歓迎された闇1
その日のうちに図書の国を発つ。どこからルーインが目を光らせているか分からない。それなら、彼女が逃げも隠れもできない外へ向かおうということになったのだ。
目指すのは魔王城だ。図書の国から北の方角には、暗い紫に堕ちる空が遠くに霞んで見えた。
魔王城で何が私を待ち受けているのだろう。唇を噛み、重たくなる気持ちを奮い立たせる。
体力温存という意味で、ノエルとリックスの素振りは一時休止となった。武器屋でリックスの二本目の剣を購入したけれど、アヴリルに言わせると『他の街の二倍』は高価だったらしい。しかし、魔王城までには他に立ち寄る街もなく、選択肢はなかった。
段々と人の手が入らなくなっていく砂利道をアヴリルとノエル、そして私とリックスが並んで歩く。
「いつモンスターが出てきてもいいように、心づもりはしといてねー」
「分かってるって」
いつもの調子で話すアヴリルに、リックスもにやりと笑う。みんなは魔王城での用事が済めば、今までの暮らしに戻れると思っている。私だってそうだ。
でも、ルーインに言われてしまった。私に明るい未来はない。夢見るだけ無駄だ、と。あの時は必死に否定したのに、今では心に雲がかかっている。
そんな時に、アヴリルは振り返った。
「まーたオフィーリア、そんなに暗い顔してー。何考えてんの?」
「えっ? 私は......」
「怒らないから。言っちゃいなって」
「魔王城から......生きて出られるのかなって、不安になっちゃって」
歩きながら目を伏せると、吐息をつく音が聞こえた。
「まあ、不安になるのは分かるよ? 相手は幻魔だし。でもねー」
「ああ。国王陛下は尻拭いとは言ってたが、死ぬなんて一言も言ってないからな」
「万が一があったら、責任を国王陛下に擦り付けたっていいし」
アヴリル、ノエル、リックスの声が続く。もし死んでしまったら、責任の擦り付けなんて意味がないのに。僅かに口を尖らせると、隣から手が伸びてきた。
「ほら、これあげるよ」
リックスの手には個装紙に包まれた飴玉が乗っている。
「考えすぎたら甘い物」
「ありがとう......」
素直に受け取り、個装紙を剥がす。白い飴玉はミルク味、だろうか。口に入れると、予想外にも爽やかな酸味とコクが広がっていく。
「ヨーグルト好きじゃんか。買っといた」
私が目を開いたからか、リックスはへへっと笑う。すると、ノエルが意地悪そうに口角を上げた。
「俺の入れ知恵だろ?」
「それは言うなって......!」
じゃれ合う二人を前に、魔王城を前にしてまで平常心でいられるのはすごいな、と感心してしまう。
やがて砂利も消え、ただ草が踏み倒された道へと変わる。人間ではなく、モンスターが通った危険な道――そう思わざるを得ない。
風が強くなり、髪を、ドレスアーマーの裾を弄ぶ。乱れていく髪をまとめる物もなく、片手を髪に添える。
日が沈んだわけでも、木陰があるわけでもないのに、辺りには影が差す。空を見上げると、分厚く被さる雲が紫に変色していた。
「いよいよ、だな」
無意識なのか、ノエルは拳を握る。それに呼応するように、リックスも口を引き締めた。
草の色も緑から紫へと変わった頃、前方で草原が動いた気がした。それは草を踏む音を伴って、じわじわと近づいてくる。私たちも足を止め、ノエルとリックスは剣に手を掛けた。
一足先に、アヴリルが大地を蹴る。
「あたしに目をつけられたら逃げられないんだからねー!」
叫びながら、盾を振り被った。同時に私の左手の印が紫に発光する。
「......エスメラルダ!」
前方から声が聞こえる。アヴリルのものではない。もっとしゃがれた、中性的な声だ。
「エスメラルダなんて、ここにはいないんだよ!」
アヴリルは盾を振り下ろす。ところがそれは大地に刺さり、土を散らした。先ほどの声の主はアヴリルの攻撃を躱したのだろう。草原が素早くこちらに動き、オレンジの物体が姿を表した。恐ろしく吊り上がった赤い瞳は私を一心に見詰める。
「エスメラルダ! こっち!」
そうしてモンスター――いや、マンドラゴラは遠くに聳える黒い建物――魔王城へと視線を移す。
「私を......誘ってるの?」
「さそう? うん、たぶんそう!」
マンドラゴラの声を聞いた者は死んでしまうと聞いていたのに、何故、平然と会話をしているのだろう。そんな疑問もすぐには浮かばなかった。
「なんでモンスターがオフィーリアを......?」
リックスの呟きには、マンドラゴラは反応しない。
「エスメラルダ! ローレンスのところ、いこ!」
「ローレンスって、いや、そんなわけ......」
ノエルも頭を抱える。唯一、アヴリルだけがマンドラゴラに敵意を向けていた。
「オフィーリアに懐いてんじゃないよ!」
マンドラゴラの葉を掴もうとしたものの、マンドラゴラはサッと身を翻して前方へと駆け出す。アヴリルは悔しそうな表情で奥歯を噛み締める。
「なんで攻撃してこないわけ!? 狩れるものも狩れないじゃん!」
苛立ちを覚えたのか、アヴリルは盾を一度だけ大きく縦に振った。
私たちの間を一陣の風が駆け抜ける。湿気を孕んでいて、身体にまとわりつくようだ。