13.贈る相手は、まさか
昇二が買い求めたのは、翡翠の帯留めと珊瑚色のりぼんだった。店員に贈答用に包むように依頼し、大切そうにスーツの内ポケットにしまい込む。
その姿に何も感じなかった、といえば嘘になる。正妻の自分が、昇二が想いを寄せる女性への贈り物を選ぶのは、信用されている証である。しかし、情けなくもあった。
(贈り物くらい、ご自身で選んで欲しいですわ)
影でコソコソされているのも、腹立たしい。けれど、あからさまにされるのも嫌だ。
考えながら、ボーッと昇二の背中を追いかけていたから、美也子は気付かなかった。
「昇二様、ここは......?」
訝しげな視線を投げかけた昇二は、コートを脱ぎながら答えた。
「ホテルだ。さっき話しただろう? 今日はここに泊まると」
二つ並んだベッドに、美也子はかぁっと頬を染めた。
名ばかりの妻である美也子は、結婚してから一度も昇二と同じ部屋で休んだことはない。
突然、なぜ?
戸惑う美也子をよそに、昇二は奥にあるソファーにドカリと座った。
「あの、昇二様。わたくしは帰り......」
「座りなさい」
昇二は美也子の言葉を途中で遮った。初めて聞く、有無を言わさぬ口調に、美也子は大人しく従った。
「さて......」
そう前置きした昇二の話は、美也子が初耳のものだった。
来月、昇二はアメリカに渡って、最低でも向こう二年は帰ってこない。
「鷹司がアメリカに拠点を作るんだ。その運営を俺は任されている。これは結婚前に決まっていたことだ」
「ま、松平は!? 昇二様が立て直している松平はどうなるのです!?」
そこまで言って、美也子は思わず口を押さえた。真っ先に出てきた言葉が、昇二を案じるのではなく、松平のことだったからだ。
大きく顔に「しまった」と書いている美也子を見ても、昇二は怒らなかった。ただ、寂しそうな笑みを浮かべただけだ。
「問題ない。最低限の体制は整えたし、俺の腹心の部下を松平に置いていく。あいつを取られるのは惜しいがな」
「何故、入婿の昇二様がいつまでも鷹司の重役をしなければならないのです」
今度は、冷静に問うことが出来た。美也子の言葉に昇二は「分からぬか?」と投げ返してくる。
しばし考えた美也子は、ある答えを導き出して、愕然とする。
もし、これが事実なら。あまりにも、あまりにも昇二に無礼な行いだ。自分でも気づかぬ内に、美也子の体は小刻みに震えていた。
「そんな......あまりにも......昇二様に」
「それが政略結婚というものだ。俺は、松平の嫡男が帰ってくるための繋ぎでしかない。万が一、跡継ぎが出奔したままなら、俺が穴埋めをする。結婚後も当主はお義父上のままだったのは、そういう理由だ」
「......兄は......松平に戻り......たいと?」
声が震えるのを押さえきれない。昇二は、頷いた。
「所詮、良いところの坊っちゃんだ。一時の感情で飛び出したのだろうが、上手くいくわけない。俺の、というのはおこがましいが、松平の家業が立ち直る道筋はつけた。鷹司は束の間とはいえ、侯爵家の類縁となることが出来た。家同士の密約としては、悪くない話だ」
美也子が思い当たった真実を、昇二は平然と言ってのける。
結婚当初で何も知らない頃だったら、何も感じなかったのに。
昇二の生い立ちを知った今の美也子には、胸に迫るものがあった。
「俺が単身外国で暮らし、妻を顧みなければ離縁理由には充分だ。出戻りという汚名は被るが、侯爵家の令嬢だ。子もいないとなると、嫁ぎ先も困らぬはずだ。だから、飾りで良かった。君は師範学校に行きたいという夢を口にしていたし、恋慕している相手もいた。実に都合が良かった」
美也子はギョッとする。その気になれば調べるのは容易い。けれど情で繋がっていない昇二が、そこを指摘するとは考えもよらなかったのだ。
「し、昇二様......」
「咎めているわけではないさ」
変な汗をかいている美也子に、昇二は笑った。
「最初に飾りでいい、と言ったのは俺だ。しかし......」
昇二は懐に手を入れて、包装紙で包まれた品物をテーブルの上にそっと置いた。
「欲しくなったんだ、美也子が。今だって金春色のリボンを千切り捨てて、これを身に着けて欲しいと願うくらいには、恋慕している」
「え?」
突然の告白。驚く美也子に、昇二は次々と想いを伝えてくる。
「一緒に来ないか、アメリカに。彼の国はここより、家に縛られず、自由に生きられる。そこで名実ともに夫婦として生きよう」
美也子は目を見開いた。唇だけで、なぜ、と呟く。届かないと思ったのに、昇二から応えがあった。
「美也子だけだ。俺を一人の人間として選んだと、断言したのは。その場しのぎだとしても、八つも下の娘に選ばれて、喜ぶくらいには心を動かされた」
「......昇二様」
昇二の瞳に迷いはなかった。
「いや、その前からだな。没落寸前なのに華族としての矜持を失わないところも。新しい知識を得る度に、目を輝かせているところも。魅力的だった」
苦笑混じりに呟く昇二に、美也子は言葉が出てこない。分かっているのは、今自分が激しく混乱していることだけ。
そんな美也子の様子を見ても、昇二の口は止まらなかった。
「将来に迷っているなら、俺も選択肢に入れて欲しい。自分が苦労したんだ。たとえ子を授からなくとも妾は持たない。選んでくれるなら生涯、美也子だけが妻だと誓おう」
「......昇二......様」
「そんな顔をするな」
昇二は美也子の頬に触れた。手以外で昇二が美也子に触れたのは、初めてのこと。美也子は、固まってなすがままだ。
「美也子が、好きだ」
吐息混じりに吐き出された言葉は、ゆっくりと美也子に染み渡っていくのだった。