6話
「連中とは私が話をつけてくる。その間、スタンには隠れていてほしいの」
「隠れるって、何処に?」
ルークがルヴィアナへ問う。
「現状、私の工房が一番安全かな。本当はもっといい場所があるんだけど、生憎二十四時間営業じゃないのよね、あそこ」
「......まあ、そもそも殆ど使われてないところだけどね」
蚊帳の外に置かれたまま、話が進められていく。しかし余計な口を挟める雰囲気ではなく、スタンは大人しく口を閉ざすことにした。
「ルーク、工房の場所はわかる?」
「うん、知ってるけど」
「じゃあ、彼の護衛をお願い」
「はあ!?何で僕が――」
ルークが語尾を荒げた瞬間、ルヴィアナが目を細める。その静かな圧に、彼は後に続く言葉を吐き出せぬまま飲み込んだ。
「君は冷静に状況判断が出来るし、無闇に突っ込むタイプでもないでしょ?後ろにいるやつはともかく、ね」
ルヴィアナはベリアルをねめつけるが、当の本人は呑気にくわあ、と大きな欠伸をしている。その開いた口から、鋭い牙がきらりと光って見えた。
「大丈夫、君なら上手くやれる。他でもない、私が言ってるのよ?」
ルヴィアナの声音は柔らかいが、そこには淀みのない確信を感じさせた。
「......わかったよ」
ルークは渋々といった様子で、最終的に彼女からの頼みを了承した。そしてスタンをきっと睨み、「ついてこい」と催促する。
同年代に指図されるというのは些か釈然としないが、今自分が頼れる人物は限られている。スタンは拘留中の罪人のように、大人しく彼の後を追った。
最後にルヴィアナへ一言掛けようと、後ろを振り返る。
しかし彼女の姿は、既に闇の中へと消えていた。
◇
「なーんかきな臭くねえか?」
目的地までの道中、不気味なほどに口を閉ざしていたベリアルが、唐突にそうこぼした。
「......どうした、ベリアル」
「あのガキがやらかしたっつっても、結界少し壊れた程度だろ?あの女は、この程度のボヤで大騒ぎするタマじゃねーだろーがよ」
「何か裏がある、って言いたいのか?」
「さあな、自分で考えろよ。俺にとってはどうでもいい」
「じゃあ何で話しかけたんだよ......」
スタンとかいう少年もそうだが、この悪魔からも目が離せない。頭を抱えたくなりながらも、「一応言っておくけど、勝手なことはするなよ」と釘を刺す。するとベリアルはピタリと足を止め、
「こう見えて今の俺ぁ、結構機嫌いいんだぜ?なんか面白くなりそうだし、お前らに黙って従ってやるよ」
歯をむき出しにして、卑し気に笑った。
「......そりゃあ、頼もしいな」
◇
「着いたぞ、ここだ」
「ここって――」
カレッジから市街地へ向かい、ストリートの路地を入った突き当たり、建物一階の隅に、それはあった。
一見小ぢんまりとした雑貨店にしか見えないが、どうやらここが、ルヴィアナの言っていた工房のようだ。
扉のすりガラスの向こうは真っ暗で、中に人の気配はない。だがルークは迷いなく取っ手に手を掛け、そのまま押し開けた。
鍵はかかっていなかったのか、それとも彼が何かを仕掛けたのか。
スタンの疑問を置き去りに、ルークは遠慮なく中へと踏み込んでいく。
「明かりは点けない。勘づかれる可能性があるからな」
低く告げる声に従い、スタンも慎重に後を追う。
街灯の灯りすら届かぬ室内で、目を凝らしながら周囲を見回す。
陶器やブリキでできた人形、ドリームキャッチャーに似た装飾品、瓶詰めされた怪しげな色の液体......。
――やっぱりそうだ。
道のりからしてもしや、とは思っていたが、ここに来て確信した。
ここは七年前、占い師としてのルヴィアナと出会った場所だ。
薬品のような匂い、どこか神秘的な空気。何もかもが、あの日の記憶と変わらない。
そんなスタンの郷愁をよそに、ルークは店内をうろつき始め、棚や机の上を手当たり次第に物色している。
「何してんの?」
声をかけても返事はない。
ぞんざいな扱いにも最早慣れ、彼の行動を傍観していると、やがて陳列棚の一角で手を止めた。
そして棚に置かれていた小さなオブジェをくるりと回すと、ごとり、と鈍い音を響かせ、棚の奥がわずかに沈み込む。
「すげー......隠し扉じゃん」
思わず呟きながら、ルークの横からひょいと覗き込む。するとそこには、地下へと続く長い階段が、暗闇へと延びていた。ルークはその先を、迷いも見せず進んでいく。
「こんなところ、勝手に入っていいの?」
「今は非常事態だ。可能な限り、目の届きにくい場所に居た方がいいだろ」
極めて現実的なその言葉に、スタンは頷く他なかった。
階段は想像していたよりも短く、ほどなくして行き止まりにぶつかる。そうして現れたのは、重厚な鉄扉だった。地下室に繋がっていると思われるそれは、銀行にある金庫のように頑丈そうな造りだ。
「えーと......解除法はあそこと同じか。杜撰だな......」
そう言いながらルークは、扉の脇に取り付けられた機構を手早く操作する。
次の瞬間、がこん、と鈍い音が響き、扉がゆっくりと開いた。
その先には、何処までも暗く、殺風景な通路が広がっている。
「暫くはここで待機するぞ」
言いながらルークは、腕を組んで壁にもたれかかった。続いてベリアルも、どっさりと地面に腰を下ろす。......衣装の汚れは、気にならないのだろうか。
「全く、とんだ厄介事を招いてくれたな」
落ち着いたのも束の間、ルークに仏頂面で詰められる。
「......すんません」
「こっちとしても色々聞きたいことはあるけど......あんたら、あんなとこで何してたわけ?」
間髪入れずに踏み込んでくる。探るような視線が、暗がりの中でもはっきりと分かった。
「何って......俺、昔あの人の世話になったからさ。そのお礼をしてただけだよ」
できるだけ軽く、何でもないことのように話す。
実際、嘘は言っていない。
ここで何か下手に口を滑らせて、ルヴィアナをこれ以上困らせるわけにはいかない。元より自分から足を踏み入れた領域だ。責任の一端は、確実に自分にある。
「......ふぅん」
ルークが明らかな疑いの眼差しを向ける。きっと、動揺が目線や動作にも出てしまっているのだろう。嘘が苦手でごめんなさい、とルヴィアナに心の中で手を合わせた。
――よし、話を逸らそう。
「それよりもさあ......さっきから皆さん、何の話してるか全然分からないんですけど。俺だけずっと置いてけぼりじゃん」
スタンはわざとらしく肩を落とし、はあ、と大きめに溜息をつく。
ルークは一瞬うざったそうな顔をし、思案した後、「知りたいか?」と、低く試すような声音で問うた。
「そりゃ、はい」
「だったら今から、僕の言うことは絶対だ。いいな?」
威圧を含んだ声で、ルークが条件を突きつける。
......どうやら、冗談の入り込む余地はなさそうだ。
「......分かりました」
数秒の間を空けて、スタンは頷いた。
「――ってことがあって、僕ら魔術師は――」
あれからルークは思いの外饒舌に語り始め、スタンはそれを半ば上の空で聞いていた。悪いと思いつつも、あれから気持ちが落ち着かないのだ。
しかし、混乱してばかりもいられない。今は自分に出来ることをやろう。
まずは話に乗じて、彼から情報を探ってみることにした。
「さっきルヴィアナさんが言ってたけど、なんで蛇と相性が悪いとまずいの?」
「ざっくり言えば、魔女の起源は蛇にあるからだ」
「あー......それは何となく分かるわ」
あの赤い眼を思い出す。睨みつけるだけで相手を呪い殺せそうな、あの眼を。
「ついでに、さっき言ってた『懲罰局』ってのは?」
「......ここの警察組織みたいなものだよ。はっきり言って、最悪な連中」
「そんなに?」
「組織そのものが、っていうより、みんなあそこを統括する女に関わりたくないんだ」
そこまで恐ろしい人物なのだろうか。スタンは僅かに身震いした。
「問題なのは結界を壊したことよりも――お前自身だ。例えば、魔術師が持ち込んだ呪具の類が原因ならそいつを叩けばすむけど、お前のような一般人が破壊してしまったとなれば、話は変わってくる。それが故意であっても、なくてもね」
「えぇ......」
逃げ場のない閉塞感に、胸の奥がじわりと重くなる。
「......俺、これからどうなると思う?」
「そうだな......お前はこの後、ここでの記憶を綺麗さっぱり忘れるか、こっちの世界から逃げられなくなるだろうね」
脅迫めいたその言葉に、ごくりと唾を飲み込む。乾いた唾を飲み込む音が、自分でもやけに大きく聞こえた。
何かが這い出てきそうな闇と睨み合って、どれくらい経っただろうか。
体感では数十分。だがこの閉ざされた空間では、時間の感覚すら曖昧になる。その上厚い扉で隔てられているため、外部の音も耳に届かない。スタンはじれったくなる気持ちを抑え、頬杖をついてその場にしゃがみ込んだ。
「つーかここ、なんかジメジメしてる~......」
雨の日の、あの全身に湿気がまとわりついている感覚。ロンドンに住んでいる人間には慣れっこだが、何故だか殊更不快に感じられた。
「ここは地下な上、この先はテムズ川の真下だからな」
「へえ~......テムズトンネルみたいなもんか。どこと繋がってんの?」
「ロンドン塔の地下だ」
「ロンドン塔?なんであんなとこに......あ」
「どうした?」
言われてスタンははっとする。
そして、入口とは反対方向――ロンドン塔に繋がる地下通路の方角から距離を取った。
「俺ちょっと、入口の近くにいるわ」
「なんで?あんまり離れるなよ」
「だってさあ!」
スタンが声を荒げる。
「あそこ、昔死人が大量に出たとこだろ?だから、絶対出るじゃん」
ルークはその言葉の意味を察したのか、露骨に呆れた顔をした。
「なにお前、幽霊怖いの?」
「怖いとかじゃなくて、単純に嫌いなんだよ存在が!」
スタンは再び語気を強めた。
魔除けを持っているとはいえ、その効果は絶対ではない。他でもない、製作者であるルヴィアナが言っていたことだ。
ふと、俯いていた顔を上げる。
瞬間、ひゅっと息を吞んだ。
見るとルークの背後に、一人の男が立っていた。
やせ細った腕、落ちくぼんだ瞳、黒ずんだ肌。
見間違えるはずもない。
それは、紛れなく死霊だった。
「わー!」
悲鳴とともに、飛び上がるように後ずさる。
「え、急になに、怖いんだけど」
ルークは困惑しているようだが、怖いのはこっちだ。
しかし死霊はどういうわけか、あっけなく霧散していった。今になって魔除けが効果を発揮したのか、はたまたスタンの声に驚いたのだろうか。
そして死霊と入れ替わるように、いつの間にかベリアルが立っている。
「ほ~ん?」
今まで傍らで眺めていただけの彼女は、面白いものでも発見した、というようにじろじろとスタンを観察している。
「お前、霊媒体質ってやつだろ」
「え、わかるの」
「霊媒体質ぅ~......?こいつが?」
ルークが訝しげに目を細める。
「......僕にはなにも見えないぞ」
「マジで!?魔術師なら見えんじゃないの!?」
「どういう理屈だよ......死霊が見える、見えないに魔術は関係ない」
「じゃあ、どういう理屈だよ?」
「霊媒体質は魔眼ほどじゃないけど、生まれ持った素質だぞ?」
「何が素質だよ!こんなん呪いだよ!」
スタンは牙をむき出しにして吠える犬のように、憤りを露わにする。
「おっ、どんどん寄ってきてんぞ。すげぇな、お前」
「嘘でしょ......?」
彼女の言葉が真実であるのなら、恐らくこの暗闇の先に群がっているのだろう。想像しただけでぞっとした。気分はまるで、敵に囲い込まれ退路を断たれた脱走兵だ。
そんなスタンとは対照的に、ルークは手を口元に当て、静かに思案している。そしてぴん、と何かを閃いた表情で、ベリアルへ詰め寄った。
「......よし、ベリアル。今から死霊退治するぞ」
「やなこった」
取り付く島もなく、ベリアルはべ、と舌を出して一蹴した。
「俺に対する命令権は、まだアルドリッジが持ったまんまだぜ。そんなこともわかんねーのか?」
言われてルークは、眉をひそめる。
「俺がそこの人間を殺しでもすれば、お前の人生パアだぜ?」
それは、脅しか挑発か。
喉元に刃物を突き付けられた感覚に、嫌な汗が背中を伝う。
「......いいや、そんなことはありえない。だって、お前は人を殺せない」
沈黙が流れる。
それに耐え兼ね、スタンはルークに食ってかかる。
「なあ、それホント?」
「......」
「なんか言えよ!」
状況は、絶望的とも言っていいほどだ。
味方を求め、スタンは縋るような声になる。
「なあなあ、あんたらの魔術とやらで一気に解決できない?」
「だってさ、ベリアル」
「めんどくせえよ。俺はここで、お前らがみっともなく騒いでるの見てるわ」
「ねえ~なにこの人~~」
無機質な空間に、スタンの声が空しく響いた。