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第22話 公的機関

8月15日 | 西峰区

都内のオフィス街と呼ばれるエリア、西峰区。

世間ではまだ盆休み中なので、オフィス街である西峰区には人が少なそうに思えるが、中心に位置する西峰駅に乗り入れている大型の駅ビルには屋内イベント広場が併設されており、そこで開催される子供向けのイベントに訪れるファミリーなどにより、むしろ平日よりも賑わっていた。

昨今の夏は酷暑化が進んでおり、特にオフィス街ではエアコンの室外機やアスファルトの反射熱などにより、長時間外にいたら文字通り倒れてしまいかねない。

しかしこの駅ビルではすべてのイベントを季節問わず屋内で開催するので、寒暖の影響だけではなく、突然の雨などの天候にも左右されないのが特徴である。

普段は売り出し中のお笑い芸人やアイドルなどが、施設に訪れた人に対して知名度を上げるためのパフォーマンスを繰り広げているのだが、今日は夏休みと言うことを意識しているせいか、カラフルな衣装をした若い女性がマイクを片手に集まった子供たちに元気よく「こんにちはー!」と呼びかけている。

このようにオフィス街にある駅は、世間が盆休みであっても人の賑わいが絶えることはないのであるが、それはあくまでも駅ビル内での話である。

週末や長期休みにおける駅ビル以外のオフィス街エリアでは、例え暑さ寒さの影響がなくとも、人の姿をほとんど見ることはない。

平日であれば、例え灼熱の暑さでも汗をぬぐいながら目的の場所に向かうビジネスマンなどが行きかうのだが、この人の少なさがこの街が休眠状態であることを示しているのかもしれない。

***

駅から10分ほど離れた一角のとあるビル。

重厚な雰囲気を醸し出すこのビルはかなり広い敷地を占有する8階建てのビルであり、色々な企業がそれぞれのフロアにオフィスを構える、所謂オフィスビルである。

その最上階のフロアのとあるオフィスでは、盆休みであるにもかかわらず3人の男女がデスクに向かっていた。

窓を背に座るのは高級そうなブランド物のスーツを自然に着こなし、眉間に深いしわを寄せた意志の強そうな男性。やや色白ではあるが、その広い肩幅から座っていても高身長であることが分かる。彼は目だけを動かし手元のノートパソコンに映るなにかの資料をゆっくりと読み進めている。よほど重要なことが書いてあるのだろうか、時折メモを取りながら眉間のしわをさらに深くさせる。

「室長、今よろしいでしょうか?」

そう呼びかけられた男性――八雲サトルは顔を上げると、目の前には部下と思わしき女性が立ち、彼からの返答を待っていた。

「ああ、ちょっと待ってくれ」と、ノートパソコンの画面を閉じると、改めて目の前にいる女性に視線をやり、デスクの上で手を組む。

「カナメ。先日はご苦労だったな」
「はい、ありがとうございます」

サトルは目の前に立つ部下の女性――北条カナメに労いの言葉をかける。

スーツをきっちりと着こなし、凛とした様子で上司の前に立つその姿は、会社員と言うよりもまるでモデルのようである。ロングと言っても差し支えないような黒髪は、邪魔にならないように目立たない色のヘアピンやゴムできっちり止めているため、20代半ばにも関わらず若干幼く見える。

更に童顔と言っても差支えないような顔立ちと薄めの化粧がより幼さを際立たせ、初めて会う人には二十歳前後に見られるのだが、本人はそれを非常に気にしており、それに相反するような落ち着いた立ち振る舞いを心掛けていた。

カナメは理知的な視線をサトルに向け、丁寧にお辞儀をする。

「ボス、俺も頑張ったんだぜ」
「ああ、分かってる。トシオもご苦労だったな」

カナメに遅れてその横に並び立ったもう一人の部下――横島トシオはカナメとは対照的な印象である。

スーツは着ているが、およそ会社員とは思えないほど着崩している。ジャケットは袖を折り返し、シャツは第二ボタンまではだけている。当然ながらネクタイなどしていない。
全体的に細身ではあるが、それは華奢と言うわけではなくネコ科の肉食獣のようなしなやかさを感じる。短く切りそろえられた髪は赤茶色に染められており、先日30代に突入したにもかかわらずカナメと同年代に間違えられることも少なくない。

頭の上で腕を組み、にやにやとにやけているが、その目は周囲を常に観察し、また警戒しているようにも見える。

「いやー、ボスにも見せたかったぜ。カナメちゃんのマジシャン姿」
「あれは任務だからやったまでだ。見世物ではない」
「そうは言っても楽しそうだったじゃねえか」
「パフォーマーは周囲を楽しませるものだ。私が楽しんでいたわけではない」

そうやって2人は軽口をたたきあう。
実際にはトシオが一方的にカナメをからかっているだけなのだろうが、妙に息の合ったやり取りは、それなりの信頼関係がある間柄であることが伺える。

2人のやり取りはきっといつもの光景なのだろう。

目の前に繰り広げられるやり取りをすっかり冷めてしまったコーヒーをすすりながらしばらく眺めていたサトルであったが、そろそろいい頃合いだと思ったのだろう。

コーヒーカップを置くと、彼らのやり取りに口を挟む。

「それでは報告書を見せてもらおうか」
「あ、はい。こちらです」

止まらないトシオの軽口を無視して、手に持っていた資料をクリアファイルごとサトルに手渡す。

「もう作ったのか?カナメちゃんは真面目だねえ」
「お前がやらないから私がやってるんだろうが。たまには手伝え」
「あーパスパス。俺は現場向きの人間だから、そういうのには向いてないんだよ」
「私だって現場に出てるだろ!」

再開される小競り合いをよそに、サトルは渡された報告書のタイトルに目を落と
す。

【報告書・潮見海浜公園におけるモニュメント消滅案件】

サトルは新たなコーヒーを持ってくると、いつまでも言い合いを続けている部下たちを尻目にその資料に目を通す。

***

先日のモニュメント消失を防いだのはサトルたちだった。
正確に言うと、サトルの指示によってトシオとカナメがモニュメントの消滅を回避したのだった。

それではなぜサトルたちが消滅回避に携わったのか。
またなぜそれを仕事のように行い、報告書まで作成しているのか。

それはサトルたち3人がとある政府機関に所属しており、その機関が昨今発生しているモノやヒトの消滅に係る案件の対処に当たっているからである。

***

政府には官公庁から役場までさまざまな組織が存在しているが、その中には極めて特殊な事案を扱う組織が存在する。

例えば内閣調査室。

そこは名称こそ知られており、その業務もある程度は公にされているが、一般には公表できない業務なども含まれていると言う点では特殊案件を扱う部署とも言えなくはない。それでも存在自体が公であることから、至極真っ当な部署であると言えるだろう。

しかし、政府には古くから極秘に設置され、業務内容はおろか、その存在すら秘匿されている組織がいくつかある。その中の一つがサトルたちが所属する「特殊事案対策室」だ。

通常の事案であれば警察、自衛隊、或いは公安など既存組織で対応するのだが、それであれば別に秘密裏にする必要がない。彼らの扱う事案は、対象が超自然現象や人外が関わるもの、人知を超えたものなど、現代社会においては存在しないとされている現象や存在が関わる事象全般である。

一般的にはオカルトとして扱われているこのような事案に対して、政府は古くから一般社会に混乱をきたさぬように秘密裏に対応、処理に当たってきた。

こうした事案は既存の警察機構などでは対応しきれず、また現在の法律の枠外での処置を求められることが多い。そのためこのような事案に対応するため、超法規的な行動を許され、そのための権限を与えられているのが、この「特殊事案対策室」である。

取り扱う対象の性質上、これらの事案を公にすると社会的混乱を招く恐れが高いため、対処に当たる彼らの存在を含めた一切が秘匿されている。そのため彼らの存在は政府内でも一部を除いて非公開であり、所属している者たちであっても組織の全貌や構成などは知らされていない。

例えば、サトルたちが所属するのは特殊事案対策室第五班と呼ばれている。

五班という名称から他にも同様の部署の存在が推測されるが、この名称自体が正式なものかどうかは分からない。或いは五班と言うところまでが名称であり、他の部署も「〇〇〇五班」と言う名称で統一されている可能性もある。

また彼らには組織としての横のつながりは一切なく、指示系統はメールか電話に限定されている。上層部の人間がこのオフィスに訪れることはなく、稀にサトルが上司に呼び出されることはあるが、そのサトル自身も原則として直属の上司としか謁見を許されていない。

つまりサトルたちは彼ら自身以外でこの特殊事案に対応している者を知らないのだが、日本と言うそれなりの広さを持つ国に対して、特殊事案に当たるのがサトルたちだけとは考えにくい。きっとどこかに同様の「五班」があるのだろうとサトルたちは推測している。

こうした特殊事案対策室の創設には、古くから権力を裏で支えてきたという陰陽道に携わる者や過去に存在した研究所、あるいはとある地下組織などが関わっているという説もあるが、その出自は今となっては謎に包まれている。

ただ、少なくとも消滅という不可解な事態に対しての情報やそれに対処するノウハウを有していることから、それらの伝承もあながち無根拠ではないのかもしれない。

成り立ちから現在の構成に至るまで、すべてが謎のベールに包まれてはいるが、政府は確かにこの機関を通じて、非現実的現象である「消滅現象」の存在を非公式に認識し、介入を続けているのである。

***

レポートに目を通し終えたサトルがふと目をあげると、トシオとカナメはいつの間にか自分たちのデスクに戻っていて、それぞれの仕事を再開させていた。

もっとも、トシオは片肘をついてディスプレイに表示されている情報をゆっくりと眺めているだけで、とても仕事をしているようには見えないのだが。

「カナメ」

サトルが呼ぶと、カナメは仕事の手を止めて先ほどと同じようにサトルのデスク前に立ち「御用でしょうか?」とサトルの指示を待つ。

「この報告書の最後にある「関与者らしき存在を確認」とはなんだ?」
「言葉の通り、関与者らしき存在を確認しましたので念のために報告しました」
「そうじゃない。今回の案件になんの関係があるのかと聞いているんだ」
「それは......」

サトルの言葉に動揺したのか、引き締まった顔を緩ませ、明らかに困惑した表情を見せる。そのカナメの様子からなにかがあると感じたサトルは、今度はトシオを呼び出す。

呼ばれたトシオはゆっくりと立ち上がるとカナメの横に並び立つ。

「なんだよ、ボス。俺は忙しいんだよ」
「私にはただ画面を見ているようにしか見えなかったが......」
「ありゃ、見てたのか。ボスも人が悪いなあ」
「まあそれはいい。それよりもこの報告書だが......」

サトルのチクリとした嫌味を軽く受け流すが、そんなやり取りすらもいつものことなのだろう。サトルはそれを気にすることもなく話を進める。

「あー、えっと。なんて書いたっけ?」
「書いたのは私だ。お前はなにも書いてないんだろう」
「あー、そうだったっけな。悪い悪い」

カナメに対して悪びれる様子もなく軽口を続けるトシオであるが、それでは話が進まないとしびれを切らしたサトルが、レポートの該当ページを開きトシオに見せる。

「今回の案件の対処後にカナメが別の関与者らしきものを確認したとしている。トシオはその関与者らしき人物を確認したか?」
「あー、その件な」

とぼけているのか、それとも本当に気付かなかったのか。
掴みどころがない様子でトシオが答える。

「しっかりと確認したわけじゃないぜ。俺も一生懸命お仕事してたからな。ただ遠目から見た感じだと多分この前、俺がミスったときにいたガキどもだな」
「そうなのか!?」

トシオの言葉に動揺したのはカナメだった。

「トシオ、気付いてたならなんで言わなかった!?」
「言わなかったか?」
「聞いてないぞ!」
「そっか、悪い悪い。俺もカナメちゃんがあんなことしなかったら気付かなかったから、まあおあいこってことで」
「カナメ、あんなこととはなんだ?」

2人のやり取りを静観していたサトルであったが、トシオの気になる言動に口を挟む。

「えっと......それは......」

理知的なカナメにしては珍しく口ごもる。
その動揺を隠しきれない様子がよほど面白かったのか、にやにやと笑みを浮かべながらトシオが代わりに答える。

「カナメちゃんがよ。その関与者らしきガキの横を通り過ぎがてら、なにか耳元に囁いてたんだよ。あれはなんだ?脅迫か?警告か?それとも愛の告白か?」
「お前......!」
「そのようなことはどこにも書いてないな」

その時の様子をすべてトシオにばらされ、羞恥と気まずさで声を荒げそうになるカナメだったが、報告外のことを聞いたサトルの、静かではあるがやや怒気をはらんだ言葉にその口を閉じる。

「どうした?私はその関与者らしき存在は、今回の事案に対してなんの関係があるかと聞いているんだ。それに加えて、今トシオが言ったことが本当ならば、そのことについても経緯を報告しろ」

サトルの言葉は静かではあるが、逆らえようのない圧力があった。

その圧はカナメに向けられているものではあるのだが、横に立つトシオがその圧を感じた瞬間、にやけ顔のまま視線の鋭さが増すと、重心をわずかに落とし、音もなくしなやかに身体を戦闘態勢へと沈ませる。

それは日常的に争い中に身を置くと思われる者特有の本能的な反応であった。

トシオからはサトルが放った以上の圧力が発せられるのだが、サトルは表情を変えずそれを軽くいなすと、視線だけをトシオに向ける。

サトルとトシオの視線が絡んだのはほんの数舜のことではあったが、それだけで十分だったのだろう。トシオは体勢と表情を元に戻し、身体を一気に弛緩させる。

この間、僅か数秒のことであった。

元々サトルもトシオも自分とは種類の異なる人種であるとは思っていたが、その一端をこの僅かな時間で垣間見たカナメは、その場に崩れ落ちないようにするのが精いっぱいだった。

「カナメ」

カナメからの回答を催促するサトルの言葉に、思わず全身に力が入ってしまう。

しかしサトルはそれ以上なにも言うことなく、発する圧力はそのままでカナメの反応を待っている。

この場から逃げ出したくなる気持ちを必死に押さえ、すべきことをしなかった自分を叱咤し、深く息を吸い心を落ち着け「失礼しました」とサトルに向かって深々と頭を下げる。

「必要事項の報告が漏れてしまい大変申し訳ございませんでした。まず、ここで出てくる関与者と思わしき者についてですが、今回の事案に対して直接的な関係はありません。今のトシオの発言から、或いは関係がある可能性も出てきましたが、私が報告書を作成した時点では関係がないものと考えています」

お詫びの言葉とサトルからの質問に対する回答を一息に報告する。

「なるほど。それでは関係ないと思われる存在をわざわざ報告書に載せた理由を聞かせてもらおうか」
「カナメちゃんがあんなことをした理由もな」

続きを促すサトルに、トシオが茶化しながら言葉を重ねる。

思わずトシオを睨むが、確かに報告しなくてはいけなかったにも関わらず意図的にそれをしなかったという事実は曲げようがない。

一度目を閉じ、再び大きく深呼吸をすると改めて口を開く。

「モニュメントに大きな布をかけ、それを剥いだ時。周囲の反応は消えると思ったのに消えないと言う嘲笑でした。それは計算通りであり、予測された反応でしたのでなんの問題もなかったのですが、その中で違う動揺をしている者がいました」

サトルは両手をデスクの上で組み、目をつぶってカナメの言葉を聞いている。

「彼らはたまたま私の正面にいたのでトシオは気付かなかったかと思いますが、彼らの唇を読むと、彼らはこう言い合ってました。「消えてない」と。あの場のあの流れで、消えてないことに落胆するものはいても、消えていないことに動揺するものはいません。つまり彼らはあの時にモニュメントが消滅すると知っていた可能性が高いものと思われます」

カナメの報告を聞き終えたサトルは、彼なりにその時の様子を脳内で整理しているのだろうか。暫く黙ったままでいたが、やがて目を開く。

「なるほど、了解した」
「報告が漏れてしまい大変申し訳ございませんでした」

再度深々と頭を下げようとしたカナメに「それで」とその再度の謝罪を遮る。

「その者になにを言った?」

片目だけを器用に大きく開き、サトルが尋ねる。
カナメの横ではトシオが楽しそうににやにやと笑っている。

思わず羞恥で顔を赤くなり、先ほどよりもやや小さな声量で質問に答える。

「消えなくて良かったわね、と......」
「うん?聞こえんな、もう一度頼む」

消え入るような言葉が耳に伝わらなかったのだろうか、サトルを改めてカナメに回答を要求する。

「あの......消えなくて良かったわね、と......」

トシオは我慢の限界を超えたのだろうか。
カナメから離れた場所でお腹を抱えて笑っている。

そんなトシオにさすがに一言物申そうかと向き直ろうとした時、再びサトルから声がかかる。

「なぜそんなことを言った?」

先ほどまでと口調は変わらないが、その言葉からさっきほどまでの圧力は消えて
いた。

「......ちょっとした私の悪戯心です。それ以外の他意はありません」
「だから事実は報告したけども、その関連性や理由には触れなかったと」
「申し訳ございませんでした!!」

カナメが再び大きく頭を下げる。
その勢いは綺麗に結ばれた黒髪が大きく崩れるほどであった。

「まあまあ、ボスもそれくらいにしてやりなよ」
「口を挟むな。これは私の意図的な背信行為だ」

頭を下げたままトシオの助け舟を拒否するカナメ。
しかしそのカナメの言葉を更にトシオが打ち消す。

「まず頭をあげろ」

カナメがゆっくりと頭をあげるが、後ろめたいことをした自覚があるせいか、サトルと目を合わせらず、俯いたままである。

「関与者のことを報告しておきながら、その関連性について触れていないのは確かに問題だ。しかしなぜ書かなかった?今私に言ったことをそのまま書いていればなんの問題もなかっただろう」
「多分、後から思い出して自分がやったことが恥ずかしかったんだろ?」
「な......!」
「でも真面目なカナメちゃんのことだから、関与者がいたことに気付いた以上、その事実を書かないわけにはいかなかった。だからあんな中途半端な報告書になった。そんなとこだろ?」
「......!」

きっと図星だったのだろう。

カナメは反論しようと口を開くが、論理的な回答を導き出せず、ただ顔を赤らめて沈黙するしかなかった。

「ボスも散々カナメちゃんの反応を楽しんだみたいだし、そろそろ勘弁してやんなよ」
「な......!そ、そうなんですか?」

カナメがトシオの言葉に動揺する。
要は2人にからかわれていたわけだ。

思わず怒りの言葉をあげそうになるが、意図的な報告書の不備を行い、その理由が至って私的な事情であったというのは事実である。

サトルは表情を変えず、視線だけをトシオに向ける。
それだけでなにかを理解したトシオが、わざとらしくサトルに提案する。

「報告書はそこまでバカ正直に書かなくても、関与者のくだりを削除しちまえば問題ないだろ。それがカナメちゃんの名誉のためにもなるしな。なっ、ボス?」
「そうだな......報告書での意図的な必要事項の不記載は大きな問題だ。場合によってはなんらかの処分が必要となる。しかし私はまだ報告書は受け取っていない。ちょっとした小話を聞いただけだ」

そう言うと、サトルは手に持っていた報告書をクリアファイルに戻し、デスクに置く。トシオはそれを手に取ると「ほらよ」と、そのままカナメに押し付ける。

サトルの寛大な対応に感謝すべきか、トシオのふざけた態度に怒りを表すべきか。
それとも自分自身の些細な羞恥心を隠すために起こした失態を恥じるべきか。

カナメは自分の感情が整理できないまま、もう一度サトルに向かって深く頭を下げ、次にトシオに向かって軽く頭を下げる。

「そう言えば......この前頼んだ調査は出来たか?」
「あ、はい......今お持ちします」

そう答えるとカナメはふらふらと自分のデスクに戻っていった。
その背中を見守るサトルの表情に変化はないものの、よく見るとその口元が少しだけ緩んでいた。

「で、ボス。実際のところはどうするだ?」

カナメがデスクに着いたところを確認すると、トシオは声を潜めてサトルに尋ねる。

「どうとは?」
「そのガキどもだよ。俺の時には偶然だったかもしれないし、今回も偶然かもしれない。でもカナメちゃんが言う通り本当に消滅のことを知っててあの場にいたんだったら、俺の時も意図的に消滅を防ぎに来たってことだろ?」
「それで?」
「そうなったらあいつらは意図的に消滅に関与しているってことだ。それって俺たちの業務に影響があるんじゃねえか?」
「なにが言いたい?」
「決まってるだろ?そのガキどもに「お話し」をする必要があるかってことだよ」

そう懸念事項を口にするトシオの顔に先ほどまでのにやけた表情はない。
その言葉に先ほどサトルが放った圧力のようなものはないものの、感情もなく放たれる言葉をもしカナメが聞いたら、今度こそ卒倒するかもしれない。そんな雰囲気を纏っていた。

「流石にこんなことはカナメちゃんの前じゃ言えないからな」
「私の前ならいいのか?」
「ボスは......まあどっちかと言えば俺の方に近いだろ?」
「一緒にされても困るな。私はただの一般人だ」
「一般人はあんな殺気はださねえよ」

2人は表情を変えないまま、視線だけで互いをけん制しあう。
しかしそれも束の間、トシオは自ら視線を外して再度確認する。

「で、どうするんだ?命令してくれればいつでも動くぜ」

ノートパソコンを開き、先ほどまで見ていた資料に再び視線を送る。
トシオは自分の問いに返答をもらえないことを気にすることもなく、サトルの様子を眺めている。

そこにまだ先ほどの余韻が残っているのか、なんとも頼りなさげな足取りでカナメが報告書を持ってくる。

所作だけは先ほどと変わらず凛としていたが、その顔色はまだ感情を整理しきれていないのが分かる。

「ご苦労」

サトルは資料を受け取り労いの言葉を掛けると、カナメは無言で頭を下げ、再びふらふらと自分の席へと戻っていく。

その資料に目を通していると、目の前でサトルの回答を待っていたトシオから声がかかる。

「ボス、ちょっとからかいが過ぎたんじゃねえか?」
「貴様がやったことだろう?後でちゃんとフォローしとけよ」
「あいよ。で、そろそろどうするか聞かせてくれねえかね?」

トシオの言葉に応えず、カナメが持ってきた資料とノートパソコンの資料を交互に見比べていたが、やがて視線をトシオに戻して静かに口を開く。

「我々に与えられた仕事にそういう物騒なことは含まれていない。次の業務指示が出るまでは待機だ」
「......そっか。了解だ」

トシオは頭を軽く掻きながらサトルの言葉に頷くと、そのまま自分のデスクに戻っていく。部下2人がデスクについたのを確認すると、ディスプレイに表示された資料を冒頭から読み返す。

=====
【消滅について対応方針(改定版)】
0.はじめに
本方針は、消滅現象に対する当局の基本方針を定めたものである。昨今、消滅現象へ独自に介入する民間、団体、その他勢力(以下、介入勢力)が確認されている。これに伴い、介入勢力への処遇項目を追加し、全面的に改定するものとする。

1.活動方針
消滅に対する活動方針は当局存在の秘匿維持が最優先である。当局活動は必要と認める場合に限り、超法規的な措置を取ることが許されているが、その行為を現認された場合、原則として一切関知しないものとする。

2.消滅対応
当局方針は社会的に影響が大きいモノに限り消滅阻止もしくは維持を行う方針である。その他社会的影響が少ないと思われる事案については、各班の裁量に一任とする。

3.対応方法
阻止の方法については各班の裁量に一任とする。但し社会的混乱を招く手法、当局存在が公になる手法は厳禁である。対応に際して必要な物資や人員の手配については別紙に記載されている関係機関を通じて行うこととする。

4.対応指示
消滅阻止もしくは消滅維持の対応指示は上層組織から指示し、その指示が原則として絶対である。その際、介入勢力による妨害がある場合には、当局存在が公にならない範囲で最大限妨害阻止を行わなくてはならない。

5.介入勢力
消滅現象への介入が確認された介入勢力については、必要に応じて監視対象とする。また、当該勢力の活動において当局方針と異なる行動が多く見受けられる場合には、各班の裁量において適切かつ必要な措置を講じることを許可する。なお、当該措置の実施時期および具体的内容については、現場の状況に応じ各班の判断に一任される。但し、上層組織が別途指示を行う場合にはそれを優先とする。

・
・
・

「......改定された対応方針でも我々には関与者報告義務はないからな」

そう呟くとサトルはノートパソコンから目を離す。

先ほどカナメが持ってきた資料をデスクに置くと、空になったコーヒーカップを手にデスクを離れる。その資料には「消滅関与者調査追加レポート」と書かれており、それにはハルやミオの写真が添えられていた。
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第23話 予想しなかった消滅
消滅予定表作者:こまりさ
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第22話 公的機関

8月15日 | 西峰区

都内のオフィス街と呼ばれるエリア、西峰区。

世間ではまだ盆休み中なので、オフィス街である西峰区には人が少なそうに思えるが、中心に位置する西峰駅に乗り入れている大型の駅ビルには屋内イベント広場が併設されており、そこで開催される子供向けのイベントに訪れるファミリーなどにより、むしろ平日よりも賑わっていた。

昨今の夏は酷暑化が進んでおり、特にオフィス街ではエアコンの室外機やアスファルトの反射熱などにより、長時間外にいたら文字通り倒れてしまいかねない。

しかしこの駅ビルではすべてのイベントを季節問わず屋内で開催するので、寒暖の影響だけではなく、突然の雨などの天候にも左右されないのが特徴である。

普段は売り出し中のお笑い芸人やアイドルなどが、施設に訪れた人に対して知名度を上げるためのパフォーマンスを繰り広げているのだが、今日は夏休みと言うことを意識しているせいか、カラフルな衣装をした若い女性がマイクを片手に集まった子供たちに元気よく「こんにちはー!」と呼びかけている。

このようにオフィス街にある駅は、世間が盆休みであっても人の賑わいが絶えることはないのであるが、それはあくまでも駅ビル内での話である。

週末や長期休みにおける駅ビル以外のオフィス街エリアでは、例え暑さ寒さの影響がなくとも、人の姿をほとんど見ることはない。

平日であれば、例え灼熱の暑さでも汗をぬぐいながら目的の場所に向かうビジネスマンなどが行きかうのだが、この人の少なさがこの街が休眠状態であることを示しているのかもしれない。

***

駅から10分ほど離れた一角のとあるビル。

重厚な雰囲気を醸し出すこのビルはかなり広い敷地を占有する8階建てのビルであり、色々な企業がそれぞれのフロアにオフィスを構える、所謂オフィスビルである。

その最上階のフロアのとあるオフィスでは、盆休みであるにもかかわらず3人の男女がデスクに向かっていた。

窓を背に座るのは高級そうなブランド物のスーツを自然に着こなし、眉間に深いしわを寄せた意志の強そうな男性。やや色白ではあるが、その広い肩幅から座っていても高身長であることが分かる。彼は目だけを動かし手元のノートパソコンに映るなにかの資料をゆっくりと読み進めている。よほど重要なことが書いてあるのだろうか、時折メモを取りながら眉間のしわをさらに深くさせる。

「室長、今よろしいでしょうか?」

そう呼びかけられた男性――八雲サトルは顔を上げると、目の前には部下と思わしき女性が立ち、彼からの返答を待っていた。

「ああ、ちょっと待ってくれ」と、ノートパソコンの画面を閉じると、改めて目の前にいる女性に視線をやり、デスクの上で手を組む。

「カナメ。先日はご苦労だったな」
「はい、ありがとうございます」

サトルは目の前に立つ部下の女性――北条カナメに労いの言葉をかける。

スーツをきっちりと着こなし、凛とした様子で上司の前に立つその姿は、会社員と言うよりもまるでモデルのようである。ロングと言っても差し支えないような黒髪は、邪魔にならないように目立たない色のヘアピンやゴムできっちり止めているため、20代半ばにも関わらず若干幼く見える。

更に童顔と言っても差支えないような顔立ちと薄めの化粧がより幼さを際立たせ、初めて会う人には二十歳前後に見られるのだが、本人はそれを非常に気にしており、それに相反するような落ち着いた立ち振る舞いを心掛けていた。

カナメは理知的な視線をサトルに向け、丁寧にお辞儀をする。

「ボス、俺も頑張ったんだぜ」
「ああ、分かってる。トシオもご苦労だったな」

カナメに遅れてその横に並び立ったもう一人の部下――横島トシオはカナメとは対照的な印象である。

スーツは着ているが、およそ会社員とは思えないほど着崩している。ジャケットは袖を折り返し、シャツは第二ボタンまではだけている。当然ながらネクタイなどしていない。
全体的に細身ではあるが、それは華奢と言うわけではなくネコ科の肉食獣のようなしなやかさを感じる。短く切りそろえられた髪は赤茶色に染められており、先日30代に突入したにもかかわらずカナメと同年代に間違えられることも少なくない。

頭の上で腕を組み、にやにやとにやけているが、その目は周囲を常に観察し、また警戒しているようにも見える。

「いやー、ボスにも見せたかったぜ。カナメちゃんのマジシャン姿」
「あれは任務だからやったまでだ。見世物ではない」
「そうは言っても楽しそうだったじゃねえか」
「パフォーマーは周囲を楽しませるものだ。私が楽しんでいたわけではない」

そうやって2人は軽口をたたきあう。
実際にはトシオが一方的にカナメをからかっているだけなのだろうが、妙に息の合ったやり取りは、それなりの信頼関係がある間柄であることが伺える。

2人のやり取りはきっといつもの光景なのだろう。

目の前に繰り広げられるやり取りをすっかり冷めてしまったコーヒーをすすりながらしばらく眺めていたサトルであったが、そろそろいい頃合いだと思ったのだろう。

コーヒーカップを置くと、彼らのやり取りに口を挟む。

「それでは報告書を見せてもらおうか」
「あ、はい。こちらです」

止まらないトシオの軽口を無視して、手に持っていた資料をクリアファイルごとサトルに手渡す。

「もう作ったのか?カナメちゃんは真面目だねえ」
「お前がやらないから私がやってるんだろうが。たまには手伝え」
「あーパスパス。俺は現場向きの人間だから、そういうのには向いてないんだよ」
「私だって現場に出てるだろ!」

再開される小競り合いをよそに、サトルは渡された報告書のタイトルに目を落と
す。

【報告書・潮見海浜公園におけるモニュメント消滅案件】

サトルは新たなコーヒーを持ってくると、いつまでも言い合いを続けている部下たちを尻目にその資料に目を通す。

***

先日のモニュメント消失を防いだのはサトルたちだった。
正確に言うと、サトルの指示によってトシオとカナメがモニュメントの消滅を回避したのだった。

それではなぜサトルたちが消滅回避に携わったのか。
またなぜそれを仕事のように行い、報告書まで作成しているのか。

それはサトルたち3人がとある政府機関に所属しており、その機関が昨今発生しているモノやヒトの消滅に係る案件の対処に当たっているからである。

***

政府には官公庁から役場までさまざまな組織が存在しているが、その中には極めて特殊な事案を扱う組織が存在する。

例えば内閣調査室。

そこは名称こそ知られており、その業務もある程度は公にされているが、一般には公表できない業務なども含まれていると言う点では特殊案件を扱う部署とも言えなくはない。それでも存在自体が公であることから、至極真っ当な部署であると言えるだろう。

しかし、政府には古くから極秘に設置され、業務内容はおろか、その存在すら秘匿されている組織がいくつかある。その中の一つがサトルたちが所属する「特殊事案対策室」だ。

通常の事案であれば警察、自衛隊、或いは公安など既存組織で対応するのだが、それであれば別に秘密裏にする必要がない。彼らの扱う事案は、対象が超自然現象や人外が関わるもの、人知を超えたものなど、現代社会においては存在しないとされている現象や存在が関わる事象全般である。

一般的にはオカルトとして扱われているこのような事案に対して、政府は古くから一般社会に混乱をきたさぬように秘密裏に対応、処理に当たってきた。

こうした事案は既存の警察機構などでは対応しきれず、また現在の法律の枠外での処置を求められることが多い。そのためこのような事案に対応するため、超法規的な行動を許され、そのための権限を与えられているのが、この「特殊事案対策室」である。

取り扱う対象の性質上、これらの事案を公にすると社会的混乱を招く恐れが高いため、対処に当たる彼らの存在を含めた一切が秘匿されている。そのため彼らの存在は政府内でも一部を除いて非公開であり、所属している者たちであっても組織の全貌や構成などは知らされていない。

例えば、サトルたちが所属するのは特殊事案対策室第五班と呼ばれている。

五班という名称から他にも同様の部署の存在が推測されるが、この名称自体が正式なものかどうかは分からない。或いは五班と言うところまでが名称であり、他の部署も「〇〇〇五班」と言う名称で統一されている可能性もある。

また彼らには組織としての横のつながりは一切なく、指示系統はメールか電話に限定されている。上層部の人間がこのオフィスに訪れることはなく、稀にサトルが上司に呼び出されることはあるが、そのサトル自身も原則として直属の上司としか謁見を許されていない。

つまりサトルたちは彼ら自身以外でこの特殊事案に対応している者を知らないのだが、日本と言うそれなりの広さを持つ国に対して、特殊事案に当たるのがサトルたちだけとは考えにくい。きっとどこかに同様の「五班」があるのだろうとサトルたちは推測している。

こうした特殊事案対策室の創設には、古くから権力を裏で支えてきたという陰陽道に携わる者や過去に存在した研究所、あるいはとある地下組織などが関わっているという説もあるが、その出自は今となっては謎に包まれている。

ただ、少なくとも消滅という不可解な事態に対しての情報やそれに対処するノウハウを有していることから、それらの伝承もあながち無根拠ではないのかもしれない。

成り立ちから現在の構成に至るまで、すべてが謎のベールに包まれてはいるが、政府は確かにこの機関を通じて、非現実的現象である「消滅現象」の存在を非公式に認識し、介入を続けているのである。

***

レポートに目を通し終えたサトルがふと目をあげると、トシオとカナメはいつの間にか自分たちのデスクに戻っていて、それぞれの仕事を再開させていた。

もっとも、トシオは片肘をついてディスプレイに表示されている情報をゆっくりと眺めているだけで、とても仕事をしているようには見えないのだが。

「カナメ」

サトルが呼ぶと、カナメは仕事の手を止めて先ほどと同じようにサトルのデスク前に立ち「御用でしょうか?」とサトルの指示を待つ。

「この報告書の最後にある「関与者らしき存在を確認」とはなんだ?」
「言葉の通り、関与者らしき存在を確認しましたので念のために報告しました」
「そうじゃない。今回の案件になんの関係があるのかと聞いているんだ」
「それは......」

サトルの言葉に動揺したのか、引き締まった顔を緩ませ、明らかに困惑した表情を見せる。そのカナメの様子からなにかがあると感じたサトルは、今度はトシオを呼び出す。

呼ばれたトシオはゆっくりと立ち上がるとカナメの横に並び立つ。

「なんだよ、ボス。俺は忙しいんだよ」
「私にはただ画面を見ているようにしか見えなかったが......」
「ありゃ、見てたのか。ボスも人が悪いなあ」
「まあそれはいい。それよりもこの報告書だが......」

サトルのチクリとした嫌味を軽く受け流すが、そんなやり取りすらもいつものことなのだろう。サトルはそれを気にすることもなく話を進める。

「あー、えっと。なんて書いたっけ?」
「書いたのは私だ。お前はなにも書いてないんだろう」
「あー、そうだったっけな。悪い悪い」

カナメに対して悪びれる様子もなく軽口を続けるトシオであるが、それでは話が進まないとしびれを切らしたサトルが、レポートの該当ページを開きトシオに見せる。

「今回の案件の対処後にカナメが別の関与者らしきものを確認したとしている。トシオはその関与者らしき人物を確認したか?」
「あー、その件な」

とぼけているのか、それとも本当に気付かなかったのか。
掴みどころがない様子でトシオが答える。

「しっかりと確認したわけじゃないぜ。俺も一生懸命お仕事してたからな。ただ遠目から見た感じだと多分この前、俺がミスったときにいたガキどもだな」
「そうなのか!?」

トシオの言葉に動揺したのはカナメだった。

「トシオ、気付いてたならなんで言わなかった!?」
「言わなかったか?」
「聞いてないぞ!」
「そっか、悪い悪い。俺もカナメちゃんがあんなことしなかったら気付かなかったから、まあおあいこってことで」
「カナメ、あんなこととはなんだ?」

2人のやり取りを静観していたサトルであったが、トシオの気になる言動に口を挟む。

「えっと......それは......」

理知的なカナメにしては珍しく口ごもる。
その動揺を隠しきれない様子がよほど面白かったのか、にやにやと笑みを浮かべながらトシオが代わりに答える。

「カナメちゃんがよ。その関与者らしきガキの横を通り過ぎがてら、なにか耳元に囁いてたんだよ。あれはなんだ?脅迫か?警告か?それとも愛の告白か?」
「お前......!」
「そのようなことはどこにも書いてないな」

その時の様子をすべてトシオにばらされ、羞恥と気まずさで声を荒げそうになるカナメだったが、報告外のことを聞いたサトルの、静かではあるがやや怒気をはらんだ言葉にその口を閉じる。

「どうした?私はその関与者らしき存在は、今回の事案に対してなんの関係があるかと聞いているんだ。それに加えて、今トシオが言ったことが本当ならば、そのことについても経緯を報告しろ」

サトルの言葉は静かではあるが、逆らえようのない圧力があった。

その圧はカナメに向けられているものではあるのだが、横に立つトシオがその圧を感じた瞬間、にやけ顔のまま視線の鋭さが増すと、重心をわずかに落とし、音もなくしなやかに身体を戦闘態勢へと沈ませる。

それは日常的に争い中に身を置くと思われる者特有の本能的な反応であった。

トシオからはサトルが放った以上の圧力が発せられるのだが、サトルは表情を変えずそれを軽くいなすと、視線だけをトシオに向ける。

サトルとトシオの視線が絡んだのはほんの数舜のことではあったが、それだけで十分だったのだろう。トシオは体勢と表情を元に戻し、身体を一気に弛緩させる。

この間、僅か数秒のことであった。

元々サトルもトシオも自分とは種類の異なる人種であるとは思っていたが、その一端をこの僅かな時間で垣間見たカナメは、その場に崩れ落ちないようにするのが精いっぱいだった。

「カナメ」

カナメからの回答を催促するサトルの言葉に、思わず全身に力が入ってしまう。

しかしサトルはそれ以上なにも言うことなく、発する圧力はそのままでカナメの反応を待っている。

この場から逃げ出したくなる気持ちを必死に押さえ、すべきことをしなかった自分を叱咤し、深く息を吸い心を落ち着け「失礼しました」とサトルに向かって深々と頭を下げる。

「必要事項の報告が漏れてしまい大変申し訳ございませんでした。まず、ここで出てくる関与者と思わしき者についてですが、今回の事案に対して直接的な関係はありません。今のトシオの発言から、或いは関係がある可能性も出てきましたが、私が報告書を作成した時点では関係がないものと考えています」

お詫びの言葉とサトルからの質問に対する回答を一息に報告する。

「なるほど。それでは関係ないと思われる存在をわざわざ報告書に載せた理由を聞かせてもらおうか」
「カナメちゃんがあんなことをした理由もな」

続きを促すサトルに、トシオが茶化しながら言葉を重ねる。

思わずトシオを睨むが、確かに報告しなくてはいけなかったにも関わらず意図的にそれをしなかったという事実は曲げようがない。

一度目を閉じ、再び大きく深呼吸をすると改めて口を開く。

「モニュメントに大きな布をかけ、それを剥いだ時。周囲の反応は消えると思ったのに消えないと言う嘲笑でした。それは計算通りであり、予測された反応でしたのでなんの問題もなかったのですが、その中で違う動揺をしている者がいました」

サトルは両手をデスクの上で組み、目をつぶってカナメの言葉を聞いている。

「彼らはたまたま私の正面にいたのでトシオは気付かなかったかと思いますが、彼らの唇を読むと、彼らはこう言い合ってました。「消えてない」と。あの場のあの流れで、消えてないことに落胆するものはいても、消えていないことに動揺するものはいません。つまり彼らはあの時にモニュメントが消滅すると知っていた可能性が高いものと思われます」

カナメの報告を聞き終えたサトルは、彼なりにその時の様子を脳内で整理しているのだろうか。暫く黙ったままでいたが、やがて目を開く。

「なるほど、了解した」
「報告が漏れてしまい大変申し訳ございませんでした」

再度深々と頭を下げようとしたカナメに「それで」とその再度の謝罪を遮る。

「その者になにを言った?」

片目だけを器用に大きく開き、サトルが尋ねる。
カナメの横ではトシオが楽しそうににやにやと笑っている。

思わず羞恥で顔を赤くなり、先ほどよりもやや小さな声量で質問に答える。

「消えなくて良かったわね、と......」
「うん?聞こえんな、もう一度頼む」

消え入るような言葉が耳に伝わらなかったのだろうか、サトルを改めてカナメに回答を要求する。

「あの......消えなくて良かったわね、と......」

トシオは我慢の限界を超えたのだろうか。
カナメから離れた場所でお腹を抱えて笑っている。

そんなトシオにさすがに一言物申そうかと向き直ろうとした時、再びサトルから声がかかる。

「なぜそんなことを言った?」

先ほどまでと口調は変わらないが、その言葉からさっきほどまでの圧力は消えて
いた。

「......ちょっとした私の悪戯心です。それ以外の他意はありません」
「だから事実は報告したけども、その関連性や理由には触れなかったと」
「申し訳ございませんでした!!」

カナメが再び大きく頭を下げる。
その勢いは綺麗に結ばれた黒髪が大きく崩れるほどであった。

「まあまあ、ボスもそれくらいにしてやりなよ」
「口を挟むな。これは私の意図的な背信行為だ」

頭を下げたままトシオの助け舟を拒否するカナメ。
しかしそのカナメの言葉を更にトシオが打ち消す。

「まず頭をあげろ」

カナメがゆっくりと頭をあげるが、後ろめたいことをした自覚があるせいか、サトルと目を合わせらず、俯いたままである。

「関与者のことを報告しておきながら、その関連性について触れていないのは確かに問題だ。しかしなぜ書かなかった?今私に言ったことをそのまま書いていればなんの問題もなかっただろう」
「多分、後から思い出して自分がやったことが恥ずかしかったんだろ?」
「な......!」
「でも真面目なカナメちゃんのことだから、関与者がいたことに気付いた以上、その事実を書かないわけにはいかなかった。だからあんな中途半端な報告書になった。そんなとこだろ?」
「......!」

きっと図星だったのだろう。

カナメは反論しようと口を開くが、論理的な回答を導き出せず、ただ顔を赤らめて沈黙するしかなかった。

「ボスも散々カナメちゃんの反応を楽しんだみたいだし、そろそろ勘弁してやんなよ」
「な......!そ、そうなんですか?」

カナメがトシオの言葉に動揺する。
要は2人にからかわれていたわけだ。

思わず怒りの言葉をあげそうになるが、意図的な報告書の不備を行い、その理由が至って私的な事情であったというのは事実である。

サトルは表情を変えず、視線だけをトシオに向ける。
それだけでなにかを理解したトシオが、わざとらしくサトルに提案する。

「報告書はそこまでバカ正直に書かなくても、関与者のくだりを削除しちまえば問題ないだろ。それがカナメちゃんの名誉のためにもなるしな。なっ、ボス?」
「そうだな......報告書での意図的な必要事項の不記載は大きな問題だ。場合によってはなんらかの処分が必要となる。しかし私はまだ報告書は受け取っていない。ちょっとした小話を聞いただけだ」

そう言うと、サトルは手に持っていた報告書をクリアファイルに戻し、デスクに置く。トシオはそれを手に取ると「ほらよ」と、そのままカナメに押し付ける。

サトルの寛大な対応に感謝すべきか、トシオのふざけた態度に怒りを表すべきか。
それとも自分自身の些細な羞恥心を隠すために起こした失態を恥じるべきか。

カナメは自分の感情が整理できないまま、もう一度サトルに向かって深く頭を下げ、次にトシオに向かって軽く頭を下げる。

「そう言えば......この前頼んだ調査は出来たか?」
「あ、はい......今お持ちします」

そう答えるとカナメはふらふらと自分のデスクに戻っていった。
その背中を見守るサトルの表情に変化はないものの、よく見るとその口元が少しだけ緩んでいた。

「で、ボス。実際のところはどうするだ?」

カナメがデスクに着いたところを確認すると、トシオは声を潜めてサトルに尋ねる。

「どうとは?」
「そのガキどもだよ。俺の時には偶然だったかもしれないし、今回も偶然かもしれない。でもカナメちゃんが言う通り本当に消滅のことを知っててあの場にいたんだったら、俺の時も意図的に消滅を防ぎに来たってことだろ?」
「それで?」
「そうなったらあいつらは意図的に消滅に関与しているってことだ。それって俺たちの業務に影響があるんじゃねえか?」
「なにが言いたい?」
「決まってるだろ?そのガキどもに「お話し」をする必要があるかってことだよ」

そう懸念事項を口にするトシオの顔に先ほどまでのにやけた表情はない。
その言葉に先ほどサトルが放った圧力のようなものはないものの、感情もなく放たれる言葉をもしカナメが聞いたら、今度こそ卒倒するかもしれない。そんな雰囲気を纏っていた。

「流石にこんなことはカナメちゃんの前じゃ言えないからな」
「私の前ならいいのか?」
「ボスは......まあどっちかと言えば俺の方に近いだろ?」
「一緒にされても困るな。私はただの一般人だ」
「一般人はあんな殺気はださねえよ」

2人は表情を変えないまま、視線だけで互いをけん制しあう。
しかしそれも束の間、トシオは自ら視線を外して再度確認する。

「で、どうするんだ?命令してくれればいつでも動くぜ」

ノートパソコンを開き、先ほどまで見ていた資料に再び視線を送る。
トシオは自分の問いに返答をもらえないことを気にすることもなく、サトルの様子を眺めている。

そこにまだ先ほどの余韻が残っているのか、なんとも頼りなさげな足取りでカナメが報告書を持ってくる。

所作だけは先ほどと変わらず凛としていたが、その顔色はまだ感情を整理しきれていないのが分かる。

「ご苦労」

サトルは資料を受け取り労いの言葉を掛けると、カナメは無言で頭を下げ、再びふらふらと自分の席へと戻っていく。

その資料に目を通していると、目の前でサトルの回答を待っていたトシオから声がかかる。

「ボス、ちょっとからかいが過ぎたんじゃねえか?」
「貴様がやったことだろう?後でちゃんとフォローしとけよ」
「あいよ。で、そろそろどうするか聞かせてくれねえかね?」

トシオの言葉に応えず、カナメが持ってきた資料とノートパソコンの資料を交互に見比べていたが、やがて視線をトシオに戻して静かに口を開く。

「我々に与えられた仕事にそういう物騒なことは含まれていない。次の業務指示が出るまでは待機だ」
「......そっか。了解だ」

トシオは頭を軽く掻きながらサトルの言葉に頷くと、そのまま自分のデスクに戻っていく。部下2人がデスクについたのを確認すると、ディスプレイに表示された資料を冒頭から読み返す。

=====
【消滅について対応方針(改定版)】
0.はじめに
本方針は、消滅現象に対する当局の基本方針を定めたものである。昨今、消滅現象へ独自に介入する民間、団体、その他勢力(以下、介入勢力)が確認されている。これに伴い、介入勢力への処遇項目を追加し、全面的に改定するものとする。

1.活動方針
消滅に対する活動方針は当局存在の秘匿維持が最優先である。当局活動は必要と認める場合に限り、超法規的な措置を取ることが許されているが、その行為を現認された場合、原則として一切関知しないものとする。

2.消滅対応
当局方針は社会的に影響が大きいモノに限り消滅阻止もしくは維持を行う方針である。その他社会的影響が少ないと思われる事案については、各班の裁量に一任とする。

3.対応方法
阻止の方法については各班の裁量に一任とする。但し社会的混乱を招く手法、当局存在が公になる手法は厳禁である。対応に際して必要な物資や人員の手配については別紙に記載されている関係機関を通じて行うこととする。

4.対応指示
消滅阻止もしくは消滅維持の対応指示は上層組織から指示し、その指示が原則として絶対である。その際、介入勢力による妨害がある場合には、当局存在が公にならない範囲で最大限妨害阻止を行わなくてはならない。

5.介入勢力
消滅現象への介入が確認された介入勢力については、必要に応じて監視対象とする。また、当該勢力の活動において当局方針と異なる行動が多く見受けられる場合には、各班の裁量において適切かつ必要な措置を講じることを許可する。なお、当該措置の実施時期および具体的内容については、現場の状況に応じ各班の判断に一任される。但し、上層組織が別途指示を行う場合にはそれを優先とする。

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「......改定された対応方針でも我々には関与者報告義務はないからな」

そう呟くとサトルはノートパソコンから目を離す。

先ほどカナメが持ってきた資料をデスクに置くと、空になったコーヒーカップを手にデスクを離れる。その資料には「消滅関与者調査追加レポート」と書かれており、それにはハルやミオの写真が添えられていた。
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次の話第23話 予想しなかった消滅
消滅予定表作者:こまりさ
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