第32話 カナメの作戦・前編
10月13日 朝
この日の空は厚い雲におおわれていた。
ところどころにある雲の切れ目から薄日が差していることから、そのうち太陽が顔をのぞかせるのではないかと思うところだが、それでも油断できないのが秋の空というものだ。
そしてその空の下、街はまだ静かに朝の気配を残していた。
今日の予報では午後から雨がぱらつくというが、この雲の厚さをみると、もし雨が降り出すとすればそんなに生易しいものではないかもしれない。
このまま晴れるか、それとも激しい雨に変わるか。
それは今日という一日が、この先の人生を大きく左右する者たちにとっては、ある意味では相応しい空模様なのかもしれない。
***
同日 12時06分
ハルたち4人は、やや緊張した面持ちで待ち合わせ場所となる風見駅近くの路地裏に来ていた。
今日、八雲サトルの消滅対処を共に行うことになった彼らは、昨日の別れ際に、この場所で12時に集合と決めていたのだが、12時を回ってもトシオもカナメも現れない。
「そういえば、待ち合わせ時間を過ぎてるのにトシオさんたちまだ来ないね」
ナナがぽつりと呟く。
「「あ......!」」
リクとミオが同時に声を上げた。
「どうしたの?」
「そういや、今朝トシオさんから遅れるって連絡が来てたんだった」
リクはスマホを取り出し、画面を見せる。
『ちょっと用事を済ませなくちゃいけないから30分くらい遅れるわ。悪いな』
「えっ、いつの間に連絡先交換してたの?」
ナナが目を丸くする。
「昨日、説明してた時にな。「なにかあったら連絡するかもしれねえから」って交換したんだ」
リクは肩をすくめる。
「トシオさんも?実は私のところにもカナメさんから連絡が来てたの」
ミオもスマホを取り出した。
『申し訳ありませんが、準備があるので30分ほど遅れます』
「えっ、ミオ先輩も交換してたの!?」
「私もリクと同じよ。昨日別れる前に「連絡することがあるかもしれないから」って」
「なんだー。みんなちゃっかり交換してたんだ」
ナナは少しだけ頬を膨らませる。
「どうりでどっちも来ないわけだよねー」
「悪い、うっかり言い忘れてたわ」
「それは私もよ」
リクとミオがそれぞれ言う。
「でもたまたま同じくらいの遅れだから、ちょうど良かったかもしれないわね」
「そうかもしれないけど......」
ナナはそこまで言ってから、そのあとの言葉を飲み込む。
消滅時間は14時08分なので、12時集合というのは早すぎるように思えるかもしれないが、事前に集まってどのような対応をするかを考えるため、早めの集合としたのだ。
それが今朝になって、2人から「少し遅れる」と連絡が入ったのだ。
それでも消滅時刻までは1時間以上の猶予があるとはいえ、元々対応が困難として見送った案件なので、検討時間は長めに取りたかったのに、その時間が削られてしまうのはあまり歓迎できることではない。
ナナはその懸念を口に出しかけたのだが、それを言葉にしてしまうと不安が増してしまいそうなので言葉を飲み込み、その代わり軽く笑って、まだ来ない2人に軽い感じで文句を言う。
「まったくしっかりしてほしいよねー」
「まあ、トシオさんたちは初めて経験する消滅だから、俺たちみたいに緊張感を持てって言っても難しいよな」
「そんなこと言って、リクだっていつも似たようなものじゃない」
ナナたちがそんなやり取りをする中で、ハルだけは最初からその輪に加わらず、別のことを考えていた。
「うーん......どっかで見たような気がするんだよな......」
眉間にしわを寄せたまま、小さく呟く。
「さっきからなにか考えてるみたいだけど、どうしたの?」
いつもの癖が出ていることに気付いたナナが声をかける。
「いや、トシオさんってどこかで見たような気がするんだよなって思ってね。既視感って言うか、違和感って言うか......」
ハルの言葉に、ミオも昨日感じていた違和感を思い出す。
「そういえば、私もちょっと気になることがあるのよね」
「ミオ先輩までー。ハルの悩みクセがうつっちゃったの?」
ナナが茶化す。
「そういうわけではないけれど......昨日、妙な違和感を感じたと言うか......」
ハルとミオは、昨日から感じている違和感の正体を掴めずにいるのだが、その正体が分からず、まるで奥歯になにかが挟まったような感覚が残り続けている。
しかし、いくら考えても答えは出ない。
「2人とも、なにを唸ってるかは分からねえけどよ」
リクが口を挟む。
「いくら思い出そうとしても思い出せないってことは、そんなに大事なことじゃないってことじゃねえか?それより今日は初めて他の関与者と動くんだ。しゃきっとしていこうぜ」
ナナも続ける。
「そうだよー。今は目の前のことに集中して、あとで考えればいいじゃない」
その言葉で場の空気は少しだけ軽くなった。
しかしナナはハルに対してさらに釘を刺す。
「特にハル」
「えっ?僕?」
「そうだよ。ハルは考えだしたら動かなくなっちゃうんだから、ちゃんと気持ちを切り替えてね」
「ナナの言うとおりだぜ」
ナナの指摘に思い当たることしかないハルは思わず苦笑する。
「うーん、分かったよ。気になるけど一回忘れるよ」
「そうね、私も今日のことに集中するわ」
そう口では答えたものの、胸の奥の引っ掛かりまでは消えていないのが、2人の顔を見れば丸わかりである。
それを呆れ顔で見るナナとリクであったが、トシオたちが来るまでこのまま放っておこうと判断し、時間を確認しながら彼らが来るのを待ち続けていた。
***
同日 12時28分
――それから約20分後。
先に姿を見せたのはカナメだった。
大きめのキャリーケースを引きながら、昨日と変わらない表情で路地へ入ってくる。
「お待たせしました」
「いえ、そんなに待ってませんよ」
ミオがそう返すと、カナメは軽く頭を下げた。
「少し準備に時間が掛かってしまいました」
4人の視線が自然とキャリーケースへ向く。
それは何日分の荷物なのだろうと思うほどの大きさだった。
「その荷物は......」
ナナが口を開きかけたところで
「今日使うものです」
とだけ答える。
詳しい説明はない。
それ以上踏み込む雰囲気でもなく、4人は自然と口を閉じた。
その直後、「悪い悪い!」と軽い調子の声が路地に響く。
カナメを含めた5人が一斉に声のした方を見ると、トシオが手を振りながら歩いてくる。
「ちょっと野暮用が長引いちまってな」
「まだ消滅までは時間があるから大丈夫ですよ」
いつの間にか思考の海から帰ってきたのだろうか、ハルがスマホで時間を確認しながら答える。
「さて、全員揃いましたね」
カナメは1人ずつ視線を巡らせる。
「昨日は集まってから考えるという話でしたが......帰ってから一晩考えてみました」
その一言で場の空気が少し引き締まる。
「私から今日の件について、一つ提案があります」
「提案?」
「はい、昨日お伺いした内容を元に、なるべく効率的に、そしてなるべくあとに影響を残さぬような作戦を考えてみました」
自信に満ちたその言いように、ハルたちは口を挟めない。
その沈黙を了解と受け取ったのか、カナメはそのまま自身が考えたという作戦の概要を説明する。
・
・
・
「......という感じで実行しようと思います」
説明自体は数分だった。
しかし、話を聞き終えた4人はしばらく言葉が出なかった。
「......そんなことまで考えるんですか」
最初に声を漏らしたのはミオだった。
「私たちは消滅を止めることだけ考えて動いてたけど......」
ミオは小さく息をつき、視線を落とした。
「消滅の場所や対象、状況によってはそれを自然に成立させる方法まで考えないといけないのね」
と、小さく呟く。
「カナメさんはこんなすごいことをたった半日で考えたの?」
「ええ、初めての消滅対応ですから、ぜひとも成功させたいですからね」
なんでもないような口調で答えるカナメにナナも思わず息を漏らした。
「すごく手間もかかるだろうし、その......色々お金とかもかかったんじゃ......」
「消滅を回避するために必要なことですので」
カナメはそれだけ答える。
その口調は淡々としている。
ただその短い返答が今回の作戦に一切妥協がないことを物語っていた。
ハルもまた、ナナと同じことを考えていた。
昨日別れてからまだ半日ほどしか経っていないのに、その間にここまで段取りを考え、作戦を実行可能な状態に組み上げるために、どれだけの労力が必要になるのか、ハルには想像もつかない。
ただ一つだけ分かる。
自分たちとは、消滅への向き合い方がまるで違う。
カナメたちに会った時には、関与者として活動して期間が長い自分たちが色々と教えていこうなどと思っていた。
しかし実際にはどうだろう。
まだ消滅の対処前だというのに、気付けば教えられることばかりである。
その時だった。
「なるほどな」
それまで一歩引いたところで腕組みしながらカナメの話を聞いていたトシオがにやりと笑う。
「なかなか面白そうじゃねえか」
そう言うと、一歩前に出てカナメと視線を絡める。
「で、俺はなにをすりゃいい?」
と尋ねる。
カナメは淡々と答える。
「あなたには先ほどお話しした中で今回の要となる現場をお願いします」
「あいよ」
返事はそれだけだった。
トシオの表情には迷いも怯えもない。
役割を聞いた瞬間には、もう腹が決まっているようだった。
リクはそんなトシオをみて、頼れるというのはこういう人のことを言うんだろうなと、場違いのことを考えていた。
説明を終えたカナメが持参していたキャリーケースのロックを外す。
「こちらが先ほど説明した作戦で、現場の方のために用意したものです」
中から現れたのは、きれいに畳まれた警官の制服だった。
先ほど聞いていた作戦で必要ではあると理解はしているが、それを実際に用意しているのを見た瞬間、ハルたちは思わず目が丸くした。
しかしトシオは驚く様子もなくそれを手に取ると、制服を裏返してみたり、縫い付けられた腕章をじっくり観察したり、一緒に準備された小物類を広げたりして、一通り確認する。
「おっ、銃まであるのか」
「もちろんダミーですが、見た目から重量感まで本物と寸分たがわないものを用意しました」
「そりゃもはや本物と同じじゃねえのか?」
小物類と一緒に準備されていた銃を手に取ると、ハルたちは思わず一歩あとずさる。
「おっと、悪い悪い。って、もう一着あるじゃねえか」
制服や小物類も取り出すと、その下にさらにもう一着の制服があるのを発見する。
「念のために予備を用意しておきました」
「そっかそっか。それなら......」
とトシオはその制服を無造作につかむと、そのままリクのほうに放り投げる。
それをリクが慌てながら受け取ったのを確認すると、トシオは持っていた銃を器用に入れ替え、持ち手の方をリクに向ける。
「兄ちゃん、俺と一緒にお巡りさんやってみるか?」
「え?」
突然の話にリクが固まる。
「俺ですか?」
「1人より2人の方が、それっぽいだろ?」
トシオは悪戯っぽく笑う。
「もちろん無理にはとは言わねぇ。でも、せっかくならこういう現場仕事の方が面白いだろ?」
リクは制服とトシオの顔を何度も見比べた。
そしてミオの顔をちらりと見ると、ミオは神妙な顔をしてリクに頷きを返す。
ミオの無言な後押しでリクの決意は固まる。
「......俺で役に立つなら」
「決まりだな」
トシオは満足そうに笑う。
その様子を見届けると、カナメは改めてハルたちへ向き直った。
「皆さんには別の役割をお願いしたいんです」
リクを除いた3人の視線が集まる。
「私はこのあと、作戦に支障をきたさないよう、各所への連絡や状況の調整に専念します。そのため現場を見続ける余裕がありません」
そこで一度言葉を区切った。
「ですから、皆さんは高い場所から全体の状況を確認していただき、変化があればその都度知らせてほしいんです」
「作戦......ですか?」
ハルは今さらになって、カナメがこの消滅対処を作戦と呼んでいたことに気が付いた。いつも自分たちが対処しているよりもはるかに大がかりな下準備や調整は、確かに作戦と呼ぶ方がふさわしいだろう。
「はい、これだけの規模での活動は、いくら準備をしても絶対ということはありません。常に最新の状況を確認しながら臨機応変な対応が必要になります。皆さんにはそのサポートをお願いしたいのです」
その口ぶりは、もはやいっぱしの司令官のそれである。
ハルだけでなくミオもその雰囲気にあてられてか、言葉を返すことが出来ない。
その沈黙を疑念、あるいは否定と捉えたのか、思わず手を口に当てる。
特に間違ったことは言っていないはずなのに、その表情は「またやってしまった」というような表情である。
「初めて参加する私がこんな偉そうなことを言って申し訳ありません。もし皆さんの方でなにかいい作戦を考えられているのであれば......」
「いや、そうじゃなくて......」
突然様子を変えるカナメに困惑するハルたち。
カナメはこう言っているが、否も応もなくすでに今回の消滅対応はすでにカナメを中心として回り始めている。
「大丈夫です。分かりました、サポートですね。でもどうすればいいのか分からないので教えてくださいね」
「はい、お願いします」
カナメは安心したように答えると、深々と頭を下げる。
その一礼には、相手が高校生だからと軽く見るような様子は一切なかった。
「よし、そっちも話が決まったなら、リク。俺たちは着替えに行くか」
「あ、はい!」
名前を呼ばれたリクは、やや上ずった声で答える。
ミオはここまで緊張しているリクを見るのは初めてだった。
それは無理もないことである。
今から自分は警察官になる。
警察の格好をするだけであれば、それはまだコスプレだと言い張ることが出来る。
しかし警察の制服を着てカナメが立案したことを実行するのは、問題がないことと言い切れるのだろうか。
トシオはカナメが持ってきたキャリーケースを軽々と持ち上げて肩に担ぐと、、空いているもう片方の手でリクの背中を力強く叩く。
「固い固い、もっとリラックスしろって」
「いや、今からやることを考えると緊張しちゃって......」
「まあそうだろうな。でもよく聞けよ」
トシオは一度キャリーケースを降ろすと、それに腰かけてリクに向き合う。
「制服なんてただの衣装だ。着るだけなら誰でもできる。大事なのは堂々としてることだ。変にビビってる方が怪しまれる」
「......はい」
緊張したまま返事をするリクの肩に手を置き、サムズアップをしてみせる。
「なーに、そんな顔すんなって。失敗しそうになったら俺が横から助けるやるから」
トシオの屈託のない笑顔を見てると、それだけできっと上手くできるという根拠のない安心感が生まれる。根拠はトシオの言葉だけなのだが、それが今のリクにとってなによりも安心する言葉だった。
「はい、やってみます」
「よし。その調子だ」
トシオは満足そうに頷く。
「そういやよ、警察になるからってあんまり敬礼はすんなよ。警察って意外とそんなにやらねぇからな」
「え、そうなんですか?」
「おいおい、テレビの見過ぎだぞ、兄ちゃん」
思わず吹き出したナナにつられ、場の空気が少しだけ和らぐ。
みんなの肩の力が抜けたところで、持ち場につくためにそれぞれ移動を開始する。
***
同日 13時38分
消滅予定時刻まであと30分。
3人はカナメに案内され、駅前から少し離れた雑居ビルの非常階段を上っていた。
最上階の扉を開けて屋上へ出た瞬間、冷たい風が4人の身体を吹き抜ける。
薄曇りの空は相変わらず重たく、吹き抜ける風だけが少しずつ冷たさを増している。
屋上の端から街を見ると、目の前には駅前通りが広がっている。見下ろせば車道も歩道も一望でき、交差点の信号まで確認できる。
「風が強いねー」
ミオの長い髪が風にあおられ、大きくたなびく。
「んもうっ」とぶつぶつ言いながらヘアゴムを取り出すと、慣れた手つきで暴れないように髪を束ねる。
「確かにここからなら、現場が一気に見渡せますね」
ハルは普段目にする景色を、普段は目にしない位置から眺めていることに妙な高揚感を感じていた。
「この場所なら対象を見失うこともありませんし、なにか起きてもすぐ伝えていただけます」
カナメは通り全体へゆっくり目を走らせる。
位置関係を確認しているだけにも思えるが、その視線には迷いがない。
「それではそこから状況を確認して、なにかあったら逐一報告をお願いします」
カナメはそれだけ言うと屋上の端へ歩いていき、スマホを取り出し、誰かと短く連絡を取り始める。二言三言交わしただけですぐに電話を切ると、また別の相手に連絡を入れる。
誰となんの話しているのかまでは聞こえないが、その姿を横目で見ながらハルは小さく息を吐いた。
「......すごい作戦だよね」
「うん」
ナナが頷く。
ミオは緊張しているのか、口を真一文字にしながら眼下広がる景色に目をやっている。ハルもつられて眼下へ目を落とした。
車が途切れることなく行き交い、人々は何事もない日常を過ごしている。その中で、
あと30分ほどで、この日常のどこかで1人の人間が消える。その事実を知っている者はこの場にいる数人だけだった。
その静けさがかえって緊張を際立たせていた。
***
一方その頃。
ビルから少し離れた路地裏では、トシオとリクが人目につかない場所で制服に着替えていた。
「ほらよ」
トシオが帽子を投げ渡す。それをリクは慌てて受け取った。
「ありがとうございます」
警察の制服を間近で見たことは一度もない。そんなリクの判断があてになるかどうかは分からないが、この制服はとても精巧にできていてるように見えた。
質感から細部、そして小物に至るまで、これが偽物であると言われても、とても信じることが出来ない。
「......すご」
「だろ?」
トシオは得意げに笑う。
「銃以外は本物と遜色ねぇ出来だな。遠目じゃまず見分けはつかねぇよ」
リクは着替え終わると、改めて制服を見下ろす。
まさかこんな格好をする日が来るとは思ってもいなかった。
鏡代わりに店のガラスへ映った自分を見るが、思ったよりも似合っている。
将来は警察になるのも悪くないのでは、などと思ってしまう。
「......緊張してきました」
「そりゃするだろ」
トシオは笑いながら、軽くリクの背中を叩く。
「リクはなにかスポーツとかやってるか?」
「あ、はい。サッカーをやってます」
突然の質問に疑問を浮かべながら答える。
「それじゃ試合の時ってどうやって緊張しないようにしているんだ?」
「そうっすね......与えられた役割をきっちりとこなす。それと、それをこなせる自分を信じるってとこっすね」
「それと同じだ。やることがサッカーか警察かって違いだけだ」
「いや、全然違いますよ」
トシオの微妙に的外れなアドバイスに思わず笑顔がこぼれる。
しかし、トシオの言うとおりだ。
今は自分に与えられた役割をこなし、それが出来る自分を信じるだけだ。
リクは一度深呼吸した。
少しだけ肩の力が抜ける。
「全然違うと思いますけど......でもやります」
「その顔なら大丈夫だそうだな」
トシオは満足そうに笑い、腕時計へ視線を落とす。
予定時刻まで、あと20分。
「さて、そろそろか......」
トシオがつぶやくと同時に、耳にあてた無線機のイヤホンから通信が入る。
『準備は整いましたか』
イヤホン越しに聞こえてきたのはカナメの落ち着いた声だった。
「いつでも行ける」
『それでは予定どおり進めます』
通信が切れる。
トシオは口元だけで笑った。
「さて」
警官らしく帽子をかぶり直す。
「仕事の時間だ」
その横でリクも帽子のつばを整え、小さく拳を握った。
ここから先はもう後戻りはできない。
***
同日 13時48分 | ビルの屋上
駅前通りへ目を戻したハルは、思わず息をのんだ。
カナメは先ほどどこかに連絡を入れて、なにかを実行するように指示していた。
するとさっきまで流れていた車列が、目に見えて速度を落としている。
数台先ではハザードランプを点滅させた車が一台、道路脇に寄せられていた。
それを避けるように後続車が車線変更を試みる。
それをきっかけに次々と車が詰まり、やがて一本の長い列になる。
「カナメさん、通りが渋滞しています!」
ミオがカナメの方を振り返りながら叫ぶ。
すると少し離れた場所で街並みを眺めていたカナメが、ミオの報告に頷くと、イヤホンマイクに軽く触れた。
「こちら予定どおりです。続けてください」
ハルたちは先ほどカナメから告げられた作戦を思い出す――。
***
「今回の作戦は、三つのフェーズで構成されています」
そう言うとみんなの前で指を一つ立てる。
「まず最初は通りに渋滞を発生させます。そうして対象を......」
「ちょっと待てくださいよ」
こともなげに「渋滞を発生させる」などという発言に、思わずミオが待ったをかける。
「なんでしょうか?」
「渋滞を発生させるって、それってそんなに簡単にできるもんなのですか?」
「簡単、とは言いませんが可能ですよ。その段取りはすでに済んでいます。あとは然るべきタイミングで連絡を入れればよいだけです」
その言葉にミオだけでなく、高校生組は絶句してしまう。
しかしそれに構うことなくカナメは言葉を続ける。
「渋滞を発生させるタイミングがポイントとはなりますが、それは私が状況を監視して指示を出します。続いて2つ目ですが......」
***
カナメの予告したとおり、渋滞は簡単に発生した。
それがどのような段取りを持って行われたのか、知る由もないし、ある意味では知らない方がいいのかとも思う。
しかしこれでカナメの作戦は終わりではない。
眼下の渋滞を眺めながらなにかを探すと、軽くうなずき、また違うところに連絡をする。そしてそこでも短く指示を出すと電話を切る。
ビルの屋上にいると、通りの雑踏はほとんど聞こえてこない。
ただ地上よりも強く吹く風の音が時折耳につくだけである。
カナメがどこかに連絡を入れて数十秒後。
交差点の向こうからパトカーが一台。
さらに別方向から制服姿の警察官が数人、小走りで現れる。
「え......」
ミオが目を丸くした。
「本物の警察......?」
「......まさか」
ハルも思わず言葉を失う。
「カナメさん、警察が......」
「大丈夫、そのまま監視を続けて」
ハルたちは再び、カナメの説明を思い返す――。
***
「続いて2つ目ですが、どなたかが警察に扮してもらい対象に接触してもらいます」
「警察に扮する?」
警察に扮する、なんてことは、それこそアニメや映画、小説だけの話かと思っていた。しかしそれを実際にやることになるなどとは夢にも思わなかった。
確かに見知らぬ人に接触する場合、警察ほどそれに適したものはない。
警察に話しかけられれば、人によっては身構えはするかもしれないが、やましいことをしてさえいなければ警戒する理由はない。
今回の対象である八雲サトルがどのような人間かは分からないが、脛に傷を持つようなものでなければ、その方法が一番安全に対象に接触できるのかもしれない。
「ご安心ください。衣装はこちらで用意しました。怪しまれないように小物類の準備もぬかりありません。こちらはあとでお見せします。続いて3つ目ですが......」
***
眼下に見える警察の人数は2人どころではない。この中にトシオとリクがいたとしても、それだけでは人数が合わない。警察に扮するとは聞いていたが、まさか本物の警察を呼ぶとは聞いていなかった。
あるいは作戦として説明するまでもないと、警察を呼ぶことは敢えて説明しなかったのだろうか。
警察の動きを見ると、ただ呼ばれただけでなく統率された動きを感じる。これは明らかになにか指示が与えられて行動しようとしているのであろう。
あっけにとられて言葉を失っていると、カナメから声がかかる。
「皆さんはそれらしき車両を探してください」
それだけを告げる。
その声には焦りも高揚もない。
ただ、自分の役割だけに集中している人間の落ち着きがあった。
***
一方、その頃。
駅前通りの渋滞最後尾。
制服姿のトシオは帽子のつばを少し下げ、ゆっくり息を吐いた。
「来たな」
隣ではリクが緊張した面持ちで車列を見つめている。
「大丈夫か?」
「......ちょっとだけ緊張してるっす」
「ちょっとなら上出来だ」
トシオは笑うと、軽くリクの背中を叩いた。
「そういや、説明は全部リクに任せるからな」
「えっ」
「そりゃそうだろ。なにかあった時に俺が後ろにいりゃ対処できるけど、もし俺が説明に当たってるときになんかあったら対処できるのか?」
「そりゃそうっすけども......」
突然割り振られた重大任務に、リクは緊張の色を隠せない。
「安心しろ」
トシオは不敵に笑う。
「もしなにかとちったりしても俺がフォローしてやるからよ」
その一言だけで、不思議と肩の力が抜ける。
リクは深呼吸を一つすると、小さくうなずいた。
「......分かりました」
「よし。なにをどう説明すればいいかはさっき話した段取りどおりだ、大丈夫だな」
「うっす!」
その返事を聞いた瞬間、トシオのイヤホンから短い通信が入る。
『対象車両、確認。三台後方。ナンバーは......』
通信内容を聞き、目だけを動かす。
そこには通信どおり渋滞の列に並ぶ一台のタクシーがいた。
そのまま視線だけでナンバーが一致していることを確認すると、リクの肩をポンと叩き、帽子を被り直しながら歩き出した。
「さて、仕事の時間だ」