第26話 ナナが消える日・後編
同日16時過ぎ | 風見川周辺
ナナの消滅まで残り1時間半。
駅前で合流してからすでに4時間が経過していた。
4人は土手沿いを疲れ切った足取りでのんびりと散歩していた。
数時間前まで猛威を振るっていた太陽の日差しは、日が傾くにつれて少しずつ優しくなっている。気温の変化により空気の流れが変わったのだろうか。先ほどから川から気持ちの良い風が吹いてきており、汗ばんだ身体を優しく癒していく。
「やっと涼しくなってきたね」
「ホントだね」
そんな風を身体に受け、彼らは気持ちよさそうに笑顔を浮かべるが――それはよく見ると全て作られたものであった。
リクとミオは互いの昔話を持ち出し、笑ったり怒ったりしているが、それは過去を懐かしむものではなくナナに楽しんでもらうためのもの。話しながらナナの反応を伺う2人の様子は明らかに不自然であった。
ハルはことあるごとにナナにあれこれ話しかけている。
その話題は部活の話であったり、夏休みの宿題の進行状況であったり、先ほど食べた昼食が美味しかったという話だったり......
しかしそれらの話に中身はない。
全てナナに楽しんでもらうためのものであった。
そして肝心のナナはというと――
その表情はいつも以上に明るく、この場を楽しんでいるかのように見えた。
しかしその実、ナナの心には抜けないほど深く棘が刺さっており、冷たい孤独感が静かに広がっていた。
――なぜリクとミオは自分の反応ばかりを伺っているのだろう。
――なぜハルは自分に気を使っているのだろう。
――なぜ彼らとこんなに距離を感じるのだろう。
彼らが自分を楽しませようとしてくれているのは良く分かる。
しかしその理由が分からない。
聞く勇気もないし、聞いてもきっと答えてくれないだろう。
もしその真意を確かめてしまったら、今この場所に辛うじて成り立っている楽しい時間のすべてが、一瞬で壊れてしまいそうで怖かった。
だからこそ自分は笑顔で楽しそうにしなくてはいけない。
その結果、心の棘は抜くことがかなわないほど心の奥に深く根を張ってしまったとしても......
ナナはこの場にいるのが辛かった。
なぜ3人が変わってしまったのかは分からない。
たまたま今日はこんな感じだけども、明日になれば元に戻っているかもしれない。
そう思うと、早くこの場から離れたいと思ってしまうのだが、それを言葉に出したり実行に移したりするのは3人を突き放すようで怖かった。
もしそれをしてしまったら、もう取り返しがつかないような気がする。
だからナナは今感じている冷たい孤独感に蓋をして、笑顔の仮面を被ってやり過ごしていた――
***
リクとミオは明らかに自分たちが空回りしていることを感じていたが、今さらそれを止めることはできなかった。
少しでもナナに楽しんでもらおうと2人でふざけあっていたら、それを見てナナが笑ってくれた。
それならばと2人は以心伝心でその流れを続けているが......
ナナが笑顔をくれたのは最初のうちだけであった。
それでも無言でいるよりはマシだろうと2人はじゃれあいを続けるが、それはもはや中身はなく、形を変えた言葉のキャッチボールに過ぎなかった。
この4時間、特に行く当てもなく、気まずさを埋めるように買い食いなどをしながら風見市内を歩き回り、ようやくこの風見川にまで辿り着いたのだ。
ふと時間を見ると、ナナの消滅まではあと1時間程度。
2人はもはやなにをどうすればよいのか分からなくなっていた――
***
ハルは必死だった。
ナナが消えてしまう。
それは絶対に嫌だ。
そう思うと、いつものように自然に話せない。
ナナを楽しませようと色々話しかけはするが、これはただ言葉を投げているだけ。相手の意志など関係なく、中身のない言葉という弾丸を一方的に浴びせ、彼女の顔色を伺っているだけ。
ナナが喜んでくれればそれを続け、いまいちの反応であれば違う言葉を選んで再び相手にぶつける。
分かってる――こんな風に一方的に言葉をぶつける行為が楽しいわけはない。しかし今のハルはそれ以外にどうすればよいのか分からなかった。
ナナとは幼稚園の頃から数えると10年以上一緒にいる。
今まではなにを考えずともすんなり言葉が出てきていたのに、今はどうしてもそれができない。
――声のトーンは暗く沈んでないか。
――表情は笑顔でいられているか。
――ナナは笑っているか
そんなことを確認しながらの会話が楽しいわけはなかった。
隣に並ぶナナの顔には笑顔が浮かんでいる。
しかしハルには分かる。
これはただの仮面だ。
ニセモノの言葉に仮面の笑顔。
なぜこうなったのだろう。
自分はただナナに消えてほしくないだけなのに。
消えてほしくないから、ナナの心が沈んだままでいてほしくないだけなのに。
土手沿いを歩いていると、先の方にグラウンドが見える。
川沿いにいくつかある運動公園のひとつだろう。
目的もなく歩いていた4人は、なんとなく運動公園に足を向ける。
ふと時間を見るとナナの消滅までは残り1時間を切っている。
しかし......もはやハルはどうしたらよいのか分からなくなっていた。
***
「ねえ、ちょっと座らない?」
運動公園から河原に入り、石と土が入り混じる川辺を中身のない会話を続けながら当てもなく歩き続けている時、ふいにナナがみんなに呼び掛ける。
特別なことはない、ただの呼びかけであったが、突然のナナの言葉に3人は動揺しながらも、それを必死に隠して答えた。
「あ、ああ、さすがにちょっと疲れたしな」
「そうね、あそこら辺に良さそうな場所がありそうね」
リクとミオが座れる場所を探して、足場の悪い河原を小走りで進んでいく。
置いて行かれる形になったナナは隣に立つハルの顔をちらりと伺い、声をかけようとするが......
「ねえ、ハ......」
「ほら、僕たちもいこう」
ナナが声をかけようとしたことを察したのだろうか。
その言葉に被せるように先を促すと、ナナの返答を待たずに歩き出す。
「......そう、だね」
ナナは小さく呟き、ハルの背中をゆっくりと追いかけていった。
***
「どうするんだよ、こんな時に」
「どうもこうも、見ちゃったものは仕方ないでしょ」
ようやくみんなに追いついたナナはこの状況に目を丸くする。
リクたちは座れる場所を探しているはずだったのに、なぜかその場で言い合いを始めていた。その前で、ハルはどうしたらよいのか分からない様子で、なにも言わずに立ち尽くしている。
「どうしたの?」
「分からない。僕もようやく追いついたと思ったら突然こんな感じだったんだ」
――今日初めていつものみんなを見た気がする。
そんな場違いな感想が頭に浮かぶが、いつまでもこのままというわけにもいかない。動けないハルに代わってナナが2人になにがあったのかを確かめる。
「2人とも、どうしたの?」
「あ、ナナか......」
リクの反応に胸の奥に刺さった違和感がまた少しだけ疼くが、ミオはそれに構わず続ける。
「ごめんなさい。時間を確認しようとスマホを開いたら、またうっかり【予定表】に触っちゃったのよ。で、せっかくだからとチェックしてみたら、もうすぐこの近くで消滅が発生するってことが分かったのよ」
「だからって、なにもこんな時に対応しなくてもいいだろうよ。今はそれどころじゃないだろ」
「確かにそうかもしれないけど、消滅場所はすぐそこなのよ。今からならまだ時間もあるし、それを見捨てるなんて嫌よ」
こんな時?それどころじゃない?
ミオの不自然な言葉に、ナナは心の中で首をかしげる。
ハルも自分のスマホを取り出し【予定表】を確認する。
表示された内容を見た瞬間、胸の奥がずしりと重く沈んだ。
――また消滅だ。
もう嫌だった。
ナナのことで頭がいっぱいなのに。
なにをやっても空回りして、笑わせようとしても余計に距離が開いていくのに。
消えてほしくない。
ただそれだけなのに、どうすればいいのか分からない。
そんな自分にいっぱいいっぱいで、もう誰かを救う余裕なんて残っていなかった。
それなのに、また別の誰かが消えようとしている。
でも――
もし今ここでこの消滅を今はそれどころじゃないと目を逸らしてしまったら、ナナを救いたいと思っていた気持ちまで、全部嘘になってしまう気がした。
消えてしまう誰かを放っておけない。
だから苦しくても足掻いていたはずなのに、ここで立ち止まってしまったら、自分はもう二度と前を向けなくなる気がした。
「例えどんな状況でも、手が届く範囲で消滅から救えるなら......」
それは覚悟なんて立派なものではない。
限界まで追い詰められた末に、ようやく絞り出した言葉だった。
「行こう」
ナナはそんなハルにちらりと視線を送る。
その横顔はナナがよく知るハルそのものだった。
***
同日16時58分 | 風見川運動公園
時間は17時前であるが、この時期はまだ日が長く、帳が下りるにはまだ先のようだ。
そのせいか、この時間でも小学生と思わしき子どもたちもまだまだ元気に駆け回っている。
しかしいくら外が明るいとはいえ、低学年くらいの年頃であれば、帰宅時間は周囲の明るさとは関係ない。案の定、17時になって市内放送から帰りを促す音楽が聞こえると、遊んでいた子どもたちが蜘蛛の子を散らすように一斉に帰っていく。
きっと「17時になったら帰ってきなさい」とでも言われていたのであろう。
しかしそこに1人残っている子どもがいた。
その男の子は周囲の子どもたちが帰ったあとのグラウンドの端に座り、持っていたボールに土をかけていた。
「あの子、なんだか寂しそう......」
どことなく今の自分と重なるものを感じたのだろう、思わずナナが呟く。
「それを僕たちが今からなんとかするんだ」
そう言うとハルは手に持っていた【予定表】を再確認する。
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鈴木ミノル 10代以下
8月30日17時18分
風見川運動公園
つまらなそうに遊んでいる
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「消滅予定時間は17時18分。あそこで遊んでいる子でいいのかな?ミオ先輩、特徴はどう?」
ハルは自分の【予定表】で正確な時間を確認すると、もう1人の関与者であるミオに消滅対象の特徴を確認する。
ミオは自分の【予定表】を開くと、書かれている内容と子どもの特徴を見比べる。
=====
鈴木ミノル10代以下
8月30日17時くらい
青い帽子電車のプリントがある白いシャツ
風見川運動公園
つまらなそうにしている
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「帽子と電車のシャツ......間違いないわね。あの子が対象の鈴木ミノル君よ」
2人の関与者が持つ特徴の異なる【予定表】で消滅対象を絞り込む。
いつもやっていることと変わらないのに、ナナの心が少しだけ軽くなる。
「で、どうすればいいんだ?」
「そうね、あの子を目一杯楽しませればオッケーよ」
「オッケー、了解だ」
ミオが対応策をリクに伝えると、リクはそこから駆け出しミノルの元へ向かう。
2人が見守る中、リクがミノルに近づくと、なにかあれこれ話をしている。
いつも通りであれば、リクが持ち前の社交性を活かして消滅状況を覆してくれる。
そう思って見ていたのだが、なぜかリクは1人で3人の元に戻ってきた。
「どうしたの?」
「いや、なんか凄くつまらなそうにしているから、「俺と一緒にキャッチボールでもしないか?」って話したんだけどよ。なんか不審者を見るような目で見られてよ。なんとか誤解は解いたと思うんだけど、それ以上はなにもできなかったぜ......」
リクが珍しく肩を落とす。
ハルとミオはそんなリクを慰めるが、ナナはそんな3人にさっきまでとは違う疑問が浮かぶ。
「よし、僕が行ってくるよ」
「あら、珍しいわね」
「いつもリクたちに任せてたら申し訳ないからね」
そう言うとナナにちらりと視線を送り、そのままミノルの元へ歩いていく。
しかしものの数分で戻ってくる。
「どうだった......のかは聞くまでもないだろうけど、なにがあった?」
「うーん、リクのいう通りつまらなそうにしていたから、なにか楽しい話でもと思って色々と話をしたんだけども、「ふーん」とか「すごいね」とかであまり興味を持ってくれなくてさ」
「それで戻ってきたのかよ」
「あのまま続けても無駄に時間だけが過ぎるだけと思ったからね。みんなに相談しようと思って......」
「ちょっとそれは難しいかもしれないわよ」
ハルは戻ってきた理由を説明している間にミオがミノルの方に視線を向けると、ミノルもこちらの方を見ていた。その顔は明らかにこちらを怪しんでいるようであった。
しかし特に立ち去る様子はない。
しばらくこちらを見ていたが、やがて興味を失ったのか、再び1人遊びを再開する。
「あいつ、どうしたんだろ。俺が言うのもなんだけど、普通は俺たちを怪しんでこの場を離れるところじゃねえのか?」
「きっとお迎えとかの約束があるんじゃないかしら」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ。もう時間はあんまり残ってない」
17時08分。
ミノルの消滅までは残り10分となっていた。
子どもを楽しませるなんて簡単なことだと思っていたのだろう。
そうたかをくくっていた3人であったが、それが予想外に難しいということに気付き、ようやく焦りだす。
しかしナナはなぜ3人がここまで難しく考えているのか理解できなかった。
あの子が求めているものはそんなに難しいものじゃない。
一目見て、ナナにはミノルが求めているものがすぐに分かったので、普段なら積極的に「行ってくる」と言うところだが、今日は3人の前で口を開くことに抵抗がある。
その原因は分かっている。
心に根付いてしまった棘のせいだ。
――もし自分が手をあげることでまた3人に気を使わせてしまったら。
そう思うとなにもしないことが一番自分を傷つけずに済む。
そう考えてしまっているのだ。
でもあの子には時間がない。
あと数分でこの世界から存在が消えてしまう。
ただ誰かを待っているだけなのに、無情な神様の選択のせいであと数分であの子はいなくなってしまうのだ。
未だにつまらなそうな様子で1人遊びを続けるミノル。
きっとあの子が求めているのは遊び相手でも楽しい話でもない。
それは今、ナナが求めているものと同じ。
だから......今の自分ならあの子を消滅から救える。
いや、消滅なんてどうでもいい。
ただ今のあの子を放っておくことが今のナナには我慢できなかった。
3人が結論の出ない話し合いに時間を費やしている中、ナナは気付けばミノルに向かって歩き出していた。
***
ナナはゆっくりとミノルに近づくと、少し寂し気な声で話しかける。
「ねえ、1人?」
「うん......お姉ちゃんは?」
「私も......1人だよ」
「そうなの?あそこにいるお兄さんたちと一緒にいたじゃん」
「そうなんだけど、でも1人なんだ」
「ふーん」
ナナはミノルの横に座り、そこら辺に落ちていた枝を拾うと、彼がなんとなくやっていた土いじりの仲間に加わる。
一方、ハルたちはその頃になってようやくナナがその場にいなくなっていることに気付き、やがてミノルの傍にいるのを発見する。
「あれ?ナナは?」
「えーっと、あ!あそこだ!」
「ナナ......どうしてこんな時に......」
彼らの焦りに気づかないナナは、軽い鼻歌を歌いながらミノルの横で土いじりを続けている。
ミノルは隣で自分と同じように土いじりをするナナに少しだけ興味を持ち始めたのか、先ほどナナが発した言葉に疑問をぶつける。
「お友達と一緒にいるのになんで1人なの?」
「うーん、なんでだろうね?お姉ちゃんも分からないよ」
「仲悪いの?」
「全然。みんな超仲良しだよ」
「ケンカしてるの?」
「してないよ」
「それじゃなんで?」
「うーん......なんでだろうね?」
本当になんでだろう?
ミノルの言葉はそのままナナの疑問でもあった。
背中の方からハルたちの視線を感じるが、そちらには顔を向けずにそのままミノルとの話を続ける。
「君はなにをしていたの?」
「遊んでたの」
「1人で?」
「そうだよ」
「お友達は帰っちゃったみたいだけど、君は帰らないの?」
「帰っても居場所がないんだ」
「そうなの?」
「うん......この間、妹が生まれたんだけど、パパもママも妹にばっかり構ってるから......」
ナナはなぜミノルを放っておけないと感じたのか分かった。
今の自分と同じで、自分が居た場所に自分の居場所がなくなってしまったからだ。
妹が生まれたという喜びはもちろんあるだろう。
しかしそれ以上に、両親が妹ばかりを見ていて自分を見てくれないという寂しさが強いのだろう。
無条件で受け入れてくれはずの家族が自分を見てくれない。
そこにいることに対する安心感が強い程、それが無くなってしまった時の反動は大きい。
今の自分と同じだ。
背中越しにハルたちが誰か知らない人と話しているのが聞こえる。
それでも今は自分と同じ境遇のミノルを放っておくことができなかった。
「居場所がなくなんてないと思うよ」
「親の心、子知らず」などという諺があるが、自分を守ろうとしてくれる人の心は、守られる側には分からないものである。
子どもを大事にしない親などいるわけがない。
きっと妹と同じくらいにミノルも大事にされているはずなのだが、まだ幼いミノルにそれを理解しろというのは難しいかもしれない。
親の想いがいくら大きくても、それを目に見える形で表現しないと子どもには通じないものである。
「パパもママも君のことをすっごく大事にしているはずだよ。だから......」
「違う!!」
そんなミノルに少しで寄り添おうと言いかけた言葉は、それを言い切る前に否定される。
「それならなんで僕のこと構ってくれないの?きっと僕のことが嫌いになったんだよ!お姉ちゃんだってお友達に構ってもらえないんでしょ?僕と同じじゃないか!」
子どもの心は大人が想像する以上に繊細で傷つきやすい。
些細なことが心の棘となり、それが一度刺さってしまうと容易なことでは抜くことができない。
大人であれば理知的に考えることもできるが、子どもにそこまで冷静な判断を求めることは酷であろう。その心の棘を抜くためには......
「ミノル!」
ふいに2人の背中から声がかかる。
振り返るとハルたちが立っていた。
そしてハルたちの前には、ここまで走り回っていたのだろうか、額にうっすらと汗を滲ませ、肩で荒く呼吸をしている女性がいた。
「ママ!」
それはミノルの母親であった。
時間になっても帰ってこないミノルを心配して探し回っていたのであろう。
ようやく探し人を見つけた安堵の眼差しが、隣にいるミノルに注がれている。
「2人がお話してるの聞いてたの。ごめんね。ミノルにそんな想いをさせてたなんて......」
「......ママ......ママー!!」
母親からの無条件の愛。
それこそが幼い子どもの心に刺さった棘を抜く唯一の手段。
母親の胸に飛び込むと、今まで我慢していたであろう感情を一気に爆発させる。
ナナはふと消滅のことを思い出して時間を確認する。
17時21分。
消滅予定時間を過ぎているが、ミノルはここに存在している。
いつのまにか消滅条件を回避したのだろうか。
ナナは知らないことであるが、ミノルの消滅条件である「つまらなそうにしている」という状態は、同じ境遇であるナナが隣にいて、彼に寄り添って話をすることで回避されていたのだ。
消滅が回避できたことは嬉しい。
しかしそれよりも、ミノルの母親の本当の想いをミノルが知ることができた。
そのことのほうが自分のことのように嬉しかった。
2人を眺めるナナの表情は自然と柔らかくなる。
ようやく落ち着いたミノルが母親の身体から離れる。
母親はミノルの頭を一撫ですると、少しバツが悪そうにナナとハルたちに頭を下げ、ミノルの手を引いて家路につく。
しかし、ミノルは母親から手を放しナナの元に行くとにっこりと笑う。
「お姉ちゃんも1人じゃないんだね!」
「えっ?」
「だって、あのお兄さんたちもママと同じ優しい顔をしてるよ」
ミノルの言葉に改めてハルたちの顔を見る。
そこにはミノルの言う通り、ナナがいつも見ている3人の顔があった。
「お姉ちゃんのいう通り、ママは妹と同じくらい僕のことも大事だって!だからきっとお兄ちゃんたちもお姉ちゃんのことを大事に思っているはずだよね!」
ミノルはそう笑いかけると母親の元に戻り、差し出された手をぎゅっと掴む。
反対側の手でナナに「バイバイ」と手を振ると、そのまま振り返ることなく帰っていった。
ナナはミノルに手を振り返しながら、先ほど彼に言ったこと、彼のために考えたことを改めて思い出す。
――子を想わない親はいない。
――そう感じるのならそれは想いを言葉にしていないだけ。
それならば今のハルたちはどうだろう。
今日会った時から、いや、今思えば昨日の電話の時から様子がおかしかった。
会ってからの態度も不自然であり、まるで腫れ物に触るような扱いであった。
なぜそのような態度を取られるのか分からず、その真意を確認することもできなかった。だからこそナナも自ら仮面を被り、3人と距離を置いてしまった。
結果、みんなと一緒にいるはずなのに、完全に孤立してしまっていた。
だからこそ1人で寂しそうにしているミノルが気になり、居場所がないというミノルに寄り添いたいと思った。それは今の自分の境遇と重ねてしまったからだ。
しかしミノルは母親の気持ちに触れ、見事に心の棘を抜いてみせた。
一方ナナは......
視線をあわせないように恐る恐るハルたちを見てみると、その表情にさっきまでの仮面はどこにも見当たらなかった。
――そうか、自分もミノルと同じで守られていたんだ。
「親の心、子知らず」と言う諺は、なにも親子関係だけに当てはまるものではない。
ハルたちはきっとなにかから自分を守っていた。
だからこそいつもとは違う態度を自分に取っていたのだ。
そのなにかとはなにか?
彼らが守るものといえば――それは消滅。
きっと自分は【予定表】に載ってしまったのだろう。
そしてそれを伝えることもできず、消滅を回避するためにあれこれ考えて行動していたのだろう。
「ナナ!」
その呼びかけに、今度はしっかりと顔をあげて彼らと視線を合わせる。
その顔を見た瞬間、ナナは確信する。
なにがどうなったのかは分からない。
でもきっと彼らは自分を救ってくれたんだ、と。
「私、守られてたんだね」
リクは満面の笑みを浮かべ、ミオは目から大粒の涙をこぼしている。
そしてハルは――
そんな3人を見て、胸の奥に張り付いていた冷たい孤独感が、ようやく溶けていくのを感じていた。
「みんな......ハル......ありがとね」
ナナはそんな彼らを見つめ、ようやく今日初めて心から笑った。
それはハルがずっと見たかった、いつものナナの笑顔だった。