第11話
東京都内にあるホテルの大広間は貸し切りとなっていた。懇親会会場となった大広間には背広姿の男女の姿が数十名ほど見受けられる。
ホテルのスタッフが給仕の傍ら、大広間にいくつか設けられた円卓の間を行き来し、空いたグラスや食器を回収する中、懇親会の参加者達は談笑を交わしている。
参加者達は海上自衛隊のCBやOG──元は付くが海将、海将補、1等海佐といった幹部自衛官であった者達が目立つ。地方総監、艦隊司令官を務めた者も参加していた。年齢層としては60代が大半だ。定年を迎え、制服を脱いだ者達である。
一方で比較的若年層の男女──歳の頃としては40代や50代であろう男性や女性達の参加者も目に入る。背広の上着の襟へ取り付けられた金色の金属製11弁菊花模様の記章からも彼等の身分は明らかだろう。衆議院議員、或いは参議院議員である。
防衛政策に詳しく安全保障委員会経験者、自衛隊員の処遇や人的基盤を重視する議員達だ。
いずれにせよ、随分と仰々しく、また物々しい肩書きの人物ばかりだ。
懇親会そのものも緊張感が漂うかと思いきや──乾杯が終わって小一時間も経たぬ内にグラスを握りながら席を移動しては昔話へ花を咲かせる古強者共の宴会場へ成り果てていた。
年に数回開かれる懇親会が老後の数少ない楽しみ──は過言かもしれないが、家族と共有が難しい話題を肩ひじ張らず交わせる場が貴重なのは間違いない。
懇親会の会場となった大広間の壁際へ設けられた円卓の席へネクタイを省き、ワイシャツのボタンを上から二つほど外した背広姿の男性が腰掛けていた。彼は静かにビールの瓶を傾け、グラスへ手酌で注いで静かに会場の様子を見渡している。
賑やかな場は嫌いではないが、その賑やかな場の中心になるのは憚られる性格の持ち主──風間俊一はグラスを傾けて国産のビールを嚥下する。
「──風間さん」
不意に俊一へ声を掛けて来たのも懇親会の参加者だ。防衛大学校時代の一学年下の後輩に当たる人物であり、海将補まで昇任した彼は気さくに声を掛けながら空いている席へ腰を下ろした。
「御挨拶が遅れて申し訳ありません」
「いやいや。チラッと姿は見えていたよ。元気そうでなによりだ。......生え際は後退したようだが」
「ちょっ、やめて下さいよ。孫達にも言われてるんですから。どうぞ」
「あぁ、ありがとう」
良くも悪くも濃厚な青年期を過ごした学び舎の時分からの付き合いとなる双方だ。年甲斐もなく砕けた口調になるのも無理はない。同時に先輩と後輩の関係もあるのか、元海将補は俊一のグラスが乾いていると発見するなり、卓上のビール瓶を握り、彼へ酌をした。
「お孫さん達も元気かい?」
「えぇ。もう一番上と2番目は小学生です。この前の盆、ウチに遊びにきてくれました」
「それは良かった。小遣いばかりが増えそうだな」
「そりゃもう。ランドセルも全部、私が買いました」
やれやれ、と元海将補は左右へ首を振るが、口角が緩んでいるのを俊一が見逃す筈もない。
やはり血の繋がった孫という存在は老後を彩る楽しみのひとつになるのだろう。
「風間さんの方は......?」
「あぁ、孫かい?孫のような子はいるが......あぁ、勿論とても可愛いんだが、まだ生憎とな」
「息子さん達は御結婚は?」
「二人ともまだだよ。いつになったら結婚するんだか。俺があの歳には二人とも生まれてたってのに」
俊一が酒の席で愚痴を漏らすようになった──のは、元海将補が知る限りに於いて、彼が海上自衛隊を定年退官した後のことだ。これは良い影響なのか否か。若い頃の彼を知っている元海将補からすると、なんとも評価に困る。
若い頃の俊一は酒の席でも酩酊の素振りを見せず、静かにグラスを傾けるだけだった。常に緊張を持っていたのか、背筋を伸ばしていたようにも記憶している。いずれにせよ、彼が酒で失敗したという話や姿を見聞きした覚えがない。
老人になった二人が酒を酌み交わしていた円卓へまた新たな人影が増える。
「──失礼します、艦長」
「──お邪魔します、群司令。混ぜて頂いても宜しいでしょうか」
たちまち一人、二人と人影が増えた。俊一が現役の頃の部下達が次々とやって来る。
最終的には円卓の周りへ10名ばかりが椅子を持ち寄って腰掛けるのだ。彼が艦長時代の部下、群司令時代の部下、最終補職である護衛艦隊司令官時代の部下達が俊一の周りに集まった。
もう互いに現役ではないのだから畏まらなくても良いのではないか、とも思うが──こればかりはどうしても当時の記憶に引っ張られてしまう。
彼等の話題は自然と現役の頃の風間俊一という海上自衛官が如何に──部下の視点から見て、どれほど緊張を以て接する必要がある人物だったかに移る。
「──運用計画を持っていったら司令官に突き返されましたね」
「──俺なんか砲雷長なのにCICで淡々と詰められたぞ」
いずれも遠回しに俊一へ対する愚痴だが、本人は苦笑いを漏らした。実際に記憶があるので、そのような反応をする他ない。
やがて俊一は小用の為、席を立つ。それを見送る部下達は大広間を抜け出る背中を認めながら、揃って溜め息を吐いた。
「......風間さんのことだから気にしちゃいないと思うが......」
「......あの噂がなければ、海幕長どころか統幕長にだって......」
「......悔やまれますね」
風間俊一という海上自衛官が部下達に緊張感を強いる人物だったのは間違いない。しかし、それは誤りでもある。
確かに任務中は厳格な人物だった。ただし同時に艦内や艦隊内部の空気へ敏感だったのも事実だ。乗組員達の間での不平不満を自身の力が及ぶ範囲で改善しようと努力し、必要とあれば上級司令部へ申告する。場合によっては噛み付くことも躊躇わなかった。
「──艦長がいた頃に飯も美味くなりましたし。品目も増えた」
「──乗組員の士気向上の為にも必要不可欠、と押し通したんでしたか」
幹部や海曹士にも──余程、彼等の性格がねじ曲がっていなければという前置きが付くが、人気は高かったと言える。愛煙家という点でも喫煙場所で若い海曹士と接する機会が多かったのもあるだろうか。煙草を共に吸いながら、世間話の空気のまま不平不満を口にするよう誘導するのだ。そうやって聞き取った改善案を吟味し、職権の及ぶ範囲に限って実現していった。
小さなことからコツコツと──塵も積もれば山となるだろう。
最終的に風間俊一という人物、或いは海上自衛官はアメリカだけでなく、中露と言った東アジアの地域を取り巻く諸国の海軍関係者から注意を向けられる存在となった。
海上自衛隊の作戦能力や情報・警戒監視能力の向上、海上交通路の確保、自衛隊自身の指揮統制能力の重視──要するに、日本がアメリカの支援なしでも相当程度、自立的かつ自発的に戦略判断や作戦遂行が可能となる組織への成長を促す起爆剤と見做されたのだ。
無論、風間俊一は強硬な反米主義を主張していた訳ではない。むしろ日米安全保障条約や同盟関係を重視していた。日本の防衛にアメリカ合衆国という国家の持つ軍事力は必要不可欠と考えていたのは間違いない。ただし、無条件での親米的な思想ではない。盲目的な従属思想でもない。
あまりにも日本の防衛について一貫して考え、実務能力があり、国際的な人脈もあるというのに本人は政治的野心がない──真意が読み難い人物と東アジア諸国やアメリカから見られたのは否めなかった。
「......あの噂の出所、結局どこだったんでしょう?」
「......さてな。今となっては......」
部下達が噂──風間俊一が海幕長への就任を自ら辞退する切っ掛けとなったそれ。彼がロシア大使館や中国大使館の関係者と接触していた、という噂だ。
それの出所はいまだに判然としない。彼の部下達も最終的な階級は海将や海将補、1佐という高級幹部だ。その彼等をして、はっきりとしないのは妙な話でもある。
「......それにしても遅いですね」
「どうせ、トイレのついでに一服でしょう。最近は何処も分煙ですから」
「俺も頑張って禁煙したからなぁ......税金が上がって、嫁から健康の為にもやめろって」
昨今の煙草事情へ今度は話題が移った。俊一は葉巻を愛煙しているが、なにぶん嗜むのに支度が掛かる代物だ。外出先や艦内では比較的気軽かつ短時間で吸えるシガリロを口にしていた旨を護衛艦隊司令官時代の部下が同席する面々へ教えて間もなくのことだ。
「──失礼します。こちらに風間海将がいらっしゃると耳に挟んだのですが......」
ふと新たな人影が複数、円卓へ歩み寄って一同に声を掛ける。
その人影達はクリーニングされた背広の上着の襟へ金色の金属製11弁菊花模様の記章を取り付けていた。