉄を喰らわせた。
陸軍の家系である三治は、魔法よりも殴った方が早い場合の方が多いのだ。
「やったな、一般市民!!」
顔面を鼻血で赤く染めた男が大きな目を見開く。男が杖を振り上げる前にもう一撃喰らわせようとした三治が姿勢を低くした瞬間、男の硬く分厚い手が三治の軍服の胸倉を掴んで綺麗な巴投げを決めた。
宙を舞った三治は魔法使いからの予想外の攻撃に受け身を取り忘れ、寮の象徴たる朱雀像の角に強かに額を強打した。
「......記念すべきモメ事第一号じゃないか」
どこからか、吉継の声が聞こえた。