12.「出迎エニ来ラレタシ」
結局、一月の終わりが差し掛かっても、美也子は進路を決め切れないでいた。さすがに教師からも「そろそろ進学先を」と窘められるほどだった。しかし決め切れないでいた美也子に、一通の知らせが届いたのだ。
二日後横浜港着。出迎エニ来ラレタシ。
船上の昇二から電報を受け取った美也子は、――気は進まなかったが――妻の務めを果たすべく横浜の地にいた。
女学校は休んだ。女学校を終えてから向かっても充分間に合うのに、どうしても足が向かなかったのだ。それでも彼から贈られた、金春色のりぼんはいつもの癖で身に着けていた。
予定より早い汽車に乗り、船が着く前に横浜へ着いた美也子は、桟橋から離れた赤レンガ倉庫のあたりを、目的もなくうろついていた。
コートを着込んでいても、海からの風は驚くほど冷たい。もうすぐ入学試験だ。にも関わらず、美也子はまだ志望校を決め切れていなかった。
昇二は何も言わなかった。美也子が勉強に身が入っていないのも勘づいているだろうに、一言も進路について口にすることはなかった。
「わたくしは......」
美也子が、白い息と共に呟いた瞬間。
「洋装とは、珍しいな」
振り向くと、昇二が立っていた。
「お迎えに上がらず、申し訳ございません」
慌てて頭を下げる美也子に、昇二は「構わない」と手で制止する。顔を上げた美也子は、ハッと息を呑んだ。
流行のトンビコートをなびかせた昇二は、いつもよりずっと美丈夫だったからだ。
すぐに我に返った美也子は、平然を装い、問いかけた。
「どうしてこの場所がお分かりに?」
「見えた」
「見えた?」
「ああ。甲板から美也子がこの辺を歩いている姿が」
「え?」
桟橋から、この場所まで随分と距離があるのに。乗ったことはないが、船の上はそんなに見晴らしがいいのか。
美也子がぐるぐると考えている姿を眺めていた昇二が、小さく笑みを漏らした。
「冗談だ。家から美也子についてきた者が、港の職員に言付ていたんだ。美也子が倉庫の方にいる、とな」
「そうでしたか」
自分がぼーっとしているから、行動を先読みされていた。恥ずかしくて目を伏せる美也子に、昇二は「行こうか」と促す。
「どちらに?」
美也子の声が聞こえなかったのか、昇二からの返事はなかった。
※
港から車に乗った昇二が、美也子を引き連れて訪れたのは、横浜を代表する百貨店である野澤屋呉服店であった。
昨年の九月に新館を開業したばかりの百貨店は、一月の末というのに活気づいていた。
「たまたま船で一緒だった人物の商品が、ここで販売されていると聞いてな。せっかくだから、見に来た」
昇二は新しい商機を見いだしたようで、いつもよりにこやかだ。その顔があまりにも楽しそうで、美也子は自分の悩みをしばし忘れることにした。
「さようですか」
昇二が今回訪れていたのは、頻繁に行き来するアメリカではなく、隣の中華民国だった。珍しい行き先とは思ったが、家業のことには携わっていない美也子は、口を挟むことはない。
ただ、アメリカなら二ヶ月はかかる旅路も、隣国なら十日程で往復出来る事実に驚く。
地図で各国の場所は知ってはいる。が、外国を頻繁に訪れる昇二を間近で見ていると、世界は意外と狭いことを改めて認識するのだ。
いつもならサラリと聞き流すのに、不思議と興味が注がれた美也子は、昇二に問いかけた。
「お話したのは、支那の方?」
珍しく仕事の話に食い付いて来た美也子に、昇二は片眉を上げた。それが驚く時に見せる昇二の表情だと、美也子はもう知っている。
「わたくしがお仕事について尋ねるのは、物珍しいですか?」
追及するような口調になった美也子に、昇二は否定するようにゆっくりと首を振った。
「いや。喜ばしい、と思っただけだ。会ったのは日本人だ。とはいっても、清の頃から中華民国に住んでいるらしいから、日本よりあっちの生活の方が長いと話していたな。......あぁ、ここだ」
婦人売場の片隅。色とりどりの装飾品だった。中でも、深い緑色の翡翠は、一際目を引く。
「素敵ですね」
感嘆の声を漏らした美也子に、昇二はおもむろに尋ねる。
「贈り物をしたい人がいる。......何がいいだろうか」
美也子は、昇二を仰ぎ見る。意図的にしているのだろうか。なぜか昇二は無表情だった。瞳を覗き込もうとして、美也子は止めた。
誰か意中の方がいるのか。そう遠回しに尋ねることになるからだ。
(お妾さんを作って良い、と言ったのは、わたくしの方ですわ。今更......)
美也子は首を振って、気持ちを切り替えると昇二に質問する。
「お相手は、お幾つなのですか」
と。昇二が口にした女性の年齢は、奇しくも美也子と同い年だった。