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3話

3、砂糖菓子

 硬い感情を薬研で細かく砕こうと前腕に体重をかける。こういうものは乳鉢では削れないから手間がかかる。

 面倒だが仕方ない。
 一般人に薬として処方する時は、必ず粉末か、それを溶かした溶液にしなくてはならない。人の消化能力ではあんな石は消化吸収できないのだから。
 
 バキバキ、ともパキパキ、ともいかない脆い音を立てながら、握りこぶしより一回り小さい、ルビーのような赤い宝石が細かくなっていった。


「おい、代わってくれ」

 雅は百萌に視線を送る。もうそろそろ夕餉の用意をしなければならなかった。
 
 百萌は下働きのような役割を担ってくれるもののまだ幼い。料理などほとほと危うくて頼めたものではない。

「はぁい」

 手を離した雅の代わりに薬研車に手を回し、全体重を前腕に傾け宝石を砕く。
 
 パリ、リ、パキ。
 
 時折大きな欠片に引っかかるような不器用なリズムで薬研車を回していた。

 立ち上がると今まで座っていた床が暖かかった。

 必要最低限の動作で襖を開ける。暖房の効いていない廊下には暖かな西日が届いていた。想像より冷たくは無い。

 草履を履いて土間へと降りる。
 あの青年の様子を見て、普通の食事が厳しそうなら粥を作ってやらねばならない。
 
 冷蔵庫を開ければ、先日七草粥を食べた時のせりとナズナが残っていた。他には豚バラ、白菜、大根、玉ねぎ、なんでもできそうな材料が揃っている。

 生姜焼きか豚バラ大根かを迷って、古くなりそうだった大根に手を伸ばした。

 冷蔵庫から漏れる冷気が、竈の熱とぶつかって白く消えていく。

 パチンッ。
 竈の墨が半濁音で鳴く。
 
 大根の皮を剥き、いちょう切りにしていく。豚バラは二から三センチ程の大きさに切って下準備を済ませる。
 
 火が通るまでの間手持ち無沙汰で、白菜を刻んで味噌汁を作った。明日の朝の分も作ってしまおうかと頭をよぎって、出汁の香りが薄れるのを嫌がってやめた。

 町医者は先程こちらへ一言声をかけて帰った。再び眠りについていた青年が起き上がったらしい。布の擦れる音がした。

「おい、一寸ちょっと此方へ」

 呼べば百萌が書斎から台所へと足早に姿を現す。ひょこりと土間上の廊下から顔を出す。

「なぁに、雅さん」
「あの青年が起きた。水差しを持っていけ」
「うん」

 百萌は蛇口から水道水を水差しへ汲む。そして、適当な茶菓子と共に盆に並べた。

 こういう不意な気遣いは、意図せず身についた処世術なのだろうか。彼女が"向こう"で送る生活を想像し、眉をひそめた。

「じゃ、行ってくるね」

 ごま油で豚バラが炒まって、香ばしい香りが台所を満たす。出汁を取った煮干しのかすを少し齧ってみる。

 調理を終えて火を止めると、先程までの温かさが嘘のように、上空に沈殿していた冷気が降り始める。

 百萌が青年の介抱を終えて、空になった菓子の包装紙を載せた盆を持って戻ってきた。どうやら食欲はあるらしい。二人前の料理が無駄にならずに済むようだ。

「雅、僕呼ばれたから"帰らなきゃ"」
「そうか、ではまた夜に」
「薬は作り終わったよ」
「助かった」

 百萌はにこやかに笑うとその場からパッと

 台所には鍋から立ち上る白い湯気だけが残っている。鍋には二人前の豚バラ大根。初めから彼女の分は換算されていなかった。

 寝室へと向かう。日も暮れて、夕刻と比べすっかり寒くなった廊下を進んだ。

 だいぶ古くなった建物の板張りは一箇所だけきぃと鳴るところがある。これ以上箇所が増えれば修理を呼ばなければならない。あの大工はお喋りだから、なるべく呼びたくはないのだが。

 襖を開け後ろ手に閉める。
 ほんのりと暖かい室内では青年が半身を布団に包まったままぼうっと窓の外を眺めていた。

 枕元に置いておいた山吹色の着流しを着たその体はもう汚れてはいなかった。

 紺色の美しい髪をした青年が振り返った。
 なんの混じり気もない純粋な漆黒の瞳が雅に向く。
 
 その目が何を見ているのかよく分からなかった。
 少なくとも、雅ではない何かを見ていた。
 雅も青年ではない何かを見ていた。

「目が覚めたか」
「助けていただいたようで、ありがとうございます」

 青年は布団から起き上がり、床に額を擦り付けそうなほど頭を下げて礼を言う。

 頭を下げる直前、青年の瞳は揺れていた。医者には説明されただろうが、このように言葉を交わすのは初めてなのだから、緊張されても仕方がない。

 二の句を継げない青年のために、雅が口を開いた。

「帰る宛てはあるのか」
「......いえ」

 青年は苦い顔をした。

「両親が、目の前で殺されてしまった、ので」

 苦しげに絞り出したような声だった。礼を言った姿勢のまま小さく縮こまっている。
 
 自分で言ったことがまだ上手く受け入れられていないようだった。きっとこの状況も。

 手が僅かに震えている。この部屋は決して寒くは無い。

「食べられないものはあるか」

 青年は驚いた顔で首を振った。

「いいえ、ございません」
「ならば夕餉の時間だ、来るといい」

 青年に背を向けると、雅は中庭のある廊下へと出て、さっさと台所へと戻った。何となく彼は来るだろうという確信があった。
 
 豚バラ大根と味噌汁を盛り付ける。おずおずといった様子で部屋から出てきた青年に向けて、一つ手前の部屋をちょいと指さした。食卓のある居間だった。青年は律儀に礼をすると、中へ入っていった。

 盆に二人分の食事と箸を乗せ、居間に向かった。
 二人の食卓は静かなものだった。青年は警戒する様子もなく飯に手をつけ、あっという間に米粒一つも余さずに茶碗を空にした。

「もう少し食べるか」
「ありがとう、ございます」
「青年、名は」

 茶碗に白米のおかわりをよそい手渡す。青年は少し戸惑いながらそれを受け取り、目を泳がせて側頭部を摩った。

「名は、言わぬようにと両親から」

 政府のお偉方なのか、裏社会の人間なのか、なんにせよ、雅は厄介事の気配を感じ取った。
 雅はその気配から気を紛らわそうと窓の外に目をやって、暗い冬の庭を眺めた。

 ふわり。

 淡く、柔らかな雪がのんびりとした速度で地を迎える。
 あの時雪の中から紺碧の髪を覗かせていた、神社での光景が重なった。

「お前の名は、せつこの薬屋は人が足りていない。働くなら、暫く匿ってやる」

 青年は注意深く表情を隠そうとしているものの、目が柔らかく輝き、安堵とも言えぬ感情が溢れ出ていた。
 
 
 淡い、虹のような極彩色。

 
 雅は初めて見る感情に生唾を飲み込んだ。桃源郷があるとすれば、きっとこんな光景なんだろう。

「よろしく、お願いいたします」

 雪は深々と、指を三本ずつついて土下座の体勢で頭を下げた。

 雅はハッと正気に帰り、この青年の頭を下げるところばかり見ているな、と指を手の中に丸め込んだ。もう片方の手で裾を握る。
 
 畳に落ちた影は長く、二人分の吐息だけが白く揺れていた。気づけば火鉢の墨が消えている。

「そういう畏まったのは無しだ。得意じゃない」
「はい、わかりました」

 雪はその仕草を真似るように自身の裾を握って笑った。
 
 極彩色をルーツに持つ人間。
 最も人間らしい、整った形をした魂にのみ現れる色。

 本能が告げる。繊細で、今にも壊れそうなこの青年を簡単にほかの手に渡してはいけない。

 手の上に、脆い砂糖菓子を置いたような感覚だった。
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百味堂作者:のらり、くらり
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 硬い感情を薬研で細かく砕こうと前腕に体重をかける。こういうものは乳鉢では削れないから手間がかかる。

 面倒だが仕方ない。
 一般人に薬として処方する時は、必ず粉末か、それを溶かした溶液にしなくてはならない。人の消化能力ではあんな石は消化吸収できないのだから。
 
 バキバキ、ともパキパキ、ともいかない脆い音を立てながら、握りこぶしより一回り小さい、ルビーのような赤い宝石が細かくなっていった。


「おい、代わってくれ」

 雅は百萌に視線を送る。もうそろそろ夕餉の用意をしなければならなかった。
 
 百萌は下働きのような役割を担ってくれるもののまだ幼い。料理などほとほと危うくて頼めたものではない。

「はぁい」

 手を離した雅の代わりに薬研車に手を回し、全体重を前腕に傾け宝石を砕く。
 
 パリ、リ、パキ。
 
 時折大きな欠片に引っかかるような不器用なリズムで薬研車を回していた。

 立ち上がると今まで座っていた床が暖かかった。

 必要最低限の動作で襖を開ける。暖房の効いていない廊下には暖かな西日が届いていた。想像より冷たくは無い。

 草履を履いて土間へと降りる。
 あの青年の様子を見て、普通の食事が厳しそうなら粥を作ってやらねばならない。
 
 冷蔵庫を開ければ、先日七草粥を食べた時のせりとナズナが残っていた。他には豚バラ、白菜、大根、玉ねぎ、なんでもできそうな材料が揃っている。

 生姜焼きか豚バラ大根かを迷って、古くなりそうだった大根に手を伸ばした。

 冷蔵庫から漏れる冷気が、竈の熱とぶつかって白く消えていく。

 パチンッ。
 竈の墨が半濁音で鳴く。
 
 大根の皮を剥き、いちょう切りにしていく。豚バラは二から三センチ程の大きさに切って下準備を済ませる。
 
 火が通るまでの間手持ち無沙汰で、白菜を刻んで味噌汁を作った。明日の朝の分も作ってしまおうかと頭をよぎって、出汁の香りが薄れるのを嫌がってやめた。

 町医者は先程こちらへ一言声をかけて帰った。再び眠りについていた青年が起き上がったらしい。布の擦れる音がした。

「おい、一寸ちょっと此方へ」

 呼べば百萌が書斎から台所へと足早に姿を現す。ひょこりと土間上の廊下から顔を出す。

「なぁに、雅さん」
「あの青年が起きた。水差しを持っていけ」
「うん」

 百萌は蛇口から水道水を水差しへ汲む。そして、適当な茶菓子と共に盆に並べた。

 こういう不意な気遣いは、意図せず身についた処世術なのだろうか。彼女が"向こう"で送る生活を想像し、眉をひそめた。

「じゃ、行ってくるね」

 ごま油で豚バラが炒まって、香ばしい香りが台所を満たす。出汁を取った煮干しのかすを少し齧ってみる。

 調理を終えて火を止めると、先程までの温かさが嘘のように、上空に沈殿していた冷気が降り始める。

 百萌が青年の介抱を終えて、空になった菓子の包装紙を載せた盆を持って戻ってきた。どうやら食欲はあるらしい。二人前の料理が無駄にならずに済むようだ。

「雅、僕呼ばれたから"帰らなきゃ"」
「そうか、ではまた夜に」
「薬は作り終わったよ」
「助かった」

 百萌はにこやかに笑うとその場からパッと

 台所には鍋から立ち上る白い湯気だけが残っている。鍋には二人前の豚バラ大根。初めから彼女の分は換算されていなかった。

 寝室へと向かう。日も暮れて、夕刻と比べすっかり寒くなった廊下を進んだ。

 だいぶ古くなった建物の板張りは一箇所だけきぃと鳴るところがある。これ以上箇所が増えれば修理を呼ばなければならない。あの大工はお喋りだから、なるべく呼びたくはないのだが。

 襖を開け後ろ手に閉める。
 ほんのりと暖かい室内では青年が半身を布団に包まったままぼうっと窓の外を眺めていた。

 枕元に置いておいた山吹色の着流しを着たその体はもう汚れてはいなかった。

 紺色の美しい髪をした青年が振り返った。
 なんの混じり気もない純粋な漆黒の瞳が雅に向く。
 
 その目が何を見ているのかよく分からなかった。
 少なくとも、雅ではない何かを見ていた。
 雅も青年ではない何かを見ていた。

「目が覚めたか」
「助けていただいたようで、ありがとうございます」

 青年は布団から起き上がり、床に額を擦り付けそうなほど頭を下げて礼を言う。

 頭を下げる直前、青年の瞳は揺れていた。医者には説明されただろうが、このように言葉を交わすのは初めてなのだから、緊張されても仕方がない。

 二の句を継げない青年のために、雅が口を開いた。

「帰る宛てはあるのか」
「......いえ」

 青年は苦い顔をした。

「両親が、目の前で殺されてしまった、ので」

 苦しげに絞り出したような声だった。礼を言った姿勢のまま小さく縮こまっている。
 
 自分で言ったことがまだ上手く受け入れられていないようだった。きっとこの状況も。

 手が僅かに震えている。この部屋は決して寒くは無い。

「食べられないものはあるか」

 青年は驚いた顔で首を振った。

「いいえ、ございません」
「ならば夕餉の時間だ、来るといい」

 青年に背を向けると、雅は中庭のある廊下へと出て、さっさと台所へと戻った。何となく彼は来るだろうという確信があった。
 
 豚バラ大根と味噌汁を盛り付ける。おずおずといった様子で部屋から出てきた青年に向けて、一つ手前の部屋をちょいと指さした。食卓のある居間だった。青年は律儀に礼をすると、中へ入っていった。

 盆に二人分の食事と箸を乗せ、居間に向かった。
 二人の食卓は静かなものだった。青年は警戒する様子もなく飯に手をつけ、あっという間に米粒一つも余さずに茶碗を空にした。

「もう少し食べるか」
「ありがとう、ございます」
「青年、名は」

 茶碗に白米のおかわりをよそい手渡す。青年は少し戸惑いながらそれを受け取り、目を泳がせて側頭部を摩った。

「名は、言わぬようにと両親から」

 政府のお偉方なのか、裏社会の人間なのか、なんにせよ、雅は厄介事の気配を感じ取った。
 雅はその気配から気を紛らわそうと窓の外に目をやって、暗い冬の庭を眺めた。

 ふわり。

 淡く、柔らかな雪がのんびりとした速度で地を迎える。
 あの時雪の中から紺碧の髪を覗かせていた、神社での光景が重なった。

「お前の名は、せつこの薬屋は人が足りていない。働くなら、暫く匿ってやる」

 青年は注意深く表情を隠そうとしているものの、目が柔らかく輝き、安堵とも言えぬ感情が溢れ出ていた。
 
 
 淡い、虹のような極彩色。

 
 雅は初めて見る感情に生唾を飲み込んだ。桃源郷があるとすれば、きっとこんな光景なんだろう。

「よろしく、お願いいたします」

 雪は深々と、指を三本ずつついて土下座の体勢で頭を下げた。

 雅はハッと正気に帰り、この青年の頭を下げるところばかり見ているな、と指を手の中に丸め込んだ。もう片方の手で裾を握る。
 
 畳に落ちた影は長く、二人分の吐息だけが白く揺れていた。気づけば火鉢の墨が消えている。

「そういう畏まったのは無しだ。得意じゃない」
「はい、わかりました」

 雪はその仕草を真似るように自身の裾を握って笑った。
 
 極彩色をルーツに持つ人間。
 最も人間らしい、整った形をした魂にのみ現れる色。

 本能が告げる。繊細で、今にも壊れそうなこの青年を簡単にほかの手に渡してはいけない。

 手の上に、脆い砂糖菓子を置いたような感覚だった。
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