道世の特訓と歓迎会
翌朝、湖へ向かう道すがら、わたしは大戦争の準備について簡単な説明を蛙子ちゃんから聞いた。
「んとな、大戦争やるっつーのを他の村に伝えるだろ、大戦争の舞台を決めんだろ、陣張るだろ、んでんで持ち寄る料理の下ごしらえすんだろ? 大戦争おっぱじめたとこがたくさん準備しなきゃなんないからなー」
指折り挙げていくのを聞くになかなか大変そうだ。わたしたちは手伝わなくて良いのかと思ったが、蛙子ちゃんが言うには、
「事情話したら問題ないってさー。それにあーしぶきっちょだから、あんま役に立てないし」
とのことらしい。
蛙子ちゃんは「んでも」と気合を入れるように握りこぶしを作った。
「大戦争には参加する!」
「えっ、でも頭にお皿が必要なんじゃ」
「実はあーしでも、頭に乗っける皿さえ用意すりゃ参加できんだ。あーしだって村の一員だからなー。そーだ道世! 一緒に出よ!」
「わ、わたしも⁉︎」
戦争はもちろんチャンバラだってやったことないし、運動会ではいつも足手まといのわたしが大戦争に?
ぞぞぞーっと背中が凍りついた気がした。
「む、無理、無理! 足引っ張りたくないもん」
「ゆうべ言ったろ、あーしを頼ってって! 自信がないならなんぼでも分けたる! 道世の手はあーしが繋ぐ! それじゃ足りん?」
「足りなくなんか!」
まっすぐな蛙子ちゃんの視線にたじろぐ。ま、眩しい!
でも確かにそうだ。逃げてばかりいたらいつまでも自信なんか付きっこない。そんなだからお願い事に頼ったりするようになってしまったのだ。
自分を変えるなら蛙子ちゃんと一緒にいられる今がチャンスだ。蛙子ちゃんは自分を召しませって言ってくれたじゃないか。
「わかった。蛙子ちゃんと一緒なら......わたし、やってみるよ」
「しゃー! そしたら泳ぎと棒振りの特訓だな! めらめらしてくんね!」
ああ、言ってしまった。けれど不思議とネガティブな気持ちは感じない。きっと蛙子ちゃんがわたしに前を向かせてくれているのだ。
手を引っ張ってくれる蛙子ちゃんと一緒なら、どこまでだって行ける気がした。
*
カッパの国の水はほんのりぬるい。もちろん温水プールほどではないが、身が縮こまるような冷たさがないのも本当だった。
とはいえ湖は深い。まだ浅瀬の部分でもギリギリ足がつくぐらいだ。
「うわ、わ、わっ⁉︎」
ばしゃーん! と盛大にこけてしまう。カッパの国では水中でも呼吸ができるので命の危険はないが、だからといってすぐ慣れるものではない。
びっくりでドキドキしていると、蛙子ちゃんが「ふぅむ」と自分の顎に指を当てた。
「水がおっかないか?」
「う、うん。これが元の世界だったらと思うとゾッとする......」
「息ができないってのはおっかないよなぁ。人の子はみんなどうやって泳いでんだ?」
「息継ぎをするんだよ。こう、たまに水面から顔を上げて......」
「じゃあ深くまで潜れないのか!」
「息を我慢すればすこしくらいなら」
はえーと感心したように蛙子ちゃん。それから「でも」と言ってにっこり笑う。
「だったらこっちの水は練習にちょうどいいな!」
「えっ?」
「まずはおっかなくない水で慣らすことができるだろ? これってすんごいチャンスだと思う!」
確かにそうだ。そもそもの水の怖さをすこしでも和らげることができれば、向こうに戻ったとき役に立つ経験になるかもしれない。
うん、と決意して蛙子ちゃんの顔を見つめる。
「なにからすればいいかな?」
「んだらこっち! 一緒に行こ!」
蛙子ちゃんはわたしの両手を掴んで、ゆっくり湖の奥へ浮かんでいく。わたしは足がつかなくなって、沈みそうな気がして恐ろしくなった。
「そしたらまずは浮く!」
「浮く?」
「ん! 足を、こう、ゆらゆらさせんの」
言われた通りにしようと思うのに、繋いだ手を離さないことのほうに集中してしまう。
蛙子ちゃんはイタズラっぽい笑みを浮かべて、手をゆっくりと離していく。
「あっあっ、待って!」
「へーきへーき! あーしを信じて、さ、力を抜いて。暴れちゃいかんぞー」
そしてついに手が離されてしまった。思わずぎゅっと目を閉じる。
とにかく力を抜く、抜く......暴れない......じっとする......。
「............?」
あれ? 沈まない。
ゆっくりと目を開くと、すこし離れたところに浮かんでいる蛙子ちゃんの姿が見えた。
自分の足元を見ようとすると、すぐそこで水面が揺れていた。
「わ、わたし、浮いて......?」
「浮いとるよー」
「か、か、蛙子ちゃん! 浮いてる! わたし、浮いてるよ! 泳げないけど、浮いた! 見て!」
「うん、うん。良かったなー、今日も道世はめんこいぞー!」
「わぶっ⁉︎」
こちらに泳いできた蛙子ちゃんに抱きしめられ、その衝撃で沈んでしまった。
けれどわたしはおかしくて蛙子ちゃんとじゃれながら笑ってしまう。
上下左右がどっちか曖昧になる水中で、水面を背景にした蛙子ちゃんはとても無邪気に笑っていた。
*
「えい、やー。えい、やー」
次は棒振りの特訓だ。わたしと蛙子ちゃんで手近な木の枝を拾って素振りしていたところ、村から子カッパが何人か現れてわたしたちの真似をし始めていた。
わたしたちは笑い合ってそれを受け入れ、気の抜けた掛け声と共に素振りを繰り返す。
「えい、やー。えい、やー」
そうやって特訓を続けるうちに腕が重くなり、集中力が落ちてくる。
そのうちわたしは疲れてきてしまった。蛙子ちゃんはわたしの様子をよく見てくれているのか声をかけてくれる。
「ちと休むか?」
「うん。ありがと」
わたしたちは子カッパたちから離れたところに腰を落ち着け、彼らの練習風景を見守る。
「えい、やー。えい、やー」
「元気だなぁ」
「んだなー」
のどかな風景に自然と頬が緩む。さわさわと吹く風がなんとも心地よくて目を閉じた。カッパたちの規則正しい掛け声と湖の水音がなんとも耳に心地よい。
「......んー」
ふと、肩に軽い重みがのしかかってくる。わたしはハッとして目を開けると、蛙子ちゃんの頭がわたしの肩に乗っかっていた。
「蛙子ちゃん?」
返事がない。静かな寝息を立てているのを見るに、どうやら眠ってしまったようだ。
子カッパたちがこちらの様子に気づいたようなので、わたしは「しー」と人差し指を口に当てた。意図は伝わったようで、おのおので静かに遊び始める。
「むにゃ......道世は安心するなぁ」
「えっ? あ......寝言か」
「くかー」
蛙子ちゃんの頭が肩からずれて落ちそうになる。
「わっわっ」
バランスを取ろうとしても上手くいかなくて、結局わたしの太ももに頭を落ち着けてしまった。
ひざまくらだ。初めてした。
わたしはなんとなく蛙子ちゃんの頭を撫でながら「どうしよう」と考える。
ふと、遊びから抜け出してきた子カッパの一人が近寄ってきてわたしに言った。
「おたまちゃん、気持ちよさそう」
「そうだね」
それだけ信頼してくれているということだろうか。無防備な姿を見下ろして、だとしたら嬉しいなと思ってこっそり頬を緩ませた。
子カッパたちが遊ぶ姿を眺めながら、蛙子ちゃんの頭を撫で続ける。
どれほど時間が経っただろうか。蛙子ちゃんと話さない時間はずいぶんと長かったような気もするが、一時間も経っていないかもしれない。
「んぁ?」
ようやく蛙子ちゃんがゆっくりと目を開けた。
「......あれ、道世?」
「う、うん」
「うわー、ごめん。寝てた」
「まだ寝ててもいいのに」
「そうか? えへへ、んじゃそうする。道世はぬくくて落ち着くから」
ほっぺたをわたしの太ももに乗せ直す。子カッパがその様子を見て「まだお膝で寝てていいのー?」とからかった。
「道世がいいって言うからいいんだよー。あーしの特等席」
それから蛙子ちゃんはわたしのひざまくらに寝そべったまま子カッパたちとお話を始めた。わたしは穏やかな気持ちで耳を傾ける。
今日は湖でわたしの特訓をしたことを話すと、子カッパたちが釣りをしたいと言い出して。次は魚料理の話、それから野菜の収穫についての話。
蛙子ちゃんは子カッパたちの人気者のようだった。
すっかり目が覚めたらしい蛙子ちゃんと子カッパたちの話題は、やがて大戦争のことになっていった。
「そうかー、おまえたちは戦士になりたいのか」
「うん! 次の大戦争にも出たい!」
「それはもうちと大きくなったらなー」
「えーっ!」
カッパたちにとって大戦争は本当に楽しみなことなのだとわたしはあらためて思った。
蛙子ちゃんやカッパたちがそうであるように、わたしだってお祭りは好きだ。なのでわたしもちょっとずつ楽しみになってきた。
ひそかに笑ったことに気づいたのか気づいていないのか、蛙子ちゃんは体を起こした。
「ありがと道世! つらくなかった?」
「ちょっとだけ痺れちゃったかな」
「うわわ、すまんー」
くすりと笑うと蛙子ちゃんも笑い返してくれる。そんなほんのり暖かい関係が嬉しかった。
*
村に戻る頃には夕暮れ時になっていた。湖での特訓や棒振りなんかにも時間は使ったが、結局は遊んで過ごした時間が一番長かった気がする。
蛙子ちゃんに案内してもらった洗濯場で、汚れた服を脱いでじゃぶじゃぶ洗っていると、村の大人カッパのひとりがわたしの側にやってきた。わたしは思わず体を隠す。
「道世ちゃん、良かったらコレ着てみない?」
話し方からして女性のカッパのようで、ちょっとだけ緊張を解いた。
そのカッパが見せてくれたものに目を奪われる。それは上等そうな赤の着物だった。金魚っぽい柄が可愛らしい。
「いいんですか?」
「ええ! おたまちゃんは緑色が好きみたいなの。せっかくあるのに誰にも着られないのは可哀想だわ。だって着物は人の子用だもの! ね、ね、おたまちゃんとお揃いっこしたくない?」
(お揃いっこ)
確かに色や柄こそ違うが蛙子ちゃんとお揃いのデザインみたいだった。
蛙子ちゃんの姿を思い浮かべて、あんな風に着こなせるか不安になった。
「わたしなんかに似合うかな......」
「変なこと心配するのね? こんなに可愛いんだから、なにを着たって似合うに決まってるじゃない!」
わたしはカッと顔が熱くなった。他人から手放しに可愛いと褒められるのにはなんだか慣れない。
黙ってしまったわたしを肯定と受け取ってか、女性カッパは仲間を呼んだ。
「ちょっと手伝ってちょうだい!」
「はぁーい」
「着てくれるのね!」
「嬉しい! さあさ召しませ召しませ!」
ぞろぞろと現れる女性カッパたち。なんだか大事になってきたぞとわたしはドキドキした。
「じゃあ始めるわよー!」
「おおー!」
こうしてわたしは女性カッパたちの着せ替え人形にされてしまった。帯はどうするか、髪飾りはどうするか、足元は下駄かしらと、あれよあれよと話が膨らんでいく。
キラキラしたおめめの女性カッパたちが一斉にわたしを見て「どう思う⁉︎」と意見を求めてきた。
訊かれても咄嗟に言葉が出てこなくて、ただ、
「......か、蛙子ちゃんとお揃いで」
としか言うことができなかった。
――こうして賑やかに着せ替えられたあと、わたしは慣れない下駄で蛙子ちゃんのところに向かった。
蛙子ちゃんは大人カッパと話していたが、わたしに気づいて振り返ると、目をらんらんと輝かせた。
「おお、おおお!」
「に、似合うかな」
「似合う! 道世めんこい!」
わたしはホッと胸を撫で下ろした。『似合う』の言葉を頭のなかで繰り返して顔が赤くなるのを感じる。
「道世! 回ってみて!」
「うん」
くるりと一回転。振袖がふわっと広がる。足元のバランスを崩しかけてしまうが、蛙子ちゃんはぴょんぴょん跳んで興奮したように言ってくれた。
「おおー、綺麗だぞ! なっ、みんな!」
蛙子ちゃんは後ろの大人カッパたちに同意を求めると、大人カッパたちは「おお、似合ってるぞー!」と陽気にわたしを褒めてくれる。子カッパがわたしの周りをぐるぐる回りながら「道世ちゃん綺麗!」と言ってくれた。そのまま褒め言葉が止まらなくなって、わたしは嬉しさと恥ずかしさでいっぱいいっぱいになり「そ、それより!」と話題を変えてしまった。
「蛙子ちゃんたちは何をしてたの?」
「んあ? あーそだそだ、今なー。道世の歓迎会の準備してたんだ!」
「......わたしの?」
「おうよ!」
と前に出てきたのは口調からして男性カッパさん。
「経緯はどうあれせっかく客人が来てくれたんだ、これくらいは歓迎しないとな! 今晩の飯は昨晩のより豪華だぞ? 食べきれないほどのご馳走でアッと言わせてやる! 腕を振るうから楽しみにしてな!」
「そんな! わたし、大したひとじゃないのに......申し訳ないです」
「いいや大したやつさ。うちのおたまちゃんと仲良くしてくれてんだ、それだけで十分ってもんだよ! なぁ?」
「そうだそうだ!」
「今日は騒ぐぞー!」
「なんつって、騒ぐ理由がほしいだけだったりな! 道世ちゃんも召しませい!」
がやがやと笑い合う男性カッパたち。そうしながらも料理の手際は見事なものだ。準備中とのことだが、すでにお腹の空きそうな香ばしい匂いが辺りに立ち込めていて、わたしのお腹がぐうと鳴る。
子カッパも「ごちそう楽しみ!」と嬉しそうだ。
「でもわたしなんかが......こんなにしてもらっていいんですか?」
「もちろんさ! おたまちゃんの友達を粗末に扱うなんてあっちゃならねえ、そうだろおたまちゃん!」
「んだぞ! いーっぱい食べて、たーくさん踊って、そんでたーっぷり寝よ、一緒に!」
「それに、ほれ。俺たちにとっちゃ、大戦争前の一騒ぎとしちゃいい口実なのさ。ここはひとつ俺たちに付き合ってくれや」
「わ、わかりました。そういうことなら」
男性カッパたちや蛙子ちゃんが賑やかに笑うのに押し負けてしまった。申し訳ないという気持ちより、水を差したくないという気持ちのほうが大きくなったのだ。けれどもっと大きいのは「楽しみだ」という気持ち。大事にしてしまってすこし申し訳ないけれど。
蛙子ちゃんはわたしの気持ちを分かっているかのように「楽しみだなー!」と腕を組んできた。わたしが頷くと、蛙子ちゃんの手の力がもっと強くなった。
「人の子よ、あらためて、せーのっ」
子カッパも、女性カッパも、男性カッパも、そしてもちろん蛙子ちゃんも、その場にいたみんなが口を揃えて愛らしい声を合唱した。
「カッパの国へようこそ!」