第七話 僕とハルジオンと、やっぱりロタラ
三歳から七歳までの王族の子どもは、翡翠宮の学舎に通うことになっていた。
読み書きや計算より先に、集団生活の決まりを覚え、王族同士で顔を合わせる場所だ。
ほとんどの子は家から通っていたけど、遠方の珊瑚宮の子たちだけは寮で暮らしていた。
ただし本人たちはそうは思っていなかった。
『我々は人質なのだ!』
と、ロタラは胸を張っていた。
子どもたちの間で代々そう言い伝えられているらしい。
三歳の子でさえ、『わたし、ひとじちなの!』と得意げだった。
『武門の子なら覚悟しておくべきだ!』
ちょっとどうかしている珊瑚宮の子どもたちの中でも、ロタラはひときわどうかしていた。本人はとても真面目だったと思う。
「......俺の話をすると言いながら、ロタラの話じゃないか」
「あれ? ヤキモチ?」
「......そうじゃない」
⭐︎
七歳の頃の僕はたいていのことが上手にできた。
同い年の子からも年下の子からも頼られて、先生たちからも他の子の世話を任されることも多かった。
『帽子が木にひっかかっちゃった』
『あの子が転んで怪我してるよ』
そういうみんなの相談に、僕はいつも答えていた。
木に登って帽子は取ってあげたし、怪我をしていれば背負って救護室まで連れて行って、必要なら僕が手当てもしてあげた。
僕ができることなら、だいたいやった。
だけど少し思っていた。
みんなはどうして上手にやらないんだろうって。
なんなら大人に対しても思っていた。
怒ったり、日によって言うことを変えたりしないで、穏やかに一貫して指導にあたればいいのにって。
七歳の僕には、みんながどうしてできないのかがわからなかった。
みんなが僕を頼りにしてきたのに、そうじゃない子もいた。
なぜか毎日張り合ってくる声の大きい女の子と、七歳のくせに木陰に座っていつも静かに勉強している男の子だった。
『エンジュ、勝負だ!』
ある日のロタラは、園庭の小川にかかった丸太橋を反対側まで渡る競争を挑んできた。
僕は最初のうちは冷ややかな返事をしていた。
だけど、ロタラの子分みたいな子たちと、僕のことを崇拝してやまない子たちに囃し立てられて、ついつい気分が乗ってしまった。
『ふたり同時に渡るの? 交代でやろうよ』
『それじゃ勝負にならないだろう!』
ロタラの理論はいつも意味不明だったけど、声が大きいからなんとなく意見が通っていた。
狭い丸太の上を、僕たちはふたりで押し合いながら渡ることになった。
『道を塞ぐな!』
『肩をぶつけないでよ!』
文句を言い合い、仲間の声援を受けるなか、僕たちは見事に足を滑らせ、もつれあって小川に落ちた。
『見事な濡れ場だな!』
びしょ濡れのロタラは、大きな口を開けて笑っていた。
『何も面白くないよ!』
毎日そつなく穏やかに過ごす僕を、ロタラはいつも引っ掻き回していた。
みんなが囃し立てるなか、僕たちは同世代の覇権争いを繰り広げていたんだ。
僕がそれを望んだわけじゃないけどね。
だけどただひとり、ハルジオンだけはそこに混ざってこなかった。
僕たちを注意するわけでもなく、冷ややかに笑うわけでもなく、それを日常として受け入れているようだった。
そんなふうに毎日が過ぎていった。
七歳の秋。
初等学舎の最終学年、僕たちは山での宿泊学習に来ていた。
山の宿舎に泊まって、野菜の収穫をしたり、食事の支度をしたりする、みんなが楽しみにしている行事だった。
そのひとつに、山歩きがあった。
木に結ばれた目印を頼りに、子どもたちだけで協力して歩き切るというものだ。
その列の先頭を、僕はいつも通り歩いていた。
道を覚えるのは得意だったし、みんなに声をかけて促すのも得意だった。
順調に歩いて、目的地までもう少しというとき、後ろの方が騒がしくなった。
『おい! 遅いぞ!』
ロタラの声が特に大きかった。何人かがそれに続いて文句を言っていた。
僕は振り返って状況を確認した。
列の中ほどで、ふたりの男の子が速度を落として歩いていた。
ひとりは涼しい顔をしたハルジオン。
もうひとりは泣きそうな顔の男の子。
僕がなんとかしなきゃ。そう思った。
顔は赤くない。息は上がっている。足を引きずってもいない。
背負ってあげようかな。それとも荷物を持ってあげる?
そうやって考えを巡らせたとき、ハルジオンがその子に聞いていた。
『どうしたい?』
それだけ。小さくも、大きくもない声。
その子は息を切らしながら『自分で歩く』と答えた。
『そっか』
ハルジオンはそれだけ答えて、その子の半歩前をゆっくり歩いた。
『ハルジオンが遅いから後ろが詰まっているぞ! 列を乱すな!』
最後尾からロタラが叫んだ。
ロタラのすぐ前を歩く子たちも、揃ってハルジオンに文句を言った。
確かに一見するとハルジオンが列を乱しているように見えた。
ハルジオンはロタラに返事もせずに黙々と歩いていた。
泣きそうな男の子は、やっぱり泣きそうな顔だった。
だけど、彼も黙々と歩いている。
どうしてハルジオンは何も言わないんだろう。
この子が疲れているからって説明すれば、きっとロタラだってみんなだって理解してくれるのに。
だけどそうか。
ロタラなら、つらそうな子がいたら真っ先に荷物を持ってあげて、大声で励ましてあげる。みんなも心配して優しい言葉をかけてあげるだろう。
もう一度、泣きそうな顔の子を確認した。
苦しそうだし、泣きそうだけど、ちゃんと歩いている。
必死に歩きながら、ハルジオンの横顔や、後ろの子たちの様子を伺っている。
――自分が遅いせいでみんなが怒っている。
たぶん、そう思っている。
みんなに“大丈夫?”なんて心配されたくないのかもしれない。
その子がどんな気持ちでいるかなんて、僕には見えない。
見えないけれど、そこには守るべきものが確かにあった。
ハルジオンは黙ってそれを守っていたんだ。
僕は急に恥ずかしくなった。
なんでも僕がやってあげるのがいい、それがみんなのためになる。
みんなは上手にできないから、上手にできる僕がやるのが一番いい方法だ。
僕はずっとそう思っていた。
だけど、そこに違う答えを見てしまった。
僕の時間は一瞬止まった。
でも一瞬だけ。
すぐに風が吹いたから。
木々のあいだから、僕たちの髪をふわっと軽くする風が。
僕はつむじ風に踊らされたみたいにくるくる回りながら、少しだけ道を戻った。
みんなが変なものを見るような目で僕を見た。
泣きそうだった子も、ハルジオンも。
『気持ちいいねぇ』
僕は深呼吸した。
『こんなに良い風が吹いてるんだから、急いだらもったいないよ』
別に僕はハルジオンだけを見ていたわけじゃない。
だけど目が合った。
ずっと何を考えてるかわからない子だったハルジオンが、そのときはすごくよくわかった。
『エンジュ! 君まで列を乱すのか!』
最後尾からロタラの怒りが飛んできた。だけど声だけだ。
なぜなら列の順番は決まっていたから。真面目なロタラは最後まで順番をしっかり守ったんだ。
僕のすぐ後ろを歩いていた子たちも困惑顔で、僕の周りをうろうろしている。列はもうぐちゃぐちゃだった。
ロタラが統率しているところだけがきれいな列を保っていた。さすがだ。
真面目なロタラは、見たままを全て先生に報告した。
『ハルジオンとエンジュがふざけてゆっくり歩いたから列が乱れた』
そのせいで僕とハルジオンは先生に呼び出されて、ちょっと注意された。
だけど、僕は今までにないくらいわくわくしていた。
叱られながら隣を見ると、ハルジオンも僕を見てニヤリと笑っていた。
そのあと、ロタラとめちゃくちゃ喧嘩になった。
僕にも怒っていたけど、真っ先にハルジオンへ詰め寄った。男の子が先生に事情を話して、ロタラも真相を知ったんだ。
『言わなきゃわからないだろう!』
ハルジオンは『そうだな』くらいの軽い返事で、だから余計にロタラを怒らせた。
ロタラはそっけないハルジオンの肩を片手で押した。
たぶんハルジオンから言葉を引き出したかったんだろうなと、今ならそう思える。
だけど、身体の大きなロタラに押されてふらついたハルジオンを見たとき、僕はもう手が出ていた。
『ハルジオンになにするんだ!』
気がついたらロタラを突き飛ばしていた。
ロタラは飛び起きると、驚いた顔で僕を見た。
僕たちは睨み合っていた。それはもう、鼻先が触れる距離感で。
ふいにロタラが頭を引いて、勢いをつけて僕の額に自分の額をぶつけてきた。
『いたっ......!』
ロタラからの、初めての頭突きだ。
『ロタラ! 頭、固すぎ!頑固者!』
僕は意地でも仰け反らなかった。
『言ったな! だったら君は怠け者だ!』
ロタラも目を赤くして叫んだ。
『......僕のどこが?』
『ええと......』
『今考えてるじゃん!』
『うるさい! 怠け者!』
ロタラが僕の胸ぐらを掴んだ。
『それしか思いつかなかったんでしょ!』
僕は押し返した。
そのまま二人で地面に倒れ込んで、上になったり下になったりして転がった。
いつもは囃し立てる仲間たちも、声を失って立ち尽くしていた。
その中で、やっぱりそこに混じらないハルジオンだけがどこかへ走っていった。
『エンジュ! ロタラ! 何をしているんですか!』
先生を連れて戻ってきたハルジオンは肩で息をしていた。
今度こそ、僕は先生に本気で怒られた。
わくわくなんてしてなかった。
『ロタラのせいだ!』
『エンジュが悪い!』
目の前の先生を忘れて第二回戦を始める勢いだった。
⭐︎
「七歳のロタラは僕のことを“怠け者”って言ったけど、もしかして、今の僕を予見していたんだろうか......」
エンジュは自分自身を抱きしめて、青ざめてぶるぶると震えた。
「ロタラ、恐ろしいよう」
「......で。けっきょく君たちが仲が良いっていう話でよかったのか」
「違うよ」
エンジュはハルジオンの目を真っ直ぐに見つめた。
「ハルジオンがかっこいいっていう話。なのに気づいたらロタラが押し入ってきたんだよ。ほんとロタラは、主張が強めなんだから。困っちゃうよね」
わざとらしく肩をすくめるエンジュの隣で、ハルジオンは力無く椅子にもたれ、天井を仰いで息を吐き出した。
「あれー? ハルジオン、お茶のお代わり、いるぅ?」