第二章:おじいちゃんズ、襲来
かつて。
闇のずっとずっと深いところ。
銀色の光だけがありました。
その光は皓と呼ばれ、闇のあまねくを照らす存在でした。
けれど月の神がその力を失いし時、銀色の光がその最後のひと雫を受け取りました。
銀色の光は新たなる月の神として、名を皓月と改めて天に昇りました。
その時、皓は満ち満ちる闇にいつか会いに行くことを約束しました。
闇はその約束をいつまでも、いまでも覚えていました。
夜は闇です。その上を巡行するのが月の神です。
月の神となった皓は時折闇に触れ、かつてを懐かしんで少しだけ、月の巡りを遅らせることもありました。
闇は喜び、いつかまた、銀色の光が還ることを願いました。
けれど、千の時、万の時が流れても銀色の光が還りません。
だから、闇は思いました。
きっと道がわからなくなっているのだろうと。
今や立派な月神となった皓は、もとはちいさな、ちいさな光だったから。
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月神・皓月が夜の巡りを終え、至高の座にある執務室へと戻るとそこには奇妙な光景が広がっていた。
「ふむ...ふむ?」
小さな黒いふわふわとした綿ぼうしのような塊が3つ。無心に書き物を続けている夫の周りをぬぅっと伸びたり縮んだりしながらぐるぐると回っている。
「......」
その光景に、何も見なかったことにしよう、と月神はそっと踵を返そうと足を引いた。その僅かな音に気付いたのだろう、重苦しく響く低い声が呼び止める。
「...皓月。この者らをどうにかせよ...」
「玄霄...そう邪見にするでない。古き闇の神々ぞ」
仕方なく動きを止め、嘆息して応じる月神の声。聞きつけた黒いふわふわが飛び跳ねて口々に喜びの声を上げた。
「おお、皓じゃ!」
「「皓っ!」」
そして飛び跳ねる動きのまま月神の足元へと集まる。
「のぅ、なにゆえに還らぬ?」
「迷子になったのじゃな?」
「うむうむ。小さきひかりじゃったものな」
黒い綿ぼうしのようなふわふわは、月神の足元でまるで小さかった頃がつい最近のことのように話し出す。そして明るく誘いを向けた。
「まあよい、我らの迎えぞ」
「「共に還ろうぞ」」
パキィッ...
ちいさな黒いふわふわの一言に、はっきりと筆の折れる物音がした。そして、ごうっと天地神の神威が膨れ上がって室内を揺るがす。
「玄霄っ、鎮まらぬか!」
慌てて月神が駆け寄り、その頭を抱きかかえるようにして腕の中に閉じ込める。
「闇の三大老、あまり我が夫を刺激なさるな...」
そしてなんとか宥めようとそう言うが、綿ぼうしたちは飛び上がって震えたり、伸びて揺れたりしながら反論する。
「なんと心弱きおとこよ」
「これが皓の婿なるおとこか?」
「闇の深淵たる我らに敵うはずもなかろうに」
困り果てたような顔をして、皓月はそうっと腕の力を緩めてみた。
室内に放たれた神威はいまだ空気を揺るがし続けてはいるが、自分が抱きしめたことで少しなりとも落ち着きはしていないかと。
そしていまだ無言の玄霄の、その表情を見て一度だけ呼吸を止めた。
玄霄のその顔は――――
額には幾筋もの青筋が脈打ち、黄金の双眸は殺意に血走ってギラギラと輝いていた。
『殺す』
音無き声が、響いた。
「大老方...我はもう天の理に在りし存在ゆえ...」
空気の震えからその声を聴き、なるべくやんわりと還らない、という意図を伝えようと皓月は再度口を開く。
「ぬ、ぬぅ。そうであったな。月の神であった」
「おお、そうじゃ!下界では『さとがえり』なるものがあるときいた」
「やや、知っておるぞ。なれば3日ほどならばともに過ごせるはずじゃ!」
室内を満たす重苦しい神威などなんのその。
「さとがえりじゃ」と連呼して弾む黒い綿ぼうしが3つ。
「黙っておれば...よう言うたものよ...我が月を、どこへ連れて行こうというのか...古き神とて容赦はせぬ...灰燼に帰すが良い...」
ぶわりと膨れ上がった神威がそのまま綿ぼうしたちを吹き飛ばそうと襲い掛かる。
「おお、こわや」
「なんと短気な」
「のぅ、皓よ。こやつは聊かよいおとこではないのではないか?」
綿ぼうしたちはその攻撃をまともに受けて霧散した。けれどすぐに寄り集まってもとの黒い綿ぼうしに戻る。
つかみどころのない闇は、そうであるからこそ実体を伴わず、いかようにもなれた。
そして口々にまたしゃべりだし、「危険じゃ、危険じゃ」と煽るように言って皓月の足元に集う。
「大老方...3日も天をあけてしまえば夜の巡りが滞りますれば...」
「ぬうぅ...けれど我らに会いに来ると約定したのは皓じゃぞ」
「のぅ、のぅ。半日でも還られまいか?」
「夜の巡りには間に合うように天へ帰そうぞ」
「玄霄...」
玄霄は皓月の腰に腕を回し、離そうとはしない。輝く黄金の目で綿ぼうしを睥睨し、それから少し不安そうな揺らぎを見せながら皓月を見た。
「......頼む。三大老に、我は確かにいつか会いに行くと約定したのだ」
「必ず、必ず半日であろうな?」
ギロリ、と黄金の目を向ける玄霄に、綿ぼうしたちが跳ねる。
「もちろんじゃ!」
「皓の婿なれば許すものじゃぞ!」
「必ず!深淵の闇の約定じゃ!」
玄霄は一度大きく息を吐き、神威を静かに収めていった。それから縋りつくように抱きしめていた腕を解き、居住まいを正す。
「明日ならば...――良い」
「「「おお!ものわかりのよい婿じゃ!」」」
「礼を言うぞ、玄霄」
嬉しそうになおも跳ねる綿ぼうしたちを眺め、ほっとしたような表情で皓月が玄霄へと顔を向ける。
「今宵、微睡む暇があると思うな」
「...承知した」
返ってきたのは唸るような低い声だった。
わずかばかりの苦笑を口元に留め、皓月はひとつ、頷きを返すことにした。
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こうして小さな小さな銀のひかりであったころのように、月の神は闇の深いところへと還ってゆきました。
半日という短い間、闇は喜び、小さなひかりであったころよりも明るく優しく周りを照らすようになった月の神を誇らしげに褒めたたえました。
そして月の神はたくさんのことを闇に話しました。
闇は懐かしそうにそれを聞き、頷き、楽しそうに揺れました。
やがて半日の刻限が訪れ、月の神はまた天へと昇っていきます。
闇はその後をついていき、こういいました。
「夜の巡りにある闇に」
「我らも共に参ろうぞ」
「これでもう半日は共に在れるのぅ!」
月の神は大いに笑いましたが、天地の神は海底を隆起させ、嵐を起こしました。
その日の夜の天地の理は少しだけ、乱れたものになりました。
これはむかしむかしのお話と、いまのお話です。
だから今日もまた――
「婿よ、我らの皓を泣かせてはおるまいな?」
「婿よ、茶のひとつも出さぬのか?」
「婿よ、はようはよう」
願えば叶う、を学習した三大老は至高の座にある彼らの執務室へと押しかけていたりするのでしょう。