エスメラルダ3
こうしてローレンスは私の部屋に入り浸るようになり、メイドたちの格好の噂となった。
「王女殿下の騎士の話を知ってる?」
「うん。ずいぶん好意を抱いてるみたいじゃない」
「あんなに冷たかった王女殿下が心を開かれるなんて。どうやって誘惑したんだろうね」
私は誘惑などされていない。貴女たちは私に世界の真実を何も教えてくれなかったくせに。偉そうに言わないで。
不満ばかりが募っていき、余計に城が嫌になる。
こんな噂が父王の耳に入らないはずもなかった。夕食という逃げ場のない空間で、父王は咳払いをする。
「エスメラルダ。ローレンスとはどういう関係なのだ」
「主と騎士です」
もうそれ以下の関係にはなりえない。平然と言って退けると、父王は目を吊り上げた。
「これ以上の噂が広がるのなら、ローレンスを解任してもいいのだぞ?」
父王は私から何もかも奪う気なのだろうか。許せない。黙って父王に従っている母も同罪だ。
「私はもう、お父様やお母様の言いなりになる道具ではありません」
震える声を絞り出すと、父王は鼻で笑う。
「私の娘である限り、お前の人生は私のものだ。文句など言語道断」
父王はすっと息を吸い込み、私を見た。
「隣国まで噂が流れては困る。ローレンスをエスメラルダの騎士から解任せよ」
脇で控えていたオスカーに、父王は何やら書状を渡す。それがよくない物であることくらい私にも分かる。
「......待って! オスカー、その中を私にも見せて!」
「エスメラルダ殿下、申し訳ございません」
マントを靡かせながら、オスカーは身を翻す。この時ほど、オスカーを恨んだことはない。
私は普通の幸せを願うことすら許されないのだろうか。悲しみと絶望が心を満たしていく中で、魔導書の存在が頭をちらつく。私はもう、あれを使うしかない――。
その日の夜からローレンスは姿を現さなくなった。噂によると、国境の警備隊に回されるそうだ。ぽっかりと心に空いた穴が私を食らう。
呆然自失で部屋へと閉じこもり、魔導書に目を通す。それまでは何も書かれていなかったページに、文字が現れていた。
『この魔法を使えば、世界をなかったことにできる。愛する者は永遠の命を得られるだろう』
私はこの文章が救いの他には見えなかった。魔法を使えば、城も、父王も、隣国との縁談も無に帰す。永遠にローレンスと一緒にいられる。そう思えてならない。
ぼんやりと窓の外に視線を移してみれば、色とりどりの花が揺れている。遠い日に聞いたローレンスの言葉を思い出す。
殿下はこの国を『愛おしい』と思う心を忘れないでいてください。
父王が、この国が私を苦しめる。愛おしいなんていう感情はどこかに行ってしまった。なくなってしまってもいい。極端な思考になっているのにも気付かずに、静かに涙を流す。
「エスメラルダ殿下」
声を掛けてきたのはオスカーだ。彼は私の前で膝を折り、他に誰もいないことを確かめる。
「ローレンスが国境に向かうのは殿下の誕生日です。前日に、一目だけでも殿下に会いたいと相談されまして」
またローレンスに会える。たったそれだけのことが私の心を揺り動かす。
「会えるのですか?」
「国王陛下には絶対に感づかれないようにしてくだされば」
脳裏にローレンスの優しい笑顔がよぎる。あの笑顔を見られるのなら、どんな困難だって乗り越えてみせよう。
「やってみせます。ですから、ローレンスに伝えてください」
オスカーの青い瞳を見ながら、ローレンスのグレーの瞳を重ねる。
「あの花畑で待っています。絶対に来てください、と」
もう一度、ローレンスに逃亡を持ちかけよう。否定されるのなら、魔法を使うだけだ。私の心は破滅への一途を辿るのだった。
* * *
目を開けると、天井にはシャンデリアがぶら下がっていた。まだエスメラルダの記憶の中にいるのではないだろうか。一瞬だけそう思ってしまった。
すぐにアヴリルが飛び付いてきたのだ。
「オフィーリア~。よがっだ~」
もしや、アヴリルは泣いているのだろうか。こんなに心配をさせてしまうなんて、悪いことをしたな。のんびりとそんなことを考えていたけれど、すぐに私の心は別の場所へと移る。
エスメラルダに魔導書を渡した人物を、私は知っている。五百年前と現在の記憶が混じるなんて、そんなはずがない。だからこそ、この国で確かめておかなくては。
「アヴリル、ごめんね」
アヴリルを宥めてからベッドから降り、傍で心配してくれていたノエルとリックスも躱す。そのまま廊下へと飛び出していた。
「オフィーリア!?」
「そんな身体で......どこに行くんだよ!」
申し訳ないけれど、理由を説明している時間はない。一心不乱に図書館のカウンターを目指した。
息を切らしながら現れた私に、司書の女性は目を丸くする。
「どうかされましたか?」
「人を探してるんです。白髪で、吊り目で、紫の瞳の元司書の女性なんですけど」
「紫の瞳......?」
司書は訝しがりながら首を傾げ、目を吊り上げた。
「紫の瞳の者なんて、司書を務めたことはありません。第一、紫の瞳の人物がいるはずがないでしょう? そんなもの、人ではなく幻魔です」