第12話
洋上に浮かぶ一隻の護衛艦。その艦影は少々奇妙だ。武装等が取り除かれた姿をしている。相応の知識を持っている者がその姿を見れば、除籍された艦艇であると察するだろう。
波に任せ、静かに上下左右へ揺れ動く護衛艦の艦内には人影が全くない。
突然だった。護衛艦の舷側へ一瞬の閃光が走り、次いで黒色と灰色が混ざった爆煙が噴き上がる。
航空機から発射された空対艦ミサイルの直撃を受けたのだ。PBX系炸薬を使用し、焼夷剤も混ぜられた徹甲榴弾の弾頭が舷側を貫き、深々と艦内へ侵入した直後に炸裂。
初弾命中。続けて二発目も直撃し、艦が大きく動揺した。
これが護衛艦──実艦標的に課せられた最期の任務である。
「──司令。沈みます」
「──あぁ」
喫水線へ深刻な損傷を負い、艦内へ海水が流れ込んでいるのだろう。浸水によって傾斜が鋭角になりつつある。
最期の姿を見届ける格好となった護衛艦の艦橋内で双眼鏡を覗き込む艦長が、司令席へ腰掛ける風間俊一へ報告する。
彼は司令席から立ち上がった。艦艇戦闘服に救命胴衣、鉄帽を纏った風間俊一は双眸を細め、徐々に紺碧の海へ没しようとする艦影を見詰める。
今まさに海原へ還ろうとする護衛艦は、かつて彼が艦長を務めた艦だ。
なんという巡り合わせだろうか。最期に立ち会う機会が来るとは、あの艦へ乗り組んでいた頃は思いもしなかった光景だ。
護衛艦は、戦闘艦だ。装備品、もっと言えば兵器である。
しかし同時に──風間俊一にとってみれば、彼自身を鍛えてくれた場所でもある。
彼だけではない。あの艦に鍛えられ、成長を遂げた若者達は、今や全国へ散らばり、現役である者達はそれぞれの護衛艦や部署でその能力を発揮している筈だ。
それを思えば、最期の瞬間へ立ち会える幸運を噛み締めるのがせめてもの礼儀であろう。
そしてなにより──あの艦は、ただの一度も実戦を経験しなかった。
戦闘艦として設計され、生み出された。
艤装や武装を搭載し、乗組員を抱えて東アジアの島国を守る為に何度も海へ漕ぎ出した。航海した距離は、果たして地球何周分になるだろうか。
訓練を重ね、警戒を続け、修羅場へ飛び込み、備え続けた。
しかし、ただの一度も実戦を経験しなかった。ただの一人も搭載した武装によって殺さなかった。戦闘艦としての実力発揮の機会は、ただの一度も起こらなかった。
その事実を──何よりも誇らしく彼は感じる。
標的艦として海へ没する運命さえも、装備品の能力向上や試験の為に──将来、万が一の時に備えて、人々を守る為に身を捧げることとなった。
艦が──没しようとしている。何度も駆け抜けた紺碧の海原の下へ。永遠の眠りに就こうとしている。
艦橋の中でカツンと踵を合わせる音が響いた。
額へ五指を揃えた右手を翳す挙手の敬礼を風間俊一が執る。艦底部を見せながら沈む艦へ向かっての敬礼を認めた艦長が、艦橋内に存在する人員に同様の敬礼で見送るよう命じる。
ひとつの時代が──海原へ還って逝った。
こんなに囲まれるとは──用足しのついでにシガリロも楽しんだ後に風間俊一は懇親会会場の大広間へ戻って来たが、先程までかつての部下達と酒を酌み交わしていた円卓の様相が変わっていた。
参議院議員や衆議院議員──与党や野党を含めた老若男女が集まっているのだ。
彼等は口々に自己紹介をしていく。テレビやネットニュースで見聞きした顔や声の持ち主達へ頷いた彼は円卓の周りへ集まっていた元部下達に目配せする。
席を空けろ、という無言の意思表示だ。彼の部下を経験した者達が察するのは朝飯前だ。揃って彼等は立ち上がり、議員達へ席を勧める。
「──皆さんにお話を伺いたく、懇親会へお邪魔したのですが......まだ風間海将に御挨拶をしていなかったと思い出しまして」
「あぁ、それは。こちらから出向くべき筋のことです。わざわざお足を運ばせて申し訳ありません」
彼の間近に腰掛けたのは与党で防衛政策を提言する役割を持たされた中堅の男性議員だ。順に俊一を囲む格好で若手の男性議員、野党所属の女性議員が、そして安全保障政策を長く担当してきた初老の議員が席へ座る。
風間俊一はビール瓶を握り、中堅議員へ差し出すがそれを彼は丁重に断った。
下戸なので、と中堅議員は断りを入れる。であれば仕方ない、と風間俊一は手酌で手元のグラスへ注ごうとするが、そのビール瓶を中堅議員がそっと奪い取り、酌をする。
「頂戴します。それで......お話、とは?」
ビールは少し温くなっていたのか、白い泡ばかりが目立つ。泡立ったグラスを唇へ運び、吸い上げる彼に中堅議員が代表して口を開いた。
「──今後の日本の防衛について、率直なご意見を伺いたく思いまして......」
「......定年退官した老いぼれです。議員先生の皆さんにお話できるようなことは......」
「──ご謙遜を」
「──護衛艦隊司令官まで務められた風間海将ではありませんか。忌憚ないご意見を伺えれば幸いです」
なんとも困ったことになった。懇親会という非公式な場で防衛政策を提言する議員達が参考となる情報を聞き取ろうとする──それはままあることではある。
とはいえ、彼は既に退官して何年も経っている。新鮮な現場の情報を耳にしているとは言い難い。国際情勢を始めとした情報を報道等から入手して自分なりに分析こそすれ、現在の正確なそれと乖離している可能性は否めない。
彼は直ぐに口を開かなかった。逡巡したとも言える。
白い泡はほとんど吸い上げ、黄金色のビールが顔を覗かせた。彼は喉を鳴らすことなく、それを唇を湿らせる程度に含んだ後、ゆっくりと口を開く。
「......私で宜しければ。ただし、正確な数値やデータ、エビデンスは提示しません。判断材料となることしか申し上げられません。一老人の妄言と受け取って頂きたい」
「──是非、お願いします」
それで構わない、と言わんばかりに中堅議員が、そして集った議員達が首肯する。次いで口を開いたのは野党に属する女性議員だ。歳の頃は40代だろうか。
「──風間海将から見て、今後の日本の防衛に最も必要と思われるのはなんでしょうか?やはり装備の更新、サイバー能力の強化でしょうか?無人機やAIを開発する為の投資でしょうか?」
「えぇ、挙げられた全ては重要事項でしょう。海上自衛隊だけでなく、陸空の装備品調達や更新、ミサイル防衛に弾道ミサイル防衛の強化、将来的な無人機開発や戦術AIの開発も必要とは考えます」
女性議員の言葉を彼は否定しなかった。
だが、ただし──と続ける。
「──結局のところを言ってしまえば、それらだけで防衛力と言い切ってしまうことは出来ません」
「......と言うと?」
「防衛力とは──これは皆さんからすれば釈迦に説法でしょうが、定義するとしたら国家が自国への侵略を未然に防ぎ、万が一の侵略を受けた場合にこれを排除・阻止する為に保有する予防的機能も含めた自衛の能力です」
「仰られる通りです」
安全保障政策を長く担当してきただけはあるのだろう。初老の議員が首肯した。
「──お若い皆さんにお尋ねしますが、この防衛力を維持し、強化する為には根本的なことを言うと何が必要かと考えますか?」
初老の議員を除く中堅議員、野党の女性議員、そして若手議員へ風間俊一は問う。
彼等は答えた。結局のところは人であると。
人員の確保、人員の教育や訓練、待遇改善が挙げられた。
「その通り。同時に、無視してはならないのは整備能力、情報、外交、日米の同盟関係に周辺各国との関係性、継戦能力もそうでしょう。なにより国民の理解が必要不可欠です」
防衛力とは総合的な能力である、と風間俊一は言いたいのだろうと議員達は咀嚼した。
「エネルギー問題もそうです。石油を始めとしたエネルギーを我が国は他国へ依存している。油が無くては戦えない──これで私達の先祖は痛い目を見た。大いに反省するべきでしょう」
「......なるほど。では、風間海将は日本の防衛に──踏み込んで申し上げますと、今後の自衛隊という組織に何を求めますか?国防軍への変化、でしょうか?」
「.........お答えするのが難しいことをお尋ねになりますね」
「申し訳ありません。なにぶん、不調法者でして」
易々と答えるのが憚られる質問だ。眉根を寄せる風間俊一へ対して、中堅議員は苦笑混じりに肩を竦める。
「......何を求めるか。難しい質問だ」
答えを探す間、彼は言葉を濁しつつグラスを掴んだ。半分ほど残っているビールを何口か嚥下し、静かに卓上へ置く。
不意に──標的艦となった護衛艦の姿、かつて彼が艦長を務めた艦の姿が脳裏をよぎる。現在はきっと紺碧の海の底で魚礁となり、生態系の新たな一部となっているだろう。
「──そうですね。何を求めるか。......強い自衛隊、戦争に勝てる組織を求めていない、と言えば嘘になる。その組織は必要だろうと考えますが......」
彼は一度、言葉を区切る。
「──やはり私が求めるのは、戦争を起こさせない組織でしょう」
風間俊一の漏らした表現に議員達は揃って頭上に大きな不可視の疑問符を浮かべる。
野党所属の女性議員がおずおずと尋ねる。
「......それは、抑止力となる組織、でしょうか」
「ざっくりと申し上げれば、その通りになります。相手に戦って勝てると思わせない。仮に勝てたとしても得るモノよりも損害の方が大きい、割に合わないと考えさせる。その為に必要な能力を有した組織、戦争を起こさせない組織を私は求めます」
ただ強ければ、戦争には勝てるだろう。だが、戦争に勝つという一点の能力を整える為に装備品だけを強化、更新するだけでは足りない。
「我が国を取り巻く環境は、非常にデリケートの一言に尽きる。太平洋と日本海、東シナ海の狭間に浮かぶ島国であり、近隣諸国にはロシアや中国、そして朝鮮半島がある。火薬庫のようなものです」
何が切っ掛けで火が点くか、何処の誰が戦端を開く命令を下すか──そのような環境で良くもまぁ、戦後から80年以上もこの国が存在していたと思える程だ。ほぼ奇跡に近い──と形容するのは過言だろうか。
「......では、何処まで防衛力を強化すれば宜しいでしょうか?なにごとにも限度は存在します」
最年少の若手議員が問う。親子程の歳の差が離れた議員からの質問へ彼は数秒考え込んだ後に告げる。
「......それは私の口からは申し上げられない。逃げ口上かと思われるでしょうが、私の口からは決して申し上げられない質問です」
「何故でしょう?」
再度の問い掛けに彼は穏やかに返した。
「私が元とはいえ、海将だったからですよ」
海上自衛隊が保有する艦艇や航空機、装備品の能力に諸元の情報は彼が現役当時までに蓄えた知識の中へ存在している。それを元にして参考となる判断材料はいくらでも口に出来るだろう。
「──何処まで防衛力を持つべきなのか。何処まで国民に負担を強いて、求めるのか。それを決める権利は少なくとも私にはありません」
風間俊一は残り僅かとなったビール瓶を片手に握り、手酌でグラスへ注ぎ足す。空となった瓶が静かに置かれた。
「それを決めるのは政治家。政治家を選ぶのは国民。主権者であり、有権者である国民です」
グラスを持った彼は口元へ運んだそれの縁へ口付け、やや傾けた。何口かを喉仏を動かして嚥下し、酒精が僅かに混ざった吐息を漏らす。
「私は自衛官でした。今でも現役の頃に培った知識や経験を持っていると思います。だからこそ──」
グラスが卓上へ置かれ、次いで風間俊一の鋭い眼差しが議員達へ向けられる。
「──国民に代わって国の在り方を決め付けることは断じて出来ません」