第二話 勇者の理由、主人公の正体
「いや、まず村長の家でしょう!」
俺の叫びは、のどかな村の空に吸い込まれていった。
返事をする老人は、もういなかった。道ができた途端、一人ですたすたと歩き出し、あっという間に畑の向こうへ消えてしまったのだ。案内してほしいと頼んだ本人が、である。
残された俺の前には、畑と民家。そして、さっきまで存在しなかった土の道が、北へ一本伸びていた。
俺が編集画面でイベントを書き足したから、できた道だ。便利といえば便利だが、普通のゲームなら、最初から作っておくべきだろう。
手に持った木の棒を見下ろす。
剣はない。盾もない。防具もない。仲間もいない。
あるのは、なぜか勇者に任命された、という事実だけだ。
「......まずは、その理由を聞こう」
道をたどると、一軒だけ大きな建物があった。看板に、堂々と書いてある。
『村長の家』
よかった。今度はちゃんと表示されている。
扉を開けると、頭のつるりとした老人が、椅子にふんぞり返っていた。ひげは短く刈り込まれている。さっきの老人とは、まるで別人だった。
「おお、勇者殿! よくぞ来てくれた!」
「どうも。村長さん、ですか」
「いかにも! わしがこの村の村長じゃ!」
村長は立ち上がり、両手を大きく広げた。
「さあ、勇者殿。魔王を倒し、世界に平和を取り戻すのじゃ!」
「......あの」
「なんじゃ」
「どうして俺が勇者なんですか」
「なんとなくじゃ」
「......はい?」
「なんとなくじゃ」
一字一句、同じ抑揚だった。
大事なことなので二回言われた。
「いやいや。なんとなくって何ですか。俺、ついさっきこの世界に来たばかりなんですよ」
「そうじゃったかのう」
「そうです。そもそも、魔王はどこにいるんですか」
「知らん」
「えっ」
「魔王がおるのかどうかも、わしは知らん」
「知らないんですか!」
村長は、さも当然という顔でうなずいた。
「じゃが、魔王を倒せば世界は平和になるじゃろう」
「いるかどうかも分からないのに!」
「うむ。勇者殿なら、きっと何とかしてくれる」
「人任せにもほどがある......」
頭を抱えた。
勇者の選考基準は「なんとなく」。魔王の居場所は「知らん」。それなのに、倒すことだけは決定事項らしい。
「せめて、俺が何をすればいいのかだけでも教えてください」
「魔王を倒すのじゃ」
「それ以外で」
「......知らん」
話にならない。
深いため息をついて、部屋を見回した。壁には色あせた地図が掛かり、机には書類が積み上がっている。その隅に、大根が一本、ぽつんと置かれていた。
「......大根?」
「おお! それはわしの大好物じゃ!」
村長の目が、急に輝いた。
「煮てよし、焼いてよし。切り干し大根など最高じゃぞ。勇者殿も食べるとよい。魔王討伐に役立つかもしれん!」
「大根で魔王を倒すんですか」
「それは知らん」
もう帰りたい。
帰る場所があるのかどうかも、よく分からないが。
礼を言って外に出ると、青空の下を、村人たちがのんびり歩いていた。
平和だ。魔王がいるとは、とても思えないほどに。
......いや、待てよ。
俺は、どうしてここに来たんだ。
勇者として呼ばれたらしいが、そんなイベントを設定した覚えはない。この世界を作った覚えも、もちろんない。
原因の分からない問題を、寝かせておくのは苦手だった。気になったら調べる。原因を特定する。直せるなら直す。
仕事でも、いつもそうだった。
「まずは、自分の状態を確認するか」
編集画面を呼び出すと、目の前に半透明のウィンドウが浮かんだ。
名前:本城 小真
職業:勇者
レベル:1
装備:木の棒
「......レベル1で世界を救えと?」
せめて装備くらい、何とかしてほしい。
画面をたどっていくと、「キャラクター管理」という項目が見つかった。軽い気持ちで開いたところで、指が止まった。
【主人公設定】
主人公:梅太郎
「......は?」
もう一度見直す。
主人公:梅太郎。
何度見ても、変わらない。
「梅太郎って、誰だ」
主人公として登録された人間が、俺以外にいる。それだけで、背中にじわりと汗がにじんだ。詳細を開く。
名前:梅太郎
役割:主人公
目的:おじいさんとおばあさんの喧嘩を止める
「......魔王討伐は?」
画面のどこを探しても、そんな項目はなかった。
代わりに並んでいるのは、やけに具体的な一行だ。おじいさんとおばあさんの喧嘩を止める。
世界を救うどころか、夫婦喧嘩の仲裁である。
「こいつか! 本当の主人公は!」
思わず声が出た。
だとすると、俺は何なんだ。
主人公ではないのに、勇者に任命されている。魔王がいるかどうかも怪しい。一方で、本来の主人公には、夫婦喧嘩を止めるという目的が設定されている。
「......この世界、設定がめちゃくちゃじゃないか」
そのとき、画面の端に、小さな文字が浮かんだ。
【イベント設定:未完了項目あり】
じっと見つめた。
道がなかったのも、村長の話があやふやなのも、全部そのせいかもしれない。この世界は、まだ完成していないのだ。
ならば、俺がやるべきことは、魔王探しじゃない。壊れているところを見つけて、直すことだ。そうすれば、梅太郎という本来の主人公も、先へ進めるんじゃないか。
「......よし。まず、設定を洗い出そう」
編集画面を開き直した、その瞬間。
画面の下に、見覚えのある赤い文字が点滅した。
【不明なアクセスを検知しました】
「......またか」
さっき見た警告と、同じ表示だった。
偶然か。それとも、この世界には俺以外にも、編集画面を触っている誰かがいるのか。
ログを開こうとした、そのとき。
「勇者殿ーっ! 大根を持っておらんかーっ!」
村長の声が、家の中から響いてきた。
「持ってませんよ!」
画面を閉じる。魔王より先に、大根の問題を解決することになりそうだ。
......いや、違う。
俺の目的は、この世界を直すこと。そして、本当の主人公は梅太郎だ。
ならば、まずそいつを探そう。
村を見渡すと、畑の脇の道を、一人の青年が歩いていた。
頭の上に、小さな文字が浮かんでいる。編集モードを開いている間は、管理名が見えるらしい。
『梅太郎』
「......見つけた」
思わず、つぶやいていた。
青年は、のんびりとあくびをしながら歩いていく。これから始まる冒険の重さなど、まるで感じさせない足取りだった。
この世界の本当の主人公が、これからどんな旅に出るのか。
このとき、俺はまだ知らなかった。
世界を救う旅どころか――おじいさんとおばあさんの喧嘩を止めるための、冒険だということを。