青い灯火の森話
そいつは、罪のようなツノを持ち、闇夜のような口を持ち、怠惰のような目を持ち、そのくせ、雷光のような眼光だった。その闇夜の部分を開けて、心を食べようとした。
「アルデクウス!」
その声にハッとして目が覚めた。
僕の体に合った小さな巣の上で、僕は寝起きで重い頭をあげた。大量の汗をかき、手入れして寝たはずの自慢の毛並みはぐしゃぐしゃに掻き乱れている。何か夢を見ていたと思うが、どうしても思い出せない。思い出せないが、夢のせいなのか......闇の深くから轟く雷のような、とてつもない不安に襲われる感覚が込み上げてくる。
もう一度、自分の名前を遠くから呼ばれた。
この美しい歌のような声はユサだ。ユサが僕の名前を呼んでいる。さっきはもっと近くに聞こえたのだが、今は少し遠くにいるようだ。
「アルデクウス! 来て! 早く早く!」
ユサの急かす声が聞こえる。どうやら乱れた毛並みを整える時間はないようだ。気だるい欠伸と伸びを一つし、僕は巣からしなやかに降りた。僕の巣は大きな木の幹に空いた穴を使っている。なかなか快適だ。そんな巣から出るのは、僕はあまり好きではない。汚れるし、怠いし、何より、この森は木が鬱蒼としげっていて歩きにくい上に、飛びにくい。鼻をひくつかせながら、顔を少し出した。木漏れ日がキラキラとしていて、起きたばかりの目が眩しくて辛いと、細くなる。畳んでいた翼をパサっと広げた。この翼を、ユサはとても知性的な翼だと言っていた。知性的な翼とはなんなのか。ため息と共に翼を動かして近くの枝にとまった。
「ユサ、どこだい?ここからじゃ見えないよ」
遠くにいても聞こえるように大きめに発声する。喉がガラガラなのは寝起きだからじゃなくて、もともとだ。
「こっちよ! こっち!」
声の聞こえるところへと四枚の翼を動かして飛んで行く。パルサルの木の根元に何かを覗き込むようにしゃがんでいるユサがいた。そのユサの肩にそっと降りる。
「パルサルの木じゃないか。この木には近づくなと言っただろう?」
「でも、見て。この少し大きな卵のような雫。綺麗でしょう?」
パルサルの木の根元には、透明な雫のような丸いものが落ちていた。丁度、僕の体ぐらいの大きさだ。その中に、混沌とした夢の渦がグルグルと回り続けていた。
「ああ、これはパルサルの卵だよ」
「そうなのね! これが噂のパルサルの卵なのね!」
ユサは笑って声をあげた。パルサルの木は、ぶよぶよとした透明の卵を産む。その中の虹色が形作られる時、パルサルの木が卵から孵るのだ。
「とても美しいわ。血迷った虹のように美しい。食べたら美味しいのかしら?」
「食べるなんてとんでもない。こんなもの食べてしまったら三十六回目の夜まで悪夢を見てしまうよ。割ってしまったりなんかしたら、世界が混沌に包まれてしまう」
「あら......残念だわ......」
本当に残念そうに呟くものだから、僕は呆れてため息をついてしまった。
「兎にも角にも、触らずにそっとしておいてあげよう」
「本当に残念だけど、しょうがないわ。じゃあね、パルサルの卵さん。大きくなりなさいね。さて、アルデクウス、今日はどこに行こうかしら」
「うーん、寝起きだし少しだらだらしたいのだけれども......そうだな。西に進んでみようかな」
ユサは僕の意見に、にっこりと微笑んだ。木漏れ日が彼女にあたり、キラキラと笑顔を照らしている。夜になるまでに帰ればいいやと思いながら、彼女の肩で毛づくろいをすることにした。
ユサは美しい生き物だ。
森の中でも風のように走り、煙のように木に登り、光のように微笑むことができた。そして、その目は青い炎が燃え滾り、瞬きをすると陽炎のように揺らめいた。熱くはないのかと、僕は小さな手で恐る恐る触れたことがある。ユサは笑って「あなたより少し温かいだけよ」と言っていた。それは本当のことだった。
ユサは、もっとも綺麗に整った生き物だと思う。この森にいる継ぎ接ぎをしたような生き物ではない、完成された生き物だった。
「私、遠いところから来たの。そうね、たくさんの綺麗な物が詰まった宝石箱のような場所だったわ。いつも、光が絶えなかった。この目もね、宝石のようなキラキラした光が集まったから、炎を灯しているのよ」
昔、そう話したユサは遠い目をして微笑んでいた。どうしてここに来たのかは僕がどれだけ聞いても口にしなかった。そもそも、どうやってきたのか覚えていないようだった。ただ、住んでいたもとの場所は、とても綺麗なものだったと言っていた。それと同時に悲しそうな顔をしていたのは、何故なのか。僕には聞くことができなかった。
ユサは本当に風のように走る。僕が夜通し飛んでも、ここまではこられないだろうと思う。ユサが来て共に行動し始めてからというもの、僕の行ったことのない場所にたくさん行った。溢れ出る強欲の泉、炎の木フルクススの寝床、刃の風が唸る谷、獰猛な血吸いの滝、本当にたくさんのところへ行った。僕は、前から行きたいと思っていた場所に行けて本当に嬉しかった。探究心をこの小さな体は腐らせていたのだ。ユサが来て、たくさんのものをこの小さな目で見ることができたのは、本当に喜ばしいことだと思う。
「......アルデクウス、ここはどこ?」
はっ、と気がつくと、目の前にはイバラの道が出来ていた。僕はここまで来たことがない。イバラの道は、木々の間に突如現れており、異様な雰囲気を漂わせている。まるで、通るモノの血を吸いたがっているような道だ。危険な場所はたくさん知っているが、この道ほど怖いと思ったことはない。まるで、恐怖そのものに続く道のようだ。直感的に怯んでしまう。
「ここはやめよう。ユサ。わからないけど、すごく怖いんだ。それにもうすぐ日も暮れるし、帰ろう」
冷や汗が出てくる。全身の毛が逆立つのがわかった。いつのまにか森の音は死んで静まりかえっている。何も聞こえない。薄暗い中、そのイバラの道だけがボゥッと揺れて照っているように見えた。
「ここまで来たんだから、もう少し進んでみましょうよ」
ユサは、僕を肩に乗せてイバラの道を進んでいった。僕の言葉など御構い無しにどんどん進んでいく。ユサを置いて帰るわけにもいかないし、帰るとしても、僕の翼だけでは巣にたどり着かないだろう。本当に嫌で仕方ないが、今は彼女の肩にしがみつくしかなかった。ユサも今回ばかりは慎重になっているみたいで、体をイバラに引っかけないように気をつけて進む。しかし、これだけ鬱蒼と茂っているイバラだ。どこもかしこも引っ掻いてしまう。その度に滴る血が、僕の中に黒く渦巻く恐怖に変わっていった。
「やめよう! ユサ! 帰ろう!」
「もう少し、もう少しだけ」
あまりの恐怖に叫んだが、ユサは進んで行った。どうしようもない中、しばらく歩いたが、一向にイバラの道は終わらない。日は完全に沈み、沈黙と一緒にユサが歩く音が耳に鳴り響いた。揺れるユサの瞳の青い灯火だけが、辺りを照らす光になっている。
「あっ、見て。血を吸う道が終わるわ」
最後のイバラの壁を通り抜けると、そこは大きくひらけた場所になっていた。光るキノコの胞子が舞っていて、ぼんやりと辺りを照らしている。円形にイバラがその場所だけ避けているようだ。その円の中心に何かいる。何か、黒い。何かが。
「待って、何かおかしいよ。ユサ、やっぱり引き返そう」
ブワッと全身から汗が吹き出る感覚が、僕の小さな牙を剥き出しにし、唸るように告げる。反射的にユサの肩から飛び降りて、その黒い何かを睨みつける。
「あら、何かいるわ。あれは何かしら」
「ユサ、待って!」
臆することも無く、ユサは黒いものに近づいていった。ユサに続いて、黒い何かに近づいた。僕たちが接近していることに気がついたように少し動いた。どうやらこれは、生き物のようだ。こちらに向き直ったように動き、体を震わせた。それは、罪のようなツノを持ち、闇夜のような口を持ち、怠惰のような目を持ち、そのくせ、雷光のような眼光だった。僕はこの生き物をしらない。なんだ。これは。まるで、世界の恐怖を詰め込んだような生き物だ。恐ろしい感覚に襲われる。
「まぁ、とても美しい姿だわ」
何を言っているんだ。ユサの目は狂っているのではないか。呆気にとられユサを見ると、本人は本当にそう思っているのか、青い灯火を輝かせ見惚れるようにこの化け物を見ていた。僕は、地面に足をつけているので精一杯だ。早くこの場から逃げてしまいたい。翼を広げてがむしゃらに動かして、早く飛んで逃げてしまいたい。そんな僕とは違い、ユサは笑って化け物に話しかけた。
「あなた、とても綺麗な姿をしているのね。お名前は?」
化け物はその言葉を聞いて少し体を揺らした後に、口の部分を笑うように歪めた。
「あア、キみのメはどうヤら、クルっているヨうだネ。ワタシは、ルチとイうものだ。このイバラのヌシさ」
ノイズ掛かった声は、空気を震わせて僕の耳に届いた。こんな声は、生まれて初めて聞いた。本当に、ここは僕が知っている森の中にあるのだろうか。まるで、この空間だけが隔離された場所のようだ。そう思い、再度辺りを見渡すと、黒い化け物の足元にパルサルの卵が落ちていることに気がついた。
「あっ! パルサルの卵」
僕がそうやって声をあげると、ユサもパルサルの卵が落ちていることに気がついたようだ。
「あら? どうしてパルサルの卵があるの?」
卵は変わらず、混沌を閉じ込めたように中でぐしゃぐしゃになった色の渦が蠢いていた。
「わたシはこんトンをタべて、セカイをつくるシゴトをしているのさ。おまエさんもたべテみるカい?」
......ニタニタと口が笑っている気がした。
「ウソだよ。チびっこイきみ、そこまでイカクしなくてモいいジャないか」
知らぬ間に僕は鼻息が荒くなっていた。小さな手からは爪が出ていて、長い尻尾は天を目指すように立っていた。ユサはそんな僕をなだめるように頭を撫でた。
「アルデクウス、落ち着いて」
「でも! ユサ! 早くこいつから離れよう!嫌な予感がする!」
少し残念そうに、そして申し訳なさそうにユサは眉をよせるだけだった。
「とこロで、きみのメはしんデいるね。ウツとシットとニクシミでやかれてシマっているようダ」
ルチがそういうと同時にのそり、だぼり、ゆるりと動きユサに近づいた。ユサの顔をまじまじと眺めている。
「ええ、私の目はとても綺麗な光に焼かれてしまったの。でも、変だわ。死んではいないもの」
ああ、ユサ。
それは綺麗とは言わないんだよ。
なぜユサが昔の話をするときに悲しそうな顔をしていたのか、なんとなくわかってしまった。だが、僕には口にすることができなかった。
「オお、なんトかなシいことなノか。キタナいホノオでヤカれてもナオ、イキテいるカノようにカンチガイしている。なるホど、キミのこころがキレイすぎルのだろウ。ココロがえいきょうするトハ。うーン。じつニ、すばらシイ。そして、キョウミぶかい」
ルチが、聞き取りにくい声で笑った。パルサルの卵がその下で不気味に揺らめいた虹を作り出していた。
「フムフム、そうだ、こうシヨう。そのトモシビ、ココロにウエつけてやロウ。オモシロそうだ」
その言葉に僕は牙を剥いて、毛を逆立てて、今にも飛びかかりそうな勢いで唸り声を上げた。鬱と嫉妬と憎しみの炎を心に植え付ける? なんて馬鹿げているんだ。
「なに、アマリにもキレイなものはワタシはスかないのでネ。トクに、ココロがキれいなモノはネ」
そういうと同時に、触手のようなルチの手がユサの目に素早く伸びた。
「え?」
一瞬の出来事だった。ユサの目の青い炎が触手に絡め取られ、火花を散らしながらユサから離れた。美しい青い炎が、周りに舞ったキノコの胞子と混ざり合いながら宙に浮かんだ。次の瞬間。ユサの心臓の部分にルチの手と青い炎が突き刺さった。音もなく刺され、イバラのさざめきがその後にザザッと鳴っただけだった。
「ユサ!」
僕が叫ぶと同時にユサが膝をついた。心臓からは青い炎が吹き溢れたかと思うと、ものすごい勢いでユサの体のなかに収まっていった。ユサの目は、青い炎を失い、ぼうっとルチを見つめていた。
「何をした! ユサに何を!」
何をしたのかは予想がついた。でも、一瞬の出来事が上手く飲み込めずに、僕はそう叫んだ。叫んだ言葉と共に、勢いよく、ルチに噛み付いた。鼻がツンっとする錆び付いた木の根っこの味がした。
「ナニ、それらしくシタだけさ。それにシテモ、チビッコいキミはウルサイな。ワタシにかみつくなんテ。アア、たべてシマオうか。そうだ、ソウシヨう。たべてしまオウ」
ルチの手が絡みつき、噛み付いた体から引き離されたかと思うと、目の前には闇夜のような口が開いていた。翼を広げて動かすが、どうにも上手くいかない。小さな手は無駄に宙を掻くばかりだった。
「ユサ!」
振り返ろうとした僕の後ろでユサの声がした。
「......醜い」
闇夜の中に僕は落とされた。
ある世界のイバラの中に黒い塊がいた。
塊は、混沌の卵を食べていた。
ある日、小さな命を食べた。
醜くなった心も食べてしまった。
混沌が渦巻く塊の中。
醜い心によって、世界が一つ作られた。
「神は皆、醜いものさ」
ノイズ掛かった声は心に突き刺さるように、鮮明に響くようになっていた。
笑った声はまるで、神話となった醜い心を嘲笑っているかのようだった。