第7話
風間拓海の実父──元海将でもある風間俊一へ彼女がここまで出向いた理由は語られ、彼等親子に等しく容疑が掛けられている旨はカタリナが告げたが、彼は泰然とした態度のまま深く頷きを返した。
「......なるほど。確かに、私達が疑われるのも無理はない話だ」
暗に彼女は風間俊一が現役の海上自衛官だった頃の噂話を仄めかしもした。それも彼への容疑を掛ける原因のひとつである──そのように告げられたにも等しいが、風間俊一は頷いて反応するだけ。
そのまま本格的な聴取が始まる気配を察したのか、彼の長男が腰を上げて応接間を後にする。風間拓海にも容疑は掛けられているが、共謀の意図はないと行動で示しつつ、彼女と父親の二人きりの空間を作ることで集中する場を提供する心遣いもあるのだろう。
淡々とした受け答えが交わされ、事情聴取が進む中──カタリナは小休憩を願った。それに風間俊一は頷いた後、口頭で彼女が目的とする場所への経路を説明しながら葉巻の紫煙を燻らせる。
全自動のコーヒーメーカーで作られた代物で満足していた舌が元に戻らなくなったらどうしよう──埒もないことを考えながらカタリナは風間邸の個室から出てきた。
文化財と同等にも思える景観の武家屋敷なので、個室まで昔ながらであったら、と不安もあったが実に現代的な内装と機能を有していたのは幸いだった。やはり日本のこの技術は素晴らしいと再確認も出来る。
この風間邸には家人用、客人用に個室が別れている。屋敷全体の形状は俯瞰するとコの字、その開口部の両端へ個室が設けられている格好だ。
カタリナは開口部から一望できる庭園を改めて眺めた。良く手入れされている、というのが第一印象。庭園の景色の一部に青──横須賀の海も含まれているのが一層の美しさを際立たせている。
もう少し眺めていたいところだが、あまり待たせてはならない。彼女が応接間へ戻ろうと縁側を進み始めた時、アイスブルーの瞳が庭園の向こう側に何かを発見する。
歩みを止め、コの字型に建つ屋敷の反対側──障子が開けられた一室に正座をする風間拓海の姿を認める。
彼女が父親の事情聴取をしている間に着替えたのだろう。彼の服装は和服となっていた。濃藍の和服を纏った彼は畳の上へ正座し、背筋を伸ばしたまま──やや仰角に視線を向け、何かを仰ぎ見ているような格好で微動だにしていない。
何をしているのか、と彼女は疑問を抱く。しかしその疑問を解消するよりも、まずは事情聴取の再開が先だ。
カタリナが縁側を改めて歩み出す──だが、風間拓海は一切の身動ぎを見せなかった。
応接間へ戻った彼女は風間俊一への聴取を再開する。それを聞き取り、更に質問しながらもカタリナの脳裏には先程の光景が浮かんでいた。
「──これは本件について全く関係のない話なのですが......宜しいでしょうか」
「あぁ、構わない」
「ありがとうございます。......先程、風間1佐の姿を見たのですが......」
彼女は葉巻を摘みつつ紫煙を燻らせる彼の実父へ先程、目の当たりにした光景の様子を告げる。
すると風間俊一は、彼女が目撃した光景の真相へ直ぐに思い至った。
「あそこは仏間だよ」
仏壇が置かれ、先祖達の位牌や遺影も安置されている部屋だと元海将の老人は語る。
「......拓海と湊は子供の頃からあそこが苦手なんだ。斯く言う私もなんだがね」
「......苦手、ですか?」
あっさりと白状された弱音にも似た言葉の吐露へ、カタリナは何度か瞳を瞬かせてしまう。
眼前の元海将、その息子達にも同様の苦手意識がある、というのであれば──何故、そのような場所に姿勢を正して座しているのか。そのような率直な疑問が脳裏を過った。
「私は熱心な仏教徒ではないし、他の宗教──神道にも一定の敬意を払いはするが、それ以上の帰依や崇拝の意識はない」
神仏の存在を肯定、否定、どちらもしない。風間俊一は他人の信じる宗教は尊重されるべきである、という考えを持っている。これについても彼は息子達も同様の事を述べるだろうと確信を抱きながら告げる。
「そんな私達だが、血の繋がりというべきかな。兎も角、先祖達については無条件で尊敬の対象としている。実在した人物達であるし、先人達を弔うのは当然のことだ」
「......当然だと仰るなら、苦手なのが理解出来ません」
カタリナが言葉を選びつつ返すと、眼前の──風間拓海が老齢に差し掛かった年齢にはこうなる、と思わせる風貌の実父が小さく頷く。
同時に彼も返すべき適当な言葉や表現を探しているのだろう。指先で摘んだ葉巻を転がしながら数秒は考え込んだ。
「......視線、がね」
「......視線?」
適当な言葉や表現を探したところで、正確に言い表す語句はこれっきりしかないと悟ったのだろう。観念の雰囲気を滲ませながら風間俊一は語る。
──苦手なのではない。怖いのだ、と。
「......肖像画や写真の遺影から視線を感じるんだ」
行動や考えを見透かされているような、探られているような感覚がある、と白状する老人は次いで困った表情を浮かべた。
「......この歳にもなって、と呆れるだろうがね」
「いえ、そんな......」
誰にでも苦手意識を持つ対象は存在する。それが彼等の場合は、仏間に飾られた遺影の数々というだけ──カタリナはそう解釈しようとした。
「......先人達、先祖達が彼岸から我々を見張っている。不道徳で、不義をしていないか。道理に背く行いをしていないか。恥を忘れていないか。──そんな気がするんだよ」
60歳を過ぎた老人が語る言葉ではない。それも国防という職務を全うした人間が、オカルトチックな、スピリチュアルな表現をするとは思わなかったのだろう。カタリナは困惑のまま眉根を寄せた。
それを目の当たりにした風間俊一は苦笑を深くする。
「......無論、これは日本人的な感覚だ。恐怖よりも畏怖の感覚が適当かもしれない」
葉巻を片手で玩ぶ彼は、逆の手でマグカップを摘み、温くなったコーヒーを一口啜る。
「......私達の家系についてもいくらかは調べがついているんじゃないか?」
「えぇ、はい。海将のお祖父様、そのお父様の代までは」
「良く調べたものだ。むしろそんな記録をアメリカ側が掴んでいたとは」
呆れるやら感心するやら、評価は難しい。情報と記録の出所は何処であろうか。
「......あぁ、いや。俺が彼に話したんだったな」
「はい?」
「なんでもない。こちらの話だ」
現役の頃に参加した日米のレセプションパーティーだったか、と風間俊一は数十年前の光景を脳裏に思い浮かべ、暫くの懐かしさに浸った。
「......私の曾祖父さんは、硫黄島で戦死。その息子である爺さんは真珠湾攻撃から終戦まで戦闘機搭乗員として戦い、私の父は航空自衛隊の空将補......その程度の情報だろう?」
「仰られる通りです」
「......なるほど。では、爺さんに二人の兄と一人の妹がいた話は?」
それは初耳である。資料はそれなりに読み込んだカタリナだが、記憶にある限り、そのような記述は彼等の家系関連の欄へ存在しなかった。
彼女の様子から知らないことを嗅ぎ取ったのだろう。風間俊一は淡々と述べる。
「爺さんの兄二人はどちらも陸軍の将校だった。沖縄で戦死し、爺さんの妹は持病の悪化で戦時中に病死。大人になった親父が入隊した理由は、空襲の経験が記憶にあるからだ」
風間俊一の祖父は三男だった。本来であれば長男が家督を継ぐ──実際、家督は長男が継いでいたが、沖縄で長男と次男が戦死したことで三男の祖父が当主となった。
その息子である彼の父は戦時中、横浜で暮らしていた。戦時下で妹を亡くし、母と共に暮らす日々の中、終戦を迎える年に横浜も空襲を受ける──その時の光景が脳裏へ焼き付いた。
生前の父──風間拓海や風間湊からすれば祖父にあたる人物は、青年となった折に自らの進路を父と同じくする決意の理由を述べた。
──二度と空を侵させない、と。
「......念の為に言っておくと、これを材料に貴官を糾弾しようとか、貴官の祖国を貶す意図は一切ない。それは承知してもらいたい」
歴史的事実は存在するが、過去は過去のことである──と彼は念には念を押した。それにカタリナも頷いて承知の姿を見せる。
「そんな彼等の遺影が、視線を向けて来るんだ。真っ直ぐに。それが、怖い」
「......風間1佐も、でしょうか?」
「拓海と湊もそうだろう。特に拓海は......正座して1時間ばかり、ずっと先祖達の遺影を見上げている」
国の護りを担った先人達。その務めを果たし、或いは途上で犠牲を払った先祖達から向けられる無言の視線の数々。
「......江田島の赤鬼・青鬼なんかより、よっぽど怖い存在なんだ。少なくとも私達にとっては、ね」
風間拓海と風間俊一の監視──その建前もあり、客人も暫く宿泊するだろうと屋敷の主は見透かしており、カタリナには客間が用意されていた。
食事は風間家の当主と長男、家政婦達とその息子と一緒に摂り──家政婦の息子の竜也はカタリナへ懐いたのか、テレビゲームの対戦相手を強請るなど無邪気な様子である。
入浴を済ませた彼女が客間へ戻る時、庭園を一望できる縁側へ腰掛けた風間拓海の姿を認める。胡座を掻きながら板張りの縁側へ座る彼の手元には短刀があった。
唇を真一文字に結び、一言も発しないように気を配っているのだろう。柄から目釘が抜かれ、切羽や鍔等の刀装具まで外した刀身を握りながら、打粉を打っている。
最新鋭の護衛艦を指揮する艦長が、随分と古めかしい物を手入れしている──と彼女は率直な感想を抱く。
遠目に彼の姿を見たカタリナは邪魔とならぬよう静かに客間へ向かう。
微かな月明かりに照らされた風間拓海の表情が澄んだ刀身へ映り込む。真剣である短刀と同等に鋭い眼差しを湛えた双眸が刀身の表面へ浮かび上がっていた。