第12話 出井亜寧羅〜経鳥栖④
空玲須は、ホースのシャワーヘッドにバケツをくくりつけて、静かに待っていた。水面は激しくうねり、中をうかがうことはできない。待つしかない。そして、おそらくチャンスは一度。
水中の出井亜寧羅は、水の流れに乗ってプールの深淵深く潜っていく。
流れが変わる。水が逆流する。
向こうから巨大なものが迫ってくるのがわかる。大きな口を開け、たくさんの牙をむき出しにして。
出井亜寧羅は、水中で身をひるがえし、それから逃れるように泳ぎだした。牙が迫る。口を閉じる。間一髪かわした出井亜寧羅は、敵の鼻面を蹴って、加速した。
波が変わった。
来る。身構える空玲須。
水面が盛り上がる。水中から上がってくる、速い。
ぱぁーんッ。
水面が弾け、出井亜寧羅の身体が宙を舞った。回転しながら水しぶきをまとい、高く、高く、華麗に空中を飛ぶ。
それを追って伸びる黒い首。空玲須はバケツを振り回して、それを放った。
くるくると巻きつくホース。ぐい、と力一杯に引く。バケツはうまく引っかかり、抜ける気配はない。経鳥栖は逃れようとして、暴れ回った。波打つ水面。しかし、空玲須の力の前に、水中に戻ることはできない。
出井亜寧羅。空玲須は一瞬、激しく波打つ水面を見て心配になった。しかし、
「オレも、信じる。」
空玲須はさらに力を込め、経鳥栖をプールサイドへと引っぱり続けた。
暴れる。重い。しかし、オレには引ける!
頭が陸に上がる。まだ暴れる。首が、身体が、そしてついに尻尾まで。全身を陸に引き上げた。
あれだけ暴れていた経鳥栖は、陸に引き上げられると静かになり、プールサイドには、倒れた部長だけが残った。そしてその上には黒い影が浮かんでいる。
いつのまにか、出井亜寧羅が空玲須の横に立っていました。空玲須は、その右肩にそっと手を置きます。
「やったね。空玲須くん。
...これが『怪化』?」
出井亜寧羅は、黒い影を見ながら言いました。
「そう。駅土奈先生のところに連れて行かなきゃ。
悪いけど、これに入れてくれないか?」
空玲須は、短パンのポケットからレジ袋を出して、出井亜寧羅に渡した。
「うん、いいけど。
...手、どけてくれないと動けないよ?」
空玲須は、出井亜寧羅の肩に置いた手を外そうとしません。
「え、と...。じゃあ、放すよ。」
手を放すと同時に、後ろを向く空玲須。出井亜寧羅はレジ袋に黒い影を入れて、空玲須に渡します。重さも手応えも何もない...。
「はい。入れた感ないけど、多分入ってるよ。」
「ありがとう。」
空玲須は、出井亜寧羅を見ないようにしてレジ袋を受け取り、お礼を言います。
「ちょっと、何か態度悪くない?
顔も見ないで!」
出井亜寧羅は、ぷんぷんしました。しかし空玲須はかたくなに出井亜寧羅を見ずに、こう言いました。
「み、水着のね、肩紐が切れてる、から。」
絹を裂くような出井亜寧羅の叫びがプール中にこだまして、大きな水しぶきが上がりました。