第6話
武家屋敷──風間邸には観光名所等ほどではないにせよ、見事な日本庭園が存在する。
梅や桜、寒椿、ツツジを始めとした草木が植えられ、独特の間を重視しながら整えられた庭園の中で麦藁帽子を被りつつ剪定作業をする人影があった。
剪定鋏で樹形を整え終わったのだろう。一段落した様子で人影は箒を掴んで敷かれた玉砂利を必要以上に乱さないよう掃除を始める。
その後ろ姿へ駆け寄る小さな影がひとつ。
「──しゅんじい!」
「──おおっと。どうした?」
まだ就学前なのだろう。声変わり前の高音を発しながら股引を履く脚へ抱き着いた少年へ驚いたような、しかし愉快そうな雰囲気のまま人影は掃除の手を止める。
「──おきゃくさんだって!」
「お客?......あぁ、もうそんな時間か」
左腕の手首へ巻いた機械式腕時計が指し示す時刻を認めた人影は自身の太い首へ掛けた手拭いで汗を拭う。すっかり夢中になっていた、と独り言ちを漏らし、剪定道具や掃除用具を片付けていく。
「──こら、竜也!」
「あぁ、真美子さん。そんなに目くじらを立てなくて大丈夫だよ。拓海とお客さんかな?」
「──はい、旦那様。拓海様とお客様がお見えです」
少年の母親だろう女性の年頃は20代後半といったところだ。叱られると少年は、しゅんじい、と呼ぶ人影──老人の背へさっと隠れた。その姿に苦笑しつつ老人は被っていた麦藁帽子を脱いだ。
白髪が頭部の大半を覆い、目元や顔にも大小の皺が目立つ老人の名は、風間俊一。元海将の64歳の男性。言わずもがな、風間拓海の実父であり、この邸宅の主人である。
加齢による筋肉の衰えが殆んど見られず、腰も曲がっていない矍鑠とした印象を受ける老人だ。
60歳で定年退官後は実子である風間湊の会社で、名ばかりではあるが相談役、コンサルタントとして雇われつつ、たまに海自OB同士が集う懇親会等へ出席、講演を行い、武道を近隣の子供達へ教える機会もあるが──大半の時間は自宅で悠々自適な老後と余生を過ごしている。
家政婦の絹子、そして真美子は母と娘。風間俊一の背後へ隠れた少年は真美子の息子だ。彼女達、そして少年もこの邸宅へ住んでいる。
それなりに広い邸宅だ。住み込みで維持や管理をして貰わないと手が回らないのである。
「旦那様、まずはお着替えを」
「あぁ、そうしよう。客人は第7艦隊の少佐だそうだから、くれぐれも丁重に」
「畏まりました」
「宜しく。──竜也、ゲンと遊んでおいで」
「はーい」
パタパタと足音を立てながら走り去る少年へ、母親が走らないよう叱る声──風間俊一は思わず笑みを深くしつつ着替えの為に自室へ向かう。
ふと、邸内へ戻る足を止め、背後を彼は振り向いた。
庭園の様子──草木の景観や、景色の一部となった横須賀の海との調和が取れているか。目元に皺こそ走っているが、鋭い眼差しのまま判定を下す。
「......うん。宜しい」
庭作りとは、引き算の美学だという。敢えていつの間にか生えていた野草などを残す。自然の力を抑え込むのではなく、環境との関わりの中で変化を受け入れる。時の経過や季節の移ろいを庭の景色に取り込む。余計な物を足さず、むしろどれだけ引けるかを考えながら自然らしい庭園を作り上げるのだ。
同時に余計な物──例えば、人間が手入れをした、と見る者に感じさせない心配りも大切だ。人工物はなるべく少ない方が良い。
それがしっかり反映されていると認めた彼は、今度こそ自室へ向かって歩み始めた。
身なりを整え、藍染めの和服姿となった邸宅の主が応接間へ足を踏み入れる。
濃い茶色の双眸を何度か瞬かせ──若い頃の自身に良く似ていると言える長男の隣へ腰掛ける金糸の長髪を持った長身の女性を認めた。
「──拓海」
「なんだ、親父」
「......女性とは聞いていなかったぞ。第7艦隊の少佐と言っていなかったか」
「......言わなかったか?」
「言っていなかったな」
女性を待たせていたとは──知らなかったとはいえ、大変な無作法をしてしまった。日本語で長男へ軽い叱責をした後、風間俊一は咳払いを漏らす。
『──お待たせして大変申し訳なかった。風間俊一と申します』
流暢な英語での挨拶に、彼の長男の隣へ腰掛けていた女性──カタリナが立ち上がり、邸宅の主へ頭を深く下げた。
『第7艦隊、情報分析官のカタリナ・ヴァン・ドレン少佐です。こちらこそお時間を頂き、大変申し訳ありません』
『いやいや、とんでもない。──ところで、私の英語は大丈夫かな。きちんと喋るのは久しぶりなんだ。なるべく維持するよう努力はしているが......』
『大変お上手です、風間海将』
『海将はやめてくれ。もう退官しているんだ。ところで......あ〜......なんと言うんだったかな』
『──用向き、か?』
維持の努力はしているが、英語だけでなく母国語以外の外国語は使わないと自然に能力が低下してしまうものだ。多分に漏れず、風間俊一も眉根を寄せながら適当な表現を探すが──それよりも早く長男が適当な語句を教えた。
『あぁ、それだ。御用向きは?』
『......風間1佐からは何も?』
カタリナの対面に置かれた革張りのソファへ腰を下ろした風間俊一は──机上にある灰皿の中身を一瞬、見下ろす。
紙巻き煙草の吸い殻が3本、シガリロの吸い殻が2本──前者は息子の銘柄であると見抜く。後者は──吸い口に薄い口紅の痕跡がある。
女性にしては珍しいが、仲間の気配を察しつつ邸宅の主は机へ設けられている抽斗を開けながら答えた。
『息子からは何も聞いていない。まさか......息子が第7艦隊を相手に何かをやらかしたかな?そちらの水兵や兵曹を5、6人ほどぶん殴ったとか』
抽斗から取り出した木製の箱。加湿器が取り付けられているヒュミドールだ。その蓋を開けると、中には整然と並んだ葉巻が存在感を放っている。
『いえ、そういう訳ではないのですが......』
『だろうね。どうぞ。お口に合えば嬉しい』
対面のカタリナへその内の1本を差し出すと、彼女は恐縮しながらも受け取った。
風間俊一がギロチンを握り、吸い口をフラットカットで切り落とす。
長軸マッチの火を灯し、葉巻の先端をゆっくりと遠火で炙り、炭化する様子を捉えてから軽く吸って火の回りを一定に調整していく。
遠慮する必要はない、と続けて彼は対面の彼女へ握ったギロチンを差し出した。
カタリナは恐縮しつつもそれを受け取り──慣れた手付きで吸い口を切り落としてみせる。
彼とは異なり、彼女はターボライターを使って喫煙を堪能する為の準備を進めていった。
「......お前も吸うか?」
「いや、ハイライトで良い」
「そうか。それで何処まで話したかな?おっと、いかんいかん」
「──風間海将、遅くなりましたが......日本語は話せますので......」
「おや、そうだったのか。これは恥ずかしい......耳に悪い英語を聞かせてしまった。日本語がお上手だ。アメリカの学校で?」
「いえ、横須賀へ勤務することが決まってから学習プログラムでみっちりと」
外見で人を判断することは愚の骨頂だと分かっているが、まさか金髪の白人女性の口からネイティブレベルの日本語が飛び出るなど予想も出来なかったらしい。
連絡の電話を受けた時、事情の詳細は話されなかったが、てっきり長男は道案内や通訳も兼ねて同行するのかと思った程なのだ。
「なるほど。非常に努力をされたようだ」
「ありがとうございます。私も日々精進しています」
ネイティブレベルではあるが、母国語の発音に少々引っ張られるイントネーションやアクセント。少しばかりの違和感は感じる。しかし、それこそが彼女の努力の表れであろう。
年齢差が文字通り、親子ほど離れた両者の会話を遮るかの如く、オイルライターの蓋が特徴的な金属音を奏でて開けられる。ホイールが回され、火花が散ってウィックへ火が灯る。それで銜えた煙草の先端を炙って紫煙を燻らせた風間拓海は本題へ入ろうとカタリナへ目配せした。
「──風間海将、実はいくつかお尋ねしたいことがありお邪魔しました。環太平洋合同演習の際に発生した事態は御存知でしょうか?」
「......リムパック?......お前、何をやらかした?」
本題を口にした──とはいえ、まずは前置きを挟んだ彼女からの質問に風間俊一は全く覚えがない様子だ。次いで長男へ彼は咎める視線を向ける。
「......何もして......は、いないか」
「はい。対水上戦闘演習で風間1佐が指揮する護衛艦あずまが、青軍の旗艦である空母を撃沈、そしてアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦1隻を大破の判定に追い込んだのですが──」
「──ちょっと待ってくれ」
風間俊一が待ったをカタリナに掛ける。何かまずいことでも言っただろうか──と彼女が不安に感じるのも無理はない。老人の年齢に差し掛かったとは思えない鋭い眼差しが彼女へ向けられた。
次いで──彼は葉巻の紫煙を口腔で転がしながら低く唸る。
「......撃沈判定に大破判定?艦隊防空の多層防御を突破して?」
嘘偽りではないな──という無言の鋭い視線。それにカタリナは頷いて肯定する他ない。システムやデータ上の話にはなるが、実際、彼の指揮する護衛艦は撃沈と大破の判定を出してみせたのだ。
すると──対面へ腰掛ける老人は、喉の奥から低い笑い声を漏らし、肩を震わせ始める。
「──空母、撃沈、か。ふふっ......そうか、空母をやったか。それもハワイで。死んだ爺さんが聞いたら、お前を羨ましがる」
「......親父、その話題は控えてくれ。繊細な話題になるからな」
本当に何も聞いていなかったらしい。繊細な話題──真珠湾攻撃のことであろう。
彼女は思い出す。資料によれば風間拓海の曾祖父、そして風間俊一の祖父にあたる人物は真珠湾攻撃に参加した戦闘機搭乗員であった、と。
カタリナがアメリカ人であり、尚且つアメリカ海軍の一員である点を忘れないよう長男から遠回しな叱責を受けた邸宅の主だが、暫くは漏れ出す低い笑い声を止められなかった。