第4話
岸壁へ係留された護衛艦あずまは数日後に実施される年度毎の年次検査へ備えていた。艦船の航海能力や戦闘、通信システムが基準を満たしているかを試験し確認すると同時に必要に応じて部品交換の作業をしなければならない。
事前点検記録や専門業者の工事に基づき実施される年次検査を済ませつつ、乗組員達──幹部に海曹士へ纏まった休暇を取らせることが艦長方針で発表された。無論、順次という形になるが乗組員達は久々の帰国と長期に渡る環太平洋合同演習への参加や航海の苦労が報われると喜んでいた。
8月の盆は終わってしまった。時期は世間一般とはズレがあるものの、随分と乗組員の家族達には心配を掛けさせただろう。帰郷や帰宅して家族サービス、親孝行を、と艦長である風間拓海は全艦放送で通達を告げた後、艦内の艦長室へ籠もった。
アメリカ本土で実施されたトマホーク搭載、実射訓練に加え、過日の環太平洋合同演習参加に関する報告書を作成しなければならないのだ。
まぁ航海の途中で作成はしていたので、添削をするぐらいなのだが。
第3種夏制服、白い半袖の制服を纏った彼は艦長室に備え付けのデスクトップへ向かい、モニターを睨みつつキーボードをタップする音を響かせていた。
「──副長、入ります」
「──入れ」
閉ざされている艦長室の扉の向こうからノックに次いで申告が響いた。それを聞き取った彼は作成途中の報告書を保存し、Wordの画面をショートカットキーでタップしてモニターから消去する。
入室してきた副長兼船務長も風間と同様に半袖の白い制服姿である。あずまの副長は五十路間近の歳頃を感じさせる生真面目そうな男だ。彼は客人を艦長室への入室を促しつつ、部屋の主へ向かって10度の敬礼を取る。傍目には会釈とすら映るだろう。それに艦長は腰を上げ、同じく10度の敬礼で答礼を返した。
「第7艦隊のドレン少佐をお連れしました」
副長の背後から入室してきた女性──長い金髪をシニヨンに纏め、サマーホワイトの胸元へ徽章や略綬、階級章である肩章を規定通りに着装した姿の米海軍士官だ。
鋭いアイスブルーの瞳を対面した彼へ向けつつ、彼女──カタリナは正帽を被っているのもあり、やや脇を締めながらの挙手敬礼を風間に取った。それを受けた彼は10度の敬礼で答礼を返す。姿勢を元に戻すと、彼女も不動の姿勢へ直った。
『──第7艦隊、情報分析官のカタリナ・ヴァン・ドレン少佐です』
『──御来艦を歓迎する。あずま艦長の風間拓海1等海佐だ』
英語での自己紹介を互いに済ませたのを認め、風間の濃い茶色の瞳が控えていた副長へ向けられる。
「......副長。案内、ご苦労だった。外で待っていてくれ」
「はい。失礼します」
再びの10度の敬礼。副長のそれへ風間は素早くも端正な答礼を返した。
退室する副長が扉を静かに閉めるのを認めた風間は眼前のカタリナと机を挟みながら口を開く。
『ドレン少佐。お話は概ね伺っている。御用向きについては──』
「──風間1佐。お話は日本語で問題ありません」
彼女の母国語であろう英語で、と彼は気遣ったが、カタリナはすかさず日本語で返答する。
かなり流暢だ。外国人であり、第一言語が英語である点からイントネーションやアクセントに僅かな違和感こそあるが、ほぼネイティブと言える。
「日本語がお上手だ。どうぞ、お掛けになって下さい」
「恐縮です」
恐縮、と来たか──ネイティブどころか、日本側との細かい調整や交渉も担当できるだろう。彼女との短い遣り取りで日本語話者としてのレベルを推測しつつ、応接用のソファを勧める。
来客であるカタリナは正帽を脱ぎ、ソファへ腰掛ける。その対面へ風間は腰を下ろした。
「御用向きは伺っております。環太平洋合同演習の件ですね?」
「はい、その通りです」
互いに時間も限られている。長々とした前置きは省いて、彼は単刀直入に尋ねた。それに彼女は肯定の頷きを見せる。
「──対水上戦闘演習の最中、青軍の全艦艇のレーダー、火器管制システムが使用不能となり、直後に統制部でもディスプレイがブラックアウトした件について伺いたく参りました」
どうやらカタリナも前置きは省きたいらしい。双方が無意味な遣り取りは無用と考えている旨を察した風間は、現地での演習後にも散々と酷似した聴取を受けた際に返した回答を述べた。
「あずまは演習の規定に則って攻撃を実施した、としか言えません。本艦だけでなく、当時の赤軍の全艦艇は通常の規定通りに行動をしていた点は承知している筈です」
「はい、ログがそれを証明しています」
「であれば、本艦は無関係だと考えますが......私が耳に挟んだところによれば、ブラックアウトはネットワークの輻輳が原因で通信トラフィックが発生したとか」
「仰られる通り、それが公式発表です」
公式発表──と殊更に彼女は強調して告げる。その言葉の響きに隠された真意を風間が見抜けぬ筈もない。
「では、実際は異なると?」
彼が低く尋ねた。すると眼前のカタリナは向かい合う応接用のソファの間に置かれた机上の隅へアイスブルーの瞳を向ける。メモ用紙の綴りとボールペンを発見した彼女は、それらを手元へ寄せ、サラサラとペン先を走らせた。
Hacking
たちまち綴られた単語。それを目の当たりにした彼が眉間へ深い縦皺を刻む様子をカタリナは認める。
「......由々しき事態、ですな」
「その通りです。風間1佐、率直に申し上げます。──我々、第7艦隊は貴官へ疑いを持っています」
「......なるほど」
同盟国の軍人へ──もとい、同業者へ疑いを持っていると彼女が率直に告げるなり、彼は深い溜め息を漏らしつつ両腕を胸の前で組んだ。
かなり無礼な物言いにも関わらず激昂する様子もなく、風間は淡々と疑惑の目を向けられている理由を紡ぎ始める。
『──突如、青軍の全艦艇のレーダー、火器管制システムが使用不能。直後に統制部でもディスプレイがブラックアウト。復旧したかと思えば、旗艦と駆逐艦が撃沈、大破の判定。確かに私や本艦が何かしらのトリックを用いたと思われても不思議ではない、か』
彼は敢えて会話に使用する言語を英語へ切り替える。資料で風間の経歴等を読み込んでいるカタリナだが、先程から彼の英語の能力に少しばかり驚いている。英語や複数の外国語に堪能、という記述はあったが、それにしても流暢なのだ。
日本人、あるいは日本語話者特有の訛り──アクセントやイントネーション等が聞き取れない。文法も正しい。少々、いや、かなり堅さを感じさせる表現ではあったが。英国の上流階級と称される人間達が操る英語の発音にも似ていると彼女は感じられた。
『失礼を承知で申し上げました。お気を悪くなさらないで下さい』
『いや、問題ない。貴官の、第7艦隊の疑念は尤もだ。立場が逆なら、私でも同じ疑いを持つだろう。とはいえ......こればかりは提出したログを信じて欲しい、としか私の口からは言えない』
『......質問を変えさせて頂きます。風間元海将──お父上と最後にお会いしたのはいつでしょうか?』
『父に?......トマホーク搭載の為に横須賀を出港する3日前だ。実家に帰省した時が最後だが......まさか父にも疑いを?』
濃い茶色の双眸が鋭く細められ、対面する同盟国海軍の女性士官を射抜く。
『......率直に申し上げますと、お父上の風間元海将、そして風間1佐の弟さん......風間湊氏もです』
『貴官の──いや、第7艦隊や太平洋艦隊の懸念は理解するが......現場にいた私が疑われるのは仕方ないとして、父や弟まで疑われるのは気持ちが良いものではないな』
『......申し訳ありません』
カタリナは軽く頭を下げ、素直に謝罪を述べる。これも日本という国土、或いは日本人ばかりの組織を相手にする時の彼女なりの処世術である。あまり強硬な物言いや態度は日本人を萎縮させるか、或いは頑なとするのだ。
さて、反応はどうか。彼女は頭を上げつつアイスブルーの瞳で対面を観察する。
相変わらず、眉間へ深い縦皺を何本も刻み、長年の体力錬成の成果だろう筋肉が張り詰めた両腕を組む艦長の姿しかなかった。
『......弟さんと最後にお会いしたのは?』
『......それも先程と同じだ。ちょうど弟も帰省したタイミングが重なったからな。実家の玄関で見送って貰ったのが最後だ』
『お二人と電話やメッセージ、メールなどは?』
『基本しない。私や父、弟もそれほど連絡を取り合わんからな。用事がない限りは......念の為に言っておくが、関係が険悪という訳ではない』
妙な勘繰りをされるのを防ぎたいのか、風間はわざわざ注釈を入れる。それに彼女は頷いて承知の姿を見せた。
『失礼ですが、お父上にもお話を伺えれば幸いです。アポイントメントを取って頂くことは可能でしょうか?』
『......それは構わない。ついでに弟にも連絡を取ろう。都内にいるからな』
『いえ、弟さんについては都内には──正確には国内にはいらっしゃいません。こちらの調査によると、上海へ渡航されたそうです』
『......なんだと?』
寝耳に水、初耳だったのだろう。同時に、まだ確定していないにも関わらず、実弟の所在地を調べ上げ、スパイか工作員のような扱いをされるのは流石に気分を害するらしい。風間の眉間の縦皺が一層、深くなった。
しかし、冷静な性格なのだろう。激昂や怒気を孕ませない声で彼は淡々と続ける。
『......父に連絡を取る。ちょうど2日後に帰省する予定だった』
『了解しました。──こちらが私の携帯電話の番号です』
メモ用紙へ綴られたHackingという文字の真下へカタリナは自身の連絡先を書き、用紙を破いて風間へ手渡す。
『ご連絡をお待ちしております』
今日の聴取はここまで──らしい。それを感じ取った風間は腰を上げる。続いてカタリナも立ち上がり、正帽を被った。
彼は応接用のソファから移動し、艦長室と通路を隔てる扉を開け放つ。
「──副長。ドレン少佐のお見送りを」
艦長室の外で待機していた副長へ申し付けた風間が脇に逸れ、その横をカタリナが通り抜ける。艦長室の外へ出た彼女は立ち止まり、彼へ向き直るとやや脇を締めた挙手敬礼を送った。
10度の敬礼によって答礼を返した風間を認め、彼女は右腕を下げる。そのまま副長の案内で通路を歩み始める横顔を見送った彼は扉を閉めるなり、手元へ残されたメモを見下ろす。
濃い茶色の双眸が、尚一層、鋭く細められていた。