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第四章:庭園のマウント合戦と玄月の受難

 天界の頂、万物の理ばんぶつのことわりが湧き出る『神々の庭』

 そこは天井を持たず、足元には雲海と下界の星々が瞬き、頭上には宇宙の深淵が広がる至高の空間である。

 本来ならば、世界の命運を静かに見下ろすための厳かな神域――のはずだった。

 しかし本日に限り、その庭は異様な熱気と紫電が走る神威の火花に満ちていた。

 庭園の中央にしつらえた白銀の卓を挟んで、二柱の最高神が対峙している。

 一方は、天地神・玄霄てんちしん・げんしょう。彼は庭石の石榻せきとうに深く腰掛けているが、その太い腕の中には妻である月神・皓月つきがみ・こうげつがすっぽりと収まり、彼の膝の上から一歩も動けない状態にあった。

 もう一方は、星神・辰星ほしがみ・しんせい。 彼は下界から天界へ昇ってきた体勢のまま、地母神・翠嶺ちぼしん・すいれいを己の腕の中に抱きかかえて対面の席へ腰掛けている。
 決して彼女の足を地面に着けさせまいとする頑なさだ。

 そして、それぞれの腕の中に囚われている妻たちはといえば――二人の間に置かれた、薄氷のように滑らかで美しい陶磁の茶器を挟み、庭園を吹き抜ける涼やかな風を感じながら、穏やかな茶の語らいに興じている。

「......辰星。そなた、天界の庭へ来るのにわざわざ翠嶺を抱きかかえてきたそうだな」

 沈黙を破ったのは玄霄だった。皓月の腰を抱く腕にぐっと力を込めながら、眇めるように星神を見る。

「神の足で歩くことすらさせぬばかりか、今もそうして手放さぬとは、過保護を通り越してただの拘束ではないのか。翠嶺もさぞ窮屈であろう」

 大仰に首を振り、同意を求めるように自らの妻の頬へ顔を寄せる玄霄。

「......どの口が言うか」

 辰星は鼻で笑っていなしつつ、腕の中の翠嶺の様子を窺い、その髪へ愛おしげに口付けを落とした。

「今、皓月はどこに座っている? 貴様のその太い腕の中に囚われ、膝の上から一歩も動けていないではないか。まさか自分が『椅子』だとでも勘違いしているのか?」

 明らかに己を煽る意図を含んだ言葉に、玄霄は不快げに鼻を鳴らした。

「我は皓月が落ちぬよう支えているだけだ。共に天地の理を司るための、極めて合理的な体勢と言える」

「笑わせるな。私が翠嶺を抱くのは、下界から天界への『移動の負担』を減らすための慈愛だ。貴様の強欲な執着と一緒にされては困る」

 似通うがゆえの忌々しさに、二柱の最高神は不満げに視線を逸らした。鏡に映る己の執着と対峙しているという真理に気づかぬまま。

「......皓月」

 玄霄が、自らの腕の中の妻の耳元へ口を寄せ、殊更威厳を含んだ声で囁いた。

「あの星神に伝えてくれ。『そなたが創る星の軌道が最近どうも乱れている。妻を抱きしめるのに夢中で、手元が狂っているのではないか』とな」

 (直接言えばよかろうに......)

 皓月は内心で呆れ果てながらも、小さく息を吐いて角を立てぬよう言葉を紡ぎ直した。

「......辰星。少し星々の瞬きが強すぎるようだ。夜の巡りの際、軌道の調整をしてもらえないか?」

「......翠嶺」

 負けじと、辰星も自らの妻の耳元に囁く。

「天地神に言ってやってくれ。『我が庭の星々は完璧だ。天地神が私情で嵐を起こしたり、天地の理を揺るがしたりするから、そちらの帳とばりが歪んでいるのだろう』と」

 (まあ、この方たちは......)

 翠嶺はくすりと微笑み、皓月に向かって翻訳の体をなさない言葉を紡いだ。

「皓月、玄霄様。お仕事がお忙しくてお疲れのようですね。温かいお茶で一息いれてくださいな」

 夫らの不毛な言づてを何食わぬ顔で聞き流し、ただ目の前のお茶会に微笑みを交わし合う妻たち。

 そのたおやかな態度に、最高神らの苛立ちはついに直接の刃となって弾けた。

「......ほう。数千年も暗闇に引きこもって、周囲の星を食い荒らしていただけの男が、随分と立派な口を利くようになったものだな」

「ふん。その暗闇の中で、業の痛みに耐えかねて泣き喚いていたのはどこのどいつだったか。皓月にすがらねば、立っていることすらできなかったくせに」

「容赦しておれば調子に乗りおって。我が妻の名を気安く呼ぶでないわ」

 ズゴゴゴゴゴ......と、庭園の空気が重く地鳴りのような音を立てて震え始める。

 世界を統べる二柱の神威が正面からぶつかり合い、足元の雲海が大きく波立った。

「相変わらず、力ずくで理を歪めたその玉座は居心地が良いか、玄霄? ......本来ならば、皓月の隣に座っているのは私であったはずだが」

「......未練がましい男だ。ならば今からでも理を正すか? 翠嶺をこちらへ寄越せ」

「断る。お前こそ我が妻の名を軽々しく呼ぶな。実に不快だ」

 辰星の背後に、無数の星々が瞬く宇宙の幻影が広がる。

「翠嶺の指一本、髪一筋たりとも貴様には触れさせん。......理を曲げて奪ったその月神の重み、せいぜい永遠に抱えておくことだな」

「言われるまでもない。そもそも、そなたのような器の小さい男に皓月の銀の光を受け止めきれたとも思えぬがな」

 玄霄の黄金の双眸が殺意に血走り、辰星の神威が星を砕くほどの圧力を放つ。

 カタカタと卓上の繊細な模様が描かれた茶器が悲鳴をあげる中――

「この茶菓子、小さくて食べやすいからと下界の者が供えてきたものなのだ」

 皓月は小さな丸い菓子をひとつ摘まむと、優雅に口へと運んだ。

「口の中ですぐ解けてしまう。なれど、この儚さがとても甘くて美味しい」

「ええ、本当に。皓月の淹れてくださったお茶の心地よい渋みによく合いますね」

 柔らかな笑みを交わし合う妻たち。

 二柱は世界を揺るがす致死量の神威など庭を渡るそよ風程度にしか感じていないかのように、のんびりと語らいを深めていた。

「失礼します」

 そんな混沌極まる神々の庭の入口に、静かな足音が響いた。

 現れたのは、玄霄と皓月の子である玄月。

 彼は庭を見渡し、殺気を放つ父と叔父、そして優雅に茶をすする母たちの姿に、数秒だけ動きを止めた。

「......星神様、地母神様。そろそろお戻りいただかないと、天界と下界の巡りが滞ります」

「おお、玄月か。ちょうど良いところへ来た」

 玄霄の声。その後を追うように辰星と玄霄の視線が、同時に玄月へと突き刺さる。

「玄月。そなたから見て、我らのどちらの『正道』が真に正しいと思うのだ?」

 父から放たれた、万物の理を揺るがす、あまりに不条理な問いであった。

 天地の理を曲げてでも愛を貫いた父か。

 暗闇の底で愛を一度見失いつつも唯一を見出して今は全てを包み込む叔父か。

 空間がミシミシと悲鳴を上げ、二柱の最高神が解答を急かすように神威を膨れ上がらせる。

 玄月は、冷徹な銀の瞳で庭の宙空と石榻を見据え、静かに一度だけ嘆息した。

「......どちらの過去の正道が正しいかなど、私には存じ上げません」

 玄月は一歩前に進み出ると、父と叔父を真っ直ぐに見返した。

「ですが、母上と翠嶺様の淹れた茶が冷める前に、その神威を収めるのが、今の貴方たちにとっての『唯一の正道』かと存じます。......これ以上お茶会を邪魔して怒らせてしまえば、今宵、微睡む暇どころか寝屋の扉すら開かぬことになりましょう」

 ピタリ、と。

 時が止まったかのように、庭園を満たしていた凄まじい圧力が霧散した。

「......ふむ。茶が冷めてはいかんな。皓月、我も一杯もらおうか」

「......うむ。翠嶺、私もその菓子をいただこう」

 先ほどまでの殺意はどこへやら。

 玄霄と辰星は何事もなかったかのように居住まいを正し(※ただし妻を抱きしめたまま)、大人しく白銀に輝く卓へと視線を落とした。

「ふふっ。玄月は本当に、よくできた息子ですね」

「うむ、我に似たのであろう。少なくとも、玄霄のような無茶はせん」

 楽しそうに笑い合う皓月と翠嶺の声を背中で聞きながら、玄月は踵を返し、静かに庭を後にした。

 神々の庭の秩序は今日もまた、たくましい妻たちと苦労性の息子によって、平穏に守られているのである。
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絶望の夜を越えた理(ことわり)に、永遠(とわ)の甘やかしを作者:うき
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 天界の頂、万物の理ばんぶつのことわりが湧き出る『神々の庭』

 そこは天井を持たず、足元には雲海と下界の星々が瞬き、頭上には宇宙の深淵が広がる至高の空間である。

 本来ならば、世界の命運を静かに見下ろすための厳かな神域――のはずだった。

 しかし本日に限り、その庭は異様な熱気と紫電が走る神威の火花に満ちていた。

 庭園の中央にしつらえた白銀の卓を挟んで、二柱の最高神が対峙している。

 一方は、天地神・玄霄てんちしん・げんしょう。彼は庭石の石榻せきとうに深く腰掛けているが、その太い腕の中には妻である月神・皓月つきがみ・こうげつがすっぽりと収まり、彼の膝の上から一歩も動けない状態にあった。

 もう一方は、星神・辰星ほしがみ・しんせい。 彼は下界から天界へ昇ってきた体勢のまま、地母神・翠嶺ちぼしん・すいれいを己の腕の中に抱きかかえて対面の席へ腰掛けている。
 決して彼女の足を地面に着けさせまいとする頑なさだ。

 そして、それぞれの腕の中に囚われている妻たちはといえば――二人の間に置かれた、薄氷のように滑らかで美しい陶磁の茶器を挟み、庭園を吹き抜ける涼やかな風を感じながら、穏やかな茶の語らいに興じている。

「......辰星。そなた、天界の庭へ来るのにわざわざ翠嶺を抱きかかえてきたそうだな」

 沈黙を破ったのは玄霄だった。皓月の腰を抱く腕にぐっと力を込めながら、眇めるように星神を見る。

「神の足で歩くことすらさせぬばかりか、今もそうして手放さぬとは、過保護を通り越してただの拘束ではないのか。翠嶺もさぞ窮屈であろう」

 大仰に首を振り、同意を求めるように自らの妻の頬へ顔を寄せる玄霄。

「......どの口が言うか」

 辰星は鼻で笑っていなしつつ、腕の中の翠嶺の様子を窺い、その髪へ愛おしげに口付けを落とした。

「今、皓月はどこに座っている? 貴様のその太い腕の中に囚われ、膝の上から一歩も動けていないではないか。まさか自分が『椅子』だとでも勘違いしているのか?」

 明らかに己を煽る意図を含んだ言葉に、玄霄は不快げに鼻を鳴らした。

「我は皓月が落ちぬよう支えているだけだ。共に天地の理を司るための、極めて合理的な体勢と言える」

「笑わせるな。私が翠嶺を抱くのは、下界から天界への『移動の負担』を減らすための慈愛だ。貴様の強欲な執着と一緒にされては困る」

 似通うがゆえの忌々しさに、二柱の最高神は不満げに視線を逸らした。鏡に映る己の執着と対峙しているという真理に気づかぬまま。

「......皓月」

 玄霄が、自らの腕の中の妻の耳元へ口を寄せ、殊更威厳を含んだ声で囁いた。

「あの星神に伝えてくれ。『そなたが創る星の軌道が最近どうも乱れている。妻を抱きしめるのに夢中で、手元が狂っているのではないか』とな」

 (直接言えばよかろうに......)

 皓月は内心で呆れ果てながらも、小さく息を吐いて角を立てぬよう言葉を紡ぎ直した。

「......辰星。少し星々の瞬きが強すぎるようだ。夜の巡りの際、軌道の調整をしてもらえないか?」

「......翠嶺」

 負けじと、辰星も自らの妻の耳元に囁く。

「天地神に言ってやってくれ。『我が庭の星々は完璧だ。天地神が私情で嵐を起こしたり、天地の理を揺るがしたりするから、そちらの帳とばりが歪んでいるのだろう』と」

 (まあ、この方たちは......)

 翠嶺はくすりと微笑み、皓月に向かって翻訳の体をなさない言葉を紡いだ。

「皓月、玄霄様。お仕事がお忙しくてお疲れのようですね。温かいお茶で一息いれてくださいな」

 夫らの不毛な言づてを何食わぬ顔で聞き流し、ただ目の前のお茶会に微笑みを交わし合う妻たち。

 そのたおやかな態度に、最高神らの苛立ちはついに直接の刃となって弾けた。

「......ほう。数千年も暗闇に引きこもって、周囲の星を食い荒らしていただけの男が、随分と立派な口を利くようになったものだな」

「ふん。その暗闇の中で、業の痛みに耐えかねて泣き喚いていたのはどこのどいつだったか。皓月にすがらねば、立っていることすらできなかったくせに」

「容赦しておれば調子に乗りおって。我が妻の名を気安く呼ぶでないわ」

 ズゴゴゴゴゴ......と、庭園の空気が重く地鳴りのような音を立てて震え始める。

 世界を統べる二柱の神威が正面からぶつかり合い、足元の雲海が大きく波立った。

「相変わらず、力ずくで理を歪めたその玉座は居心地が良いか、玄霄? ......本来ならば、皓月の隣に座っているのは私であったはずだが」

「......未練がましい男だ。ならば今からでも理を正すか? 翠嶺をこちらへ寄越せ」

「断る。お前こそ我が妻の名を軽々しく呼ぶな。実に不快だ」

 辰星の背後に、無数の星々が瞬く宇宙の幻影が広がる。

「翠嶺の指一本、髪一筋たりとも貴様には触れさせん。......理を曲げて奪ったその月神の重み、せいぜい永遠に抱えておくことだな」

「言われるまでもない。そもそも、そなたのような器の小さい男に皓月の銀の光を受け止めきれたとも思えぬがな」

 玄霄の黄金の双眸が殺意に血走り、辰星の神威が星を砕くほどの圧力を放つ。

 カタカタと卓上の繊細な模様が描かれた茶器が悲鳴をあげる中――

「この茶菓子、小さくて食べやすいからと下界の者が供えてきたものなのだ」

 皓月は小さな丸い菓子をひとつ摘まむと、優雅に口へと運んだ。

「口の中ですぐ解けてしまう。なれど、この儚さがとても甘くて美味しい」

「ええ、本当に。皓月の淹れてくださったお茶の心地よい渋みによく合いますね」

 柔らかな笑みを交わし合う妻たち。

 二柱は世界を揺るがす致死量の神威など庭を渡るそよ風程度にしか感じていないかのように、のんびりと語らいを深めていた。

「失礼します」

 そんな混沌極まる神々の庭の入口に、静かな足音が響いた。

 現れたのは、玄霄と皓月の子である玄月。

 彼は庭を見渡し、殺気を放つ父と叔父、そして優雅に茶をすする母たちの姿に、数秒だけ動きを止めた。

「......星神様、地母神様。そろそろお戻りいただかないと、天界と下界の巡りが滞ります」

「おお、玄月か。ちょうど良いところへ来た」

 玄霄の声。その後を追うように辰星と玄霄の視線が、同時に玄月へと突き刺さる。

「玄月。そなたから見て、我らのどちらの『正道』が真に正しいと思うのだ?」

 父から放たれた、万物の理を揺るがす、あまりに不条理な問いであった。

 天地の理を曲げてでも愛を貫いた父か。

 暗闇の底で愛を一度見失いつつも唯一を見出して今は全てを包み込む叔父か。

 空間がミシミシと悲鳴を上げ、二柱の最高神が解答を急かすように神威を膨れ上がらせる。

 玄月は、冷徹な銀の瞳で庭の宙空と石榻を見据え、静かに一度だけ嘆息した。

「......どちらの過去の正道が正しいかなど、私には存じ上げません」

 玄月は一歩前に進み出ると、父と叔父を真っ直ぐに見返した。

「ですが、母上と翠嶺様の淹れた茶が冷める前に、その神威を収めるのが、今の貴方たちにとっての『唯一の正道』かと存じます。......これ以上お茶会を邪魔して怒らせてしまえば、今宵、微睡む暇どころか寝屋の扉すら開かぬことになりましょう」

 ピタリ、と。

 時が止まったかのように、庭園を満たしていた凄まじい圧力が霧散した。

「......ふむ。茶が冷めてはいかんな。皓月、我も一杯もらおうか」

「......うむ。翠嶺、私もその菓子をいただこう」

 先ほどまでの殺意はどこへやら。

 玄霄と辰星は何事もなかったかのように居住まいを正し(※ただし妻を抱きしめたまま)、大人しく白銀に輝く卓へと視線を落とした。

「ふふっ。玄月は本当に、よくできた息子ですね」

「うむ、我に似たのであろう。少なくとも、玄霄のような無茶はせん」

 楽しそうに笑い合う皓月と翠嶺の声を背中で聞きながら、玄月は踵を返し、静かに庭を後にした。

 神々の庭の秩序は今日もまた、たくましい妻たちと苦労性の息子によって、平穏に守られているのである。
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