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第三話 光合成と朝稽古

 その日の朝は早かった。

 というかまだ夜だった。

「エンジュ、エンジュ」

 柔らかい声が耳元で低く響いた。

 エンジュは布団を被りなおして、声に背を向けるように身体の向きを変えた。

 昨日は王国西側の琥珀宮で神事を行い、夜は神殿の琥珀宮分社に泊まった。

 冬の一番寒い時期は過ぎて、少しずつ昼の時間が伸びているとはいえ、まだまだ夜の長い季節だ。

 エンジュの正確な体内時計が告げていた。まだ夜明け前だと。

 それなのに耳元の声はさらに迫ってくる。

「エンジュ、朝だぞ」
「そんなわけない」
「いや、朝だ」
「まだ夜......」

 まどろみに落ちかけたエンジュの耳元で――

「間もなく夜明けだぞ!!」

 腹から打ち出された空気砲のような大声が響いた。

「それを夜って言うんだよぉ!」
 エンジュはたまらず飛び起きた。

 エンジュの鼻先で、ロタラが瞳を輝かせていた。両手を寝台についてエンジュの顔を覗き込んでいた。

「ようやく起きたか!」
「ロタラは一度、体内時計を調整したほうがいいんじゃない!」

 ロタラは堂々と立ち上がって腰に手を当てた。

「夜通し任務に当たることもある。深夜番の際は昼間に仮眠をとることもある。平気だ」

「僕が平気じゃないんだよぉ」
 エンジュのまぶたが重そうに抗議している。

「僕が夜って言ったら夜なの!この国の暦を最終決定してるの、僕なんだからね!」

「そういえば、君はそんな仕事をしていたな」
 ロタラが今さら気づいたかのように、目を丸くした。

 若宮司の職務の一つに、天文台と共同で行う国内の暦の算出と決定がある。

 日没とともに夜を迎え、日の出とともに朝を迎える。この国では季節によって、昼と夜を分ける刻の長さが変わるのだ。

「夜か朝かは大した問題ではない。さあ、立て!」
「えぇ、なんでぇ......」

「もちろん朝稽古だ!」

⭐︎

「だから朝じゃないから朝稽古じゃないんだってばあ」
 エンジュは目をこすりながら稽古場に立っていた。

 風は止んでいるが、空気はずいぶんと冷えていた。

「寒いし眠い」
「動けば温まるぞ!」

 ロタラは右手に長槍、左手に一本の棒を持って歩いてきた。
 棒はエンジュの背丈より少し長い。二人が稽古をするときは、いつもこれだ。

「んー」
 エンジュは首を傾けた。深緑の髪がしょんぼりと重力に引っ張られた。

「僕、朝日を浴びないと調子出ないんだよね」
「そうだったか。すまない。無理やり連れてきてしまった」

「いいよ。もうすぐ日の出だ。ちょっと待ってよっか」

 エンジュは棒を受け取ると脇に抱え、眠そうに目を閉じたままその場に立ち尽くした。

「寒いか」
 ロタラがエンジュの肩に手を回した。

「あったかいよ」
 エンジュは目を閉じたまま言った。

 夜明け前は音が少ない。

 冬の朝は特に空気が澄んでいる。

 東の空に白い光の道が現れた。ひとつ目の太陽が昇る前に現れる太陽の道筋だ。
 光の道はすぐに消え、稽古場の向こうの森が、じんわりと赤く染まった。

 木々の隙間から伸びた光が、ロタラの額を照らした。
 朝日が肌に染み込んでくるのを感じて、ロタラは隣に目を向けた。

 エンジュはまだ目を閉じている。

 けれど太陽を浴びた深緑の髪だけは、自らをわずかにもたげていた。
 春の芽吹きのように、エンジュの髪がゆっくりと揺れている。

 エンジュが深呼吸をするたびに、そこに生命力が満ちていく。

「相変わらず不思議だ。実に美しい」
 ロタラが息を呑んだ。

 その声にエンジュが目を開ける。

 朝の光の中で、ロタラの瞳が太陽よりも明るく燃えていた。

「ロタラもすごく生きているって感じ。きれいだよ」
 エンジュが微笑む。

 ロタラの頬が朝日に赤く染まった。

 その頬に、不敵な微笑みが浮かぶ。

「ならば――、やるか!!」

 ロタラの長槍が地面に打ち付けられ勇ましく音を立てた。

「ええー?今、僕ちょっと良いこと言ったと思うんだけど......」

⭐︎

 ふたりは距離をとって立った。

「一本取ったほうが勝ち?」
「それでいこう」

 ロタラが左肩を前方に出し、槍を構えた。
 エンジュの棒はまだ下を向いている。

 二人の視線が合った。

 ロタラが笑った。
 エンジュも笑った。

 次の瞬間、鋭い穂先がエンジュの喉元へ一直線に走った。

 ロタラの長槍は一瞬で間合いを越えたが、エンジュの表情は変わらない。
 手の中で棒を滑らせ、ぎりぎりまで引きつけたところで穂先のすぐ下を横から叩いた。

 カンッと澄んだ音が響き、槍先がわずかに向きを変える。

 エンジュは槍の柄に棒を滑らせながら、一気に踏み込んだ。そのままロタラの正面を外れ、側面へ回り込もうとする。

 だが、ロタラも同時に退いた。引き戻された穂先がエンジュから遠ざかる。そして次の瞬間には、もう一度、前へ出ていた。

「いいねぇ。空間全てがロタラって感じ」
「だが入らせない!」

 しかしロタラが仕掛けるたびに、エンジュはロタラとの距離を確実に詰めていった。

 何度目かのロタラの突きをエンジュが逸らしたとき、ロタラは逸らされた槍を引き戻さなかった。そのまま腰を回し、横薙ぎに払う。空気を切り裂く重い音がした。

 エンジュは棒を垂直に立て、その中央を槍に当てた。
 重い衝撃が棒を伝った瞬間、エンジュの身体も横へ動いた。踏みとどまるどころか、槍の勢いに合わせて横へ一歩流れたのだ。

 ロタラの瞳が熱を帯びた。

 流されながらエンジュはにこにこ笑っていた。

 ロタラが作り出した勢いのまま、エンジュが長身をひねる。

 棒がくるりと返った。

「......!」

 気づいたときには、棒の反対側がロタラの顎の下で止まっていた。

 一瞬の静寂。

 ロタラが目を丸くする。
 エンジュはにこにこしている。

「一本?」
「......一本!」
 敗れてもロタラの笑顔は眩しい。息が弾んでいる。額の汗が朝の光を受けてきらめいた。

「もう一度だ!」
「えぇ〜」

 息を切らせながら、エンジュが泣き言を言った。

「お腹が空いたよう」
「君は先ほど太陽光から養分を生成したのだろう」

 ロタラは不思議そうに首を傾げた。橙色の長い髪の束が後頭部で揺れた。

「僕、身体大きいから」
「じゃあ、次の勝者に敗者が朝食をご馳走する、でどうだ!」

「今のは?今、僕が勝ったじゃん」
「次も勝てばいい!」

「も〜」
 不満そうな声を上げながらも、エンジュは再び間合いを取った。

 ロタラも長槍を担いで位置についた。


 もう一度目を合わせ、にっこり微笑む。

 それが手合わせ開始の、いつものふたりの合図だった。

 いつの間にか昇ったふたつ目の太陽も、東の空で温かく見守っていた。

 気づけば稽古場にも人が増えていた。

 暗いうちから楽しそうに汗を流すふたりの目撃情報は、今日も順調に積み上がっていった。
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光合成する若宮司と長槍背筋の姫⭐︎近すぎて甘くない関係作者:はなちゃん
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第三話 光合成と朝稽古

 その日の朝は早かった。

 というかまだ夜だった。

「エンジュ、エンジュ」

 柔らかい声が耳元で低く響いた。

 エンジュは布団を被りなおして、声に背を向けるように身体の向きを変えた。

 昨日は王国西側の琥珀宮で神事を行い、夜は神殿の琥珀宮分社に泊まった。

 冬の一番寒い時期は過ぎて、少しずつ昼の時間が伸びているとはいえ、まだまだ夜の長い季節だ。

 エンジュの正確な体内時計が告げていた。まだ夜明け前だと。

 それなのに耳元の声はさらに迫ってくる。

「エンジュ、朝だぞ」
「そんなわけない」
「いや、朝だ」
「まだ夜......」

 まどろみに落ちかけたエンジュの耳元で――

「間もなく夜明けだぞ!!」

 腹から打ち出された空気砲のような大声が響いた。

「それを夜って言うんだよぉ!」
 エンジュはたまらず飛び起きた。

 エンジュの鼻先で、ロタラが瞳を輝かせていた。両手を寝台についてエンジュの顔を覗き込んでいた。

「ようやく起きたか!」
「ロタラは一度、体内時計を調整したほうがいいんじゃない!」

 ロタラは堂々と立ち上がって腰に手を当てた。

「夜通し任務に当たることもある。深夜番の際は昼間に仮眠をとることもある。平気だ」

「僕が平気じゃないんだよぉ」
 エンジュのまぶたが重そうに抗議している。

「僕が夜って言ったら夜なの!この国の暦を最終決定してるの、僕なんだからね!」

「そういえば、君はそんな仕事をしていたな」
 ロタラが今さら気づいたかのように、目を丸くした。

 若宮司の職務の一つに、天文台と共同で行う国内の暦の算出と決定がある。

 日没とともに夜を迎え、日の出とともに朝を迎える。この国では季節によって、昼と夜を分ける刻の長さが変わるのだ。

「夜か朝かは大した問題ではない。さあ、立て!」
「えぇ、なんでぇ......」

「もちろん朝稽古だ!」

⭐︎

「だから朝じゃないから朝稽古じゃないんだってばあ」
 エンジュは目をこすりながら稽古場に立っていた。

 風は止んでいるが、空気はずいぶんと冷えていた。

「寒いし眠い」
「動けば温まるぞ!」

 ロタラは右手に長槍、左手に一本の棒を持って歩いてきた。
 棒はエンジュの背丈より少し長い。二人が稽古をするときは、いつもこれだ。

「んー」
 エンジュは首を傾けた。深緑の髪がしょんぼりと重力に引っ張られた。

「僕、朝日を浴びないと調子出ないんだよね」
「そうだったか。すまない。無理やり連れてきてしまった」

「いいよ。もうすぐ日の出だ。ちょっと待ってよっか」

 エンジュは棒を受け取ると脇に抱え、眠そうに目を閉じたままその場に立ち尽くした。

「寒いか」
 ロタラがエンジュの肩に手を回した。

「あったかいよ」
 エンジュは目を閉じたまま言った。

 夜明け前は音が少ない。

 冬の朝は特に空気が澄んでいる。

 東の空に白い光の道が現れた。ひとつ目の太陽が昇る前に現れる太陽の道筋だ。
 光の道はすぐに消え、稽古場の向こうの森が、じんわりと赤く染まった。

 木々の隙間から伸びた光が、ロタラの額を照らした。
 朝日が肌に染み込んでくるのを感じて、ロタラは隣に目を向けた。

 エンジュはまだ目を閉じている。

 けれど太陽を浴びた深緑の髪だけは、自らをわずかにもたげていた。
 春の芽吹きのように、エンジュの髪がゆっくりと揺れている。

 エンジュが深呼吸をするたびに、そこに生命力が満ちていく。

「相変わらず不思議だ。実に美しい」
 ロタラが息を呑んだ。

 その声にエンジュが目を開ける。

 朝の光の中で、ロタラの瞳が太陽よりも明るく燃えていた。

「ロタラもすごく生きているって感じ。きれいだよ」
 エンジュが微笑む。

 ロタラの頬が朝日に赤く染まった。

 その頬に、不敵な微笑みが浮かぶ。

「ならば――、やるか!!」

 ロタラの長槍が地面に打ち付けられ勇ましく音を立てた。

「ええー?今、僕ちょっと良いこと言ったと思うんだけど......」

⭐︎

 ふたりは距離をとって立った。

「一本取ったほうが勝ち?」
「それでいこう」

 ロタラが左肩を前方に出し、槍を構えた。
 エンジュの棒はまだ下を向いている。

 二人の視線が合った。

 ロタラが笑った。
 エンジュも笑った。

 次の瞬間、鋭い穂先がエンジュの喉元へ一直線に走った。

 ロタラの長槍は一瞬で間合いを越えたが、エンジュの表情は変わらない。
 手の中で棒を滑らせ、ぎりぎりまで引きつけたところで穂先のすぐ下を横から叩いた。

 カンッと澄んだ音が響き、槍先がわずかに向きを変える。

 エンジュは槍の柄に棒を滑らせながら、一気に踏み込んだ。そのままロタラの正面を外れ、側面へ回り込もうとする。

 だが、ロタラも同時に退いた。引き戻された穂先がエンジュから遠ざかる。そして次の瞬間には、もう一度、前へ出ていた。

「いいねぇ。空間全てがロタラって感じ」
「だが入らせない!」

 しかしロタラが仕掛けるたびに、エンジュはロタラとの距離を確実に詰めていった。

 何度目かのロタラの突きをエンジュが逸らしたとき、ロタラは逸らされた槍を引き戻さなかった。そのまま腰を回し、横薙ぎに払う。空気を切り裂く重い音がした。

 エンジュは棒を垂直に立て、その中央を槍に当てた。
 重い衝撃が棒を伝った瞬間、エンジュの身体も横へ動いた。踏みとどまるどころか、槍の勢いに合わせて横へ一歩流れたのだ。

 ロタラの瞳が熱を帯びた。

 流されながらエンジュはにこにこ笑っていた。

 ロタラが作り出した勢いのまま、エンジュが長身をひねる。

 棒がくるりと返った。

「......!」

 気づいたときには、棒の反対側がロタラの顎の下で止まっていた。

 一瞬の静寂。

 ロタラが目を丸くする。
 エンジュはにこにこしている。

「一本?」
「......一本!」
 敗れてもロタラの笑顔は眩しい。息が弾んでいる。額の汗が朝の光を受けてきらめいた。

「もう一度だ!」
「えぇ〜」

 息を切らせながら、エンジュが泣き言を言った。

「お腹が空いたよう」
「君は先ほど太陽光から養分を生成したのだろう」

 ロタラは不思議そうに首を傾げた。橙色の長い髪の束が後頭部で揺れた。

「僕、身体大きいから」
「じゃあ、次の勝者に敗者が朝食をご馳走する、でどうだ!」

「今のは?今、僕が勝ったじゃん」
「次も勝てばいい!」

「も〜」
 不満そうな声を上げながらも、エンジュは再び間合いを取った。

 ロタラも長槍を担いで位置についた。


 もう一度目を合わせ、にっこり微笑む。

 それが手合わせ開始の、いつものふたりの合図だった。

 いつの間にか昇ったふたつ目の太陽も、東の空で温かく見守っていた。

 気づけば稽古場にも人が増えていた。

 暗いうちから楽しそうに汗を流すふたりの目撃情報は、今日も順調に積み上がっていった。
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