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14.決断の日

 昇二は、紳士だった。正式な妻の美也子を、無理やり従わすことも出来たはずなのに、
「同意もないのに同衾どうきんなど、求めないさ」
 と、美也子を慮った。
「色々言ってしまったが......。翼を折りたいわけじゃない。君が誇り高く生きられる道を選びなさい」
 諭すような昇二の言葉に、美也子は悲しくなる。昇二は、既に諦めている。美也子が自分を選ばないことを。
 美也子も昇二に何と声をかけたらいいか、分からなかった。
 自分の気持ちすらわからず、間近に迫っている進路すら決めきれない、優柔不断さなのだから。

「申し訳ありません、昇二様」
 これ以外、言葉が出てこない。頭を下げる美也子に、昇二は「構わない」と首を振った。
「まだ君は若い。これから数多の出会いがあるはずだ」
 暗に自分を選ぶな、と伝えてくる昇二に気付かれないように。美也子はベッドの上で布団に包まって、静かに涙を流したのだった。

 ※

 その日を境に、昇二は松平の家に寄りつかなくなった。半月も経たない内に、アメリカへ居を移すのだ。慌ただしいのは、仕方ない。
 けれど、話す機会すらない。美也子は、自問するしかなかった。

 そして。悩み抜いた美也子は、一つの答えに辿り着いたのだ。

 ※

「先に行きます!」
 貸自動車を飛び降りた美也子は、付き人に支払いを任せて駆け出した。
 船の出港時間は迫っている。女学校の制服である絣の着物に袴姿で走っている姿は目立つが、そうは言ってられない。
 早くしないと、昇二がアメリカに旅立ってしまう。

 美也子は人を掻き分け、一心不乱に駆けた。

 走って走って、見えてきた先にいたのは。まさに今、係員に切符を渡し、船に乗り込もうとする昇二の姿だった。
「昇二様!」
 声に昇二が振り向く。美也子を見つけた昇二が目を細め、係員に二、三言何か話した後、すっと列を抜けた。
 その間に、美也子は昇二の元に辿り着く。
「わざわざ見送りに来てくれて、ありがとう」
 昇二が礼を言う。全速力で走ってきた美也子は、すぐに言葉が出てこない。ゼイゼイと激しく呼吸をしながら、違う、と首を振ることしか出来なかった。
 だが、昇二には上手く伝わらなかったようだ。美也子にハンカチを差し出しながら、優しく告げる。

「幸せに。君の活躍を、遠くの地から祈っている」
 違う。違うのだ。だが、まだ呼吸が整わない。ならば、と美也子は髪を縛っているリボンに手を伸ばした。

 引っ張るだけでシュル、と簡単に解ける金春色のリボン。同時に、髪の毛が風でなびく。
 人前で髪を乱れさすなんて、恥ずかしいこと。しかし、声が出ない今、自分に出来る意思表示はこれしか考えられなかった。
 ずっと大切にしていたそれを、美也子は掌の上に乗せた。吹いてきた海風が、あっという間にリボンをさらっていく。宙に舞う鮮やかな青に、昇二の目が大きく見開かれた。

「......着いて、行きます」
「......え?」
 やっと絞り出せた美也子の言葉に、昇二は呆けた声を漏らした。
 ようやく呼吸が整った美也子は、改めて昇二に告げた。
「わたくしは昇二様の妻です。共に行きます」
「政略結婚だ。そこまで考えなくとも......」
「いいえ!」
 美也子は強く否定する。そしてあの夜と同じ台詞を口にした。
「わたくしは、昇二様を選んだのです」
「美也子」
「最初はどうであれ、わたくしはあなた様の妻になりました。なら、妻としての責務を全うしたいと......。教師にはいつでも......いえ」
 美也子はそこまで言って、口を噤んだ。昇二に伝えたいことは、こんな建前ではない。なのに、言葉にするのは、すごく......。

 昇二はそんな美也子を見て、静かに告げた。
「ゆっくりでいい。話せるまで待つ」
「しかし、船の時間が......」
「そうだな......」
 昇二は、おもむろにスーツのポケットから船のチケットを取り出して、美也子に見せつける。
「言い分があるなら、船上で聞こう。乗るか?」
 冷徹な物言いをされるのは、随分と久しぶりだ。が、表情は柔らかい。

 頭が冷えた。
 美也子は目の前の昇二を見据えると、きっぱりと言い切った。

「乗ります」
「後悔しないか?」
「いたしません」
 そこまで言って、美也子はようやくその言葉を口にすることが出来た。

「お慕いしていますわ、昇二様」
 昇二が息を飲む。美也子は微笑みながら続けた。
「教師になる夢を諦めたわけではありません。しかし今は、あなた様と共に同じ世界を見ていたい。それに......」
「それに?」
「お一人になると、冷酷な表情になりますでしょう? いけませんわ、そんな顔をしていたら。商談も上手くいきません」
「なら......」

 昇二は既に笑っていた。
「一緒に来て貰わないとならないな」
 そして跪いた。
「来てくれるか、俺と共に。......差し出すものが船の切符というのは、いまいち格好つかないが」
 美也子は頷いて、侯爵令嬢としての矜持を胸に姿勢を正す。
 
「謹んで頂戴します。女の身で遊学に行けるなんて、なんて恵まれているのでしょうか。......わたくし、必死に勉強しますわ」
 美也子の言葉に力強く頷いた昇二は、もちろん、と呟いた。
「約束しよう。君に最高の学びの場を。そして最愛の妻として、皆に紹介しよう」
 昇二から切符を受け取った瞬間、旅立ちを祝うように汽笛が鳴り響いたのだった。
あとがき雪本風香
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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お家を存続させるための結婚です。情はありません!作者:雪本風香
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 昇二は、紳士だった。正式な妻の美也子を、無理やり従わすことも出来たはずなのに、
「同意もないのに同衾どうきんなど、求めないさ」
 と、美也子を慮った。
「色々言ってしまったが......。翼を折りたいわけじゃない。君が誇り高く生きられる道を選びなさい」
 諭すような昇二の言葉に、美也子は悲しくなる。昇二は、既に諦めている。美也子が自分を選ばないことを。
 美也子も昇二に何と声をかけたらいいか、分からなかった。
 自分の気持ちすらわからず、間近に迫っている進路すら決めきれない、優柔不断さなのだから。

「申し訳ありません、昇二様」
 これ以外、言葉が出てこない。頭を下げる美也子に、昇二は「構わない」と首を振った。
「まだ君は若い。これから数多の出会いがあるはずだ」
 暗に自分を選ぶな、と伝えてくる昇二に気付かれないように。美也子はベッドの上で布団に包まって、静かに涙を流したのだった。

 ※

 その日を境に、昇二は松平の家に寄りつかなくなった。半月も経たない内に、アメリカへ居を移すのだ。慌ただしいのは、仕方ない。
 けれど、話す機会すらない。美也子は、自問するしかなかった。

 そして。悩み抜いた美也子は、一つの答えに辿り着いたのだ。

 ※

「先に行きます!」
 貸自動車を飛び降りた美也子は、付き人に支払いを任せて駆け出した。
 船の出港時間は迫っている。女学校の制服である絣の着物に袴姿で走っている姿は目立つが、そうは言ってられない。
 早くしないと、昇二がアメリカに旅立ってしまう。

 美也子は人を掻き分け、一心不乱に駆けた。

 走って走って、見えてきた先にいたのは。まさに今、係員に切符を渡し、船に乗り込もうとする昇二の姿だった。
「昇二様!」
 声に昇二が振り向く。美也子を見つけた昇二が目を細め、係員に二、三言何か話した後、すっと列を抜けた。
 その間に、美也子は昇二の元に辿り着く。
「わざわざ見送りに来てくれて、ありがとう」
 昇二が礼を言う。全速力で走ってきた美也子は、すぐに言葉が出てこない。ゼイゼイと激しく呼吸をしながら、違う、と首を振ることしか出来なかった。
 だが、昇二には上手く伝わらなかったようだ。美也子にハンカチを差し出しながら、優しく告げる。

「幸せに。君の活躍を、遠くの地から祈っている」
 違う。違うのだ。だが、まだ呼吸が整わない。ならば、と美也子は髪を縛っているリボンに手を伸ばした。

 引っ張るだけでシュル、と簡単に解ける金春色のリボン。同時に、髪の毛が風でなびく。
 人前で髪を乱れさすなんて、恥ずかしいこと。しかし、声が出ない今、自分に出来る意思表示はこれしか考えられなかった。
 ずっと大切にしていたそれを、美也子は掌の上に乗せた。吹いてきた海風が、あっという間にリボンをさらっていく。宙に舞う鮮やかな青に、昇二の目が大きく見開かれた。

「......着いて、行きます」
「......え?」
 やっと絞り出せた美也子の言葉に、昇二は呆けた声を漏らした。
 ようやく呼吸が整った美也子は、改めて昇二に告げた。
「わたくしは昇二様の妻です。共に行きます」
「政略結婚だ。そこまで考えなくとも......」
「いいえ!」
 美也子は強く否定する。そしてあの夜と同じ台詞を口にした。
「わたくしは、昇二様を選んだのです」
「美也子」
「最初はどうであれ、わたくしはあなた様の妻になりました。なら、妻としての責務を全うしたいと......。教師にはいつでも......いえ」
 美也子はそこまで言って、口を噤んだ。昇二に伝えたいことは、こんな建前ではない。なのに、言葉にするのは、すごく......。

 昇二はそんな美也子を見て、静かに告げた。
「ゆっくりでいい。話せるまで待つ」
「しかし、船の時間が......」
「そうだな......」
 昇二は、おもむろにスーツのポケットから船のチケットを取り出して、美也子に見せつける。
「言い分があるなら、船上で聞こう。乗るか?」
 冷徹な物言いをされるのは、随分と久しぶりだ。が、表情は柔らかい。

 頭が冷えた。
 美也子は目の前の昇二を見据えると、きっぱりと言い切った。

「乗ります」
「後悔しないか?」
「いたしません」
 そこまで言って、美也子はようやくその言葉を口にすることが出来た。

「お慕いしていますわ、昇二様」
 昇二が息を飲む。美也子は微笑みながら続けた。
「教師になる夢を諦めたわけではありません。しかし今は、あなた様と共に同じ世界を見ていたい。それに......」
「それに?」
「お一人になると、冷酷な表情になりますでしょう? いけませんわ、そんな顔をしていたら。商談も上手くいきません」
「なら......」

 昇二は既に笑っていた。
「一緒に来て貰わないとならないな」
 そして跪いた。
「来てくれるか、俺と共に。......差し出すものが船の切符というのは、いまいち格好つかないが」
 美也子は頷いて、侯爵令嬢としての矜持を胸に姿勢を正す。
 
「謹んで頂戴します。女の身で遊学に行けるなんて、なんて恵まれているのでしょうか。......わたくし、必死に勉強しますわ」
 美也子の言葉に力強く頷いた昇二は、もちろん、と呟いた。
「約束しよう。君に最高の学びの場を。そして最愛の妻として、皆に紹介しよう」
 昇二から切符を受け取った瞬間、旅立ちを祝うように汽笛が鳴り響いたのだった。
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