第二話 なかよくあしゆ
ふたつの太陽が照らす双神王国カレンダエ。
この国の中で、最も太陽と海が近い都市、珊瑚宮。
色とりどりの細かいタイルが壁一面に貼られた、曲線だらけの歪な建物が生える賑やかな街だ。
「はあ〜。珊瑚宮は冬でもあったかいねえ」
「夏は暑いがな」
エンジュは木の皮の包みから饅頭をひとつ取り出してかじりついた。
隣を歩くロタラは背筋を伸ばして長槍を担いでいる。
「ロタラも食べる?」
エンジュは饅頭の包みを差し出した。
「今は任務中だ」
「ええ?年越し前の祈祷はもう終わったじゃない」
「君の仕事は終わった。私の仕事は終わっていない」
「いつ終わるの?」
「君を翡翠宮に送り届けるまでが、私の任務だ」
ロタラはエンジュの顔も見ずに凛々しい顔で周囲を警戒している。
「何それ。はるばる南の果てまで来たのに、ロタラと遊べないってこと?」
「そうなるな」
「そんなあ。饅頭くらい食べてもいいじゃない。ロタラ以外にも護衛はついてきてるし」
エンジュは周囲に視線を送った。ふたりと距離をとって、往来に紛れるように体格の良い護衛たちがさりげなくふたりの様子を伺っている。
「そうだな」
ロタラの声が柔らかくなるのを聞き、エンジュが目を輝かせた。
その瞬間。
ヒュッ。
「!」
エンジュが片足を半歩引いた。
直前まで喉のあった場所を、鋭い穂先が突き抜ける。
いつの間にかロタラは担いでいた長槍を短く持ち替え、切っ先をエンジュへ向けていた。
「避けたか」
ロタラが横目でニヤリと笑う。蝋燭の炎のように明るい瞳が楽しげに輝いている。
「この距離で槍ぃ?」
エンジュは目を丸くしながら、饅頭にもう一口かじりついた。
ロタラは槍を引き、納得したようにエンジュの顔を見た。
「ふむ。たしかに、君に護衛は必要ないな」
「その前に近接護衛に殺されちゃうよ」
「何を言う。まだ君は死んでないだろう」
ロタラはきょとんとした顔で首を傾げた。
「結果論はやめてよ」
「いいや、結果が全てだ!」
槍の石突きを地面に突き立て、ロタラは腹の底から笑った。大きく開けた口元に、白い歯が爽やかに光っている。冬の乾いた風が、一つに束ねたロタラの柔らかい髪をなびかせた。
エンジュは唇を引き結んで、半眼でロタラをじっと見つめた。ロタラは気にせずに周囲を見渡している。
不満そうなエンジュの目が、彩り豊かな街並みの中に、何かを見つけた。
「あれ何?」
エンジュが指差す方へ、ロタラも視線を向けた。
簡素な東屋に老人が二人、衣の裾を膝まで捲って座っている。その足元からは白い湯気が立っていた。
「あれは湯だ」
ロタラは、珍しくもないという表情で答えた。だが、エンジュの目は明るく見開かれた。
「どうして街中にお湯があるの?」
「足を温めるためだ」
「足を?こんな道端で?どうして?」
ロタラは考えるように宙を見上げた。しばらく見上げていたが、諦めて視線を戻した。
「知らん」
「じゃあ試してみよっか」
「おい――」
ロタラが制止する間もなく、エンジュは素早い足取りで東屋に駆け寄り老人たちに声をかけていた。
「おじいちゃんたちー、何してるのー?」
老人たちは顔を上げると、腰を抜かしたように長椅子に手をついた。
「こりゃあ、若宮司様!ようこそおいでくださった」
「北の山からはるばる下りてきてくださったんですかい」
「うんうん。来たよ。ねえ、何してるの?」
エンジュは質問をしながら、すでに靴を脱ぎ始めている。先ほどまで抱えていた饅頭の包みはさっさと懐にしまっていた。
「足湯でございます。身も心もほどけて良い心地にございます」
「若宮司様もどうぞ。お疲れを癒していってくださいな」
そう言いながら、老人たちは奥に詰めて、二人分の座る場所を空けた。
「ロタラ〜」
エンジュは満面の笑みで振り返った。衣の裾を手で持ち上げながら、片足はすでに足湯に差し込んでいる。
「入っていいんだってー」
「それはそうだ。公共の施設だからな」
ロタラは遠巻きに見ていたが、護衛対象が移動したので仕方なく歩み寄った。
「ロタラもおいでよ〜」
エンジュはもう片方の足も湯に入れた。
「あったか〜い」
「おやおや、姫さんもおいでですかい」
ロタラが側に控えると、老人たちが恭しく頭を下げた。でもその口調はかしこまらず、親しみ深い。
姿勢を正して立つロタラを見て、長椅子に腰掛けたエンジュは不思議そうに首を傾げた。
「入らないの?」
「任務中だと言っただろう」
「さっき槍で遊んだじゃん」
エンジュは大袈裟に目を丸くして見せた。
「あれは確認だ」
「何を確認したの?」
「君に護衛が必要かどうかだ」
エンジュの、透き通るような翡翠色の瞳の奥が、怪しく光った。
「......それで。護衛、必要ないってわかったよね?」
ロタラの口がわずかに開いた。眉間に皺を寄せて、不機嫌そうな半眼をエンジュに向けた。ロタラのその顔を、エンジュは嬉しそうに覗き込んだ。
「足湯、入れそ?」
「だめだ」
「どうして?」
「何が起きるかわからない。護衛対象と同時に足を湯につければ即応性が落ちる」
「強情だなぁ。......そうだ!」
エンジュは視線を上げて、周囲に響く声で呼びかけた。
「みんな来てー」
往来を行く人々が何事かと振り返るなか、明らかに戸惑った様子の男たちが恐る恐る近づいてきた。
「......我々をお呼びでしょうか。若宮司様」
珊瑚の装飾を施した甲冑をつけた四人の護衛、そして翡翠の首飾りを提げた三人の護衛神官だった。
「うん。呼んだ」
エンジュはわくわくしながら言った。
「僕とロタラが足湯するから、見張ってて」
「は......」
返事とも取れない微妙な吐息が男たちから漏れた。
往来の人々も足湯に集まる大柄な男たちを訝しげに見ている。
「君は本当にわがままだな」
ロタラは橙色の前髪をさらりと掻き上げた。
「警護には適切な距離と配置がある。呑気な君にはわからないだろうが」
悪口を言われても気にすることなく、エンジュは笑顔でロタラを見上げた。
「ロタラがごねてるとみんなの拘束時間、伸びちゃうよ〜」
「君はそうやって、すぐ脅す」
ロタラは肩をすくめて護衛たちを振り返った。
「私が負傷した際の陣形で頼む」
「了解!」
長槍を東屋の柱に立てかけたロタラは、長椅子にどかっと腰掛け、靴を脱いだ。
黒い細身の脚衣を膝までたくし上げると、すらりと長い脚が露わになった。
その足が柔らかい湯の中に潜り、屈折する光の中で揺れていた。
「はい、ここ座って」
エンジュは長椅子を叩いて自分の隣を示す。
「本当に君はわがままだ」
ロタラは呆れた顔でエンジュの隣に座り直した。
エンジュは満足したように冬の晴天を見上げ、懐にしまっていた饅頭の包みを取り出し、膝の上で広げた。
「気持ちいいねぇ。友達と旅行に来るの、久しぶりだなぁ」
饅頭の続きを食べながら足湯を楽しむ、呑気な若宮司。
しばし長槍を置いた姫君は、隣の男を睨みつけた。
「だからこれは仕事――」
言いかけた口に饅頭が突っ込まれる。
「足湯っていいねぇ」
翡翠色の瞳は足湯の温かさに、すっかりふやけていた。
「私は甘いものは嫌いだ」
口に入れられた饅頭をようやく飲み込んで、ロタラはエンジュの肩に豪快に手を回した。
ロタラは不敵な笑みを浮かべて、肩を抱いたままエンジュの耳元に顔を寄せた。
「食べるなら、魚だ。塩で焼いたやつ」
「いいねぇ。このあと食べに行こっか」
離れていくロタラの顔をエンジュは嬉しそうに眺めていた。
「君はさんざん饅頭を食べただろう」
「まだまだ食べられるよ」
「欲深い神職だな」
足元の湯をちゃぷちゃぷと遊ばせながら、ロタラが愉快そうに笑った。
冬の風が湯煙をふわりとさらっていった。