ホームあるいは路傍のスミレのように名前
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(明日はどうしようかな~♪)
 アリスちゃんと机を並べてお弁当を食べながら、明日の予定を考える。
 お兄さんの家で過ごすようになって数日、明日は初めての休日(土曜日)。今までは学校大好きだったから休日は憂鬱だったくらいなのに、今は楽しみで仕方がない。
 あれから炊事に掃除だけでなく、洗濯も任せてもらえるようになったので毎日の家事がとても楽しい。
 生活力のないお兄さんだから洗濯はクリーニング屋に持って行ってるのかと心配したけど、流石にそんなことはなく、「持っていく方が面倒くさい」と、一応洗濯は自分でしていた、のだけど!
 あろうことか、乾燥性能が良い比較的新しい洗濯機で、洗濯&乾燥してそのまま! 干さないしプレスしないしたたまない! 当然布団は万年床! 脱衣所の押し入れをあけて眩暈がしたよ!
 そんなわけで結局新しい住処でも家事全般をやることになったのだけど、あのころと違って今の家事は全然楽しい。
「ねぇスミレ」
 明日は休日いっぱい使って廊下を全部磨こうかなー、綺麗なフローリングだしワックスかけとかしてみたい。でもナツメちゃんが舐めたりしたら良くないかな?
「ねぇ」
 お部屋は大体綺麗になった......ていうかあんまり物がないから元々散らかっては無かったのだけども。
 あとはお兄さんのお部屋はだけお掃除できてないんだよなー、お掃除させてもらえるかな? でもお兄さんも男の人だしやっぱり女の子にみられたくないものとか部屋に隠してるかもしれないし。
「ちょっと、ねぇ、スミレってば!」
「えっ、あ。ごめん。なに?」
 明日の予定を色々考えていたらアリスちゃんとのお話が上の空になっちゃった。
「なんか最近......今週入ってからずっと機嫌いいよね?」
「えっ、そ、そうかな」
「先週はお母さんが帰ってこないってずっと元気なかったじゃん、帰ってきたの?」
「えーっと......、帰ってきては、ないけど......」
 先週と今週の私の機嫌の落差には当然気が付くよね......。アリスちゃんにはあんまり心配かけたくないからおk──あの人が蒸発したことは知られたくないんだけど......。
「なんか、お弁当のグレードも上がってるよね」
「今日はちょっと奮発しちゃったかなー、なんてー」
「今日は、ねぇ」
 お兄さんがリクエストするものを自分の分のお弁当にもしているから、残り物の残り物みたいな以前のお弁当に比べてれば段違いだものね......。
 うぅ、アリスちゃんの目が全然信じてない、そりゃ今日だけじゃないもの......。なんでそんな私のお弁当なんて見てるの。
「スミレさぁ、なんか隠してない?」
「隠すようなことなんてなんにも!?」
「声、上ずってるけど」
 うわぁ、私嘘下手すぎ。
「ホントに何にもないよ!? アリスちゃんが心配するようなことなんて!」
「アタシが心配するようなことを隠してるんだ」
「あれー!?」
 なんで取り繕うほどにバレてくのー!?
 ダメダメ。「お母さんが蒸発して、アパートを追い出されて、見ず知らずの男の人(今はもう知ってる人だけど)の家に住んでる」なんて説明できないよ!
 未成年の私を住まわせてるだけでも社会的に危ういのに、他の人に知られるなんて、お兄さんに迷惑かけらない。
「ちなみに、アタシ昨日アンタの家に行ったんだけどさ」
「げっ」
 我ながら年頃の女の子らしくない可愛くない反応が出た。
「この部屋にはもう誰も住んでないって言われたのよねぇ」
 というかそれもう確信じゃん! アリスちゃん初めから尋問だったの!?
「スミレは今、どこに住んでるのかなー?」
 完全にバレてるヤツだコレー!?
 イヤイヤ、まだお兄さんの事は知られてないはず......、今ならまだ取り繕える!
「し、親戚のお家にお世話になってるの!」
「長いこと友達やってるけど、アンタに頼れるような親戚がいるなんて初耳ねー」
「私も最近親戚の存在を知ったから!」
 あの人にも親戚くらいいるよね? 私の父親に当たる人すら見たことないけど......。
「その親戚の家に厄介になってるなら、なーんでアタシにナイショにしてたのかなー?」
 しまったぁー、初めからそう言っておけばよかったー!? ってアリスちゃん私がこうやって取り繕うのをわかっててやってる!?
「ひえっ」
「アタシが心配するような事じゃないなら、なーんで黙ってたのかなー?」
 ごめんなさいお兄さん、アリスちゃんに隠し事はできないです。ぴえん。



「えっと、ごめんなさい。友達のアリスちゃんです......」
 玄関で帰りを出迎えると、いつもより一回り小さくなった彼女に謝られる。その理由は、まぁ、隣にいるアリスちゃんという友人だろうな。
「あー、どうも」
「どうも! 友達が知らない男の家に住んでると聞いて、様子を見に来ました!」
「もう知ってる男の人だもん......」
「屁理屈言わない!」
 友達が男の家に厄介になってると聞いて心配しに見に来るなんて、二人はとても仲がいいんだろうな。学校が大好きと言っていたのであまり心配はしてなかったが、彼女にもそういった友達がいて安心だ。
「まだ何にもしてないらしいけど、本当に変な事してないでしょうね!? させてないでしょうね!?」
「まぁ、家事は色々やってもらってるが......」
 中学生に家事全般面倒みられているというのは、十分変な事かもしれないが。
「だから何にもないってば」
「直接何かされてなくても、隠し撮りとかあるかもしれないでしょ!?」
「えぇ!?」
「なるほど、そういうのもあるのか」
 たしかに目的が隠し撮りなら一見親切なだけの人にのように振舞えば良いわけだ。世の中怖いね。
「白々しい! 部屋見せて!」
「この子の部屋なら奥の座敷な」
 アリスという子は無遠慮にズカズカと上がり込んでくる、後ろめたいことなど何もないので好きにさせよう。
「あの、ホントごめんなさい......」
「友達が知らない男の家に住んでるなんて心配して当然だろう。わざわざこうして見に来るなんていい友達じゃないか」
 別に彼女が謝るようなことなんてなにもない。俺は彼女を宥めながらズカズカ進む友達の後を追う。
「はい! 自慢の友達なんです!」
 碌に友人のいない俺なので、ああいう友達がいるのは純粋に羨ましいな。



「たしかにカメラの類はないみたいね」
「そんなものあったら掃除した時に気が付くよ」
 私が自分で掃除したんだから流石にわかるよ。ていうかこの部屋モノが無さ過ぎてカメラ隠すようなところないし。
「たしかにこんなにモノがないなんて......。もっとインテリアとかに拘りなさいよ!」
「アリスちゃん怒る方向性が変わってる」
「たしかに寂しすぎるな。もうちょっと女の子らしい部屋にしてみるか?」
 私たちから離れてお茶を飲みながら寛いでるお兄さんまでそんな事言い出すし。
「そんな! お部屋使わせてもらってるだけでも十分なのに!」
「でも勉強机くらいは必要だろ?」
 座敷に元々置いてある机はスツールみたいな丸い小さいやつで、今お兄さんが使っているように急須と茶器のお盆を乗せるくらいしか使えない。多分本来は花瓶とかを置くためのものなんだと思う。
「勉強ならリビングの机でできますし」
「リビングじゃ集中できないんじゃないか?」
「お兄さん夜はずっと二階にいるじゃないですか」
「昼間は結構下にいるぞ」
「昼間は私学校ですし」
「休日はどうするんだ?」
「図書館で勉強できますし」
「あーもう! じれったい! さっさとどっちか折れなさいよ!」
 私とお兄さんのやりとりを見てたアリスちゃんがしびれを切らして割り込む。
「ていうかなに!? 今のやり取り! この人ホントにただの良い人なの!?」
「だからそう言ったじゃん......」
 タダの良い人どころか、めっちゃ良い人だけど。
「ふーむ......」
 イマイチ納得いかないらしいアリスちゃんは私をじっと見つめて思案する。どうしたら納得してくれるのかなぁ。
 と、私の方でも方法を考えているとアリスちゃんが何か思いついたのか目を見開く。
「そういえばアンタ、服なんかも借りてるの?」
「ううん、服は自前のヤツだけだよ。タオルは借りてるけど」
 夏冬の制服にシャツは2枚づつ、とワンピース4つ。それが私の着るもの全部だ。
「ってことは、寝るときは相変わらず?」
「うん? 裸だけど?」
「ぶふっ!」
 途端に、お茶を飲んでたお兄さんが噴出した。あれ? 私なんか変なこと言ったっけ?
「わっ、お兄さん大丈夫ですか!?」
「ゴホッ、ゴホッ......はぁ!?」
「アタシだってはぁ!? だわ。男の家で寝るとき裸って、アンタ能天気すぎでしょ!?」
「いやだって、パジャマとかないし......。昔からずっとだし......」
「だからってお前......、裸はないだろ!?」
 ずっとそうしてるから今更そんな風に言われても......、そんなに変な事かな? 「寝るときは裸」って人そこそこいるって聞くけど。
「まぁいいわ。その反応を見るにたしかに覗きや盗撮はしてないみたいね」
 あー、なるほど。私が裸で寝てるのを驚いたからシロって訳か!
「あとでパジャマ買いにいくぞ」
「えぇ!? そこまでお世話になれません!」
「お前が裸で寝てたら俺が朝と夜に一階におりづらいだろ!」
「別に裸でうろつきませんよ!」
「そういう問題じゃないんだよ!」
「だーもう! さっき見たわ! どっちか折れなさいっての!」
 私とお兄さんで揉めてるとまたアリスちゃんが割り込んでくる。むぅ、お兄さんは折れてくれそうにないし、でもこれ以上私のためにお金を使わせるのも......そうだ!
「えっと、それじゃぁ、押し入れに寝巻用の浴衣を見つけたので、それをお借りしていいですか?」
「浴衣? そういえば、婆さんらが使っていたのがあった気がするな。それでいいなら構わないぞ」
 へぇ、結構年季の入ったものなんだ。正直裸で寝る方が好きなんだけど、お兄さんが困るというのなら仕方ない。
「まぁ、この人が良い人ってのは十分わかったわ」
「お友達に納得してもらえてよかったよ」
 なんだかんださっきまでのやりとりがお兄さんが良い人っていう説得力になったらしい。これで一件落着かな?
「大事な友達がお世話になってるのに疑ってごめんなさい、それにこの子を助けてくれてありがとう。えーっと......」
 勝手に怒鳴り込んできたアリスちゃんだけど、ちゃんと謝るんだからやっぱりいい子だよなー、と思っていると言い淀んで私に振り向く。
「ごめん、お兄さんの名前なんて言ってったっけ?」
「「え?」」
 アリスちゃんに聞かれて、私とお兄さんが一緒に硬直した......。



「はぁぁぁ!? 幸せ過ぎて名前を聞いてなかったぁ!?」
「いや......まぁ......うん、はい......」
「そういえば名乗った覚えなかったな......」
 俺も始めは一晩だけのつもりだったしなー。
「五日も一緒にいて!? アンタ馬鹿じゃないの!?」
「ば、馬鹿じゃないもん......。成績はアリスちゃんよりいいもん......」
「屁理屈言わない!」
 なんか友達に怒られてる彼女の姿が面白い。......って他人事ではないな。
「そんでお兄さんも名前知らなかったって!?」
「知らなかったっていうか、今も知らないな」
 思えばアリスちゃんの方はウチにきてずっと「アンタ」か「私の友達」としか言ってないので、未だに彼女の名前を知らない。
 そうか、猫に名前を付けたときに覚えた違和感はコレだったか。
「アンタらおかしいんじゃないの!?」
「返す言葉もない」
 いやまさか、五日も一緒にいてお互いに名前を知らないなんて、なんで気が付かなかったんだ。
「お兄さんは私の事「お前」って呼んでましたし......」
「平成の夫婦かよ!」
 考えてみれば結構失礼な呼び方してたな、多分先に住み着いてた猫をそう呼んでたせいだろう。
「ほらもう、改めて自己紹介しなさいよ」
 アリスちゃんに言われて彼女と向き合う。言われなくても......、と言いたいところだが。
「なんか、改めて名乗るのは気恥ずかしいな......」
「そうですね......」
 後ろ頭をポリポリと書いて目を泳がせると、彼女も恥ずかしそうにして目を伏せる。
「お見合いかよ、はよしろ」
 こんな妙な空気にしたのはお前だぞ。
「あの、それじゃぁ私から」
 そして彼女がまた改めて顔を真っ直ぐ向けて初めてその名前を口にした。



「スミレ......です」
 うわぁぁぁ。めっちゃ恥ずかしいいいい! お世話になってる人に名前教えてなかったなんて! 知らなかったなんて! 数日前の自分をぶん殴りたい! 
「不束者ですが、よろしくお願いします」
「違う、おかしい。スミレそれ違うやつ」
「え、なんか間違えた!?」
 恥ずかしさのあまりにまたなんか失敗した!?
「まぁ......、よろしくな。スミレちゃん、でいいか?」
「......はい!」
 うわ、なんか凄いドキっとした。お兄さんに名前呼ばれるのいいな......ホントにもっと早く教えておけばよかったかも......。
「で、俺は......。セイヤだ」
 そしてお兄さんが......、セイヤさんが照れながら名前を教えてくれる、やだ、可愛い。照れてるところを初めて見るかも。
「ペガサス流聖拳?」
「君本当に中学生?」
「こないだ実写リメイクだかされたじゃん。CMみただけだけど」
 むぅ、アリスちゃんのせいでいつもの顔に戻っちゃった。
「えっと、セイヤさんって呼んでいいですか?」
 「お兄さん」って呼び方も結構気に入ってたけど、せっかくだし私も名前で呼びたい。
「好きに呼んでくれて構わないぞ」
「やった! あ、でもご主人様とか旦那様とかも呼んでみたいみたいなってちょっと思って──」
「スマン、やっぱり名前で頼む」
 ダメだった。そう呼んでみるのもちょっと憧れだったのだけど、残念。
「で、アタシはアリスでぇ~す」
「「知ってる」」
「なによ、もぅ」
 私とセイヤさんが口を揃えて塩対応するものだからアリスちゃんがブーたれてる。ちょっと面白い。
「で、あっちがナツメちゃん」
「へ? 一人暮らしじゃないの? って、なんだ猫か」
 丁度ナツメちゃんが廊下からこちらを覗きこんでたので一応紹介しておく。ナツメちゃんは私が来た日のように「また知らん人がいる」と言った風に一瞥するとどこかに行ってしまった。
「ともかく! 一応信用はしたけど、スミレに手を出したりしたらぶっ殺すからね! そんで通報する!」
「アリスちゃん......」
「ぶっ殺されて通報されるのか、女子中学生こぇえな」
 アリスちゃんは最後にセイヤさんにくぎを刺して帰っていった。なんか帰る直前にセイヤさんと携帯で何かやってたみたいだけど、何してたんだろう?



 スミレちゃんの友達、アリスちゃんが帰ったあと、俺は自室で彼女からもらった連絡先を登録して彼女からのLINEを覗いていた。
『じゃ、スミレの事はなんかあったらアタシに聞いてね』
『それじゃぁ確認なんだが、ホントに携帯持ってないのか?』
『持ってないよ。でも特に何かを欲しがったりしないスミレだけど、スマホには結構憧れがあるみたい』
 今どき携帯を持っていない女子中学生がいたとは......。たしかにウチにいるときに携帯をいじっている姿を見たことなかったな。今どきの子は暇さえあれば見ているものだろうに。
 ん? てことはあの時は神待ちしてたわけじゃなかったのか? 通りかかったのが俺で良かったよ......。
『わかった、俺のスマホを一つスミレちゃんに渡すから、君からもLINEしてやってくれ』
『さっすが、お兄さん話がわかるー!』
 コイツ、端から俺がスミレちゃんにスマホ渡すのを期待して携帯持ってないこと教えてきたな。
「残しておいてよかったな」
 新しく契約するのだとあの子の事だから遠慮するだろうが、元からあるやつなら大丈夫だろう。
 仕事とプライベート用で二つ持っているんだが......、特に友人のいない俺なので使い分ける意味もなく、もっぱら仕事用の新しいヤツだけでプライベート用のは使わず放置していた。
 さっさと解約しなかったのは仕事用と二台契約で金がかからないのと。亡くなった親父とのLINEが残っているから解約すると消えちまいそうな気がしたからだな......。
「あばよ、親父」
 いつまでもそんなものの感傷に浸るなんて柄でもない、俺は親父の名前をLINEのリストから削除する。これで大分まっさらになった。一応俺が使ってた形跡がいくらか残っているが......見られて困るような記録は残ってないだろ、多分。
「スミレちゃん、ちょっと頼みがあるんだが」
「頼み、ですか? なんでしょう?」
 スマホを持ってリビングにいくとスミレちゃんがアイロンがけをしていた。掃除しているときに見つけたらしいが、ウチにアイロン台なんてあったんだな......。
「俺の使ってない方のスマホをスミレちゃんに使って欲しい」
「スマホですか......?」
 そういってスマホを渡すとスミレちゃんは不思議そうにのぞき込む。
「えっと......、頼み、なんですか? これ?」
 まぁ、見ようによってはプレゼントみたいにも見えるよな。遠慮がちなスミレちゃんなので困惑しているようだ。
「掃除や洗濯してくれているのがスミレちゃんだから、学校に行ってるときにモノの場所がわからない時があってな」
「はぁ......」
 まぁコレは建前だな。実際茶葉の場所がわからなくて困ったことはあったが。
「持っていてくれた方が俺からも連絡が取りやすいし、防犯的にも持ってくれてた方が安心できる。だからスミレちゃんに持っててほしい」
「えと、でも......、使用料金とかかかるんじゃないですか?」
「料金は心配するな、二台契約のコースで仕事用の二台目として登録してるから、俺の仕事先が両方払ってくれてる」
 コレ、担当のヤツがやってくれたんだよな。流石にソシャゲで廃課金とかしたら怒られるらしいが、俺はその手のものはやらないし。
「本当に、私が使っていいんですか?」
 遠慮半分、喜び半分と言った風にスミレちゃんは尋ねる。
「あぁ、俺の昔の知り合いからかかってくる可能性がないこともないが......まぁないだろうが。是非使ってくれ」
「わゎ......わぁ! わぁぁあ!」
 渡されたスマホを掲げて、スミレちゃんは何と表現していいのかわからないのかただひたすらに感激している。
 遠慮がちで贅沢を言わない彼女だが、本当にスマホに憧れていたんだな。こんなに喜んでくれるなんて渡してよかった。
「それで大事なお友達とも好きな時にお話ができるな」
 俺はアリスちゃんにLINEでスマホを渡した合図を出す。すると──
『やっほー、スミレ~、アリスだよー』
「わぁー!」
 ピコンと、スミレちゃんのスマホに彼女からのLINEが届いてそれにまた感激している。
「あ、ありがとうございます! 大事に使わせていただきます!」
「喜んでくれてよかった......て──」
「もう! セイヤさん大好きです!」
 感極まったスミレちゃんが腰に抱きついてくる。なんか前にも似たようなことが......じゃない
 イヤ......流石にこれは、マズイ......。
「あ! ご、ごめんなさい、すいません......」
 幸いすぐに我を取り戻したスミレちゃんが照れながら離れてくれたが......。ちょっと名残惜し──いかんいかん。
「あーえっと、使い方はわかるか?」
「アリスちゃんが使ってるところを見てたので、少しなら......」
「そうか、じゃぁもう少ししたら夕飯の買い物にいこうか」
「は、はい」
 お互い顔も見られず、変な空気に耐えられず俺はそういうと自室へと逃げるように戻った。
 夕飯の買い物に行く頃にはその空気が尾を引くこともなく、スミレちゃんは初めてのスマホで文字を打つのに悪戦苦闘している様子だった。



 セイヤさんの家でお世話になるようになってから一月。家を追い出されたはずなのに生活のグレードがむしろ上がってしまって、家事も楽しくて、あっと言う間です。
「アリスちゃん、スマホいじりながら食べるの行儀悪いよー」
 今日はアリスちゃんに誘われて下校後にカフェ。と言っても私はお金ないからアリスちゃんの奢りだけど......。嬉しいけどなんか最近奢りの頻度高いような?
 とはいえ、それはそれ。スマホを持つ前は気にならなかったけど、いつでも使えるからこそ食事中とかに見るのは行儀が悪いと思うようになった。
「あー、ごめん」
 アリスちゃんも私が注意するとすぐにスマホをしまってくれた。あんまりマナーとかにうるさく言う方ではないけど、親しき中にも礼儀ありっていうしね?
「ところでお兄さんとこに住むようになってそろそろ一ヵ月だっけ。あれから何にもないの?」
「何にもって?」
 スマホを貰った時に思わず抱きついちゃった......のはアリスちゃんにはナイショだけど、あれから何かあったっけ?
 セイヤさんの着替え中に私が脱衣所に入っちゃう逆ラッキースケベ的なことはあったりしたけど(脱いでたのは上だけだったし仮にマッパでも男の人のは見慣れたものだけど)特にイベント的なことはないかな?
「あ、ナツメちゃんがやっと懐いてくれたよ!」
「あーうん、そういうことじゃないけど、まぁ何もなさそうね」
 むぅ、私的には結構一大イベントなのに......。あの子セイヤさん以外には触らせてもくれないし、私が餌をあげても絶対食べなかったんだから! ようやくこないだ寄ってきてくれたんだよ!
 ちなみに触れるようになったので確認したところ女の子でした。
「初めて会った時にそんな気はしてたけど、ホントに何もしないのねぇ」
「あー、そういう何か?」
 ていうか私に手を出すなってくぎを刺したのはアリスちゃんじゃん。
「私としてもラッキースケベとかあってくれてもいいんだけど、セイヤさん脱衣所やトイレで絶対ノックするし、私の部屋も返事しないと開けないからなー」
 あの日私が裸で寝ていると知ってからか、より徹底したような? もう裸で寝てないんだけどなー、浴衣は寝起きに結構着崩れててかなりセンシティブな感じにはなるけど。
「アンタがそんなんじゃ心配するだけ損だわね」
「むしろセイヤさんになら抱かれてもいいっていうか」
 仮に私からアプローチかけても絶対抱いてくれないと思うけど。良い人過ぎるのも考えモノだなー。
「アンタ私がカミサマとエッチしてみたいって言ったら怒ってなかったっけ?」
「セイヤさんはもう知らない人じゃないもーん」
 あーでも、私とエッチしたらセイヤさん犯罪者になっちゃうか。でもバレなきゃ平気だよね?
「知らない人じゃないっていうけど、アンタお兄さんの事どれくらい知ってんのよ?」
「ん-、下着はトランクス派......パンツはゴム系の楽なヤツが好きでベルトが嫌いみたい? 卵焼きは甘い派で、カレーは甘口しか食べなくて、意外とチョコとかスイーツが好きな子供舌でピーマンが嫌いで──」
 料理と洗濯任されてるから、味や服の好みとかはバッチリなんだから!
「好みの女の子とかは?」
「ぐっ、それは......わかんない」
 それは本人に聞くか、そういうモノを見つけて推測するしかないじゃん......。
「ふーん、全然知らないじゃん」
「だって! いくら掃除してもエッチな本一冊出てこないんだよ!?」
 自室も少し掃除させてもらえたけど、エッチな本どころかコレクション的なものが全然出てこない。ちょっとセイヤさん無趣味すぎない? エッチなフィギュアの一個くらい持っててよ!
「今どきスケベなものは全部データでしょ、スマホかPCの中身調べないと」
「うーん、流石にその辺を勝手に調べるのは......、いつも家にいるから調べるタイミングもなかなか......」
 あーでも、よく散歩に行くからその時なら調べられるかも? お風呂入ってるときならスマホもいけそう......。一人暮らしが長いからかスマホもPCもセキュリティロックしてないみたいだし。
「ていうかお兄さんいつも家にいるよね、何の仕事してんの?」
「さぁ?」
「それも知らないの!? 全然ダメじゃん!」
 そういえば一月も一緒に過ごしてるのに何のお仕事してるか全然知らない......。あれ? 私自分で思ってるほどセイヤさんに詳しくないのでは?
「だ、だってセイヤさんお仕事の話とか全くしないし......。郵便物の類は私触れないようにしてるし......」
 郵便物はそういう風に言われたわけではないのだけど、居候している手前申し訳ないので個人的なモノのはずなので見ない・触れないようにしている。
 どうせ私への郵便物なんてないし......そういえば転移届とか出してないけど......元々私宛の郵便なんてなかったしいっか。
「実は働いてないとか?」
「働いてるのは間違いないと思うよ? 仕事の電話も何度かしてたし」
「どんな内容だった?」
「電話が来ると自室の方に行っちゃうから詳しくはわからないけど、担当がどうとか締め切りがどうとか言ってたから、なんかのライターかも」
 ライターならずっと家にいるのも不思議じゃないよね。と言っても取材やレポートするタイプのライターではないだろうけど。
「へぇ、物書きなんだ。アンタ本好きじゃん、心当たりないの?」
「物書きにもいろんなジャンルがあるし......、純文学でセイヤって名前はちょっと覚えがないかなー」
 そもそも本名で活動してるとも限らないし。
「あー、でも仕事部屋にしてるっていう書斎には純文学が多かったかも、やっぱり純文学の作家なのかな?」
 あの書斎にナリナリ先生の本も全部揃ってたのよね。もしかしてファンなのかな? だとしたら嬉しいな、セイヤさんとナリナリ先生の本を語れるなんて最高すぎる。
「アンタが知らないって事は電子書籍で連載してるタイプの作家なのかもね」
「たしかに! 筆も原稿用紙も全くないし!」
 ノートPC以外に「仕事道具」ってものが見当たらないし。
「いや、最近は漫画家も作家も大体データ入稿でしょ」
「そうなの?」
「原稿用紙使ったことない作家とか、トーン張りやベタ塗りしたことない漫画家とかいるそうよ」
 へぇ、時代は変わるものなんだなぁ。小説なんかは本に出てる時点で打ち込まれたヤツだから手書きかどうかなんて関係ないけれど、漫画は味気なくなったりしないのかな。
 その後アリスちゃんが軽く「セイヤ」の作家を調べてくれたけど、結局それっぽい人は見つからなかった。
 ペンネームあるのかもしれないし、本人が言わないなら秘密にしておきたいのかもしれない。



「お前なぁ、来るならアポとれよ。社会人だろ」
「ずっと家にいて特に用事のない先生にアポなんて必要ですか?」
 俺は玄関に立つ20代半ばの男にクレームを付ける。
 このぶしつけで失礼な男は新田翼(ニッタ・ツバサ)。いつも無表情を崩さず淡々と話す......俺の担当だ。
「大体アポとると先生その時間に逃げるじゃないですか」
「お前が来ると碌な仕事もってこねぇんだよ」
 今の時代顔を合わせなくても打ち合わせは全部PCを通じてできる。わざわざ来るってのは「仕事受けるまで帰らねぇよ?」っていう脅しみたいなもんだ。
「どのみち逃げても待たさせてもらいますけどね」
「だからって4時間も居座るヤツがあるかよ。勝手に入りやがって」
「鍵の場所が単純すぎますよ」
 もうその鍵そこにないけどな。まぁ中に入れなくてもコイツなら玄関で待ち続けるんだろうな......。
「まぁ仕方ない、話は居間で聞く」
「はい」
 ここでごねても仕事の話をするまで......受けるまでどうせ帰らないので観念して家に上げることにする、と
「ただいま帰りましたー! あれ?」
「ん、おかえり」
 そこに丁度スミレちゃんが帰ってきた。玄関にいる見知らぬ男を見て硬直し、ニッタもスミレちゃんの姿(主に制服)に驚いて......ないな、無表情崩してないわ。
 タイミングいいのか悪いのか......。ニッタのヤツがアポとってくれりゃぁ外で話聞いてたんだがな......。
「こ、こんにちは......」
「どうも、先生の担当の新田翼です」
「どうもです......」
 そして無表情を崩さずスミレちゃんに挨拶を交わし、俺の方を向いて──
「彼女は?」
「親戚の娘さんだよ、部屋が余ってるんで預かってる」
 何の打ち合わせもしてなかったがそういう事にしておいてくれ、とスミレちゃんに目で訴えかける。彼女なら空気読んでくれるだろう。
「スミレ......です、父が海外に単身赴任で母もそれについて行ったので、こちらでお世話になってます」
 流石(?)スミレちゃん、空気を読んでそれっぽい嘘で誤魔化してくれた。本当に気の利く子だ。
「ふむ......。部屋が余っているとはいえ年頃の娘を男の一人暮らしに預けますかね?」
「信頼されてんだよ」
「たしかに先生は未成年に手が出せるような度量はないと確信を持って言えますが」
「お前褒めてんの? ディスってんの?」
「どちらでも」
 コイツ妙に感がいいからな......。腹が立つがあんまりこの話題は続けないようにしないと。
「セイヤさん、やっぱり作家さんだったのですね」
「ん、まぁな」
 聞かれないので言わないでいたが、まぁ薄々ライターかなにかだとは思うよな。
 今更自分の作品を読んでもらうのも気恥ずかしい......ていうか――
 どうしたってスミレちゃんは世話になってる手前の遠慮が入るだろうから、あんまりちゃんとした感想を期待できないというか、忌憚のない感想が欲しい俺としては教えたくなかったんだがな。
「彼女に仕事の事教えていなかったのですか」
「別に話すような事でもないだろう、俺の本は若い子には受けも悪いだろうし」
「えぇ!? セイヤさんの作品興味あります!」
 そういえば本を読むのが好きだって言ってたなー......。書斎の本を読んでいいか聞いてたし。できればこのまま気付かず書斎の俺の本を読んでから、それとなく感想を聞きたかったところなんだが。
「お嬢さん、純文学はお好きですか?」
「わぁ、純文学の先生なんですか!? 大好きです!」
「おや、お若いのに珍しい。きっと気に入りますよ」
 俺の思いも他所にニッタのやつはカバンをガサゴソして中から俺のデビュー作『路傍の花のように』を取り出す。ってデビュー作かよ。
「なんでお前はよりにもよってそのデビュー作を持ち歩いてるんだよ。最新刊勧めろよ!」
「勿論最新刊も持ち歩いていますよ。ですが最初にお勧めするなら断然デビュー作です」
 昔の作品は稚拙で恥ずかしくて読み返したくもないって作家も結構いるが、俺の場合デビュー作はちょっとした曰く付きであまり好きではない。
「え。これ......」
 俺とニッタが揉めている横で、スミレちゃんはニッタが出した本を手に驚いたように硬直していた。


 やっぱりペンネームで活動してるのかな? セイヤさんの本ってどんなのだろう。やっぱり純文学の作家さんだったんだ、凄い楽しみ!
 私はワクワクしながら担当さんから受け取った本の表紙を見る――
『路傍の花のように』
 それは、他愛のない男女が、他愛のない幸せを探して見つける。そんな他愛のないお話。なんら特別でない、まさに「ナリナリ先生」の作風を代表するお話だった。
「え。これ......」
 見間違いじゃない、印象に残らないけど見慣れた表紙だ。著者にはフリガナ付きで『富田成也(トミタナリナリ)』と書いてある。
「ナリナリ先生の......」
「おや、よもやご存じで?」
「そんなまさか、10年近くも前の作品だぞ」
 ナリナリ......、成也......、セイヤ...。これ......セイヤ!?
 著者の漢字をよく見て私は思い返す。セイヤさんの名前は聞いてたけど漢字は聞いてない、けど、これってそういうことだよね!?
 え、嘘!? 私を拾ってくれたメチャクチャいい人が、私の大好きな作家さん!? そんなことってある!?


 スミレちゃんが俺のデビュー作を知っている風だったが、いやまさか、そんなはずはないだろう。無名の俺のデビュー作だぞ? ほとんど古本屋にしか置いてないだろ?
 知ってると言ってもアレだ、書斎の本を読みたいと言っていたから、それで俺の名前と本を目にしたん――いやでもデビュー作は置いてなかったな......。
「私......私! ナリナリ先生の大ファンでっ! えと、なんていうか......大好きで!! とにかく......あぁもうなんていえばいいかわかんない!!」
「お嬢さん、落ち着きましょう。大好きな作家に会ったファンの気持ちというのはそういうものです。いったん深呼吸しましょう」
 流石は編集者だな、売れっ子作家のファンの対応に慣れてやがる。コイツが受け持ってる別の作家の話だけどな。
「はぁ......ふぅ......」
 いや、しかし、スミレちゃんが俺の大ファン? 本は好きだと言っていたが俺の作品なんかをスミレちゃんみたいな若い子が好きになるか?
「近くの図書館に、寄贈してますよね! 私そこで先生の本に出会って! 全部読んで! 路傍の花のようにが大好きで! あ、でも一番好きなのは五番地二丁目物語シリーズで――」
「ほう、五番地二丁目物語が一番とは。彼女なかなかの通ですね」
 たしかに近所の......といっても徒歩30分くらいの距離あるが――図書館に寄贈している。イヤでも「スミレ」なんて名前、貸出カードにあっただろうか?
「あ、最新刊も面白かったです! タイトルがちょっと悲しそうで不安になったけど、読んでみたらやっぱり優しい話で! 凄い......すごくない感じで!」
「凄い、すごくない感じ。とても先生の作品が好きな事が伝わる良い表現ですね」
 ニッタのヤツはいつもの無表情を崩して何故か俺より嬉しそうに興奮するスミレちゃんの感想を聞いている。
 俺はというと「興奮するファン」には初めてで、なおかつそれがスミレちゃんで、いつもの落ち着いたスミレちゃんとは違った様子に何も言えずに硬直していた。
 スミレ......菫......純恋......。『大宮純愛』
 貸出カードの名前を思い出してハっとする。あの図書館の俺の作品を全部読んでる子(少なくとも貸し出しで)は一人しかいない。読み方の分からなかった『純愛』という子だ。
「もしかして純愛って書いてスミレ?」
「あ、はい。よく“純恋”じゃないのか、って言われますけど......、なんで私の名前の漢字を?」
 あれ「ピュア」って読むんじゃないのかよ!? 純愛で「スミレ」!? 名前聞いただけでわかるわけねぇだろ!!
 え、嘘だろ? 俺が拾った少女が、俺の作家としての挫折を救ってくれたファンだったって!? そんなことってあるか!?



「なるほど、あの図書館の貸出カードに書いてある名前、お嬢さんだったんですね」
「え、確認されてるんですか!?」
 とりあえず興奮も落ち着いて、少し冷静になってきた私に担当さんは図書館の貸出カードの事をつぶやく。
「先生があの図書館に寄贈しているのは、あの図書館がまだ電子カード式でなく、貸出カードで貸し出しの記録が見られるからでしょうからね」
「やめろ、俺が小さい男みたいだろ!」
 なんであの図書館に寄贈してるのかと思ったらそういうことだったんだ......、セイヤさんの反応を見るに図星らしい。焦ってるセイヤさんちょっとかわいい。
「私も編集者としてどんな方が借りているか興味があるので確認していました。まぁ、ほとんどお嬢さんの名前しかありませんでしたが」
「追い打ちかけるのやめろ」
 たしかに私の名前しかないのがちょっとむなしかったけど......。
「でもほら、借りないで図書館で読み終えてるのかもしれないし。セイヤさんの......先生の本ってスラスラ読めるから」
「先生の本はとても読みやすいですからね」
「よせよ、あれだけ数があるのに全部図書館で読んでるなんて......。ないこと言われても悲しくなるわ」
「私は図書館で何度も読み返してますよ!!」
「あーうん......ありがとうスミレちゃん......。スミレちゃんも一回しか借りてないんだしそんなフォロー入れなくても......」
「違うもん! 私が借りたら他の人が借りられないから読み返すのは図書館でにしてるんだもん!」
「先生、彼女は本当にアナタの作品が大好きみたいですよ、よかったじゃないですか」
「スマン......。悲しいんだか嬉しいんだか恥ずかしいんだか、なんか泣けてきたから仕事の話はちょっと後にしてくれ。あとスミレちゃんは“先生”じゃなくて名前でたのむ」
 今日のセイヤさんなんだか面白いなぁ。
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(明日はどうしようかな~♪)
 アリスちゃんと机を並べてお弁当を食べながら、明日の予定を考える。
 お兄さんの家で過ごすようになって数日、明日は初めての休日(土曜日)。今までは学校大好きだったから休日は憂鬱だったくらいなのに、今は楽しみで仕方がない。
 あれから炊事に掃除だけでなく、洗濯も任せてもらえるようになったので毎日の家事がとても楽しい。
 生活力のないお兄さんだから洗濯はクリーニング屋に持って行ってるのかと心配したけど、流石にそんなことはなく、「持っていく方が面倒くさい」と、一応洗濯は自分でしていた、のだけど!
 あろうことか、乾燥性能が良い比較的新しい洗濯機で、洗濯&乾燥してそのまま! 干さないしプレスしないしたたまない! 当然布団は万年床! 脱衣所の押し入れをあけて眩暈がしたよ!
 そんなわけで結局新しい住処でも家事全般をやることになったのだけど、あのころと違って今の家事は全然楽しい。
「ねぇスミレ」
 明日は休日いっぱい使って廊下を全部磨こうかなー、綺麗なフローリングだしワックスかけとかしてみたい。でもナツメちゃんが舐めたりしたら良くないかな?
「ねぇ」
 お部屋は大体綺麗になった......ていうかあんまり物がないから元々散らかっては無かったのだけども。
 あとはお兄さんのお部屋はだけお掃除できてないんだよなー、お掃除させてもらえるかな? でもお兄さんも男の人だしやっぱり女の子にみられたくないものとか部屋に隠してるかもしれないし。
「ちょっと、ねぇ、スミレってば!」
「えっ、あ。ごめん。なに?」
 明日の予定を色々考えていたらアリスちゃんとのお話が上の空になっちゃった。
「なんか最近......今週入ってからずっと機嫌いいよね?」
「えっ、そ、そうかな」
「先週はお母さんが帰ってこないってずっと元気なかったじゃん、帰ってきたの?」
「えーっと......、帰ってきては、ないけど......」
 先週と今週の私の機嫌の落差には当然気が付くよね......。アリスちゃんにはあんまり心配かけたくないからおk──あの人が蒸発したことは知られたくないんだけど......。
「なんか、お弁当のグレードも上がってるよね」
「今日はちょっと奮発しちゃったかなー、なんてー」
「今日は、ねぇ」
 お兄さんがリクエストするものを自分の分のお弁当にもしているから、残り物の残り物みたいな以前のお弁当に比べてれば段違いだものね......。
 うぅ、アリスちゃんの目が全然信じてない、そりゃ今日だけじゃないもの......。なんでそんな私のお弁当なんて見てるの。
「スミレさぁ、なんか隠してない?」
「隠すようなことなんてなんにも!?」
「声、上ずってるけど」
 うわぁ、私嘘下手すぎ。
「ホントに何にもないよ!? アリスちゃんが心配するようなことなんて!」
「アタシが心配するようなことを隠してるんだ」
「あれー!?」
 なんで取り繕うほどにバレてくのー!?
 ダメダメ。「お母さんが蒸発して、アパートを追い出されて、見ず知らずの男の人(今はもう知ってる人だけど)の家に住んでる」なんて説明できないよ!
 未成年の私を住まわせてるだけでも社会的に危ういのに、他の人に知られるなんて、お兄さんに迷惑かけらない。
「ちなみに、アタシ昨日アンタの家に行ったんだけどさ」
「げっ」
 我ながら年頃の女の子らしくない可愛くない反応が出た。
「この部屋にはもう誰も住んでないって言われたのよねぇ」
 というかそれもう確信じゃん! アリスちゃん初めから尋問だったの!?
「スミレは今、どこに住んでるのかなー?」
 完全にバレてるヤツだコレー!?
 イヤイヤ、まだお兄さんの事は知られてないはず......、今ならまだ取り繕える!
「し、親戚のお家にお世話になってるの!」
「長いこと友達やってるけど、アンタに頼れるような親戚がいるなんて初耳ねー」
「私も最近親戚の存在を知ったから!」
 あの人にも親戚くらいいるよね? 私の父親に当たる人すら見たことないけど......。
「その親戚の家に厄介になってるなら、なーんでアタシにナイショにしてたのかなー?」
 しまったぁー、初めからそう言っておけばよかったー!? ってアリスちゃん私がこうやって取り繕うのをわかっててやってる!?
「ひえっ」
「アタシが心配するような事じゃないなら、なーんで黙ってたのかなー?」
 ごめんなさいお兄さん、アリスちゃんに隠し事はできないです。ぴえん。



「えっと、ごめんなさい。友達のアリスちゃんです......」
 玄関で帰りを出迎えると、いつもより一回り小さくなった彼女に謝られる。その理由は、まぁ、隣にいるアリスちゃんという友人だろうな。
「あー、どうも」
「どうも! 友達が知らない男の家に住んでると聞いて、様子を見に来ました!」
「もう知ってる男の人だもん......」
「屁理屈言わない!」
 友達が男の家に厄介になってると聞いて心配しに見に来るなんて、二人はとても仲がいいんだろうな。学校が大好きと言っていたのであまり心配はしてなかったが、彼女にもそういった友達がいて安心だ。
「まだ何にもしてないらしいけど、本当に変な事してないでしょうね!? させてないでしょうね!?」
「まぁ、家事は色々やってもらってるが......」
 中学生に家事全般面倒みられているというのは、十分変な事かもしれないが。
「だから何にもないってば」
「直接何かされてなくても、隠し撮りとかあるかもしれないでしょ!?」
「えぇ!?」
「なるほど、そういうのもあるのか」
 たしかに目的が隠し撮りなら一見親切なだけの人にのように振舞えば良いわけだ。世の中怖いね。
「白々しい! 部屋見せて!」
「この子の部屋なら奥の座敷な」
 アリスという子は無遠慮にズカズカと上がり込んでくる、後ろめたいことなど何もないので好きにさせよう。
「あの、ホントごめんなさい......」
「友達が知らない男の家に住んでるなんて心配して当然だろう。わざわざこうして見に来るなんていい友達じゃないか」
 別に彼女が謝るようなことなんてなにもない。俺は彼女を宥めながらズカズカ進む友達の後を追う。
「はい! 自慢の友達なんです!」
 碌に友人のいない俺なので、ああいう友達がいるのは純粋に羨ましいな。



「たしかにカメラの類はないみたいね」
「そんなものあったら掃除した時に気が付くよ」
 私が自分で掃除したんだから流石にわかるよ。ていうかこの部屋モノが無さ過ぎてカメラ隠すようなところないし。
「たしかにこんなにモノがないなんて......。もっとインテリアとかに拘りなさいよ!」
「アリスちゃん怒る方向性が変わってる」
「たしかに寂しすぎるな。もうちょっと女の子らしい部屋にしてみるか?」
 私たちから離れてお茶を飲みながら寛いでるお兄さんまでそんな事言い出すし。
「そんな! お部屋使わせてもらってるだけでも十分なのに!」
「でも勉強机くらいは必要だろ?」
 座敷に元々置いてある机はスツールみたいな丸い小さいやつで、今お兄さんが使っているように急須と茶器のお盆を乗せるくらいしか使えない。多分本来は花瓶とかを置くためのものなんだと思う。
「勉強ならリビングの机でできますし」
「リビングじゃ集中できないんじゃないか?」
「お兄さん夜はずっと二階にいるじゃないですか」
「昼間は結構下にいるぞ」
「昼間は私学校ですし」
「休日はどうするんだ?」
「図書館で勉強できますし」
「あーもう! じれったい! さっさとどっちか折れなさいよ!」
 私とお兄さんのやりとりを見てたアリスちゃんがしびれを切らして割り込む。
「ていうかなに!? 今のやり取り! この人ホントにただの良い人なの!?」
「だからそう言ったじゃん......」
 タダの良い人どころか、めっちゃ良い人だけど。
「ふーむ......」
 イマイチ納得いかないらしいアリスちゃんは私をじっと見つめて思案する。どうしたら納得してくれるのかなぁ。
 と、私の方でも方法を考えているとアリスちゃんが何か思いついたのか目を見開く。
「そういえばアンタ、服なんかも借りてるの?」
「ううん、服は自前のヤツだけだよ。タオルは借りてるけど」
 夏冬の制服にシャツは2枚づつ、とワンピース4つ。それが私の着るもの全部だ。
「ってことは、寝るときは相変わらず?」
「うん? 裸だけど?」
「ぶふっ!」
 途端に、お茶を飲んでたお兄さんが噴出した。あれ? 私なんか変なこと言ったっけ?
「わっ、お兄さん大丈夫ですか!?」
「ゴホッ、ゴホッ......はぁ!?」
「アタシだってはぁ!? だわ。男の家で寝るとき裸って、アンタ能天気すぎでしょ!?」
「いやだって、パジャマとかないし......。昔からずっとだし......」
「だからってお前......、裸はないだろ!?」
 ずっとそうしてるから今更そんな風に言われても......、そんなに変な事かな? 「寝るときは裸」って人そこそこいるって聞くけど。
「まぁいいわ。その反応を見るにたしかに覗きや盗撮はしてないみたいね」
 あー、なるほど。私が裸で寝てるのを驚いたからシロって訳か!
「あとでパジャマ買いにいくぞ」
「えぇ!? そこまでお世話になれません!」
「お前が裸で寝てたら俺が朝と夜に一階におりづらいだろ!」
「別に裸でうろつきませんよ!」
「そういう問題じゃないんだよ!」
「だーもう! さっき見たわ! どっちか折れなさいっての!」
 私とお兄さんで揉めてるとまたアリスちゃんが割り込んでくる。むぅ、お兄さんは折れてくれそうにないし、でもこれ以上私のためにお金を使わせるのも......そうだ!
「えっと、それじゃぁ、押し入れに寝巻用の浴衣を見つけたので、それをお借りしていいですか?」
「浴衣? そういえば、婆さんらが使っていたのがあった気がするな。それでいいなら構わないぞ」
 へぇ、結構年季の入ったものなんだ。正直裸で寝る方が好きなんだけど、お兄さんが困るというのなら仕方ない。
「まぁ、この人が良い人ってのは十分わかったわ」
「お友達に納得してもらえてよかったよ」
 なんだかんださっきまでのやりとりがお兄さんが良い人っていう説得力になったらしい。これで一件落着かな?
「大事な友達がお世話になってるのに疑ってごめんなさい、それにこの子を助けてくれてありがとう。えーっと......」
 勝手に怒鳴り込んできたアリスちゃんだけど、ちゃんと謝るんだからやっぱりいい子だよなー、と思っていると言い淀んで私に振り向く。
「ごめん、お兄さんの名前なんて言ってったっけ?」
「「え?」」
 アリスちゃんに聞かれて、私とお兄さんが一緒に硬直した......。



「はぁぁぁ!? 幸せ過ぎて名前を聞いてなかったぁ!?」
「いや......まぁ......うん、はい......」
「そういえば名乗った覚えなかったな......」
 俺も始めは一晩だけのつもりだったしなー。
「五日も一緒にいて!? アンタ馬鹿じゃないの!?」
「ば、馬鹿じゃないもん......。成績はアリスちゃんよりいいもん......」
「屁理屈言わない!」
 なんか友達に怒られてる彼女の姿が面白い。......って他人事ではないな。
「そんでお兄さんも名前知らなかったって!?」
「知らなかったっていうか、今も知らないな」
 思えばアリスちゃんの方はウチにきてずっと「アンタ」か「私の友達」としか言ってないので、未だに彼女の名前を知らない。
 そうか、猫に名前を付けたときに覚えた違和感はコレだったか。
「アンタらおかしいんじゃないの!?」
「返す言葉もない」
 いやまさか、五日も一緒にいてお互いに名前を知らないなんて、なんで気が付かなかったんだ。
「お兄さんは私の事「お前」って呼んでましたし......」
「平成の夫婦かよ!」
 考えてみれば結構失礼な呼び方してたな、多分先に住み着いてた猫をそう呼んでたせいだろう。
「ほらもう、改めて自己紹介しなさいよ」
 アリスちゃんに言われて彼女と向き合う。言われなくても......、と言いたいところだが。
「なんか、改めて名乗るのは気恥ずかしいな......」
「そうですね......」
 後ろ頭をポリポリと書いて目を泳がせると、彼女も恥ずかしそうにして目を伏せる。
「お見合いかよ、はよしろ」
 こんな妙な空気にしたのはお前だぞ。
「あの、それじゃぁ私から」
 そして彼女がまた改めて顔を真っ直ぐ向けて初めてその名前を口にした。



「スミレ......です」
 うわぁぁぁ。めっちゃ恥ずかしいいいい! お世話になってる人に名前教えてなかったなんて! 知らなかったなんて! 数日前の自分をぶん殴りたい! 
「不束者ですが、よろしくお願いします」
「違う、おかしい。スミレそれ違うやつ」
「え、なんか間違えた!?」
 恥ずかしさのあまりにまたなんか失敗した!?
「まぁ......、よろしくな。スミレちゃん、でいいか?」
「......はい!」
 うわ、なんか凄いドキっとした。お兄さんに名前呼ばれるのいいな......ホントにもっと早く教えておけばよかったかも......。
「で、俺は......。セイヤだ」
 そしてお兄さんが......、セイヤさんが照れながら名前を教えてくれる、やだ、可愛い。照れてるところを初めて見るかも。
「ペガサス流聖拳?」
「君本当に中学生?」
「こないだ実写リメイクだかされたじゃん。CMみただけだけど」
 むぅ、アリスちゃんのせいでいつもの顔に戻っちゃった。
「えっと、セイヤさんって呼んでいいですか?」
 「お兄さん」って呼び方も結構気に入ってたけど、せっかくだし私も名前で呼びたい。
「好きに呼んでくれて構わないぞ」
「やった! あ、でもご主人様とか旦那様とかも呼んでみたいみたいなってちょっと思って──」
「スマン、やっぱり名前で頼む」
 ダメだった。そう呼んでみるのもちょっと憧れだったのだけど、残念。
「で、アタシはアリスでぇ~す」
「「知ってる」」
「なによ、もぅ」
 私とセイヤさんが口を揃えて塩対応するものだからアリスちゃんがブーたれてる。ちょっと面白い。
「で、あっちがナツメちゃん」
「へ? 一人暮らしじゃないの? って、なんだ猫か」
 丁度ナツメちゃんが廊下からこちらを覗きこんでたので一応紹介しておく。ナツメちゃんは私が来た日のように「また知らん人がいる」と言った風に一瞥するとどこかに行ってしまった。
「ともかく! 一応信用はしたけど、スミレに手を出したりしたらぶっ殺すからね! そんで通報する!」
「アリスちゃん......」
「ぶっ殺されて通報されるのか、女子中学生こぇえな」
 アリスちゃんは最後にセイヤさんにくぎを刺して帰っていった。なんか帰る直前にセイヤさんと携帯で何かやってたみたいだけど、何してたんだろう?



 スミレちゃんの友達、アリスちゃんが帰ったあと、俺は自室で彼女からもらった連絡先を登録して彼女からのLINEを覗いていた。
『じゃ、スミレの事はなんかあったらアタシに聞いてね』
『それじゃぁ確認なんだが、ホントに携帯持ってないのか?』
『持ってないよ。でも特に何かを欲しがったりしないスミレだけど、スマホには結構憧れがあるみたい』
 今どき携帯を持っていない女子中学生がいたとは......。たしかにウチにいるときに携帯をいじっている姿を見たことなかったな。今どきの子は暇さえあれば見ているものだろうに。
 ん? てことはあの時は神待ちしてたわけじゃなかったのか? 通りかかったのが俺で良かったよ......。
『わかった、俺のスマホを一つスミレちゃんに渡すから、君からもLINEしてやってくれ』
『さっすが、お兄さん話がわかるー!』
 コイツ、端から俺がスミレちゃんにスマホ渡すのを期待して携帯持ってないこと教えてきたな。
「残しておいてよかったな」
 新しく契約するのだとあの子の事だから遠慮するだろうが、元からあるやつなら大丈夫だろう。
 仕事とプライベート用で二つ持っているんだが......、特に友人のいない俺なので使い分ける意味もなく、もっぱら仕事用の新しいヤツだけでプライベート用のは使わず放置していた。
 さっさと解約しなかったのは仕事用と二台契約で金がかからないのと。亡くなった親父とのLINEが残っているから解約すると消えちまいそうな気がしたからだな......。
「あばよ、親父」
 いつまでもそんなものの感傷に浸るなんて柄でもない、俺は親父の名前をLINEのリストから削除する。これで大分まっさらになった。一応俺が使ってた形跡がいくらか残っているが......見られて困るような記録は残ってないだろ、多分。
「スミレちゃん、ちょっと頼みがあるんだが」
「頼み、ですか? なんでしょう?」
 スマホを持ってリビングにいくとスミレちゃんがアイロンがけをしていた。掃除しているときに見つけたらしいが、ウチにアイロン台なんてあったんだな......。
「俺の使ってない方のスマホをスミレちゃんに使って欲しい」
「スマホですか......?」
 そういってスマホを渡すとスミレちゃんは不思議そうにのぞき込む。
「えっと......、頼み、なんですか? これ?」
 まぁ、見ようによってはプレゼントみたいにも見えるよな。遠慮がちなスミレちゃんなので困惑しているようだ。
「掃除や洗濯してくれているのがスミレちゃんだから、学校に行ってるときにモノの場所がわからない時があってな」
「はぁ......」
 まぁコレは建前だな。実際茶葉の場所がわからなくて困ったことはあったが。
「持っていてくれた方が俺からも連絡が取りやすいし、防犯的にも持ってくれてた方が安心できる。だからスミレちゃんに持っててほしい」
「えと、でも......、使用料金とかかかるんじゃないですか?」
「料金は心配するな、二台契約のコースで仕事用の二台目として登録してるから、俺の仕事先が両方払ってくれてる」
 コレ、担当のヤツがやってくれたんだよな。流石にソシャゲで廃課金とかしたら怒られるらしいが、俺はその手のものはやらないし。
「本当に、私が使っていいんですか?」
 遠慮半分、喜び半分と言った風にスミレちゃんは尋ねる。
「あぁ、俺の昔の知り合いからかかってくる可能性がないこともないが......まぁないだろうが。是非使ってくれ」
「わゎ......わぁ! わぁぁあ!」
 渡されたスマホを掲げて、スミレちゃんは何と表現していいのかわからないのかただひたすらに感激している。
 遠慮がちで贅沢を言わない彼女だが、本当にスマホに憧れていたんだな。こんなに喜んでくれるなんて渡してよかった。
「それで大事なお友達とも好きな時にお話ができるな」
 俺はアリスちゃんにLINEでスマホを渡した合図を出す。すると──
『やっほー、スミレ~、アリスだよー』
「わぁー!」
 ピコンと、スミレちゃんのスマホに彼女からのLINEが届いてそれにまた感激している。
「あ、ありがとうございます! 大事に使わせていただきます!」
「喜んでくれてよかった......て──」
「もう! セイヤさん大好きです!」
 感極まったスミレちゃんが腰に抱きついてくる。なんか前にも似たようなことが......じゃない
 イヤ......流石にこれは、マズイ......。
「あ! ご、ごめんなさい、すいません......」
 幸いすぐに我を取り戻したスミレちゃんが照れながら離れてくれたが......。ちょっと名残惜し──いかんいかん。
「あーえっと、使い方はわかるか?」
「アリスちゃんが使ってるところを見てたので、少しなら......」
「そうか、じゃぁもう少ししたら夕飯の買い物にいこうか」
「は、はい」
 お互い顔も見られず、変な空気に耐えられず俺はそういうと自室へと逃げるように戻った。
 夕飯の買い物に行く頃にはその空気が尾を引くこともなく、スミレちゃんは初めてのスマホで文字を打つのに悪戦苦闘している様子だった。



 セイヤさんの家でお世話になるようになってから一月。家を追い出されたはずなのに生活のグレードがむしろ上がってしまって、家事も楽しくて、あっと言う間です。
「アリスちゃん、スマホいじりながら食べるの行儀悪いよー」
 今日はアリスちゃんに誘われて下校後にカフェ。と言っても私はお金ないからアリスちゃんの奢りだけど......。嬉しいけどなんか最近奢りの頻度高いような?
 とはいえ、それはそれ。スマホを持つ前は気にならなかったけど、いつでも使えるからこそ食事中とかに見るのは行儀が悪いと思うようになった。
「あー、ごめん」
 アリスちゃんも私が注意するとすぐにスマホをしまってくれた。あんまりマナーとかにうるさく言う方ではないけど、親しき中にも礼儀ありっていうしね?
「ところでお兄さんとこに住むようになってそろそろ一ヵ月だっけ。あれから何にもないの?」
「何にもって?」
 スマホを貰った時に思わず抱きついちゃった......のはアリスちゃんにはナイショだけど、あれから何かあったっけ?
 セイヤさんの着替え中に私が脱衣所に入っちゃう逆ラッキースケベ的なことはあったりしたけど(脱いでたのは上だけだったし仮にマッパでも男の人のは見慣れたものだけど)特にイベント的なことはないかな?
「あ、ナツメちゃんがやっと懐いてくれたよ!」
「あーうん、そういうことじゃないけど、まぁ何もなさそうね」
 むぅ、私的には結構一大イベントなのに......。あの子セイヤさん以外には触らせてもくれないし、私が餌をあげても絶対食べなかったんだから! ようやくこないだ寄ってきてくれたんだよ!
 ちなみに触れるようになったので確認したところ女の子でした。
「初めて会った時にそんな気はしてたけど、ホントに何もしないのねぇ」
「あー、そういう何か?」
 ていうか私に手を出すなってくぎを刺したのはアリスちゃんじゃん。
「私としてもラッキースケベとかあってくれてもいいんだけど、セイヤさん脱衣所やトイレで絶対ノックするし、私の部屋も返事しないと開けないからなー」
 あの日私が裸で寝ていると知ってからか、より徹底したような? もう裸で寝てないんだけどなー、浴衣は寝起きに結構着崩れててかなりセンシティブな感じにはなるけど。
「アンタがそんなんじゃ心配するだけ損だわね」
「むしろセイヤさんになら抱かれてもいいっていうか」
 仮に私からアプローチかけても絶対抱いてくれないと思うけど。良い人過ぎるのも考えモノだなー。
「アンタ私がカミサマとエッチしてみたいって言ったら怒ってなかったっけ?」
「セイヤさんはもう知らない人じゃないもーん」
 あーでも、私とエッチしたらセイヤさん犯罪者になっちゃうか。でもバレなきゃ平気だよね?
「知らない人じゃないっていうけど、アンタお兄さんの事どれくらい知ってんのよ?」
「ん-、下着はトランクス派......パンツはゴム系の楽なヤツが好きでベルトが嫌いみたい? 卵焼きは甘い派で、カレーは甘口しか食べなくて、意外とチョコとかスイーツが好きな子供舌でピーマンが嫌いで──」
 料理と洗濯任されてるから、味や服の好みとかはバッチリなんだから!
「好みの女の子とかは?」
「ぐっ、それは......わかんない」
 それは本人に聞くか、そういうモノを見つけて推測するしかないじゃん......。
「ふーん、全然知らないじゃん」
「だって! いくら掃除してもエッチな本一冊出てこないんだよ!?」
 自室も少し掃除させてもらえたけど、エッチな本どころかコレクション的なものが全然出てこない。ちょっとセイヤさん無趣味すぎない? エッチなフィギュアの一個くらい持っててよ!
「今どきスケベなものは全部データでしょ、スマホかPCの中身調べないと」
「うーん、流石にその辺を勝手に調べるのは......、いつも家にいるから調べるタイミングもなかなか......」
 あーでも、よく散歩に行くからその時なら調べられるかも? お風呂入ってるときならスマホもいけそう......。一人暮らしが長いからかスマホもPCもセキュリティロックしてないみたいだし。
「ていうかお兄さんいつも家にいるよね、何の仕事してんの?」
「さぁ?」
「それも知らないの!? 全然ダメじゃん!」
 そういえば一月も一緒に過ごしてるのに何のお仕事してるか全然知らない......。あれ? 私自分で思ってるほどセイヤさんに詳しくないのでは?
「だ、だってセイヤさんお仕事の話とか全くしないし......。郵便物の類は私触れないようにしてるし......」
 郵便物はそういう風に言われたわけではないのだけど、居候している手前申し訳ないので個人的なモノのはずなので見ない・触れないようにしている。
 どうせ私への郵便物なんてないし......そういえば転移届とか出してないけど......元々私宛の郵便なんてなかったしいっか。
「実は働いてないとか?」
「働いてるのは間違いないと思うよ? 仕事の電話も何度かしてたし」
「どんな内容だった?」
「電話が来ると自室の方に行っちゃうから詳しくはわからないけど、担当がどうとか締め切りがどうとか言ってたから、なんかのライターかも」
 ライターならずっと家にいるのも不思議じゃないよね。と言っても取材やレポートするタイプのライターではないだろうけど。
「へぇ、物書きなんだ。アンタ本好きじゃん、心当たりないの?」
「物書きにもいろんなジャンルがあるし......、純文学でセイヤって名前はちょっと覚えがないかなー」
 そもそも本名で活動してるとも限らないし。
「あー、でも仕事部屋にしてるっていう書斎には純文学が多かったかも、やっぱり純文学の作家なのかな?」
 あの書斎にナリナリ先生の本も全部揃ってたのよね。もしかしてファンなのかな? だとしたら嬉しいな、セイヤさんとナリナリ先生の本を語れるなんて最高すぎる。
「アンタが知らないって事は電子書籍で連載してるタイプの作家なのかもね」
「たしかに! 筆も原稿用紙も全くないし!」
 ノートPC以外に「仕事道具」ってものが見当たらないし。
「いや、最近は漫画家も作家も大体データ入稿でしょ」
「そうなの?」
「原稿用紙使ったことない作家とか、トーン張りやベタ塗りしたことない漫画家とかいるそうよ」
 へぇ、時代は変わるものなんだなぁ。小説なんかは本に出てる時点で打ち込まれたヤツだから手書きかどうかなんて関係ないけれど、漫画は味気なくなったりしないのかな。
 その後アリスちゃんが軽く「セイヤ」の作家を調べてくれたけど、結局それっぽい人は見つからなかった。
 ペンネームあるのかもしれないし、本人が言わないなら秘密にしておきたいのかもしれない。



「お前なぁ、来るならアポとれよ。社会人だろ」
「ずっと家にいて特に用事のない先生にアポなんて必要ですか?」
 俺は玄関に立つ20代半ばの男にクレームを付ける。
 このぶしつけで失礼な男は新田翼(ニッタ・ツバサ)。いつも無表情を崩さず淡々と話す......俺の担当だ。
「大体アポとると先生その時間に逃げるじゃないですか」
「お前が来ると碌な仕事もってこねぇんだよ」
 今の時代顔を合わせなくても打ち合わせは全部PCを通じてできる。わざわざ来るってのは「仕事受けるまで帰らねぇよ?」っていう脅しみたいなもんだ。
「どのみち逃げても待たさせてもらいますけどね」
「だからって4時間も居座るヤツがあるかよ。勝手に入りやがって」
「鍵の場所が単純すぎますよ」
 もうその鍵そこにないけどな。まぁ中に入れなくてもコイツなら玄関で待ち続けるんだろうな......。
「まぁ仕方ない、話は居間で聞く」
「はい」
 ここでごねても仕事の話をするまで......受けるまでどうせ帰らないので観念して家に上げることにする、と
「ただいま帰りましたー! あれ?」
「ん、おかえり」
 そこに丁度スミレちゃんが帰ってきた。玄関にいる見知らぬ男を見て硬直し、ニッタもスミレちゃんの姿(主に制服)に驚いて......ないな、無表情崩してないわ。
 タイミングいいのか悪いのか......。ニッタのヤツがアポとってくれりゃぁ外で話聞いてたんだがな......。
「こ、こんにちは......」
「どうも、先生の担当の新田翼です」
「どうもです......」
 そして無表情を崩さずスミレちゃんに挨拶を交わし、俺の方を向いて──
「彼女は?」
「親戚の娘さんだよ、部屋が余ってるんで預かってる」
 何の打ち合わせもしてなかったがそういう事にしておいてくれ、とスミレちゃんに目で訴えかける。彼女なら空気読んでくれるだろう。
「スミレ......です、父が海外に単身赴任で母もそれについて行ったので、こちらでお世話になってます」
 流石(?)スミレちゃん、空気を読んでそれっぽい嘘で誤魔化してくれた。本当に気の利く子だ。
「ふむ......。部屋が余っているとはいえ年頃の娘を男の一人暮らしに預けますかね?」
「信頼されてんだよ」
「たしかに先生は未成年に手が出せるような度量はないと確信を持って言えますが」
「お前褒めてんの? ディスってんの?」
「どちらでも」
 コイツ妙に感がいいからな......。腹が立つがあんまりこの話題は続けないようにしないと。
「セイヤさん、やっぱり作家さんだったのですね」
「ん、まぁな」
 聞かれないので言わないでいたが、まぁ薄々ライターかなにかだとは思うよな。
 今更自分の作品を読んでもらうのも気恥ずかしい......ていうか――
 どうしたってスミレちゃんは世話になってる手前の遠慮が入るだろうから、あんまりちゃんとした感想を期待できないというか、忌憚のない感想が欲しい俺としては教えたくなかったんだがな。
「彼女に仕事の事教えていなかったのですか」
「別に話すような事でもないだろう、俺の本は若い子には受けも悪いだろうし」
「えぇ!? セイヤさんの作品興味あります!」
 そういえば本を読むのが好きだって言ってたなー......。書斎の本を読んでいいか聞いてたし。できればこのまま気付かず書斎の俺の本を読んでから、それとなく感想を聞きたかったところなんだが。
「お嬢さん、純文学はお好きですか?」
「わぁ、純文学の先生なんですか!? 大好きです!」
「おや、お若いのに珍しい。きっと気に入りますよ」
 俺の思いも他所にニッタのやつはカバンをガサゴソして中から俺のデビュー作『路傍の花のように』を取り出す。ってデビュー作かよ。
「なんでお前はよりにもよってそのデビュー作を持ち歩いてるんだよ。最新刊勧めろよ!」
「勿論最新刊も持ち歩いていますよ。ですが最初にお勧めするなら断然デビュー作です」
 昔の作品は稚拙で恥ずかしくて読み返したくもないって作家も結構いるが、俺の場合デビュー作はちょっとした曰く付きであまり好きではない。
「え。これ......」
 俺とニッタが揉めている横で、スミレちゃんはニッタが出した本を手に驚いたように硬直していた。


 やっぱりペンネームで活動してるのかな? セイヤさんの本ってどんなのだろう。やっぱり純文学の作家さんだったんだ、凄い楽しみ!
 私はワクワクしながら担当さんから受け取った本の表紙を見る――
『路傍の花のように』
 それは、他愛のない男女が、他愛のない幸せを探して見つける。そんな他愛のないお話。なんら特別でない、まさに「ナリナリ先生」の作風を代表するお話だった。
「え。これ......」
 見間違いじゃない、印象に残らないけど見慣れた表紙だ。著者にはフリガナ付きで『富田成也(トミタナリナリ)』と書いてある。
「ナリナリ先生の......」
「おや、よもやご存じで?」
「そんなまさか、10年近くも前の作品だぞ」
 ナリナリ......、成也......、セイヤ...。これ......セイヤ!?
 著者の漢字をよく見て私は思い返す。セイヤさんの名前は聞いてたけど漢字は聞いてない、けど、これってそういうことだよね!?
 え、嘘!? 私を拾ってくれたメチャクチャいい人が、私の大好きな作家さん!? そんなことってある!?


 スミレちゃんが俺のデビュー作を知っている風だったが、いやまさか、そんなはずはないだろう。無名の俺のデビュー作だぞ? ほとんど古本屋にしか置いてないだろ?
 知ってると言ってもアレだ、書斎の本を読みたいと言っていたから、それで俺の名前と本を目にしたん――いやでもデビュー作は置いてなかったな......。
「私......私! ナリナリ先生の大ファンでっ! えと、なんていうか......大好きで!! とにかく......あぁもうなんていえばいいかわかんない!!」
「お嬢さん、落ち着きましょう。大好きな作家に会ったファンの気持ちというのはそういうものです。いったん深呼吸しましょう」
 流石は編集者だな、売れっ子作家のファンの対応に慣れてやがる。コイツが受け持ってる別の作家の話だけどな。
「はぁ......ふぅ......」
 いや、しかし、スミレちゃんが俺の大ファン? 本は好きだと言っていたが俺の作品なんかをスミレちゃんみたいな若い子が好きになるか?
「近くの図書館に、寄贈してますよね! 私そこで先生の本に出会って! 全部読んで! 路傍の花のようにが大好きで! あ、でも一番好きなのは五番地二丁目物語シリーズで――」
「ほう、五番地二丁目物語が一番とは。彼女なかなかの通ですね」
 たしかに近所の......といっても徒歩30分くらいの距離あるが――図書館に寄贈している。イヤでも「スミレ」なんて名前、貸出カードにあっただろうか?
「あ、最新刊も面白かったです! タイトルがちょっと悲しそうで不安になったけど、読んでみたらやっぱり優しい話で! 凄い......すごくない感じで!」
「凄い、すごくない感じ。とても先生の作品が好きな事が伝わる良い表現ですね」
 ニッタのヤツはいつもの無表情を崩して何故か俺より嬉しそうに興奮するスミレちゃんの感想を聞いている。
 俺はというと「興奮するファン」には初めてで、なおかつそれがスミレちゃんで、いつもの落ち着いたスミレちゃんとは違った様子に何も言えずに硬直していた。
 スミレ......菫......純恋......。『大宮純愛』
 貸出カードの名前を思い出してハっとする。あの図書館の俺の作品を全部読んでる子(少なくとも貸し出しで)は一人しかいない。読み方の分からなかった『純愛』という子だ。
「もしかして純愛って書いてスミレ?」
「あ、はい。よく“純恋”じゃないのか、って言われますけど......、なんで私の名前の漢字を?」
 あれ「ピュア」って読むんじゃないのかよ!? 純愛で「スミレ」!? 名前聞いただけでわかるわけねぇだろ!!
 え、嘘だろ? 俺が拾った少女が、俺の作家としての挫折を救ってくれたファンだったって!? そんなことってあるか!?



「なるほど、あの図書館の貸出カードに書いてある名前、お嬢さんだったんですね」
「え、確認されてるんですか!?」
 とりあえず興奮も落ち着いて、少し冷静になってきた私に担当さんは図書館の貸出カードの事をつぶやく。
「先生があの図書館に寄贈しているのは、あの図書館がまだ電子カード式でなく、貸出カードで貸し出しの記録が見られるからでしょうからね」
「やめろ、俺が小さい男みたいだろ!」
 なんであの図書館に寄贈してるのかと思ったらそういうことだったんだ......、セイヤさんの反応を見るに図星らしい。焦ってるセイヤさんちょっとかわいい。
「私も編集者としてどんな方が借りているか興味があるので確認していました。まぁ、ほとんどお嬢さんの名前しかありませんでしたが」
「追い打ちかけるのやめろ」
 たしかに私の名前しかないのがちょっとむなしかったけど......。
「でもほら、借りないで図書館で読み終えてるのかもしれないし。セイヤさんの......先生の本ってスラスラ読めるから」
「先生の本はとても読みやすいですからね」
「よせよ、あれだけ数があるのに全部図書館で読んでるなんて......。ないこと言われても悲しくなるわ」
「私は図書館で何度も読み返してますよ!!」
「あーうん......ありがとうスミレちゃん......。スミレちゃんも一回しか借りてないんだしそんなフォロー入れなくても......」
「違うもん! 私が借りたら他の人が借りられないから読み返すのは図書館でにしてるんだもん!」
「先生、彼女は本当にアナタの作品が大好きみたいですよ、よかったじゃないですか」
「スマン......。悲しいんだか嬉しいんだか恥ずかしいんだか、なんか泣けてきたから仕事の話はちょっと後にしてくれ。あとスミレちゃんは“先生”じゃなくて名前でたのむ」
 今日のセイヤさんなんだか面白いなぁ。
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あるいは路傍のスミレのように作者:万能ねぎトロ
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