第23話 予想しなかった消滅
8月29日 午前 | 風見市
あと数日で9月、暦の上では秋がすぐ目の前に来ているのだが、気温は連日30度を超える猛暑日が続いている。
テレビでは「今年は何十年かに一度の猛暑である」などと言っていたが、ここのところよく目にする「〇年に一度」などの表現にどうしても違和感を覚えてしまう。
きっと天気などに携わる識者にはそう表現するなにかしらの科学的根拠があるのだろうが、一介の高校生に過ぎないハルにとってはそう言った報道を目にするたびに「何回目の何十年だろう?」と思わず笑ってしまいそうになる。
どのような表現をされようとも、その暑さが和らぐわけではない。
今日も朝からぐんぐんと気温が上昇し、まだ午前9時にもかかわらず既に30度を超えている。このままでは今日も35度を超える酷暑となるのは間違いないだろう。
外が暑くなればなるほど、人は涼を求める。
ハルがアルバイトをするカフェはただでさえ夏休みで忙しい。そこに空調の効いた店内に涼を求めてやってくる客も加わり、きっと今日は昨日以上に混雑するのだろう。
***
ハルはリビングで朝食をとりながら、いつもの習慣でテレビをつける。そこではテレビの中のお天気キャスターが天気図を指しながら視聴者に注意を促していた。
「今日も気温が高く、35度を超える酷暑になると予想されます。外出の予定がある方は十分に気を付けてお出かけください――」
既に両親は仕事に出かけている。
朝とはいえ、夏休みなので学校がある時よりも遅い時間のため、いつも見る朝の情報番組はとっくに終わっていた。
いつもと少し違う番組に若干の違和感を感じるのは、いつも見ている遠藤キャスターがいないからだろうか。そんな他愛もないことに気づくと「いつもと同じ」というものは、ちょっと時間がずれるだけでたやすく崩れてしまうものだと、少しだけ切ない気持ちになる。
それはそれとして、お天気キャスターは「暑さに十分気を付けて」と言うが、今から出かけなくてはいけない人々は一体なにをどう気を付ければいいのだろう......。
他愛もない思考が浮かんでは消える。
ふと時計に目をやると、時間は9時を少し回っていた。
「そろそろ行かないと......」
テレビを消し、食器を素早く片付けると、鞄を手に出かける準備を整える。玄関で靴を履き、ドアノブに手をかけたところで、先ほどの忠告――外出の予定がある方は十分に気を付けて――を思い出す。
――さて、どうやって気を付ければいいのかな。
そんな自問を胸に、今日もアルバイトに励むために灼熱の外の世界に飛び出していく。
***
「結局高二の夏って言っても大したことしてないな......」
アルバイトに向かう道すがら、流れる汗を拭きながらそう呟く。
ハルたちはリクの田舎から帰ってきてからも毎日消滅への関与を続けていた。
夏休みであるため、普段は対応できなかった日中や夜間の消滅にも対処をしており、それと同時に部活やアルバイトなども行っていたため、文字通り休む暇がない多忙な日々を送っていた。
さすがにそれでは折角の夏休みを棒に振ってしまう。
何度目かの集まりの際、誰からともなくそんな話が持ち上がった。
消滅が発生するのであれば対応しないわけにはいかない。
しかし、それはあくまでも自分たちが手の届く範囲でのみというのが当初の対応方針であった。
ところが今は夏休み。
学生であるハルたちには時間に余裕がある時期であったため、いつの間にかかなり無理をして消滅への関与を続けていた。
最初のうちは無理をしているなどという自覚はなかったのだが、ある時、夜中の消滅に対処をした後、そのまま早朝に別の消滅に対処するということがあった。それをきっかけにずるずると昼夜を問わない活動を数日続けてしまったところで「ちょっと最近頑張りすぎじゃない?」とナナから指摘を受けた。
確かにこのままのペースで活動を続けると自分たちの身が持たないと反省し、改めて自分たちが手の届く範囲で活動すると初心に立ち返るのだが、その際にここまで根詰めて活動した心と身体を癒すために数日間の休息を取ろうということになった。
今まであればそんなことは思いもしなかっただろうが、夜の海で互いの想いをぶつけ合ったことがきっかけになったのだろう。自分たちの身の丈に合ったことをしていこうというのが全員の共通認識となっていたことが、今回休息日を設けるに至った大きな理由であった。
そうして5日間の休息日を設けることとなり、今日はその最終日にあたる。
休息とは言っても、それはこの期間は消滅に関与しないというだけで、日常生活まで休みになるわけではない。ハルは朝からアルバイトがあるし、リクやナナは部活、ミオは来るべき受験に備えて勉強をしている。
つまり消滅に関わろうと関わるまいと、ハルたちの日常に大きな変化はなく、だからこそのハルの呟きであるのだが、そもそも消滅などという非日常現象に関わること自体は通常はありえないのだ。
それを大したことではないと言えるほど、消滅が自分たちの日常になっていることこそが非日常であるのだが、当事者であるハルたちがそのことに気付くのはなかなか難しいのかもしれない。
「まあ、今日も忙しそうだし、消滅のことは忘れて頑張らないと!」
そう自分を鼓舞すると、開店準備を始めているカフェの扉を元気よく開くのであった。
***
同日 夕方 | ミオの自室
ハルがアルバイトを終える頃、朝から自室で勉強をしていたミオがペンを置いておもいっきり伸びをする。決して勉強が好きなわけではないのだが、やり始めるとつい集中してしまう。
今年の冬に受験を控えているので、それに備えて机にむかってはいるが、愛犬がいた頃であればここまで根詰める前に程よく休憩を取っていたし、もしかしたら今頃、炎天下の中で汗をかきながら散歩をしていたかもしれない。
一緒にいた自分の半身とも呼ぶべき存在の消失。
それがこんなところでも影響していることに気付き、思わずため息をつく。
そしてその後、愛犬のいない影響を軽いため息程度で済ますことが出来るようになった自分自身になんとも言えない複雑な気持ちになる。
実のところ、夜の海での語らいはミオの心境にも大きな変化をもたらしていた。
ハルたちと共に消滅への関与に当たるようになって、それを表に出すことはなくなったが、それはあくまでも表面的なこと。ミオが持つ消滅への憎しみは消えることはなかった。大事な愛犬を奪われたミオにとってそれは当然であるのだが、夜の海でハルたちの想いを聞いてから少し形を変えていた。
夜の海で宣言した通り、消滅が憎い気持ちは今でも変わらないが、それはあくまでも個人的感情である。
しかし3人の消滅に対する動機はミオのそれとは全く異なるものであった。
リクは自分を支えるため、ナナは理不尽に抗うため、そしてハルは消滅に関与することに迷いつつも、それが正しいと信じる自分のために。
つまり自分以外の3人は個人の恨みなどではなく、もっと大きい想いを行動理念としていることを知ったのだ。
それを聞いた時、ミオは、自分が自分自身のことしか考えていない利己的でちっぽけな存在なのだと思ってしまった。
元々の想いである消滅憎しの気持ちはこれからも消えないだろう。でもいつまでもそれだけでいいのか、その想いに立ち止まったままでいいものなのか......
そんな疑問がいつしか心の中に湧き上がってきていた。
その思考はいつしか自分の想いを前に進ませていき、ここ数日の自由時間でようやく気持ちに整理がつき、少しずつ先のことを考え始めることが出来るようになっていたのだ。
――受験が終わったら新たな子をお迎えしよう。
――そしてその子にはサロンと同じ、いやそれ以上の愛情を注いでいこう。
――そうやって前を向いていかないとサロンに心配をかけてしまう。
そう考えるようになっていた。
もっとも、自分が出したこの結論に対しても
――でもやっぱり私は私自身のことしか考えてないわね。
などと自嘲する。
しかしミオは自覚していない。
自分のことしか考えていないとしても、その想いが向く方向によって周囲に与える影響は大きく異なるということに。
愛憎は表裏一体という言葉がある。
なにかを憎むのとなにかに愛情を注ぐのは、想いのベクトルの方向が違うだけであるが、その方向により周囲に与える影響は全く異なる。
消滅を憎んでいた頃のミオは刺々しく、氷のような印象を振りまいていたが、今のミオにはそのような印象を感じる者はいないだろう。
つまり想いの方向を変えることで印象が変わり、印象が変わることで周囲が変わる。そして最終的には自分と向き合い変わっていくことで、周囲にもその影響をプラスの方向に導いているのだ。
それに気付いていないのは本人ばかりであるが、それを気付かせてくれるとしたら、それはきっと彼女をもっとも良く知るものなのかもしれない。
***
長時間の勉強で凝り固まった身体をストレッチでほぐしつつ、頭の中で今まで詰め込んでいた英語の文法を反芻する。
エアコンが効いた室内なので暑さにうだることはないが、その代わり身体を動かさなかったことで身体が冷えてこわばっているようだった。
「あら、もうこんな時間なのね」
スマホで時間を確認して、自分がどれだけ集中していたかに気付く。
外はまだ日が高いが、時刻は既に夕方と言っていい時間になっていた。
「そう言えばみんなはなにしてるかしら?」
明日は久しぶりにみんなで集まることになっていた。
たった5日間の休息とは言え、これまでは消滅に関与する関係でほぼ毎日会っていた4人である。それが途端に会わなくなるというのは、なんだか大事なものがぽっかりと抜けてしまったような違和感を覚えてしまう。
休息日とはいえ、互いに会わずにいよう、などと取り決めたわけではない。しかし今まで自分の時間を消滅に取られていた分、その間に溜まっていたことを消化するのに忙しいようだ。
ミオも夏休み最後の追い込みをかけていたら、あっという間に5日間が過ぎてしまっていた。
「全く......連絡くらいくれてもいいじゃない」
そう呟きながらスマホを手にするミオが愚痴を言う相手は、もちろんリクのことである。
サッカー部に所属しているリクは、消滅に対応しながらも部活動に参加していたが、この休息日を利用して集中的にトレーニングをしたいとのことだった。
それがどのようなことかは聞いてはいないが、連絡くらいは出来ないものかと、自分から連絡しなかったことを棚に上げて、半ば不貞腐れるようにぶつぶつと一人愚痴を吐き続けていた。
因みにナナとは毎日やり取りをしていた。
その内容はもちろん女子トークである。
互いの想い人に対する不満や愚痴を吐き出しつつ、互いに慰めあう。
でもだからと言って特に一歩を踏み出すわけでもない。
毎日同じような話がループしていたが、そういう時間や気持ちを共有するのが楽しいのだろう。今日もナナにこの気持ちをぶつけてやろうとスマホを開き、通話アプリを開こうとしたところで――
うっかり指が【予定表】に触れてしまった。
「あ......」
休息日の間は【予定表】を見ないようにしていたし、極力意識もしないようにしていたのに、最終日になってとんだ失敗だ。
しかしリクの田舎に訪れていた時もそうだったが、ミオたちにとって消滅は、もはや生活の一部ともなってしまった非日常である。だから気にしないようにしていても、実のところ常に心の隅で気になっていたのだ。
開いてしまったからには見るだけ見てみよう。
見るだけ見れば気が済むだろう。
そしてそのまま閉じてしまおう。
そう思い開いた【予定表】をそのままスクロールしていく。
数はさほど多くないものの、今日も明日もさまざまなものが消滅するらしい。
幸い今日の予定には大したものはない。
ヒトが消える予定もないようだ。
久しぶりに【予定表】を見て緊張していたのだろうか、無意識に呼吸を止めていたことに気付き、大きく息を吐く。
そのままスクロールを繰り返し、明日の予定が表示されたところで――
「......!!!」
思わず指が止まり、息をのむ。
「そんな......嘘よ......」
そこに表示された予定を見て、動揺を抑えきれず身体を震わす。
しかしそんなことはしていられないと頬を叩くと、すぐさまリクに電話をかける。
***
同日 夕方 | 風見中央公園
「リク!」
日がようやく傾き、少しずつ空気が熱を失いつつある夕刻の時間。
ここまでよほど急いできたのだろうか。
公園の入り口付近で大きく肩を揺らすリクを見つけたミオは、急いで彼の元に駆け寄る。
「よお、ミオ」
「ちょっと、凄い汗よ。大丈夫?」
「なに、これくらいはトレーニングでいつものことだ」
改めてリクの格好を見ると、先ほどまで部活だったのだろうか。
上は体操着、下は学校のジャージ姿であった。
半袖の体操着越しに見える同年代の中でもひときわ目立つ鍛えられた肉体が若干震えており、部活で疲れた身体を癒す間もなく、慌ててこの場に駆け付けたことが窺い知れる。
そういうミオも人のことは言えない。
さすがに部屋着などではないが、いつもなら丁寧に整える長い黒髪も、さっとゴムでひとまとめにして、それでもはねてしまう髪を隠すために普段は被らないつばの付いた大きな白い帽子を被っている。
ミオ自身は着の身着のままで駆けつけたつもりではあるのだが、人から見れば、それなりに考えられたコーディネートに見えてしまうのは、ミオ自身が放つオーラのようなもののせいかもしれない。
「で、ハルには会えたのか?」
「いいえ、これからよ」
「よし、それじゃ急ごう!」
そうリクに促されると、2人は肩を並べてハルが待つ場所へと走っていった。
***
ハルは初めて消滅を目撃した場所にいた。
そこはかつて――とは言ってもわずか数か月前のことだが――お気に入りの木があった場所であった。
しかし既に木が植えられていた地面は整えられ、その痕跡はどこにも残っていない。
きっとここに木が植えられていたことを知っているのはハルだけであろう。
もしこれから起こってしまう予定が本当に実行されてしまったとしたら、その痕跡は世界から少しずつ消えていき、やがてそれを覚えている人はいなくなってしまうかもしれない。
そんなことは起こりえないし、起こしたくないのだが、それを想像するだけで心に重りが乗せられたかのように思考が重く暗く沈んでいく。
いつものように思考の海に旅立つことも出来ず、空っぽな心のままで木が植えられていた場所をただなんとなく眺めている。
いや、ただそこを視界に入れていただけで、その瞳にはなにも映していなかったかもしれない。
「ハル!」
遠くの方から自分を呼ぶ声が聞こえる。
ゆっくりと顔をあげると、こちらに向かって駆け寄ってくるリクとミオの姿が見える。
「......」
ハルは無言で彼らの動きを目で追っていく。
駆け寄ってきた2人はハルの表情を見ると、なんとも言えない無力感に苛まれる。
「リク......ミオ先輩......」
力なく呟くハル。
こんなに打ちひしがれたハルを見るのは初めてだった。
工事現場で消滅を防げなかった時も、夜の海で弱音を吐いた時でさえもここまでではなかった。今回のことは、あの時以上にハルの心に負担を強いているということなのだろう。
「ハル......気をしっかり持ってね」
2人の声を聞いた瞬間、張り詰めていた心がわずかに緩む。
しかしそれと同時に、自らの心を守るために考えないようにしていたことを急激に思い出す。
「ナナが......ナナが......」
既に枯れ果てたと思っていた涙が再び溢れてくる。
ハルが握りしめていたスマホの【予定表】にはこう記されていた。
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片瀬ナナ 10代
8月30日17時25分
風見市内
落ち込んでいる
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***
同日 夕刻 | 西峰区
この日、サトルは部下2人からあがってきた報告書を元に書類をまとめていた。
消滅という未知の事案に対応する「特殊事案対策室」は、その存在が秘匿されているとはいえ、大元を辿ればその所属は国家機関となる。国家機関における予算というのは国庫から賄われており、それは「特殊事案対策室」であっても例外ではない。
「特殊事案対策室」は活動内容の性質上、予算の使途を公にしてはいないが、それは対外的なことである。組織の中ではしっかりと枠が決められており、それを使用するためには一般的な役所と同様にさまざまな書類が求められる。
活動の性質上、申請した内容が認められないということはないが、その分提出しなくてはいけない書類は膨大なものとなる。サトルが今まとめている書類もその類のものであった。
カナメが丁寧にまとめた報告書のおかげでサトルの負担はかなり少なくなっているのだが、それでもこの第五班を統括するものとしての責務は大きい。
これでトシオがもう少し真面目に事務仕事をしてくれれば多少なりとも負担は軽減するのであるが、本人が公言している通り、トシオは現場向きの人間である。
その場での判断力や行動力には目を見張るものがあるが、その分、事務仕事にはほとんど期待できない。サトルとしてもトシオのそう言った性質が分かっているのでなにも言うことはないのだが、視界の向こうでのんびりと雑誌を読んでいるのを見ると、多少思うところがないわけでもない。
もっとも、言ったところでその性質がどうにかなるわけでもないので、遠くから責めるような視線を浴びせるだけにとどめ、また作業を再開する。
それから約1時間。
ようやく作業を終えたところで、メールを確認する。
毎日数度来る上司からの連絡である。
いつものようにそれを無言で開き、視線だけでその内容を追っていく。
その中で消滅に関わる事項の申し伝えの個所で、そこに書かれている内容を見て思わず手を止める。
「室長、どうかしましたか?」
いつの間にか目の前に来ていたカナメが心配そうに声をかける。
どうやらサトルは自分が思っている以上に動揺していたようであった。
「消滅事案についての連絡によると......」
そこまで話すと一度目をつぶり、手を机の上で組むと、再度メールに書かれている内容に視線を向け直し、言葉を再開する。
「彼らのうちの1人が対象となったようだ」
「それは......」
サトルたちとハルたちの間に直接的な接点はない。
しかしサトルは個人的にハルたちが気になっていた。
彼らの身辺及び行動調査の結果、彼らは高校生にも関わらず、他にも多くいる関与者と違い、関与者だけではなく非関与者とチームを組んで消滅の対処に当たっているという。
また報告書によると、彼らは対処した全ての事案に対して消滅回避を成功させているわけではなく、時には目の前でモノやヒトが消滅するという経験をしたこともあるらしい。それでも彼らは行動を開始してから現在に至るまで、消滅への関与を辞めていない。
彼らがどのようなことを考えて消滅に立ち向かっているのかは分からない。
正義感や使命感などといった青臭い気持ちを持っているのか。
あるいは消滅という人知が及ばない現象に対する反骨精神なのか。
あるいは自分たちをヒーローなどと勘違いしているのかもしれない。
サトルは立場上、彼らを肯定することも支援することも出来ないが、自ら望んで未知のものに抗おうという精神は、例えそれが青臭い考えだったとしても、業務で消滅に当たっているサトルにとってはまぶしいものであった。
サトル自身はそれを表に出さないようにしているが、部下たちはそれを目ざとく感じ取っている。サトルがどのような感情を持とうが、それ自体はなんら責められることはない。そのように考えている2人は敢えてそのことに触れることはない。
彼らの1人が消滅対象になったという今回の件は、今まで数多くあった消滅事案の一つに過ぎないはずなのだが、サトルの僅かな動揺は事情を察している目の前の部下にあっさりと見透かされてしまっていた。
「んで、どうするんで?」
聞き耳でも立てていたのか、いつの間にかやってきていたトシオは先日と同じ言葉をつかってにやにやと笑いながら伺いを立てる。
先日は彼らの存在をどうするか?という意味で使ったこの言葉は、今回は真逆の意味で用いられていることは確認するまでもない。
「どうする、とは?」
サトルもまた同じ言葉で返事を返す。
「言わなくても分かるだろ?あのガキどもの消滅をどうするかって聞いてるんだよ」
サトルの返事が面白くなかったのだろうか、トシオはいつになく真剣な表情でサトルに反論する。横に立つカナメは2人のやりとりに口を挟むことが出来なかったが、しかしそれでもその場から離れることも出来ずにいた。
「上からの指示は特にない。よって我々がこの件に関知することはない」
「それはガキどもが消滅するのを黙って放っておくってことか?」
「......繰り返す。我々は関知しない。それだけだ」
「いいのかよ?ヤツらはボスの......」
そこまで言いかけてトシオはその先を口にするのを辞め、「ふぅ」と息を吐くと、そのまま背中を向ける。
「ま、なにかやってほしいことがあったら言ってくれ」
背中を向けたままそう言ってデスクまで戻る。
さっきまで読んでいた雑誌を取ると、応接用として置いてあるソファーに寝ころび、雑誌を顔に乗せる。
「あの......室長......?」
残されたカナメがサトルに声をかけようとするが、その表情を見て言葉を詰まらすと、そのまま無言で頭を下げて、そそくさとデスクに戻っていく。
一人デスクに取り残されたサトル。
まっすぐなにもない中空を見つめる瞳の上に刻まれた眉間の皺はいつもよりも深く、デスクの上で組まれた両手には、ギリギリと音が聞こえそうなほど力が込められている。
必死に押し殺している自分の内なる感情は、いったいどこへ向ければいいのだろうか?
――非情な判断を繰り返す上層部か。
――その上層部に逆らうことが出来ない自分自身か。
――あるいは消滅という現象そのものか。
それはサトル自身にも分からなかった。