幻魔1
私の中の時間が止まる。エスメラルダを誑かしたのは幻魔で、私に回復魔法を教えたのも幻魔――どうして、何のために。理由が全く分からない。
眉をひそめて司書に問う。
「あの、幻魔って何ですか?」
「それはご自身でお調べください」
遠回しに、検索をするから金を寄こせと言っているのだろう。ここでケチってしまえば、絶対に後悔する。真実には辿り着けないだろう。
振り返り、ノエルやリックス、アヴリルの姿を確認する。
「みんな、もう一回だけ、司書に検索をお願いしてもいい?」
申し訳なく言ってみると、アヴリルは口を尖らせた。
「オフィーリア、もう二万オンスも検索に使ってるんだよ? さすがにこれ以上はもう。ね?」
「それはオフィーリアの答え次第だな」
ノエルは渋い顔をしながら腕を組む。
「検索したい理由はなんだ?」
「エスメラルダが国を滅ぼした、諸悪の根源が分かるかもしれないの。絵本にも魔導書って書いてあったでしょ? それが幻魔に渡されたかもしれないものだから」
今回ばかりは譲れない。拳を作り、ノエルを必死に見詰める。
「エスメラルダの夢、か?」
「うん」
「......元々、三万オンスは使えるって言ったのは俺だからな。ほら」
ノエルは懐から財布を取り出し、紙幣を渡してくれた。笑ってくれたので、ほっと胸を撫で下ろす。
ところが、アヴリルは不満そうに私が手にした紙幣を見る。
「だからって、本当に三万オンスも使うことないでしょ? あたしたちが極貧旅してるって忘れた?」
「現金を一オンスも持ってこなかったお前が言うなよ」
リックスは苦笑いをしながら小さくツッコミを入れる。それには反抗できなかったようで、アヴリルは頬を膨らませるだけに留まった。
一万オンスは司書の手に渡り、引き出しへと収められる。
「幻魔の記述がある書物はこちらです」
司書はカウンターを出ると、一階の本棚を物色し始めた。その後に私たちも続く。
改めて図書館を見てみると、本棚の間にステンドグラスがあったり、シャンデリアがぶら下がっていたり、荘厳な空間だ。何故、今まで気付かなかったのだろう。ほっと息を吐き、シャンデリアに描かれた天使を見上げてみる。
司書は脚立を使い、分厚い一冊の本を引き出した。紺の表紙には『神話学と天使・悪魔・魔獣』と書かれている。
ノエルがその本を受け取ると、礼も言わずに三階の読書室へと急ぐ。一階の読書室は混雑していて集中できないだろう。
四人で顔を突き合わせ、文章に釘付けになる。それらしきページを見つけると、リックスは指で示した。
* * *
幻魔とは、人を誑かす邪神である。人間の姿を取ることが多いが、その正体は蝙蝠の翼を持った獅子。紫の瞳は人間の心を操ることができるとされており、一度その姿を見ると魅入られてしまう。善悪の判断はなく、己の快楽のために行動する。ルーインと名乗るとされている。
* * *
短い文章であるものの、これが本当だとするのならとんでもない。一国が幻魔によって滅ぼされた。しかも、何の罪もなかった少女の想いを利用して。
こんなもの、認めたくはない。でも、認めてしまえば物事の筋は通ってしまうのだ。エスメラルダには『破滅』を教え、私には『救済』を教えた。全て『面白そうだから』で済まされてしまう。
拳を握り締め、唇を噛む。
「オフィーリア。昨日はどんな夢を?」
ノエルはそっと囁いた。
「エスメラルダは隣国に嫁に行くことが決まった。でも、すぐにローレンスとは想いが通じ合って、父王を、国を恨むようになった。そこに現れたのが、たぶん幻魔」
深呼吸をし、紫のローブ姿で現れた老女を思い出す。
「魔導書を渡されて、負の感情が増幅されて。ローレンスはエスメラルダの騎士から外された。その時に、エスメラルダは魔導書を使う決意を固めた。そこから最初の夢に繋がるんだと思う」
花畑の中でエスメラルダは逃亡を提案したものの、ローレンスに拒否された。だから、最終的にあの魔法を――。
ローレンスが悪いわけではない。彼は、ただ忠義に従っただけだ。今の私が考えれば分かるのに、エスメラルダは冷静ではなくなっていたのだろう。それが魔法の力なのか、環境の影響なのかは分からない。
「うーん」
アブリルは大袈裟に唸り声を上げる。
「一度見ると魅入られてしまうって書いてあるじゃん? オフィーリアには実害はないの?」
「害はないけど......回復魔法を教えてくれたのが幻魔なの」
「うわ......」
アヴリルは身を引き、顔をしかめる。
「オフィーリアもしっかり見られてんじゃん」
失念していた。一度その姿を見れば、私だって魅入られてしまう。私も破滅の一途を辿るのだろうか。
「あんまりオフィーリアを不安にさせるなって」
リックスは私の様子を窺いながら、アヴリルに鼻で息を吐く。
「俺たちが張りついてたら、幻魔も手出しはできないだろ?」
「まあ、そうなんだろうけどねー」
アヴリルは頬杖をつきながら、何やら考えを巡らせている。
「みんな、お願いします」
改めて、私から頭を下げていた。三人は笑いながら「うん」と返してくれる。それがどうしようもなく嬉しい。
『印を持つ者は悪を滅ぼす』、『悪を滅ぼせば、己の身も滅ぼす』。そんな伝承など、頭から抜けていたのだ。