第3話
「──ファイルの写真を拝見しましたが......ハンサムですね。ですが司令官。お見合いのセッティングは丁重に......」
〈──そんな暇があるように思うか?〉
暗号化されたファイルをカタリナの情報端末へ送信した、と電話口の向こうにいる第7艦隊司令官──アメリカ本国の反対側に当たる地球の半分を活動範囲とし、アメリカ海軍の艦隊の中では最大の規模と戦力を誇る組織の長たる中将は夜の挨拶を短く済ませた後に口にした。
それに従い彼女は──勤務時間外ではあるが、仕事用のバックパックから取り出した情報端末へパスワードを打ち込んで起動させるなり、送信されたファイルを開く。
ファイルに載っていた何枚かの写真を撮影した構図や状況は様々だった。証明写真に加え、明らかに盗撮と思われる構図もある。いずれも冬服や夏服の制服姿だ。──精悍な、やや強面、東洋系の顔立ち。ハンサムとカタリナは称し、続けて冗談めいた言葉を携帯越しに返すが、司令官はそれを一蹴する。
「冗談です。──風間拓海。38歳でCaptain......エリート中のエリートですね」
黒背広の制服を纏った顔写真を彼女は注視した後、液晶画面をスクロールさせ、下へ向かう。
姓名、生年月日と現在の年齢や階級が表記されている。8月15日が誕生日とは、些か皮肉めいたものを彼女は感じた。
〈──環太平洋合同演習の件は聞いているか?〉
「えぇ。対水上戦闘を想定した演習中に統制部のモニターがブラックアウトした、と。ですが、システムエラーでは?」
〈──表向きにはそうなっているな〉
表向きには──電話口の向こうで呟かれた表現に彼女は不穏な気配を否応なく感じ取る。バスローブ姿のまま携帯を片耳に当て、情報端末を携えたカタリナはベランダへ戻ると椅子へ腰掛けた。
〈──少佐が耳にしている通り、ネットワークの輻輳が原因で通信トラフィックが発生。それがブラックアウトを引き起こした──というのが公式発表だ。今後もそれは揺るがない事実として扱われるだろう〉
情報端末を机上に預けると飲みかけのオールドヴァージニアが注がれたグラスを掴んで唇を湿らせ、続けて葉巻を摘む。
「......では実際のところは、ハッキング、ですか?」
〈......戦術的検証がされたが、どうにもはっきりしないそうだ〉
普段なら官能的と表現できる葉巻の紫煙だが、今夜はどうにも調子が悪いらしい。彼女の舌に馴染まないのだ。
環太平洋合同演習での一幕はカタリナも聞き及んでいる。参加した各国海軍の艦艇が青軍、赤軍に別れての対水上戦闘──勿論、データ上でのことだが。その最中、統制部の巨大な液晶ディスプレイが数分間に渡ってブラックアウト。そして復旧の直後だ。
赤軍側に所属した海上自衛隊の護衛艦がデータ上、発射した対艦ミサイルが旗艦として設定された原子力空母に3発着弾。撃沈判定。続けて随伴艦のミサイル駆逐艦にも1発の着弾。大破判定。
統制部が一気に静まり返ったのは想像に難くない、と彼女は脳裏へ光景を出力しながら手元の葉巻を指先で転がした。脚を組むと、バスローブの裾から覗いた白い肌に覆われた膝が露となる。
「......はっきりしない、というのは?」
〈......演習終了後に攻撃を仕掛けた艦へ統制部がタイムラインの提出を命じた〉
タイムライン──ブラックアウトの直前から終了までの各種レーダーログ、火器管制システムの作動記録の提出を要求した、と第7艦隊司令官は要約して伝える。
「......それで?」
〈──綺麗過ぎる程にシロだった〉
艦長も提出を拒みはせず、堂々とデータを提供していた、と伝え聞いた話を電話口の向こうで司令官が低く告げた。
〈──だが、あまりにも偶然の一致が過ぎる。青軍側の攻撃を受けた空母や駆逐艦のログによると、統制部のディスプレイがブラックアウトする直前にレーダーやセンサーに不具合が発生していたそうだ〉
「......それは、両艦とも同時に?」
〈......ここまで話したんだ。他言無用で頼む。青軍の全艦艇が、だ」
カタリナの全身へ悪寒にも似た震えが走った。摘んだ葉巻の先端へ溜まった太い灰がポトリと膝の上へ落ちたことにも気付かなかった程だ。
「......検証は?」
〈──......仮定の全てを検証した、と聞いている〉
仮定の全て──それをカタリナの脳内で活性化したシナプスの群れが言葉の意味を咀嚼していく。
極めて局地的な空間的、環境的要因。異常とも言える気象状況が発生。レーダー波が異常屈折を起こし、受信側に届かない。太陽フレア等の影響で通信衛星や通信機器に一時的な障害が発生。データリンクシステムが一斉に同期エラーを起こした。
まず考えられるのはこれらだろう。
「......データリンク、ソフトウェアのバグや電子戦装置が誤作動を起こした可能性は?」
〈──勿論、検証された。青軍側の全艦のデータログを洗ったそうだが、その痕跡は発見されなかった〉
「......攻撃した艦は......」
〈──キミが先程、ハンサムと言った男が指揮を執る艦だ。赤軍のあずまが攻撃を仕掛け、旗艦と随伴艦を撃沈や大破の判定に追い込んだ〉
「......あずま......」
海上自衛隊の最新鋭艦であるその艦は、ちょうど今日、横須賀へ帰投したばかりだと彼女は思い出す。
「トマホーク搭載の為に出港した時は日本国内の反対派のデモが凄かったですが......今日の帰投は静かでしたね」
〈──現実逃避しないでくれ。事は重大だ〉
仮にハッキングだったとしたら、全ての説明が付いてしまう。計算され尽くしたかのような芸術的とも言える攻撃なのだ。青軍側の幾重にも張り巡らせられた艦隊防空の警戒網を突破し、対艦ミサイルを次々と直撃させられたのである。それもブラックアウト──システムを強制的にシャットダウンするような方法で。人工衛星からのデータリンクも遮断されては手も足も出ない。
これは単なる演習結果ではなく、更なる事態を招く可能性があるのだ。
国防総省の介入、すらも考えられる。
〈──我が軍のシステムがハッキングを受け、システムが一時的にシャットダウンされた可能性が捨て切れない。原因究明と特定は続けられているが......〉
「仮にハッキングであった場合、それは──」
システムの重大かつ無視できないサイバー上の脆弱性、戦術データリンクの致命的な欠陥が露呈した、と見做される可能性が非常に高い。
環太平洋合同演習とは単なる多国籍の艦艇や人員が混ざっての軍事演習ではない。巨大な実験場という側面も併せ持っている。
〈──キミも知っての通り、参加した各国海軍の装備、特にシステムやソフトウェアの大半は我が国が提供した物だ。それが原因不明でブラックアウト、しかもほぼ同時に、となれば事は重大だ。仮に戦術データリンクやシステムに侵入を許してしまったとしよう。おそらくバックドアも解析されている。今後も侵入を易々と許すだろう。我々が知らぬ内に機密情報が抜かれている──合衆国だけでなく同盟国の安全保障上の重大な懸念に繋がるのは自明の理だ〉
「......それが特定の第三国へ情報が漏洩したら......」
〈──海軍だけでなく我が国は非常に危うい立場となるだろう。だが、大規模な捜査や解明に動くとなると、その特定の第三国へ嗅ぎ付けられる。彼等は鼻が利くからな。特に我々の弱点を探すことに躍起だ〉
つまるところ第7艦隊司令官はカタリナへ命じているのだ。非公式かつ独自に調査せよ、と。情報分析部門にいる彼女だ。銃を取り扱う訓練は受けているし、一定の徒手格闘の訓練も受けているが、それが専門分野である担当の者達と比較すると劣るのは目に見えている。まぁ、その雰囲気と言うべきか、空気を纏っているのもあって──ついでに言えば女性という点も鑑みての命令であろう。必要とあらば性別も利用せよ、という訳だ。
「......了解しました。容疑者は艦長のカザマ1佐でしょうか?」
〈──まだ候補として挙がっただけだ。システムをハッキングした実行者が彼だとしても、未知のそれを開発した大元がいる筈だ。太平洋艦隊司令部の見解では、彼の父親や弟が怪しい、と〉
「......父親と弟?」
〈──父親は風間俊一。そして彼の弟は風間湊。父親は元海将、風間1佐の弟はプログラマー。正確に言えばシステム、ソフトウェア開発等を主な業務とする会社の社長をしている〉
葉巻を摘む左手とは逆の手が動く。細い指先が操作する情報端末の画面が下へスクロールされ、血の繋がりを感じさせる新たな2名の顔写真が表示された。
〈──カザマ海将のことは私も知っている。彼とはデリケートな東アジア情勢の中での日米の安全保障上の軍事力運用や海上防衛の未来、その在り方について討論をした。非常に優秀だった〉
「......海将、つまりはVice Admiralですね。経歴を見ていますが海上幕僚長に補職されなかったのが不思議です」
添付された風間俊一の海上自衛隊に在籍していた時代の略歴は壮観の一言だ。
護衛隊群司令、護衛艦隊司令部幕僚、幹部学校付の米海軍大学校指揮課程を経て、海上幕僚監部防衛部防衛課勤務。護衛隊司令、海上幕僚監部人事教育部教育課長──と、ざっと読み流すだけでも順風満帆のエリートコースを歩んでいたのが理解できる。
最終的な階級と補職が海将、護衛艦隊司令官。そこで止まり、そのまま60歳を迎えて定年退官とある。
本来なら──風間俊一の経歴を考えると、海上幕僚副長や自衛艦隊司令官、或いは海上幕僚長も夢ではない。統合幕僚長の席すら狙えただろう。
不可解な経歴に疑問を持ったカタリナが電話口で問う。暫く、電話口の向こうで第7艦隊司令官は沈黙を貫いたが、やがて小さな溜め息を漏らした。
〈──良くある話だ。組織の中ではな〉
風間俊一が将来的な自衛艦隊司令官、海上幕僚長就任は誰もが認める確定事項──だった筈だが、ある時、噂が流れた。真偽不明のそれである。
──彼がロシア大使館や中国大使館の職員と頻繁に接触している、という噂話が流れたのだ。
所詮は根も葉もない噂、と切って捨てるのは簡単だ。ただし、何処か引っ掛かりを覚えるのも事実。火のないところに煙は立たない、とも言う。
結論を言えば、彼が海上自衛隊という組織の頂点へ到達することはなかった。
〈──詳細は私も知らないが、カザマ海将が自ら辞退したとは耳に挟んでいる〉
「......辞退......」
〈──今後の組織運用に影響が出るのを危惧したとも聞くが、別の見方をすると......本当に大使館関係者と接触していたから偽装工作の為、とも〉
「......なるほど。興味本位でお尋ねしますが、司令官はどちらを信じていますか?」
〈......それは少佐の想像に任せよう〉
個人的見解は妨げになる、と理解しているのだろう。第7艦隊司令官は明言を避けた。
〈──カザマ海将の父親は航空自衛隊の空将補、そして祖父は戦時中、海軍の戦闘機搭乗員として太平洋を暴れ回り、曾祖父は陸軍の高級将校だ。当初は中国大陸で、その後は太平洋方面で部隊の指揮を執っていたが戦死している。見事なまでの軍人家系だな〉
「......そのようですね。そして、その軍人家系の中に発生したバグ......と言う表現は失礼でしょうが......」
風間俊一の次男、風間拓海の弟である風間湊は、その家系図の中でも異質の存在である。彼は兄と同じく、或いは父や祖父を始めとした先人達とは異なる方向へ道を進んだ。
風間湊は面影こそ兄や父親のそれを感じさせるが、顔立ちは面長で、少し神経質さを感じる。兄と父親が裸眼であるのに対して眼鏡を掛けているのもあるだろうが、異質の存在である印象が拭えない。
現在は都内にある自身の会社で経営者として事業を展開していると資料にはある。年商は推算だが、日本円に換算して数十億から数千億になるらしい。日本国内だけでなく、外国にも支社を設立している様子だ。かなりの大企業であろう。
「......弟は今何処に?」
〈──調査したところ、出国の記録があった。上海に滞在しているようだ。商談の為だろう〉
果たして商談の内容は何であろうか。非常に気掛かりな経歴を持っている。
いずれにせよ、調査を命ぜられた以上は動かねばならない。しかし何処から手を付けたものか、とカタリナは思案しつつ葉巻を銜えて緩く紫煙を燻らせる。
「......カザマ1佐の住まいは横須賀の官舎でしょうか?」
〈──あぁ、我々の目と鼻の先にいる。とはいえ、ほぼ艦にいるだろう。まずは彼から当たると良い。事前に少佐が彼へ接触する旨は伝えておく。同盟国とは言え、少しばかり調整せんと面会もままならんだろう〉
「ありがとうございます」
〈──礼は要らない。──兎に角、徹底的に調べてくれ。連絡は絶やすな〉
「了解しました」
〈──結構だ。では、おやすみ。......私はまだ仕事だがね〉
随分と国家への奉仕に励む司令官だ。これは見習うべきだろうか、と考えるカタリナが自身の片耳へ宛てがった携帯端末の通話が切れたことを認める。
面倒な仕事や任務を任せられたものだ、と溜め息を漏らしつつ携帯端末を机上へ置き、氷が溶けて味が薄くなったオールドヴァージニアを───これはこれで味わいがある酒を一口含み、葉巻を銜えて情報端末をスクロールさせる。
情報端末の画面上へ映り込む黒髪を短く刈り上げた精悍な顔立ちの男性──風間拓海の姿を脳裏へ焼き付けつつ、口腔で転がした紫煙を顔目掛けて吹き付けた。