ホーム›永遠の凪の果てに›第5話
← 次の話目次前の話 →

第5話



 ──てっきり官用車で迎えに来ると思ったんだが......。

 黒いスーツを纏った風間拓海は乗用車の助手席へ腰掛けながら内心で呟いた。

 帰省するというのに──夏場なのでネクタイは締めず、纏ったライトグレーのワイシャツもボタンは上二つを外した格好という、少しばかり堅さの印象が拭えない彼は横目を運転席へ向ける。

 そこに腰掛け、ステアリングを握るのはカタリナだ。彼女も日本の夏へ合わせて通気性に優れたパンツスタイルの黒いスーツを纏っている。

 このクルマは彼女個人の私用車だという。

 乗用車を所有しているのは驚かないとしても、まさかボディカラーがカーボンブラックのBMW・5シリーズとは。

 彼女曰く、中古で購入したそうだが、だとしてもいくらだったのだろう。

 風間が上陸時に寝泊まりする官舎沿いの道路で迎えに来るカタリナを待っていたところ、約束した時間ぴったりにこのクルマがハザードランプを焚いて停車したのだ。

 表情にこそ出さないが、やや呆気に取られた。

 荷物の類を後部座席に置き、助手席へ乗った後、彼は実家までの道案内である。

『......2番目の信号を左に曲がってくれ。あとは道なりだ』

 直前で右左折を指示されないのはカタリナにとっても有難いことだ。お陰で彼の実家までの道程は順調に消化出来ている。

『──今更ですが、羊羹で宜しかったのですか?お邪魔するので手土産を、とは確かに言いましたが......』

 無口という訳ではないのだろうが、風間は寡黙なタイプである。道案内以外で口を開くことはおろか、話題を振るような素振りもない。

 確かに容疑を掛け、それを捜査している関係ではあるが、もう少しコミュニケーションを取っても良い気が──要するに車内へ満ちる気まずさを払拭しようとカタリナが話題を振った。

『......父の好物だ』

『甘い物がお好きでしたか?他にお好きな物は?』

『他にか。......漬け物、特に梅干しと沢庵。酒、それと煙草......いや、それよりもCigar葉巻か』

『あら......』

 風間の父が好む嗜好品の中にカタリナは共通点を見出す。彼女も葉巻を嗜んでいるのだ。

『葉巻がお好きでしたか。好まれている銘柄は?』

『記憶が確かなら......モンテクリストとコイーバだな』

『御趣味が良いですね。私もコイーバを好んでいます』

『......なるほど。道理で......』

『......はい?』

『道理で貴官から葉巻の香りがすると思った』

『臭いますか?』

 思わずカタリナは片手でステアリングを握り、纏ったジャケットの袖口を鼻先へ寄せて異臭の有無を確認するのだが、良く分からない。今朝、起き抜けに一本を吸って来たのは間違いないが、しっかりシャワーを浴びた筈なのだ。

 これから重要人物へ会うというのに──車内に消臭スプレーはあっただろうか、と彼女が内心で焦りを感じた時、助手席から気遣う低い声が向けられる。

『安心してくれ。不快な臭いではない。私も吸うし、父も気にしないだろう』

『......風間1佐も葉巻を?』

『いや、Cigarette紙巻きだ。ハイライトを吸っている』

『......ハイライト......青い方の?』

 カタリナの記憶にある日本のコンビニ店内。そしてカウンターの後ろにズラリと並ぶ銘柄の数々──風間が漏らした煙草の銘柄に合致する代物が二種類あった。その内の青い色彩が目を引くデザインではないか、と彼女は推測しつつ助手席へ尋ねる。当たっていたようで彼は小さく頷きを見せた。

『吸っても大丈夫ですよ』

『いや、大丈夫だ。もう間もなくだからな』

 彼なりの気遣いだろう。カタリナに特定のパートナーがいるかは知らないが、車内、それも私用車の中を他人の煙草の紫煙でマーキングするような真似事は憚られた。

 しかし彼女からすると、ここで彼が煙草を一本吸ってくれた方が有難かったのも事実である。

 話題が、続かないのだ。

 再び車内へ沈黙が落ちてしまう。このまま沈黙のドライブが続くのか──とカタリナが思った矢先だ。

『......私からも質問をしても?』

『構いません。どうぞ』

 彼女の気まずさを察したのか、それとも単に話題が脳裏を掠めたのか。いずれにせよ、風間がカタリナへ声を掛ける。

 どのような質問だろうか。この捜査に関することか。或いは軍務やプライベート──ハラスメントの類へ該当する質問以外なら答えるつもりで彼女が身構えた。

『貴官の御両親のどちらかのルーツはドイツか?それともオランダか?』

『......はい?』

『ファーストネームはカタリナだろう。キャサリンではなく。vanヴァンも入っていた。少し気になってな。答え難いなら、それで構わない』

 妙なことを尋ねる日本人──という印象を彼女は抱く。少なくともカタリナが記憶している限りに於いて、日本人からその類の質問を受けた覚えがなかった。

『綴りはK・a・t・a・r・i・n・aか?』

『仰る通りです。父方のルーツはそちらの方面だと聞いています』

『......なるほど。──あぁ、ここだ。そこの空き地が駐車場になっている』

 質問への受け答えの最中、どうやら風間の実家へ到着したようだ。

 ここだ、と彼は気負う様子もなく口にするのだが──カタリナはウインカーを出しつつアイスブルーの瞳を大きく見開く。

『......ここ、ですか?』

『......なにか問題でも?』

『いえ、問題と言いますか......え?』

 ──実家って、ここ?文化財とかの間違いじゃ......。

 風間が駐車場だと告げた空き地にクルマを停め、エンジンを切ったカタリナだが、フロントガラス越しに見える真正面へ聳える門構えは──彼女が知識として持つ武家屋敷のそれだ。

 日本語習得に際しての学習プログラムで配布された教材のいくつかに日本文化へ関する内容のテキストがあった。その中には武家屋敷を紹介する写真が載ってもいたのだが、彼女の眼前、道路を挟んだ向こう側に見える門構えは正しくそれと酷似している。

『......少佐。私の実家を調べなかったのか?』

『......住所は分かりましたが、外観までは......』

『そうか。まぁ良い』

 捜査官なら外観も調べるのだろうが、その辺りは彼女も初心者である。すっかり失念していたらしい。今時であれば地図アプリを開いてストリートビューを──いや、そもそもここまで撮影車は来ないかもしれない。

 いずれにせよ、彼はシートベルトを外して下車する。それに続いてカタリナも車外へ出た。

 帰省用の荷物──ボストンバッグひとつを掴んだ風間の後へ続いて彼女も漆喰が塗られた長屋門をくぐる。表札には、確かに【風間】のそれが掛けられ、装飾として家紋が彫られた細工も認められる。

『──あの、風間1佐。先祖代々の御屋敷でしょうか?』

『そんなところだ。まぁ改装も何度かしているそうだが』

 ──その、何度か、は何年単位の話?

 日本文化へそれなりに触れてきたカタリナだからこそ、格式が高すぎる気がしてならず、少しばかり心細くなってしまう。彼の背後を進んでいたが、門を抜けたところで風間の横へ並ぶ程度には落ち着かない様子だ。

 敷き詰められた玉砂利の上を進み、玄関が見えてきた。玄関の前──赤毛と称される茶の毛色が目立つ柴犬が座っているのを彼女は発見した。

「──ただいま、ゲン」

 それまで英語だった彼の声が日本語となり、犬の名前を呼んだ瞬間だ。

 大人しく静かに座っていた柴犬が風間へ駆け寄り、クルンと巻いた尻尾を激しく左右へ振り乱し、耳を寝かせながら彼の眼前へ座り込む。

 構って、という意思表示だ。彼の大きな手が柴犬の頭に乗り、軽く撫で回すなり、尻尾が振られるスピードが増した。残像が見えるのは気の所為ではなかろう。

『......可愛い』

 甘える高い声を鳴らす柴犬──何故、こうも可愛いのか。カタリナが見下ろす視線に気付いたのか、柴犬の丸く円な瞳が彼女を捉え、続けて風間を見上げた。

「あぁ、ゲン。彼女は客人だ」

「......触っても?」

 モフモフとした毛並みを撫でたい衝動に駆られたカタリナが風間へ可否を問う。それに彼は頷いた。

 そーっとゆっくり彼女が手を差し出し、やがて柴犬の頭へ細い指先が乗る。軽く撫でてみると──風間ほどではないが、尻尾が左右へ振られた。

「──ただいま」
 
 カタリナと飼い犬が触れ合う最中、風間は式台の前に敷かれた踏石の上へ乗り、板張となった床の向こう──玄関の奥へ帰宅した旨の声を放つ。

 十数秒経った頃だ。玄関の奥から五十路手前だろう年頃の小柄でふくよかな体格の女性が姿を見せた。

「──あらあら、お帰りなさいませ」

「ただいま、絹子さん。ご無沙汰しています」

「いえいえ。......そちらの方がお客様の?」

「あぁ、親父から聞いていますか。第7艦隊のドレン少佐です」

 住み込みの家事代行をしてくれる女性──家政婦と称するが、女性の名は絹子である。

 彼女は帰宅した屋敷の主人の長男である風間へ顔を綻ばせながら応対し、両手でボストンバッグを預かりつつ彼の背後で柴犬と触れ合う金髪の女性を認める。その視線に気付いたカタリナが姿勢を正した直後だ。

『──いらっしゃいマせ。はじめマして。家政婦のキヌコと申しまス』

 風間と比べるとイントネーションやアクセントには強い違和感こそ感じるが、しっかりと英語で挨拶をされた彼女は目を丸くする。

「......お気遣いありがとうございます。......日本語で大丈夫です。第7艦隊のカタリナ・ヴァン・ドレン少佐です」

「あらあら!日本語がお上手ですね!ごめんなさい。私の英語、汚くて聞き取れなかったですよね。最近、喋る機会がなくて......」

「いえ、そんなことは......」

 聞き苦しさこそあったが、汚くはなかった。このような長い歴史や格を感じる屋敷に勤めていると家政婦といえど英語が話せなければならないのかもしれない。

 予想を脳裏で浮かべつつカタリナは手土産の羊羹が入った紙袋を家政婦へ手渡し、風間に促されて靴を脱ぐこととなる。

 家政婦に案内されるまま廊下を歩き、辿り着いたのは応接間だ。板張りの床へソファが置かれたレイアウトの空間である。壁際へ置かれたキャビネット──いくつかの写真立ての中に似た顔立ちの幼い兄弟と思われる二人の男子を捉えた写真をカタリナの瞳が発見する。おそらく風間拓海と風間湊の二人であろう。

「お寛ぎになってお待ち下さいね。コーヒーをお持ちします。旦那様もお呼びしますから」

 家政婦が革張りのソファをカタリナへ勧めつつ、退室する。それを認めた風間は勝手知ってる実家なのもあり、ソファへ先んじて腰を下ろすなり、紙巻き煙草のソフトパックをスラックスから取り出した。

 振り出した一本の煙草を銜え、いくつもの細かな傷が刻まれ、年季が入った年季が入った銀無垢のオイルライターで火を点けて一服を始める。

「......私も宜しいですか?」

「......あぁ、どうぞ」

 長い脚を組んだ風間の隣へ人間一人分の空間を設けて腰掛けたカタリナもスラックスからシガレットケース、ターボライターを取り出した。

 シガリロをケースから抜き取り、噴き出したライターの火で先端を炙って紫煙を燻らせる。

 双方が吐き出す紫煙の中には安堵と緊張の相反する吐息が混ざっていた。
シェア
前の話 →
第4話
← 次の話
第6話
永遠の凪の果てに作者:ブレイズ
目次を見る
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません
ホーム›永遠の凪の果てに›第5話
← 前の話目次次の話 →

第5話



 ──てっきり官用車で迎えに来ると思ったんだが......。

 黒いスーツを纏った風間拓海は乗用車の助手席へ腰掛けながら内心で呟いた。

 帰省するというのに──夏場なのでネクタイは締めず、纏ったライトグレーのワイシャツもボタンは上二つを外した格好という、少しばかり堅さの印象が拭えない彼は横目を運転席へ向ける。

 そこに腰掛け、ステアリングを握るのはカタリナだ。彼女も日本の夏へ合わせて通気性に優れたパンツスタイルの黒いスーツを纏っている。

 このクルマは彼女個人の私用車だという。

 乗用車を所有しているのは驚かないとしても、まさかボディカラーがカーボンブラックのBMW・5シリーズとは。

 彼女曰く、中古で購入したそうだが、だとしてもいくらだったのだろう。

 風間が上陸時に寝泊まりする官舎沿いの道路で迎えに来るカタリナを待っていたところ、約束した時間ぴったりにこのクルマがハザードランプを焚いて停車したのだ。

 表情にこそ出さないが、やや呆気に取られた。

 荷物の類を後部座席に置き、助手席へ乗った後、彼は実家までの道案内である。

『......2番目の信号を左に曲がってくれ。あとは道なりだ』

 直前で右左折を指示されないのはカタリナにとっても有難いことだ。お陰で彼の実家までの道程は順調に消化出来ている。

『──今更ですが、羊羹で宜しかったのですか?お邪魔するので手土産を、とは確かに言いましたが......』

 無口という訳ではないのだろうが、風間は寡黙なタイプである。道案内以外で口を開くことはおろか、話題を振るような素振りもない。

 確かに容疑を掛け、それを捜査している関係ではあるが、もう少しコミュニケーションを取っても良い気が──要するに車内へ満ちる気まずさを払拭しようとカタリナが話題を振った。

『......父の好物だ』

『甘い物がお好きでしたか?他にお好きな物は?』

『他にか。......漬け物、特に梅干しと沢庵。酒、それと煙草......いや、それよりもCigar葉巻か』

『あら......』

 風間の父が好む嗜好品の中にカタリナは共通点を見出す。彼女も葉巻を嗜んでいるのだ。

『葉巻がお好きでしたか。好まれている銘柄は?』

『記憶が確かなら......モンテクリストとコイーバだな』

『御趣味が良いですね。私もコイーバを好んでいます』

『......なるほど。道理で......』

『......はい?』

『道理で貴官から葉巻の香りがすると思った』

『臭いますか?』

 思わずカタリナは片手でステアリングを握り、纏ったジャケットの袖口を鼻先へ寄せて異臭の有無を確認するのだが、良く分からない。今朝、起き抜けに一本を吸って来たのは間違いないが、しっかりシャワーを浴びた筈なのだ。

 これから重要人物へ会うというのに──車内に消臭スプレーはあっただろうか、と彼女が内心で焦りを感じた時、助手席から気遣う低い声が向けられる。

『安心してくれ。不快な臭いではない。私も吸うし、父も気にしないだろう』

『......風間1佐も葉巻を?』

『いや、Cigarette紙巻きだ。ハイライトを吸っている』

『......ハイライト......青い方の?』

 カタリナの記憶にある日本のコンビニ店内。そしてカウンターの後ろにズラリと並ぶ銘柄の数々──風間が漏らした煙草の銘柄に合致する代物が二種類あった。その内の青い色彩が目を引くデザインではないか、と彼女は推測しつつ助手席へ尋ねる。当たっていたようで彼は小さく頷きを見せた。

『吸っても大丈夫ですよ』

『いや、大丈夫だ。もう間もなくだからな』

 彼なりの気遣いだろう。カタリナに特定のパートナーがいるかは知らないが、車内、それも私用車の中を他人の煙草の紫煙でマーキングするような真似事は憚られた。

 しかし彼女からすると、ここで彼が煙草を一本吸ってくれた方が有難かったのも事実である。

 話題が、続かないのだ。

 再び車内へ沈黙が落ちてしまう。このまま沈黙のドライブが続くのか──とカタリナが思った矢先だ。

『......私からも質問をしても?』

『構いません。どうぞ』

 彼女の気まずさを察したのか、それとも単に話題が脳裏を掠めたのか。いずれにせよ、風間がカタリナへ声を掛ける。

 どのような質問だろうか。この捜査に関することか。或いは軍務やプライベート──ハラスメントの類へ該当する質問以外なら答えるつもりで彼女が身構えた。

『貴官の御両親のどちらかのルーツはドイツか?それともオランダか?』

『......はい?』

『ファーストネームはカタリナだろう。キャサリンではなく。vanヴァンも入っていた。少し気になってな。答え難いなら、それで構わない』

 妙なことを尋ねる日本人──という印象を彼女は抱く。少なくともカタリナが記憶している限りに於いて、日本人からその類の質問を受けた覚えがなかった。

『綴りはK・a・t・a・r・i・n・aか?』

『仰る通りです。父方のルーツはそちらの方面だと聞いています』

『......なるほど。──あぁ、ここだ。そこの空き地が駐車場になっている』

 質問への受け答えの最中、どうやら風間の実家へ到着したようだ。

 ここだ、と彼は気負う様子もなく口にするのだが──カタリナはウインカーを出しつつアイスブルーの瞳を大きく見開く。

『......ここ、ですか?』

『......なにか問題でも?』

『いえ、問題と言いますか......え?』

 ──実家って、ここ?文化財とかの間違いじゃ......。

 風間が駐車場だと告げた空き地にクルマを停め、エンジンを切ったカタリナだが、フロントガラス越しに見える真正面へ聳える門構えは──彼女が知識として持つ武家屋敷のそれだ。

 日本語習得に際しての学習プログラムで配布された教材のいくつかに日本文化へ関する内容のテキストがあった。その中には武家屋敷を紹介する写真が載ってもいたのだが、彼女の眼前、道路を挟んだ向こう側に見える門構えは正しくそれと酷似している。

『......少佐。私の実家を調べなかったのか?』

『......住所は分かりましたが、外観までは......』

『そうか。まぁ良い』

 捜査官なら外観も調べるのだろうが、その辺りは彼女も初心者である。すっかり失念していたらしい。今時であれば地図アプリを開いてストリートビューを──いや、そもそもここまで撮影車は来ないかもしれない。

 いずれにせよ、彼はシートベルトを外して下車する。それに続いてカタリナも車外へ出た。

 帰省用の荷物──ボストンバッグひとつを掴んだ風間の後へ続いて彼女も漆喰が塗られた長屋門をくぐる。表札には、確かに【風間】のそれが掛けられ、装飾として家紋が彫られた細工も認められる。

『──あの、風間1佐。先祖代々の御屋敷でしょうか?』

『そんなところだ。まぁ改装も何度かしているそうだが』

 ──その、何度か、は何年単位の話?

 日本文化へそれなりに触れてきたカタリナだからこそ、格式が高すぎる気がしてならず、少しばかり心細くなってしまう。彼の背後を進んでいたが、門を抜けたところで風間の横へ並ぶ程度には落ち着かない様子だ。

 敷き詰められた玉砂利の上を進み、玄関が見えてきた。玄関の前──赤毛と称される茶の毛色が目立つ柴犬が座っているのを彼女は発見した。

「──ただいま、ゲン」

 それまで英語だった彼の声が日本語となり、犬の名前を呼んだ瞬間だ。

 大人しく静かに座っていた柴犬が風間へ駆け寄り、クルンと巻いた尻尾を激しく左右へ振り乱し、耳を寝かせながら彼の眼前へ座り込む。

 構って、という意思表示だ。彼の大きな手が柴犬の頭に乗り、軽く撫で回すなり、尻尾が振られるスピードが増した。残像が見えるのは気の所為ではなかろう。

『......可愛い』

 甘える高い声を鳴らす柴犬──何故、こうも可愛いのか。カタリナが見下ろす視線に気付いたのか、柴犬の丸く円な瞳が彼女を捉え、続けて風間を見上げた。

「あぁ、ゲン。彼女は客人だ」

「......触っても?」

 モフモフとした毛並みを撫でたい衝動に駆られたカタリナが風間へ可否を問う。それに彼は頷いた。

 そーっとゆっくり彼女が手を差し出し、やがて柴犬の頭へ細い指先が乗る。軽く撫でてみると──風間ほどではないが、尻尾が左右へ振られた。

「──ただいま」
 
 カタリナと飼い犬が触れ合う最中、風間は式台の前に敷かれた踏石の上へ乗り、板張となった床の向こう──玄関の奥へ帰宅した旨の声を放つ。

 十数秒経った頃だ。玄関の奥から五十路手前だろう年頃の小柄でふくよかな体格の女性が姿を見せた。

「──あらあら、お帰りなさいませ」

「ただいま、絹子さん。ご無沙汰しています」

「いえいえ。......そちらの方がお客様の?」

「あぁ、親父から聞いていますか。第7艦隊のドレン少佐です」

 住み込みの家事代行をしてくれる女性──家政婦と称するが、女性の名は絹子である。

 彼女は帰宅した屋敷の主人の長男である風間へ顔を綻ばせながら応対し、両手でボストンバッグを預かりつつ彼の背後で柴犬と触れ合う金髪の女性を認める。その視線に気付いたカタリナが姿勢を正した直後だ。

『──いらっしゃいマせ。はじめマして。家政婦のキヌコと申しまス』

 風間と比べるとイントネーションやアクセントには強い違和感こそ感じるが、しっかりと英語で挨拶をされた彼女は目を丸くする。

「......お気遣いありがとうございます。......日本語で大丈夫です。第7艦隊のカタリナ・ヴァン・ドレン少佐です」

「あらあら!日本語がお上手ですね!ごめんなさい。私の英語、汚くて聞き取れなかったですよね。最近、喋る機会がなくて......」

「いえ、そんなことは......」

 聞き苦しさこそあったが、汚くはなかった。このような長い歴史や格を感じる屋敷に勤めていると家政婦といえど英語が話せなければならないのかもしれない。

 予想を脳裏で浮かべつつカタリナは手土産の羊羹が入った紙袋を家政婦へ手渡し、風間に促されて靴を脱ぐこととなる。

 家政婦に案内されるまま廊下を歩き、辿り着いたのは応接間だ。板張りの床へソファが置かれたレイアウトの空間である。壁際へ置かれたキャビネット──いくつかの写真立ての中に似た顔立ちの幼い兄弟と思われる二人の男子を捉えた写真をカタリナの瞳が発見する。おそらく風間拓海と風間湊の二人であろう。

「お寛ぎになってお待ち下さいね。コーヒーをお持ちします。旦那様もお呼びしますから」

 家政婦が革張りのソファをカタリナへ勧めつつ、退室する。それを認めた風間は勝手知ってる実家なのもあり、ソファへ先んじて腰を下ろすなり、紙巻き煙草のソフトパックをスラックスから取り出した。

 振り出した一本の煙草を銜え、いくつもの細かな傷が刻まれ、年季が入った年季が入った銀無垢のオイルライターで火を点けて一服を始める。

「......私も宜しいですか?」

「......あぁ、どうぞ」

 長い脚を組んだ風間の隣へ人間一人分の空間を設けて腰掛けたカタリナもスラックスからシガレットケース、ターボライターを取り出した。

 シガリロをケースから抜き取り、噴き出したライターの火で先端を炙って紫煙を燻らせる。

 双方が吐き出す紫煙の中には安堵と緊張の相反する吐息が混ざっていた。
シェア
← 前の話
第4話
次の話 →
第6話
永遠の凪の果てに作者:ブレイズ
目次
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません