7話
僅かだが、ずるずると何かが地面を這う音が聞こえる。大量に湧いて出た死霊が、じわじわとこちらを追いつめているのだろう。
元凶たる少年は、尚も腑抜けた顔で右往左往しており、悪魔の力を借りようにも、非協力的で何の役にも立たない。
死霊をはじめ「人間の強い念」というのは、魔術的にも負の意味を持つ。多量のそれに触れるとなると、いかに強力な魔術師とて、精神的に無事では済まないだろう。
状況は最悪。
さて、自分はこれから、どう行動するべきか――
「引き返すのはなしだぞ。今はまだ、外に出るわけにもいかないし」
「じゃあ、結局どうすんだよ~......」
死霊が現れてからというもの、スタンはすっかり萎縮してしまっている。
――まったく。ルヴィアナは何を思って、こんな奴に構っていたのか。
「そんな世界が終わるような顔をするなよ。僕だって、こんなところで終わりたくない」
相手はたかが死霊だ。数が多かろうと、大した相手ではない。
そのためにはまず、目の前の悪魔を説き伏せる必要がある。
――彼女の力に頼るのではなく、あくまで利用するために。
「ベリアル。お前、まだ暴れ足りないだろ?」
「まあ、そうだな」
昼間の出来事をつつけば、予想通り食いついた。
彼女は良くも悪くも欲望に素直な分、望んでいるものが分かりやすい。唯一の長所と言ってもいいだろう。
「幸いここは蛇十字の管理地だし、地下だ。武器だって好きに使っていいぞ」
「あとは?」
ベリアルは更に、報酬を求めた。これも想定内だ。
「これは追々の話だが――その身体が使えなくなったら、僕が新しいものを用意する」
これは、この場限りのハッタリなどではない。
アルドリッジに交渉を持ち掛ける以前より考えていたことだ。
しかしそれは、まさに彼女が求めていたものだったのか、先ほどまでの無関心ぶりが嘘のように、ニタリと笑って立ち上がった。
「血も通ってねえクソ幽霊が相手とかいまいち盛り上がらねえが、まあ今は我慢しておいてやる」
ベリアルが起き上がると同時に、赤い飛沫が宙を舞う。すると彼女の手には、血のように赤黒い巨大なサイズが握られていた。
「んじゃあ、死んでもらうとすっかぁ!っつってももう死んでるけどな!」
ベリアルは高らかに声を張り上げ、闇の中へ飛び込んでいく。
ルークには、蹂躙対象である死霊は見えない。しかし赤黒い鎌の軌跡と切り裂かれる空気音から、"それ"が確実に存在していることと、かなりの数がいることは把握できた。
彼女は手にした鎌で、次々と死霊を切り捨てている。その姿は死神というよりも、道端の虫を潰して弄ぶ無邪気な子供のようだ。
「すげー......」
ふとスタンを見やると、彼はその場で呆然と立ちつくしていた。
「......どうやら、大量に死霊が湧いてるのは本当らしいな」
「だから、そうだって言ってんじゃん!まじで見えないのな」
スタンの呆れたような物言いに、ルークは柄にもなく、むきになって言い返す。
「それにしても凄い執着のされようだね?お前、覚えがないだけで過去に何処かの王墓でも荒らしたんじゃないの?」
「そんなことしねーよ!」
ルーク自身、霊媒体質や霊的現象については明るくない。しかしロンドン塔付近とはいえ、人間一人の力でここまでの力を発揮するというのか。
ただ、魔力と同じで霊媒体質にも個人差があるとは聞いたことがある。こいつは殊更、死霊を引き寄せてしまう質なのだろう。最早、呪われていると言ってもいい程に。
「ところで俺ら、見てるだけでいいの?」
「んなわけあるか。とっとと出るぞ」
ルークはスタンの腕を引っ張り、ベリアルが切り拓いた道を突き進んでいく。
「出るって......そっちかよ!?」
地下通路は坑道のようになっており、一筋の明かりもない暗闇が広がっている。生憎、マッチもライターも所持していない。けれど自分には、何より強力な武器がある。
ルークは走ったまま右手を振りかざし、空中に「炎」を発生させた。
「あ、これ――」
炎を松明のように頭上に掲げ、ひたすら真っ直ぐ走る。やがて、行き止まりに突き当たった。
そこは左右へ延びる分岐路になっており、中央の壁には木製の看板が取り付けられている。
「案内板......じゃない?」
見てくれは確かに観光地にあるような案内看板のようだが、その内容に、二人揃って首を傾げた。
落書きのような簡素な地図に、「Eight Tombs Village」、「Hell Gate Island」......どれもこれも、実在するか怪しい地名ばかり記載されている。奇妙というより、珍妙だ。
――まさかとは思うが、これはルヴィアナ自らが、侵入者の攪乱のために制作したのだろうか?
「なんだよこれ!こんなふざけたもの作る必要あった!?」
無性に腹が立ち、不在のルヴィアナに向かって吠える。
――落ち着こう。こんな所で足を止めている時間はない。
一度、空気を深く吸って吐く。
そして左手に嵌めた腕時計を口元へ近づけ、
「......マルコシアス!どこが"正解"だ!?」
そこに潜む悪魔に、答えを求めた。
『左右のどちらでもない、目の前でございます!ルーク様!』
「!?」
スタンが驚きで目を見開く。
霊媒体質と聞いてもしやとは思っていたが、やはりこいつには、彼の声が聞こえるらしい。
「目の前......?」
『その看板でございますよ!そこをお二人で押してみてくださいませ!』
二人で顔を見合わせ、言われるまま看板へ手を伸ばす。
「なあ、Ready, set, go、でいこうと思うんだけど、『go』って言った瞬間か言った後かどっち――」
「そんなのはいいから!押すぞ!」
スタンの提案を押しのけて、ルークが力を込めた瞬間――
「わあっ!?」
物理的な接触もなく、幽霊のように身体がすり抜けていった。そしてその勢いで、そのまま地面へ倒れ込む。
ルークはすぐさま顔を上げ、飛び込んだ先を確認する。
――見覚えのある地下空間。間違いないようだ。
「......よし、なんとかここまで来られたな」
「いたい」
◇
「......ここもさっさと出よう。大多数の死霊は向こうに行ったろうけど、もう湧いてこないとも限らないし、長居したくもない」
起き上がって周囲を見渡すと、そこには異様な空間が広がっていた。
相も変わらず薄暗いが、中央に設けられた十数名分の席を囲むように、半円状の座席が連なっている。
この構造は、まるで議会場だ。
ロンドン塔地下にこんなものがあるだなんて、聞いたことがない。
この場所もたいへん好奇心をそそられるが、それよりもルークに確認したいことがあった。
「なあ、さっきの火はなんなんだ?」
「エンバークラフト。魔術師がまず最初に教わる、基礎中の基礎魔術だ。火元が無くてもその場で火を発生させることができる。便利だろ?」
そう言ってルークは、得意げに鼻を鳴らした。
「それ......カレッジで俺が見た光と似てる」
「ああ......それは多分、『残り火』だな」
残り火。ルヴィアナも同じことを言っていた。
「火が消え切らず、残滓として残ったものだ。消しきるのが原則だけど、どうしても残ってしまうことが多いんだ」
「へえ......」
「それで、これは余談だけど......この残り火は、偶然見かけた、何も知らない人間の間で『ウィルオウィスプ』と噂されるようになったそうだ」
スタンの中で、点と点が一気に繋がる。
そして、「はぁ〜〜〜」と大きく息を吐いた。
「やっぱり、そういうもんだよなあ」
「何が?」
「超常現象やオカルトの正体なんて、所詮は人が生み出した偶然の産物ってこと」
「オカルトなんて下らない。何の知識も力もない連中が、好奇心と野次馬根性で騒いでるだけだろ」
「......お前、友達いないだろ」
「そうだけど、それが何」
「開き直んなよ」
苦笑しながら、スタンは一歩、彼との距離を縮める。
「じゃあ、今日から俺と友達んなろうぜ」
「――はあ?」
「お前はヤな奴だけど、悪い奴じゃないし。それに、俺が知らないことをいっぱい知ってるから、退屈しなさそう」
「それ、僕には何の得もないだろ」
ため息をつくルークに、スタンは構わず続ける。
「お前さ、なんか夢とかないの?」
「夢?」
「そ、夢。俺はさ、宇宙人に会いたいんだよねー。いいよな宇宙。ロマンがあって」
「......お気楽なもんだね」
「じゃあ、そういうお前はどうなんだよ?」
「僕は......僕の功績を認めてもらいたい」
ルークはこちらに顔を向けず、迷いを含んだ声で言った。
「それって、周りから賞賛されたいとか、そういうこと?」
「そうじゃない、って言えば嘘になるけど、僕は僕の力で何かを成し遂げたいだけだ。おかしい?」
「いや、おかしいことなんかないと思うぞ?『凄いやつだ』って思われたいのは、誰でもそうじゃねえかなあ」
「......僕はそんなんじゃ――」
ルークが言いかけた時、真上で何かが爆ぜた。けたたましい爆発音に、心臓が早鐘を打つ。
舞い上がる煙の中で、数人の人影がゆらゆらと揺れている。それと同時に、かつかつとヒールが石畳を踏み鳴らす音が響いた。
「最悪。懲罰局の長、直々のご到着だ」
やがて煙が晴れ、一団が姿を現す。
その先頭に立つのは、一人の少女。
「あなたね?うちの結界に傷をつけてくれたのは」
銀の髪をたなびかせ、ルヴィアナと同じ赤い瞳で、まっすぐこちらを見据えている。後ろに控えている女性たちは、一様に目元をマスクで覆っており、表情は読めない。髪型や体格までもが揃っており、まるで複製されたかのように統一されている。
「スタン・マーシャル、ルーク・エインズワースの両名は大人しく拘束を受けるように。ルヴィアナと共に、事情聴取をさせていただきます」
集団の一人がそう宣言し、素早く二人の周囲を取り囲む。
――完全に包囲された。
その場で逃げ場を失い、立ちつくす。
「何よ、惚けちゃって。あ......分かったわ!」
その様子を見て、少女はぱっと表情を輝かせた。そしてスタンへぐい、と顔を近づけると、
「あなた、私に夢中になってしまったのでしょう!?そうよね!私が最高なのは、当然のことだもの!」
スタンはこの時初めて、女の子を前に気を失いそうになった。