第37話 成立
10月29日 午前 | 学校
「真壁さん!」
静寂が支配する教室の中で、ハルは突如名前を呼ばれる。
一瞬誰のことを呼んでいるのか分からなかったが、すぐに自分のことだと気づき、声の主に目を向けると――ハルの名前を呼んだのは教科書を片手に呆れと怒りが入り混じった表情を浮かべる古文の先生だった。
今は3限目、古文の時間。
少し歳を召した先生が、教科書を片手に机の間を歩きながら古典を紹介していたが、ハルはそれをぼんやりと聞きながら全く別のことを考えていた。
それは先日カナメから言われた言葉――。
――私たちがなぜ消滅を回避することもあれば成立させることもあるのか。その意味をよく考えてみろ。
この言葉がどうしても頭から離れなかった。
教科書を開いたまま視線を窓の外に向ける。外では別のクラスが体育の授業でサッカーをしている。
彼らが消滅するとしたらどうだろうか。
学校の外に目を向けると、明らかに過積載と思われる大型トラックが黒煙を振りまきながら走り去っていた。
あのトラックが消えるとしたらどうだろうか。
校庭に目を戻すと、グラウンド沿いの木に鳥が止まっていた。
あの木や鳥が消えるとしたらどうだろうか。
目に映るものすべてにそんな問いを投げかけ続けるのだが、それは傍から見れば、ただの上の空。授業を放棄していると取られてもおかしくない態度である。
当然ながらそれは古典の先生の目に止まる。
はじめのうちは軽く注意を促す意味で名前を呼ぶにとどめるつもりであったのだろうが、何度呼んでも反応すらしないハルに業を煮やし、ついには大きな声で注意されてしまった、と言うのが現在の状況だ。
クラスメートが「なにやってんだよ」とからかう中、それでもハルは自分の中に渦巻く疑問と葛藤を止めることができないでいた。
***
昼休み。
友人と机を向かい合わせて弁当を食べているときも、ハルの葛藤は続いていた。
***
放課後。
学校を出て、いつもの道を歩いているときも、消滅を防ぐ意義を考えていた。
***
ファーストフード店。
いつもならナナの下校を待ち、一緒に向かうはずなのだが、考え事に没頭しているうちに、いつの間にか1人で来てしまっていた。
「あ......ナナに声をかけるの忘れてたな......」
そう呟いては見るものの、特に慌てるでもなく、カウンターで注文を済ませ、トレイを手にまだ誰も来ていないいつもの席に座る。
まだ湯気を立てているポテトを一口食べると、それをドリンクで流し込む。
そして――。
――消滅を防がない意味ってなんだろう?
今日、何度目になるか分からない自問自答を始める。
***
同時刻 | 校門前
「だからよー、悪いやつとかなら良いんじゃねえかなって」
「でも、それって消滅自体を肯定するってことでしょ?」
「いや、そうじゃなくって......」
ミオとリクがなにかを言い合いながら校門をくぐる。話題はもちろん昨日の一件だ。
ハルが疑問と葛藤に飲まれ続けているが、ミオたちも昨日のカナメの言葉がずっと心に残っていた。
特に消滅で愛犬を失っているミオにとって、消滅を成立させるなどということは到底看過できないことではあるのだが、昨日の一件を見ると、それで思考を止めるのはなにか違うのではないかと思い始めていた。
しかしそうは思っていても感情的にはそう簡単には割り切れない。
最近でこそ、ハルたちと出会った当初のような消滅現象に対する負の感情は和らいだものの、それを認めてしまうと言うのはまた別の話だからだ。
ハルが終わらない自問自答を繰り返しているように、ミオたちもまた、正解が出ない言い合いを続けながらファーストフード店に向かって歩いていたところで......
「ミオ先輩!リクー!」
背後から自分たちを呼ぶ声が聞こえてきた。
その声をきっかけに言い合いをやめて後ろを振り返ると、声の主は小走りに近づいてくるナナだった。
「あれ?ハルと一緒じゃないのか?」
「なんか全然来ないなーって思って連絡したら、もうファーストフード店にいるんだって。ひどいと思わない?私、ずーっと待ってたんだよー」
ナナは口をとがらせる。
「そういや昼休みに見かけた時もぼーっとしてて、なにか考え込んでいるような感じだったな」
「やっぱり昨日のあれかしら?」
「あれって......カナメさんの言葉?」
「ええ、私たちも今、それを話してたのよ」
そう言いながら3人で肩を並べ歩き出す。
今日は、昨日のことやカナメの言葉をみんなで相談することになっていた。
今まで消滅に対処し続けてきたハルたちにとってカナメの残した言葉は、消滅は回避すべきものであると思っていた自分たちの行動に大きな波紋を投げかけるものであったからだ。
風守神社を後にしてから解散するまで、ハルの言葉数が少なくなっていたのは、きっとまたいつものように色々と考え込んでいたのだろう。
それ自体は仕方ない。
それだけのことがあったからだ。
しかし――。
「でもだからって先に行くことないじゃん!?だってずっと待ってたんだよ?」
別にナナは本気で怒っているわけではない。
ハルが悩む気持ちは理解できなくはないからだ。でも、それでも自分の存在を忘れるほどのことだろうか。そう思うと怒りよりも寂しさの方がこみ上げてくる。
ハルはなにかあるとすぐに一人で抱え込み、悩み続ける。
それがハルらしいと言えばそうなのだが、同じ状況にあっても、ミオとリクは互いに悩みを相談しあっている。それなのにハルはなにも相談してくれない。
頼ってほしい人が頼ってくれない。
それが寂しく、そして歯がゆい。
ナナは肩をすくめるほどの大きなため息をつくと、突然その場に立ち止まって「うーん」と唸りだす。
ミオたちからすれば、隣を歩いていたナナが突然いなくなったかと思うと、不意に後ろの方から唸り声が聞こえたのだ。
唸り声に驚き振り向くと、そこには俯きながら唸るナナがいる。
どうしたのだろう、となにも言えず様子をみていたが、唸り始めと同じように突然その声を止めると、顔をあげて宣言する
「よし、決めた!ハルに会ったらデコピンしてやるんだ。きっついのをお見舞いしてやるんだからね!」
その宣言に、思わず吹き出すミオとリクであった。
***
ファーストフード店。
ナナたちが店内に入ると、いつもの席に座るハルを見つける。
ハルはポテトを一本手に取ったままの姿勢で固まっていた。きっとハルの脳内では答えの出ない問いを延々と繰り返しているのだろう。
ナナはカウンターに行き素早く注文を終える度、受け取ったトレイを手に足早にハルの元に向かう。そしてテーブルに置くと、ハルの目の前に座ると、宣言通り躊躇なく全力のデコピンをお見舞いする。
「痛っ!」
突然おでこに広がる痛みに、強制的に思考の海から引き上げられたハルが周囲を見渡す。
「あ......ナナ」
「あ、じゃないよー!私を置いていくなんてひどいじゃんかー!」
ナナが口を尖らしながら訴える。
「そうだぜ。昼間もなんかぼーっとしてたみたいだったけど、ナナを置いていくなんて相当重症のようだな」
「やっぱり昨日のこと?」
リクとミオがトレイを置いて席に着く。
「......うん。そうだね。気にならないと言えばうそになるかな」
ハルは遠くを見ながら答えるのだが――。
「なにが「うそになるかな」よ。思いっきり気にしてるじゃない」
ナナに頬を挟まれる。
頬にかかる圧力に「うーうー」と唸るハルだが、それに助け舟を出すものはいない。
そんなハルにリクが「自業自得だな」と笑う。
「悩むのはいいけどよ、ハルは考えに没頭しすぎなんだよ。悩んじまうような難しい問題ってやつは、1人で悩んだって大抵碌な答えが出てこないもんだ。もちろん考えるなとは言わないけども、そんなになる前にみんなで考えた方が同じ悩むにしても建設的だぜ。なあミオ?」
「まあ、そうね。私がそうだったしね」
そう自虐的に苦笑するミオは、きっとハルたちとの出会いのことを思い出しているのだろう。
ようやくナナの手から解放されたハルがミオの言葉に苦笑する。
「でもね......」
ミオが困ったようにハルを見る。
「そもそもカナメさんが残した言葉って私たち全員の問題でしょ?なんで一人だけで抱え込もうとするのよ」
「そーだよー。1人で考えたって仕方ないでしょ」
「三人寄ればなんとやら、ってやつだぜ」
確かにその通りだ。
ミオの言う通りこれは1人で考えるべき問題ではなかった。
カナメの言葉で今日一日モヤついてた心が、彼らの言葉によってすっと晴れていく。
これまで4人のチームで消滅の対処をしてきたのだ。それならば消滅を防ぐか成立させるかという問題もみんなで一緒に考えるべきだった。
そう思うと、自分だけがすべてを背負いこんでいるような顔をしていたことが急に恥ずかしくなる。
「そうだね......確かにみんなの言う通りだ。なんか心配かけてごめん」
「まあ、ある意味ハルらしいけどな」
リクがポテトを頬張りながら笑いかける。
「それじゃ早速考えていきましょうか」
「そーだね、早くしないとまたハルが考え込みだしちゃうからね」
ミオが話を進めようとするところを、それを利用してナナがハルに意趣返しする。
「ごめんってば」
そう言って両手を合わせて頭を下げるハルの様子がなんとなく滑稽で、3人とも思わず笑い出す。
***
「それで、カナメさんが言っていた言葉の意味だけども......」
ひとしきり笑いあった後、ミオが再び話を進めようとみんなを見渡す。
「なんで消滅を成立させることもあるのかってやつだろ?意味なんて分からねえけど、俺はそんなのには反対だな」
「私もだよ。なにかが消えるって分かってるのになにもしないなんてやだよ」
露骨に反対の意思を示すリクとナナであったが、ハルも基本的には2人に同意見だ。
なにかが消えると分かっていて、それが自分たちの手に届く範囲にあるのであれば救うべきだと思うし、今までそうやって活動してきた。
活動していく中で様々な想いや葛藤もあったけども、それでも消滅を成立させるということは考えたこともなかった。
そう思うと考える余地などないはずなのに、なぜカナメの言葉にこんなに引っかかってしまうのだろう。
言葉に上手くできない引っ掛かりの正体が分からず今日一日考え続けていたが、結局答えを出すことはできなかった。
そんなハルの悩みを見透かしたかのように、ミオが大きな波紋を投げかける。
「私もそう思うけども......それで終わらせていいのかしら?」
「どういう意味だよ?」
「言葉どおりよ。カナメさんがわざわざ私たちに教えてくれたってことは、それには深い意味があると思うの。それをただ感情論だけで否定するのはどうかと思うのよ」
「おいおい、マジで言ってるのかよ」
この中で誰よりも消滅現象を憎んでいたミオが、消滅成立を否定しない。
ミオの消滅憎しの想いを誰よりも知っているリクだからこそ、その発言に動揺を隠せない。
「ええ、マジよ」
「なんでー?消滅だよ。ない方がいいに決まってるじゃん」
リクに続いてナナも口を尖らすが、それまで黙っていたハルが静かに口を開く。
「いや......僕もミオ先輩の意見に賛成だよ」
「え?」
ハルがミオの意見に賛同したことで、奇しくも関与者と非関与者で意見が対立することになる。
ハルの突然の宣言にリクがとっさに反論する。
「おいおい待てよ。だってお前たち、いつだったか言ってたじゃねえか。消滅は、それを司るものが仕組んだことだって。でもそれが迷っているから【予定表】を俺たちに渡して試してるって」
「そうだよ。だから消滅が事前に分かってる私たちが消滅を防ぐ。そうすれば丸く収まるんでしょ」
リクに続いてナナも、かつて推測した内容を元に反論する。
ミオは言うべき言葉を選んでいるのだろうか、リクたちになにも答えない。
しばしの間、4人の間に静寂が流れる。
その間、ハルは改めて考えていた。
昨日カナメに言われた言葉の意味を知るため考え続けてきたこと。
寝る前、学校、ここに向かう道すがらに至るまで......しかしそれでも答えを出すことはできなかったこと。
カナメの言葉の意味、そしてなにかが消えること――。
消滅を回避させたいという気持ちは今も変わらない。
だから消滅の成立を考えようとしても、どうしてもそれを否定することしかできない。
それなのにカナメの言葉が楔となり心のなかに引っ掛かってしまったのだ。
この迷いは自分だけなのかと思っていた。
しかしそうではなかった。
ミオもまた、同じように迷っていたのだ。
さらにミオが言っていた「感情論だけで否定するのは早すぎる」という言葉。
この言葉で、ハルの中で引っ掛かっている気持ちは間違っていないのだと確信した。
あとはこの確信を言葉に変えるだけだ。
ハルは自分の感情や想いを言葉というピースに変えて組みあげていく。
店内に響く空調の音がやたらと耳につく。
自動ドアが開くたびに外の空気が入り、店内の空気と入り混じる。
そのたびにテーブルにある食べ終わったハンバーガーの包み紙が僅かに揺れる。
そんな音を聞きながら、やがてそれは一つの形になる。
それを確認すると、沈黙を破るために口を開く。
「僕もさ......」
ハルはテーブルの上に腕を乗せて指を組む。
「やっぱり消滅は防ぐべきだって思ってる。だから成立させる意味を考えろって言われて今日一日考えていたけども......やっぱりその考えは変わらなかった。でも......」
ハルはそこで一度言葉を区切る。
「でも、カナメさんの言葉を思い返すと、どうしてもこの結論に違和感を感じるんだ」
「私もそうよ。もちろん今でも消滅は憎いという気持ちに変わりはないわ。でもそれではせっかく教えてくれた重要なことを、感情に任せて考えることすらしないことになる。もしそれで大事なことを見落としたとしたら、それは本末転倒だわ」
リクたちはハルたちの言葉に黙って耳を傾けている。
「だからさ......」
この続きを言葉にするのには少し勇気がいるが、ミオがハルの意見に賛同してくれたことが、ハルの気持ちを後押ししてくれたような気がする。
ハルは言葉をため、組んだ指に少し力を込めると話を続ける。
「一度......試してみようかと思う」
「試すって......まさか?」
「僕たちも一度消滅を成立させてみよう」
「ちょっと待てよ!」
ハルの言葉にリクが声を荒げる。
そのおかげで店内の注目を集めてしまう。
リクだけでなくハルたちも周囲の人たちに視線や仕草で謝意を示すと、程なく周囲は元に戻る。
リクは周囲の目を気にして意識的に声を潜めて、しかしはっきりとした口調でハルの言葉に異を唱える。
「それって今までの俺達の行動を否定するってことだぞ、分かってるのか?」
「そーだよ、今まで色々悩みながら頑張ってきたのに、それをカナメさんが言ったたったひと言で無駄にするつもり?」
「いや、たったひと言だからこそだよ」
「――!?」
リクとナナがハルに詰め寄るが、ハルはナナの言葉を拾い上げる。
「僕は、いや僕だけじゃなくミオ先輩も、ここまでやってきたことをカナメさんのたった一言によってこんなに揺さぶられているんだよ。それだけの重みがあの言葉にはあったんだ」
「なるほど......」
ハルの言葉に、自分の気持ちが腑に落ちたのだろうか。ミオは指を顎に当てて小さく納得する。
「リクとナナの気持ちは良く分かるよ。僕だって気持ちは揺さぶられてはいるけども、答えがでているわけじゃないんだ。ミオ先輩は?」
「私もそうよ。消滅を成立させる意味なんて正直言って分からないわ。でもカナメさんがわざわざ送ってくれた言葉よ。なんならカナメさんにメッセージを送って、直接その意味を聞くこともできるけども、これはきっと私たちが自分で答えを見つけなくちゃいけない。そう思うの」
「正直言うと僕だって嫌だよ。でもこれはやらなくちゃいけないことなんだと思う。僕たちが自力であの言葉の意味を知るために......」
ハルの言葉が終わると、再び場を沈黙が支配する。
どれくらいそのままでいただろうか。
入口の自動ドアが何度目かの来店を告げる音を立てた時、リクがゆっくり口を開く。
「消滅ってのはよ......」
そこで一度ため息のような息を吐く。
「いや、いいや」
そう言うと残っていたポテトをまとめて口に放り込む。
話が話だったせいか、テーブルの上のポテトにはあまり手が伸びず、かなりの量が余っていた。それを一気に放り込むのだから、当然ながらむせかえりそうになる。慌てて水分を求めて伸ばした手に、すかさずミオがドリンクを手渡す。
それを一気に飲み干すと、もう一度大きな息を吐く。
「分かった、付き合うよ」
「リク......」
「なんてったって俺たちは寄り添うものだからな。なあ、ナナ」
そう言われて一瞬目を丸くするナナだが、ハルの顔に視線をやってしばらく考えると、決意を固めたように頷く。
「まったくもー、仕方ないね」
「ナナ......」
カナメが残した言葉――消滅を成立させる意味。
それを考えるために敢えて消滅の成立という、今までとは正反対の行動を選択する。
その決断が正しいことなのか。
消滅を成立させれば答えが見つかるのか。
誰もがそんな不安を胸に抱えていた。